六話 最強の武人
「そういえば昨日、夜に出かけていたみたいだけどどこへ行っていたの?」
「どうして知ってるの?」
アードラーの質問に、思わず聞き返した。
私は昨日、漢麗様と一緒に寝ていた。
アードラーは別室で寝ていて、高呂を欺くために部屋を出る時もトイレを装って出たので時間もそんなに長くない。
「偶然かしらね。寝付けなくて部屋を出たら、丁度、手から縄を発射しながら屋根伝いに移動する人影を見たわ。そんな事ができるのは、あなたくらいでしょう?」
「……いや、通りすがりの地獄からの使者かもしれない」
マーベラー!
「誰なのよ?」
マーベ……じゃなくて、アードラーは苦笑する。
「で、どこへ出かけたの?」
再度問われる。
本当は、あんまり心配させたくなくて、黙っているつもりだったんだけどね。
「ケイキョウの部屋。昼間に釘を刺されたから、刺し返しに言ってきた」
アードラーの表情が不安に曇る。
「大丈夫なの?」
「むしろ、最初に釘を刺された時失敗しちゃってさ。余計な事をしてしまったから、そのフォローだよ」
「余計な事?」
「お前の頭から皮を剥ぎ取り、足からは一寸刻みに肉を削ぎ、長い時間をかけて死に至らせる。そしてその男根の痕跡を人目にさらし、苦と惨と悲を絡めて地獄に落とす。って脅した」
アードラーの表情が類を見ないほどの驚愕に染まった。
「いや、冗談。さすがにそんな事は言ってない」
心の中では念じていたけど。
アードラーはホッと緊張を解す。
それでも不安そうだ。
「ただ、漏れる殺気を抑えきれなかった。あの様子じゃ、その気に当てられて危機感を覚えてたと思う。そのせいで暗殺されちゃたまらないから、こっちもいつでも暗殺できるぞ、と釘を刺しに行ったんだ」
「そうなの……。それで大丈夫そう?」
「大丈夫だと思うけど……。念のため、食事の時は私が最初に毒見する」
「そこまでしなくていいわ」
アードラーはあっさりと答えた。
「心配じゃないの?」
「私は、あなたが私のためにどれだけ怒ってくれるのか知っている。その怒りを受ける事は、とても恐ろしい事でしょうね」
だから私の脅しは十分に作用する、と?
「それに……」
言いながら、アードラーは私の頬へそっと手を触れる。
「私の見立てが間違って、死んだとしても構わない。その時あなたが、私のそばにいてくれるなら」
「光栄だ、なんて言わないよ。私はアードラーともっと長い時間を生きていたいからね」
私が答えると、アードラーは嬉しそうに笑った。
丁度その時だった。
漢麗様が部屋へ入ってきた。
『おお、ここにいたか』
私達は漢麗様に頭を下げて出迎える。
『きんじつ、うたげをひらくことになった。そなたらもさんかせよ』
どうやら、その宴は誰かの武功を称えるためのものであるらしかった。
私達はその宴の席において、漢麗様の隣で参加する事となった。
もちろん、漢麗様の隣という事にケイキョウは難色を示した。
が、私達がこの国での肩書きや階級のようなものを持たないのだから、隣でいいだろうと漢麗様が押し通したのだ。
宴の席は、漢麗様を一番奥の少し高くなった上座へ据え、そこから入り口まで道のように敷物が敷かれている。
その敷物は一種のステージのようなものらしく、その範囲内で踊り子が舞を踊っていた。
客人は、その絨毯の両側面に沿って並ぶ形となっていた。
その客人達の後ろには、音曲を奏でる楽師達の姿がある。
どうやら階級や役職によって席順が決まっているらしく、階級が低くなるほど漢麗様からは遠のいていくようだ。
ケイキョウとその同僚らしき文官達の席は、漢麗様のいる高台の上だ。
それでも隣からは程遠い。
それを踏まえれば、確かに私達がここにいるのは面白くないだろう。
それぞれの前には料理を置く小さなテーブルが置かれている。
私達の前にも、それらは置かれていた。
しかし……。
漫画などで見た時から思っていたけれど、飲み物の器から突き出ているこの棒みたいなものはなんだろう?
