十話 オルタナの思惑
ニナタちゃんが十歳になる誕生日は、五日後に迫っているらしかった。
ならその前日に村を発とうと、私は決めた。
その日までの猶予の中、私はオルタナの事を考えていた。
あの宴の夜に語った言葉。
彼女は何を思ってあんな事を言ったのか……。
オルタナは自分が変わったと言った。
ならば何が変わったというのか?
その考えの変化が、あの笑顔を作らせたというのならその理由は何なのか……。
幸せ、か。
その多様性を知り、彼女はどこに幸せを見出したのだろう。
「クロエ。難しい顔をしているわね」
アードラーに声をかけられる。
オルタナの事を考え過ぎて、私の方が笑顔を失っていたようだ。
「……私はそんなに頼りない?」
少し躊躇いつつ、アードラーは問う。
「アードラーはそばにいてくれるだけで頼りになる」
考え事をしていた事もあって、私は率直に思った事を口に出した。
「……そう、ありがとう」
もし、たった一人でこんな状況に陥ってしまっていたら、私は心が折れていたかもしれない。
彼女がいるから、まだ余裕を持っていられる。
「頼りにしていないと思ってた?」
「少し……。クロエは、あまり悩みを打ち明けてくれないから」
そんな事はないのだけれど……。
いらない不安を抱えさせたくないだけだ。
少なくとも、今回の事は私の胸の内だけに秘めておきたい。
「今も何か、悩んでるでしょ? 頼りにしてくれているなら、それを話してほしいわ」
「……いや、話さない」
「どうして?」
不満そうにアードラーは問い返す。
「それはもう私にとって悩みじゃないからだよ。答えはもう出てるんだ」
「ならどうして難しい顔をしているの?」
「わからない事があるから。……アードラーにとって幸せって何?」
ニナタちゃんの件を話すつもりはないけれど、これを訊くくらいならいいだろう。
「あなたのそばにいる事よ」
考える素振りも見せず、アードラーは答えた。
「熱烈だね」
「冗談でもなんでもないわよ? 私とあなたの間にはいつくかの関係という繋がりがある」
私とアードラーは友であり、家族だ。
これは強い繋がりだ。
「でも、私にとってその関係も必要は無いの。そばにいられるだけでいい。それが私の幸せよ」
アードラーは関係でなく、人間そのものに幸せを見出している。
私という人間の存在。
それに寄り添う事を幸せにしているという。
「あなたの幸せは?」
私……?
問われて咄嗟に思い浮かんだのは人の顔だ。
一人だけでなく、何人もの人の顔が浮かぶ。
その中にはアードラーのものもある。
私は今まで出会った人との繋がりに幸せを感じている。
幸せを感じる記憶の中には、必ず他人の姿がある。
つまり私は、人との関係に幸せを見出している。
繋がりあるからこそ、人と関われるのだと思えて嬉しいのだ。
しかし不思議な事だ。
繋がりの有無以外に、私とアードラーに差異はない。
どちらも人を幸せの元にしている。
「大事な人達と一緒にいる事、かな」
私はアードラーに答える。
「私と……。と言ってくれてもよかったのに」
冗談めかした口調でアードラーは答える。
「アルディリアの事はどう思ってるの?」
「嫌いじゃないわよ」
問いかけると、アードラーは顔をそらしながら答えた。
正直に言うと、アードラーのアルディリアに対する気持ちが私にはよくわからない。
このそっぽも照れ隠しなのか、単純に嫌がっての事なのかよくわからない。
少なくとも、アルディリアが彼女にとって何の気負いもなく話せる相手であるという事は確かだ。
多分、彼女にとってそういう相手はアルディリアしかいない。
もしかしたら、案外私と同じ種類の幸せをアードラーはアルディリアに感じているのかもしれないよ?
形は違えども、人は幸せの中身になる事がある、か。
オルタナもそこは同じだ。
きっと、妹という存在は彼女の幸せの中に入っている。
けれど、その幸せは間もなく崩れ去ろうとしている。
……そういえばそれ以前に、崩れた物がある。
戦士としての誇り。
それを打ち砕いたのは私だ……。
それが彼女にとってどれだけ大事なものだったかはわからない。
けれど、それが妹と同じくらいに大事なものだったとしたら……。
彼女は、幸せがこの村の中にだけあると思っていた。
しかし、そうではないと思い直した。
そう言っていた。
なら、この村は彼女にとって幸せの器でもあった。
けれど、幸せはこの村の中にだけあるわけではないと悟った。
それは私とのやり取りでオルタナが、今まであった自分の幸せを壊したからだ。
そして壊れた先にまた、別の幸せがあると気付いた。
彼女の内にあった幸せが次々に壊れていき、その壊れた先に幸せを見出せたというのなら……。
オルタナが、この村で得られる全ての幸せを壊して村の外へ幸せを見出そうとしてもおかしくない?
