二話 朱雀国の車窓から
後々改善いたしますが、しばらく雪風によるのひらがな長文の読みにくさをお許しください。
それまでは、クロエがモノローグで簡略化した内容を語らせる事で対処しようと思います。
面倒な時は、そちらだけ読んでいただければ読みやすいと思います。
『そなたら、ちんのくるまへどうじょうすることをゆるす』
かんれいは、そう言ってくれた。
『なりません! このようなすじょうあやしきものをおちかづけになるなど』
が、それに指揮官は反対の声を上げた。
『このものはもはや、ちんのものじゃ。そうやくそくしたからの』
『しかし……』
『ええい! ちんのいうことがまちがっているというのか!』
『……しょうちいたしました』
かんれいは私との約束を根拠に、指揮官の諫言を退けた。
渋々ながら、指揮官は引き下がった。
ただ、その引き下がりついでに私を強く睨む。
指揮官は若い女性である。
その鎧の着こなし、身のこなしから指揮官としての実力がある事はうかがい知れた。
かんれいの言葉が間違っているかどうかについては、間違っていると言わざるを得ない。
正直、言葉のやり取りだけでここまで信頼するというのは甘いと言う以外にない。
しかし、今はありがたい展開だ。
なら、この無邪気な信頼には応えるべきだろう。
まぁ、初めから何か悪さをするつもりもなかったけれど。
そんな事は見ず知らずの他人からはわからない事だ。
警戒するのは当たり前。
私達は馬車への同乗を許された。
かんれいは雪風の思いがけない可愛らしさに「ほほー」と嬉しそうに声を上げた。
なおかつ雪風は警戒心をお母さんのお腹の中に取り落としてきたような人懐っこい性格なので、初対面のかんれいを相手に可愛いげを遺憾なく発揮している。
それに、同じく子供であるすずめちゃんにも興味があるらしく、雪風と遊びつつすずめちゃんにもちょっかいを出している。
今は最近伸び放題になっていた髪をかんれい様と同じような団子頭に結われている。
時折痛そうな顔をしているが、すずめちゃんは我慢している。
ごめんね、すずめちゃん。
すずめちゃんにはかんれいに無体な事をされても、絶対に危害を加えないよう言い含めておいた。
そんな事をしたら、首を飛ばされかねない。
おいそれとそんな事はさせないが、その時はアードラーの安全確保をまた考えねばならない。
正直、今以上の幸運な状況はありえないだろうから、この立場は維持したい。
ごめんね、すずめちゃん。
子供達の、というよりかんれいの楽しげな声を聞きつつ、私はアードラーと向き合った。
アードラーは、妊娠していた。
今にして思えば、そういう節はいくつかあった。
私は何で気付かなかったんだろうか……。
後悔が押し寄せてくる。
アードラーが妊娠したとすれば、タイミング的にアールネスを発つ前だ。
それを鑑みれば、かなり危ない時期にかなり危ない事をしていたんじゃないだろうか……。
「ごめんよ。アードラー、気付けなくて……」
「謝るのは私の方よ。こんな事になってしまうなんて、思わなかったから」
アードラーは悔いた様子で苦渋に満ちた表情となる。
「これは私の失敗よ。私は、ヤタの寂しさを紛らわせてあげたかった。あなたがいなくなってからのヤタを見てられなかったから。でも、私ではあなたの代わりになれなかった。多分それは、私がヤタにとって血の繋がらない人間だったから」
そんな事は決してないだろう。
私はそう思う。
ヤタにとって、アードラーもまた同じく大事な母親だったはずだ。
多分、アードラーは思い詰め過ぎてしまったのだろう。
「だから、血の繋がった弟妹でもいれば寂しくなくなるんじゃないかと思ったの」
だから、子供を作る事にした、か。
彼女がそばに居てあげてくれるだけでも、きっとヤタは心慰められただろう。
それでもアードラーは、アードラーなりにヤタのため何かしてあげたかったんだろう。
アードラーは本当に、ヤタの事をよく思い遣ってくれている。
私についてきたのだって、私をいち早くアールネスへ連れ帰るためだった。
そんな彼女を責められるはずなんてない。
何より、これは私のせいかもしれないのだ。
私は、未来から来た人間に「アードラーと私が行方不明になった未来」と「アードラーの子供が未来の王都にいない」という事実を聞いてしまっている。
それで歴史が確定してしまったという可能性がある。
このタイミングで彼女が私と一緒にいて、子供ができたのはそのためかもしれないのだ。
悪いのは私の方だ。
「それなのに、何もかもが裏目に出てばかりだわ。今もこうして、クロエの足手まといになってる」