一見してストローのようにも見えるが、別に穴が開いているわけでもない。
飾りか何かだろうか?
正直、飲みにくいだけのような気がする。
中の液体からはアルコール臭がするので、私は毒見も兼ねて一口だけ飲んでからあとは飲むフリをした。
この場で酔っ払って大暴れするような事は絶対に避けなければならない。
アードラーも妊娠中なので、同じように控えている。
すずめちゃんの分は多分、漢麗様が飲んでいるのと同じ果実のジュースだろう。
私もそっちがよかった。
音曲に合わせた踊り子の舞が終わる。
ケイキョウが漢麗様に近づいて何事か言葉を交わす。
すると、漢麗様は頷いた。
『カイズイ! ここへ!』
漢麗様がそう声を発すると、末席の方にいた二人が立ち上がった。
一人は厳しい顔の男性であり、鎧を着ていた。
そしてもう一人は歳若い女性……というより女の子だった。
女の子の髪を短く、頓着していないのか手入れはされていない。
顔や素肌には細やかな浅い傷が見え、そのどれもが新しい。
上はスポーツブラのような肩を出した黒い衣服で、下には薄汚れた白いズボンと鎧の下半身部分だけを着ていた。
一見して男の子のようにも見えるが、ちゃんと女の子だとわかる程度には発育が良かった。
男性の方は緊張した様子だったが、女の子の方はどこかつまらなそうな顔をしている。
『このものがカイズイにございます』
男性の方が、女の子を示して漢麗様に告げる。
『うむ。ほっぽうでのかつやく、ききおよんでおる。ほうしょうをとらせるゆえ、かんがえておけ! いまは、このうたげをたのしむがよい』
『ありがとうございます』
漢麗様の言葉に、女の子は特に感慨も見せずに礼の言葉を返した。
活躍しているって事は強い武人なんだろうな。
カイズイと呼ばれた女の子は、そのまま席へ戻ろうとする。
そんな時だった。
『てんしさま。あのカイズイ、おそらくはこのくにでさいきょうのぶじん。たしか、クロエどのもぶにひいでたかたというはなし』
『うむ。つよいぞ!』
漢麗様は自信満々に言っているが、彼女が私の力量を知る機会はなかったはず……。
あの馬車では、外を見る事もできなかったはずだ。
その自信はどこから来るの?
『いかがでしょう。てんしさまじまんのそのぶ、ここでみなにおみせしては……。ちょうど、そのあいてとなるものもおりますゆえ』
ケイキョウはそう提案する。
私と、あのカイズイという女の子を競わせようとしている?
どうして?