ふと、そこで思いついた。
彼女には、戦士としての名誉が残っている。
それもこの村で最高の戦士という名誉だ。
しかし今の彼女がそれに価値を見出していないというのなら、捨てる事は容易だろう。
結果として彼女は、その最後に残った幸せを砕こうとしているのではないだろうか……。
砕いてしまってもかまわないと思っているのではないだろうか……。
そして具体的に何をするのかと言えば……。
それに思い至り、私は溜息を吐いた。
いろいろ考えてみて、結局単純な理由に行き着いてしまった。
変に難しく考えていたこの時間はなんだったのだろうか?
しかし――
「きっかけが私なら、責任はあるね」
「え?」
私の独り言に、アードラーが訊ね返す。
とはいえ、私も大事な人間を蔑ろにするつもりはない。
「アードラー。いつ、どんな時でも村を出られるように荷造りしておいてほしい」
「わかったわ」
怪訝な表情は一瞬。
けれどすぐにアードラーは頷いてくれた。
そして、ニナタちゃんの誕生日。
その前夜。
オルタナの家。
皆が寝静まる中……。
むくりと起き上がる者があった。
彼女は音を立てぬようそろりと起き抜けると、槍を手にして家の外へ出た。
薄目でそれを見ていた私は、目を開いて起き上がる。
「アードラー」
声をかけてアードラーを起こす。
「……どうしたの?」
「出て行く準備をしておいて」
もしもの時は、急いで逃げる必要がある。
「わかったわ」
私は鞄に触れ、強化装甲として体に纏う。
後ろ腰に白狐も佩いた。
これが今現在の私にとっての完全武装だ。
雪風をとんとんと叩いて起こす。
「ついてきて」
『わかった……』
眠そうな返事をする雪風を抱き上げて、外へ出る。
周囲を探すと、すぐに出て行った彼女の背中を見つけた。
「オルタナ」
声をかけると、オルタナは振り返る。
強張った面差しが、私へ向けられた。
『クロエ?』
「ニナタちゃんを連れて逃げるつもりなのか、とも思ったけれど……。一人で出て行くという事は、神様を倒しに行くつもりなんじゃないの?」
オルタナは黙り込んだ。
私はその沈黙を肯定として受け取った。
そりゃそうだ。
ニナタちゃんを大事に思い、村の掟に縛られなくなった今のオルタナが取る行動なんてこれくらいしかないのだ。
「なら、私も付き合うよ」
私の言葉に、オルタナは驚きを見せる。
『なぜ?』
「私の責任でもあるんじゃないかと思って」
村の戦士として、その名誉に誇りを持つ彼女にとってニナタちゃんの死も受け入れて然るべきものだった。
けれど、今の彼女にとってその常識は常識でなくなった。
だから今の彼女は、神を倒そうとしている。
この村で神に逆らう事は掟破りであり、戦士としての名誉を傷つける行為だ。
しかし今の彼女がその名誉に価値を見出していないならば、その掟破りだって平然とやってのけるだろう。
そしてその価値観を植えつけたのは私だ。
『ニナタのしは、うけいれてとうぜんのものだった。それがむらにすむもののきょうつうにんしきであり、ぎもんなどはさむよちはなかった』
「けれど、今は疑問に思っているんでしょ?」
オルタナは頷く。
私の考えは正しかったようだ。
『まきこみたくはなかった』
「大丈夫。私が一番に優先するのは家族だ。危なくなれば、逃げるつもりだよ」
『そうか。わたしにとっても、ニナタがいちばんだいじだ』
オルタナは自分の胸の高さに手を差し出した。
私はその手をがっしりと掴んだ。
私と雪風は、オルタナの案内で森の中を進んでいく。
元々口数の少ないオルタナは、緊張のためかさらに口数が少なくなっていた。
私自身も、少しだけ緊張していた。
雪風もいつの間にか寝ていたので、互いに口を閉じたまま進み続ける。
しかし、もしかしたらオルタナはまだ戦士としての名誉を重んじているのかもしれない。
ニナタちゃんを守るためならば、連れて逃げる方が確実だ。
そうしなかったのは、今後の事を考えたからかもしれない。
ニナタちゃんと逃げても、神に逆らっても、待っているのは神による罰だ。
ニナタちゃんの命を諦めるという選択肢が消えたのなら、どちらにしろそれを免れないのだ。
そしてオルタナは戦う道を選んだ。
それは逃げる事と比べても困難な道だ。
きっと彼女は村の戦士として、村を守れる可能性のある方を選んだのだろう。
倒せれば、村を救う事になる。
そして、ニナタちゃんが村に残る事になれば、改めてその命を捧げる事で村への災禍は軽減できるかもしれない。
ある種、ニナタちゃんとの心中に近い考えなのかもしれない。
自分の命と名誉全てを捧げるのだから。
そんな事を考えていると、行く先に洞窟が見えてきた。
オルタナが何やら口を開いて言葉を発した。
雪風を起こす。
「ごめん、言葉がわからなかった。もう一度お願い」
『あそこがかみのすまいだ』
オルタナの持参していた松明に灯りを点け、洞窟の中へ入る。
三人の人間が横に並んで入れるくらいの広さの穴が、奥へと続いている。
奥は闇。
見通す事は出来ない。
何があるかわからないが……。
何かいるな、となんとなく感じる。
それに……どういうわけか右手と右目が疼く。
この歳になって、まさか厨二病が感覚へ影響を及ぼすレベルで発症したのだろうか?