自分が情けない、とアードラーは涙を流した。
そんな彼女の手を取る。
両手で強く握る。
「それは違うよ。アードラーは他人のために行動できる人間だ。今までだって、私とヤタのために体を張ってくれてた。私はその気持ちが嬉しい」
「クロエ……」
「落ち込むなっていうのは無理かもしれない。アードラーは少し、気に病みすぎる所があるから……。でも、そうやって人の事を思い遣れるアードラーだから私は好きなんだよ」
私は笑みを向けて言う。
アードラーはかすかな笑みを作り返すが、その目からはまだ涙が零れ続けていた。
「あーもう」
私はそんな彼女を抱きしめて、背中を優しく叩いた。
「ほら、大丈夫大丈夫。何も問題ないから。それより赤ちゃんだ。家族が増える。とっても嬉しい事だよ。名前を考えなくちゃね」
「……ええ、そうね」
私はアードラーを慰めながら、考えを巡らせた。
丁度よかったかもしれないな。
子供を生んで、すぐに旅へ出る事はできない。
なら、かんれいの物としてしばらくこの国へ留まるのもいいだろう。
子供の成長を待って、その間に恩を返し終わったら国を出る。
そうしよう。
「かんれい様」
『なんじゃ、くろえびってんふぇると?』
「かんれい様のお名前は、どのように書くのですか?」
訊ねると、かんれいは同乗していた世話係らしき女性に紙と筆を用意させた。
幼さに似合わず、とても綺麗な字で二つの漢字を書いた。
漢麗。
なるほど。
こう書くのか。
『そなたこそどうかくのじゃ? じがまったくそうぞうできんぞ』
名前の表記を問われて、私はアールネス語で自分の名前を書く。
『まったくよめんではないか』
「そうですねぇ……」
改めて、紙に「黒恵」と書き記した。
『こくけい?』
「一応、これでクロエと読みます」
『ほう……』
「これが名にあたるので、今後はクロエとお呼びください」
『そうしよう』
私は続けて、疑問を口にする。
「ところで漢麗様は、何故このような辺境に?」
『このあたりのだいしんりんには、ばんぞくがすむときいた。それをみたいとおもったのじゃ』
蛮族を見に来た?
……オルタナ達の事かな?
『まぁ、もりのなかへはいるどころか、くるまのそとへでることもできんかったがな』
漢麗はつまらなさそうに唇を尖らせた。
この馬車には、小さな小窓が一つついているだけである。
その窓にも、木板がついていてわざわざ開けないと見えない。
中は広いが、それ以外に外をうかがい知れる場所はない。
まるで牢獄だ。
この狭い視野の中、ずっと出る事もできずに過ごすのはとても退屈な事だろう。
「そうですか」
『しかし、そなたらをえられた。それはよろこばしいことじゃ。ゆきかぜやすずめとあそぶのはたのしい!』
「それはようございました」
それから数週間、私達は馬車に揺られる事になった。
補給のためか、何度か馬車が留まる事はあったが、外に出る事はできなかった。
その時に窓から外を見ようと、木板の蓋を開けると厳しい髭面の顔が間近にあった。
目と目が合う……♪
ちょっとびっくりした。
護衛の一人だろう。
その彼が、まるで外を見せないように立っていた。
ちょっと顔を動かして外の様子を見ようとすれば、護衛も少しだけ顔を動かす。
やはり、見せないようにしているらしかった。
私は諦めて窓を閉めた。
しかし、何も見えなかったわけじゃない。
ちらりと見えたのは、どうやら村のようだった。
そして、村は惨状と例えるに値する有様であった。
身奇麗な人間など一人も見えなかった。
服と呼ぶ事が躊躇われるいでたち……。
その数も少なく、そして何よりも動くものが少なかった。
人はこれほどまで身をやつす事ができるのか、と衝撃を受けるほどにやせ細った人間ばかりであり、その人達は皆家屋の壁を背に、力なく座り込んでいた。
さながらしゃぶりとられたように綺麗な白骨がいくつか転がっており、それは明らかに獣のものもあれば、人のもののように見えるものもあった。
あの小さな光景からも、それだけの悲惨な現状がうかがい知れるのだ。
外へ出れば、もっと酷い物が見られるだろう。
この馬車は、ああいうものを見せないためか。
本当に運がよかったな。
この国が、こういう村ばかりだったらアードラーを安心して休ませる事などできなかった。
そして数日を経て、その短い旅が終わる。
ずず、と重量感のある音が聞こえ、さらに一際大きな音が響くと外から馬車の扉が開かれた。
外には、扉を開けたと思しき指揮官が跪いて控えていた。
『ついたぞ』
