十一話 クロエ捕物帖
アールネス使節団が滞在する屋敷。
「先輩、知ってますか?」
「何ですか?」
私はムルシエラ先輩に声をかけた。
「刀は引かなきゃ斬れないんですよ」
「何の話ですか?」
先輩が呆れたように訊ね返した。
そんな先輩に私は得意げに続ける。
「どんなに斬れる剣でも、当てて引かなきゃ斬れないんです。あの有名な剣豪宮本武蔵はそう言って、ハゲ頭の武神を斬らずに倒したという逸話があるんですよ」
「本当に何の話ですか? 誰ですかそれ」
「まぁ、それは冗談ですけど」
「冗談なんですか」
「最近私、この国の剣術を習っていまして。そういうふうに習ったんです」
漫画などで引かねば斬らないと見た事があったので、そうなのかーと純真無垢な私は納得していたわけだが、最近実際に夏木さんから斬り方を伝授されてその理屈をよく理解した。
叩きつけるだけなら斬れない、なんて極端な話はないだろうが、引いて斬るという動作を覚えなければ刀の切れ味を十全に発揮する事はできないのだ。
とはいえ、当てて引けばいいという単純なものでなく、振り抜きつつ引くというのが表現としては近いだろう。
少なくとも力任せに叩きつける事は論外であり、むしろ力は必要最低限まで抜き、撫でるように軽くサッと抜けてしまうというのが私の実感した感覚だ。
「よくわかりませんね」
「ほら、野菜とかならナイフを押し当てるだけで切れますけれど、皮付きの鶏肉は押し当てても切りにくいじゃないですか。そんな感じで、上手く引く技術が大事なんです」
「料理をしないので、その例えもあまり……」
なんと、そんなに女子力が高いのに料理ができない?
ふふ、どうやら内面の女子力は私の夫の方が高いようだな。
「それより、今日はどこにも行かないのですか?」
「ああ……。今日は斉藤さんがいないんですよね。だから、出て行かないようにって言われちゃいました」
「そうですか。だから暇そうにうろうろしているんですね」
まぁ、そうなんだよね。
「そういえば、先輩達はずっと屋敷の中で何をしているんですか?」
「ずっと中にいるわけじゃありませんが、交渉が始まった時のために対策を立てています。速やかに交渉を終わらせたいでしょう?」
あ、これ私のためだ。
「ありがとうございます。私も参加した方がいいですか?」
「いいえ、その必要はありません」
「そうなんですか?」
「その方が気は紛れるでしょう?」
「そうですけど……」
確かに、屋敷で缶詰よりも気は紛れる。
「正直に言うと、今のあなたは少しいつもと違います。明るく振舞おうとしているのはわかりますが、無理をしているように見えるんですよ」
そうなんだ……。
心配、かけちゃってたかな。
「まぁ、外で見聞きした事の報告をしてくれればそれでいいですよ。そこから、交渉の役に立つ知識を得られるかもしれませんし」
「わかりました。今度からは報告します」
と、そんな時だ。
斉藤さんが部屋に入って来た。
そして。
「申し訳ありませんぬが、しばらく所要でこちらへ参る事ができなくなりましたゆえ、その間外出を控えていただきます」
と言った。
「そうですか……」
じゃあ、しばらく夏木さんの家にも行けなくなるのか。
残念だな。
「何があったのですか?」
「それは……」
そこまで言い、斉藤さんは口を閉ざす。
少し考える素振りを見せ、再び口を開いた。
「あなたならいいでしょう。実は、隣の畠山という地より辻斬りの下手人が流れてきたようで」
「辻斬り?」
「はい。そいつは浪人ものでして。畠山で人を殺め、奉行所の手を逃れて前田へ逃れたようなのです」
「何故、こちらに逃げてきたと?」
「国境から城下までの間に、何人か斬殺された死体がでております。それはおそらくその浪人者の仕業ではないかと。それが、昨夜ついにこの城下町でも被害が出たようで」
なるほど。
辻斬りが逃げてきて、こちらでも辻斬りを行なっているという事か。
逃げてきてまでやるという事は結構なサイコパスだな。
犯罪係数が高そうだ。
「今、そいつを捕縛ないし始末するために人を集めておりまして。人海戦術で探し出し、数でかかろうという算段なのです」
「斉藤さんもその始末に携わるという事ですね?」
「はい」
仕方ない事か。
でも、家でじっとしていると気分が落ち込んでいくからなぁ……。
できれば、倭の国にいる間は動き回っていたい。
「あの、斉藤さん。その捕り物、私も参加していいですか?」
「そう言うのではないか、と思っておりました。実の所、お力を借りたいと願い出るつもりでした」
「じゃあ……」
「はい。此度の事に、参加していただきたい」
「わかりました」
そうして私は、辻斬りの捕縛を手伝う事になった。
ふふふ、私の拳でお仕置きしてやろう。
日が沈んで久しい夜の闇の中。
時間的には、午後八時くらいであろうか?
私は斉藤さんと二人で、城下町の夜道を歩いていた。
辻斬りを捕らえるためである。
「今回参加した侍は何人いるのですか?」
「総勢四十名です」
「そんなに?」
一人の辻斬り相手に多すぎるのでは無いだろうか?
それとも、それだけの相手が必要なくらいにその浪人は強いのだろうか。
「もしかして、その浪人は名の知れた剣豪なのですか?」
訊ねるが、斉藤さんは首を横に振った。
「名も聞いた事がないような無名の者です」
「なら、どうして?」
「それはその浪人が――」
斉藤さんが答えようとした時だ。
ピィーッ! と夜の静けさを裂く笛の音が聞こえて来た。
「どうやら出たようです。向かいましょう」
「はい」
私達は笛の音が聞こえた場所へ走った。
そして辿り着いた場所は川掘沿いの道。
飲み屋や飯処が軒を連ねる場所であった。
川掘のそばには、大きな岩が立つようにあった。
その岩の近くに、浪人は立っていた。
手には血に濡れた刀と血を流して倒れる侍が五人。
そんな浪人者を数人の侍達が囲い、数で勝っていながらも攻めあぐねている様子だった。
私は浪人の持つ刀が気になった。
よくわからないが。
私はその浪人者よりも、刀の方が強い気配を発しているように思えてならなかった。
「あの浪人は、持っておるのです。あの刀を……。あの妖刀豊口を……」
私の疑問に答えるように、斉藤さんは言った。