『それはよい! おもしろそうじゃ!』
漢麗様はそれを聞いて、乗り気になる。
『クロエよ。あのものとたたかい、そのちからをみなにみせてやれ!』
漢麗様はカイズイを示して言う。
私が勝つ事を微塵も疑っていないご様子だ。
「わかりました」
答え、私は立ち上がる。
その意気へ応えるように、カイズイは私を見やった。
が、一緒にいた男性に何やら声をかけられ、一度振り返る。
男性はどこか心配そうな表情でカイズイに言っている。
『なにかもんだいがあるのか?』
ケイキョウが威圧的に声を上げると、男性は焦った様子で『なにももんだいはございません!』と答えた。
男性はカイズイを残し、席へ戻っていく。
彼は席に戻っても、心配そうにカイズイを見ていた。
私は上座より下りて、カイズイと同じ敷物の上へ立つ。
今まで踊り子達のステージだった敷物は、私とカイズイの戦う戦場となった。
さて、始まりの合図はあるのだろうか……。
と思っていると、カイズイは私との距離を詰めた。
右拳を握り、振り上げて叩きつける攻撃。
思いがけない思い切りの良さと速さに、私は思わずそれを左腕で防御した。
間髪入れぬ左の抜き手が、私の首を狙う。
防御に上げた右手を振り下ろし、私はその抜き手を叩き落す。
すると、カイズイの右拳が再び私へ振り下ろされた。
一歩退いて距離を空けるが、すぐに詰めてくる。
再びの攻勢。
対して私は、守勢に徹した。
カイズイの攻撃は速く、手数が多かった。
そして何よりも正確である。
打ち合わせれば、その身が魔力で強化されているのがわかる。
この国では、アールネスで言う所の闘技が当然のように技術としてあるのだろう。
だから、威力も申し分ない。
無駄なく、まるで最適解を出すように、相手の隙と急所を狙い打とうとする。
ひたすらにまっすぐで、素直な攻め方だ。
少しアーリア様を思い出す。
掴みどころの無い動きは恐らく我流だから。
しかし、動きそのものには淀みが無く洗練されている。
彼女は戦場で武功を立てた人間だという。
蹴り技も少ない。
武器を持っている事を想定した動きだ。
戦場で必要な戦い方がこれなのだろう。
ただ――
飛び掛からんばかりに体を伸ばしながらの右抜き手が迫り、私は一歩踏み出した。
すり抜けるように抜き手を避け、ライトアッパーで顎を軽く打つ。
すると、カイズイはその場で尻餅をついた。
――私、こういう相手一番得意なんだよね。
パターンが読みやすいから。
もう少し強く顎を打ち抜けば意識を奪えただろうが、手加減した。
相手は名のある武将のようだし、いたずらにプライドを傷つけるような負け方はさせない方がいいと思ったのだ。
尻餅をついたカイズイは立ち上がろうとするが、その場でバランスを崩して床に手を着いた。
不思議そうな顔で私を見上げる。
その口が何かの言葉を紡ぐが、私には理解できなかった。
雪風の範囲外、かと思って雪風を見ると丁度何か食べている途中だった。
カイズイからは戦意が消えている。
これはもう、決着という事でいいよね?
私はカイズイに笑みを返した。
背を向けて、漢麗様の方へ帰っていく。
私を見る漢麗様の表情は得意げな笑みだ。
どうやら、期待には沿えたらしい。
『さすがはクロエじゃ! いちげきでたおすとはな!』
そんなお褒めの言葉を受けた時だった。
何やら、後ろが騒がしくなる。
見ると、カイズイがこちらへ這い寄ってきていた。
そして、さっき席へ戻った男性が慌てて駆け出し、そんなカイズイを止めようとする。
『まて! カイズイ! なにをかんがえている!』
『しりたい。あれがだれなのか』
『てんしさまのまえだ! ひかえろ!』
男性に言われ、カイズイは漢麗様の前まで来て正座した。
男性は、そんなカイズイの頭を掴んで下げさせ、自分もまた頭を下げた。
そんな男性に抵抗して、カイズイは顔だけを上げる。
ぶれいもの! とケイキョウが叱責するが、カイズイは構わず口を開いた。
『てんしさま。おしえて……ください』
『なんじゃ?』
『そのひとのなまえ。どこの、だれ……です?』
カイズイは私を見据えながら訊ねた。
『このものはクロエ。ちんのこうきゅうにすんでおる』
漢麗様から答えを聞くと、カイズイの表情が歳相応の無邪気な笑みに変わった。
『てんしさま。おねがいをかなえてくれる……のですよね? だったら、わたしもこうきゅうにでいりできるようにして……ください。おねがい、します』
『ほう、なぜじゃ?』
『あのひとともっとたたかいたい……です。かてるようになるまで、なんども……なんども……』
漢麗様は微笑む。
『ふむ。いいじゃろう。では、それをみとめよう』