もはや、始めから自分のものだったぞという雰囲気を出しつつ、雪風を抱いて放さないまま漢麗様は馬車を降りた。
漢麗様は馬車から伸びた昇降用の階段を降りていく。
その後ろに世話係や典医が降りていき、私達は最後に降りた。
目の前に広がっていたのは巨大な、あまりにも巨大な宮殿である。
その入り口まで、これまた長い石畳の道が続いている。
その道の両側には、ずらりと人間が並んでいた。
朝服というのだろうか、皆同じ形式の服装の男女問わぬ人の列である。
彼らは、さながら漢麗様を出迎えるように、頭を下げていた。
そんな中、一人。
細面の中年男性が、漢麗様の前へ赴き、跪いた。
『おかえりなさいませ。てんしさま。ながたびでおつかれでしょう』
『そうでもないぞ。ケイキョウ』
『さようでございますか』
恭しく漢麗に接するケイキョウなる人物。
態度こそもっともらしいが、私にはどこか胡散臭く見えた。
しかし、天子様、か……。
という事は、そういう事なんだろう。
漢麗はこの国の王様……いや、皇帝なのだろう
あまりにも幼く、しかも長く旅行に出ていた事から直接公務を担っている人間は別にいるだろうが。
誰より先に漢麗様へ声をかけた事から、このケイキョウと呼ばれる人間がそうなのかもしれない。
少なくとも、この場の誰よりも権力を持っている事は間違いないだろう。
『おまえのいうばんぞくはみられなかったが、おもしろいものをひろったぞ』
漢麗様はきょろきょろと左右を見回してから、後ろにいた私へ視線を向ける。
表情が綻び、小さな口が私の名を呼ぶ。
『おまえはちんのとなりじゃ』
私は言われた通り、漢麗様の隣へ並ぶ。
するとケイキョウは一瞬、「なんだこいつは?」という表情で私を見た。
すぐに笑みが取り繕われるが、その目の動きが私を品定めするように動いているのがわかる。
『このものは?』
『ちんのものじゃ。なかまをたすけるかわりに、ちんにそのみすべてをささげてほうおんするともうした』
『このようなあやしきものをそばへおいてはなりません』
もっともである。
『いやじゃ、クロエはちんのもの。さからおうはずもないではないか』
漢麗の言い様に、けいきょうは眉根を顰めると口を開く。
『では、えんじゃともどもこうきゅうにすまわせるとよいでしょう』
説得は早々に諦めたのか、後宮に住まわせるよう提案する。
後宮か……。
まずこの皇帝陛下に後宮が必要とは思えないから、今は使われていない施設だろう。
場所が場所だけに、環境も住みやすく整っていそうだ。
女に使わせるなら、男も入れないだろう。
こちらとしてはこれ以上ない環境だ。
『あれは、へいかのおきにめしましたものをすまわせるばしょでありますれば』
『そうじゃったのか! いままで、なんのためにあるのかしらなんだ』
『では、さっそくてはいいたしましょう』
『うむ。たのむぞ』
後宮は気に入った人間を住まわせる場所、か。
間違いではないけれど。
馬車の前には輿が用意されており、漢麗様はそれにちょっこりと乗った。
屈強な男達がその輿を担ぎ上げる。
それをぼんやり見ていると、不意に漢麗様はこちらを振り返る。
不満を隠そうともしない顔で私を睨む。
ああ、そういう事ね。
私は彼女の気持ちを察し、早足で輿の横に並んだ。
私とケイキョウで彼女を挟む形となって、宮殿への道を歩く。
そのすぐ後ろを護衛の指揮官が続いた。
他の文官達の私を見る目が厳しい。
どこの誰かもわからない人間が、皇帝陛下の隣を歩いている。
それが気に入らないのだろう。
そんな文官達も、次々に後ろへ続いていく。
アードラーとすずめちゃんは最後である。
そうして着いたのは、玉座の間だった。
『ここよりさきはえんりょねがう。こうきゅうへあんないさせよう』
ケイキョウはそう言って、私を手で制した。
極力、漢麗様に近づけたくない様子だ。
『なぜじゃ?』
『ここはまつりごとのばなれば。がんらい、こうきゅうにあるものはまつりごとにくちをださぬものでございます』
『そうなのか。ケイキョウのいうことならばいたしかたないのじゃろう』
『おそれながら』
後宮の人間は政治に関わってはならない、とケイキョウは漢麗様を諭した。
このものたちをあんないいたせ、とケイキョウは文官の一人に命じた。
そうして、私達は後宮へと案内された。
雪風以外は……。
私がどうにかする前に、雪風は漢麗様に抱き上げられたまま玉座へと連れて行かれてしまった。
こうなっては、私にどうにかできるはずもない。
雪風は犠牲になったのだ。
漢麗様の好奇心を満たす犠牲に。
ああ、幸せとは犠牲なくしてなしえないのだろうか……。




