閑話 圭杏、釘を刺し返される
宮殿の一室。
そこには、この国を動かす者達が集っていた。
その中には無論、私も含まれている。
幼い帝に代わり、印璽を預かって政を成す我々は、この国で最高の権力を持っていると言えよう。
しかし同僚といえど、私以上の権勢を持つ者はいない。
私こそが、頂点である。
「圭杏殿。天子様は今宵も?」
「後宮に渡られた」
私は頷き、同僚に答えた。
「いやはや、ずいぶんとお気に召している様子ですな」
「なに、寵姫を愛でるのとは違う。物珍しい動物を愛でるようなものよ」
同僚達はそう嘲笑する。
「しかしながら目障りではありますな。まさかという事もないでしょうが、寵愛を笠に権力を持つような事にならんとも限らぬ」
「心配する事はない。天子様もいずれ、あの後宮を本来の用途で使う時が来よう。その時に放逐すればよい。それを考えれば、何の意味もないあの場へ厄介者を収めようと発案成された圭杏殿の機転は冴えておりましたな」
「その時まで、あの者達への寵が続けばどうする? 天子様に侍るような事となれば、それこそ我らの立場を脅かす存在となるやもしれん」
皆思い思いに考えを述べる。
不安視する者も楽観視する者もあるが、その誰もがあの異邦人の動向へ注目している。
「……一昨日、釘は刺してきた」
私はそう答える。
「流石は圭杏殿。相変わらず、動きの早い方だ」
私を褒め称える同僚の声。
しかし、私の心は晴れなかった。
差し出がましい事をせぬよう、私は釘を刺した。
しかし……。
『よおくぞんじあげております』
そう言って作った笑顔に反して、あの女の発する気配はあまりにも攻撃的だった。
「そんな事をすれば、殺してやる」
言葉よりも雄弁に、あの女の気配は語っていた。
あれは殺気というものであろうか。
武の心得が無い自分にすら察する事のできる濃密な気だった。
この圭杏、幾度も武人の放つ気に晒された事はある。
今まで、そんなものに怖じた事はない。
しかし、あれは格が違った。
あの時、腰を抜かさぬよう、耐えた自分を褒めてやりたい。
ただそれでも足の震えはどうしようもなく、冷や汗が止まらなかった。
その時できたのは、天子様を追ってその場から離れる事だけだ。
それから天子様と同室する間、あの女も背後に控えていた。
あの女は笑顔を絶やす事なく、しかしずっと私の動向を観察していた。
背後を振り返る事が恐ろしく、実際に見たわけではない。
それでも、その視線を感じたのだ。
私は耐え切れなくなり、その場を中座して逃げ出した。
あの時はただただ恐ろしくそんな行動に出てしまったが……。
この国の中枢を担う者として、あのような女一人に脅かされて逃げたという事実は腹立たしい。
やはり、一度私の力を見せ付けておいた方がよいか。
と思い直して、眠りについたその翌朝……。
私の心胆は寒からしめられる事となる。
今朝、目覚めた私の服に、赤い塗料で点が打たれており……。
その形は、北斗七星を象っていた。
宮殿の奥。
私の私室までには、多くの衛兵が立っているのだ。
その衛兵に見つからず、眠る私に気付かれず、こんな事を成し遂げる者。
その意図は間違いなく私を殺そうと思えば殺せたという意思表示である。
そんな事を誰が成したのか……。
その名は浮かばない。
しかしそのような行動に出る人物には、心当たりがあった。
あの女だ。
私は釘を刺し、そして逆に釘を刺されたのだ。
いつでもお前を殺せるが、そちらが何もしなければこちらは何もしない、と。
「どうかなさいましたか?」
どうやら、私は抱く不安を隠せず顔に出していたらしい。
同僚が気遣ってくれる。
「……少し、考えていた。やはりどこぞの誰とも知れぬ者を天子様の側へ置くべきではないのかもしれない」
暗殺されるかもしれないという不安はある。
しかし、国の頂点たる私を脅かす存在がいる。
それは許されざる事だ。
「では……」
「いや、直接手を下すまでもない」
食事の一切をこちらで用意している以上、毒で殺すという事は容易かろう。
しかしそれで、あの女を殺し損ねれば……。
恐らく、こちらの命はあるまい。
だから、排除するならば、別の手段……。
あの者も漢麗様からの命とあらば、聞かざるを得ない。
それを利用し、排除するのはどうか……。
少なくとも、あの女さえどうにかできればあとはどうとでもなる。
「確か、あの女は武に心得があるという話だったな」
「天子様が得意げに話しておりました」
「ではその武の底を暴きたてるだけの力をもった勇将に心当たりはないか?」
私が訊ねると、同僚の一人が心当たりを答える。
「北方の境に、ハンの討伐において一万の雑兵と二十の大将首を討ち、武功を挙げた者の名が轟いております。名は、魁瑞。恐らく、今この国で彼女に並ぶ者はおらぬでしょう」
「ふむ。聞いた事があるな。では、その魁瑞を招致せよ。その功に報い、褒賞を取らせ、祝宴で労う」
「手配いたしましょう。しかし、そのような事をしてどうするおつもりですか?」
「祝宴の席で、その武を披露してもらおう。そして、その相手として天子様にあの女を宛がうよう進言するのだ。天子様もお気に入りの力を見たいと思われよう」
私が答えると、同僚はその意図を悟って笑う。
「なるほど。文字通り、暴き立てるわけですな」
「そうだ。あの女の誇る武、その程度を露呈させれば天子様とて興味を無くそう」
そうなれば排斥も容易い。
この国において、私を脅かす存在。
そんな者が居ていいはずはないのだ。