なんて事を思いながら進んでいくと、次第に手と目が疼きを超えて痛みへ変わっていく。
痛みで右目が開けなくなる。
「ごめん、雪風。歩いてくれる?」
『わかった!』
雪風を下ろすと、私は右手で右目を押さえた。
『どうした?』
オルタナが心配そうに問いかける。
「なんでもない……」
私は答え、歩き出す。
オルタナはそんな私を一瞥し、同じく歩き出した。
そういえば、水の女神に言われたっけ。
右手に神殺しの力が宿ってるって……。
奥にいる神様に反応している?
シュエット様しかり、スワンしかり、そばにいてもこんな痛みを伴う事は今までなかったのに……。
右目が痛いのは、あの時の名残かな?
黒色の魔力に反応しているのかもしれない。
少なくとも、反応しているのならいるんだろう。
さて、どんな神様なのか……。
村で奉じられているようだが、生贄を求めるものが清らかな存在であるはずもない。
黒色だって使うのだ。
神と言っても邪神の類だろう。
でも、シュエット様は意外と純真なんだよね……。
昔はともかく、今のシュエット様から邪悪さはあまり感じられない。
なら、ここの神様も話せば何か変わるか?
話が通じなくても、話を聞いてもらえるようにぶっ飛ばせばいいか。
十九歳の魔法少女みたいに。
そう、十九歳は少女。
なら、永遠の十七歳であり、魔法を使える私も魔法少女だ。
なんてふざけた事を考えても、右手と右目の痛みが紛らう事はなかった。
正直、洒落にならないくらい痛くなっている……。
――鎮まれ……!
鎮まるんだ、私の右目。
くっ、右手の封印も……痛たたたたた……っ。
こんな時に邪気眼ごっこも楽しめないとは……!
それほどに痛い。
痛みは一歩一歩進んでいく度に、増しているようだった。
痛みを堪えながら歩き続けていると、私達は広い空間に出た。
雰囲気が、シュエット様の聖域に似ている。
ただ、そこには何もいない。
松明の灯りで辺りを照らし、目視でさらっても、何もいないのだ。
……ただ、気配だけは感じる。
私の感じるそれを、オルタナも同じように感じているようだ。
彼女の顎から汗が伝う。
直感からか、今まで以上に警戒しているように見える。
しかし……痛い……。
私はその場に跪き、右手をついた。
『クロエ!』
オルタナが私を呼んだ。
その時だった。
私は立ち上がって、オルタナの体を強く押した。
私自身もそこから離れるように飛ぶ。
思いがけない行動に彼女は驚くが、突き放されると同時に私とオルタナの間を衝撃が通り抜けた。
今まで私達がいた場所が、見えない何かを叩きつけられたように抉れていた。
その痕跡は、洞窟の奥から続いている。
見えない何かからの攻撃。
辛うじて、周囲に散布した魔力の揺らぎで察知できたが……。
攻撃の実体は、何も感じられなかった。
実体がなく、魔力だけを揺らがせる何かがこちらに攻撃を仕掛けてきた……。
そしてまた、同じ揺らぎを感じて私は倒れこむように飛びのいた。
「ぐあっ」
オルタナの悲鳴が聞こえた。
見ると、オルタナは防御体勢のまま壁に叩き付けられていた。
苦悶に歪む表情。
喀血。
大きなダメージを受けた事は明らかだ。
そのまま地面に伏して倒れこむ。
この感じ、神様というより黒色の妖魔に近い。
少なくとも、神様は目視できるのだから。
となれば、攻撃も防御も困難だ。
せめて、見えるだけでもかなり違うのに。
逃げる事を考えた方がいいか……。
でも、それができるかな?
揺らぎが、あった。
私を狙い、蠢く攻撃の揺らぎ。
体の痛みは今もある。
動きを妨げるだけの痛みだ。
けれど、動けなければ死ぬ……!
なら、動け!
「う……おおおおおおぉぉ……っ!」
私は叫びを上げた
無理やりに体を動かし、痛みがピークを迎えた。
そして……。
私は、敵の攻撃を迎撃していた。
しなりながら打ち下ろされた蛇の尾……。
それを打ち払うようにして軌道を逸らさせた。
痛みが嘘のように消えていた。
見ると、右腕の形状も変わっている。
私の右腕の肉が、強化装甲の手甲を巻き込むようにして形状を変えていた。
角ばった装甲に覆われる右腕が、生物的な形状へと変形している。
変化が終わると、金色の筋が血管のように五指から伸び、腕を伝って肩の方まで伸びていた。
どことなく、前にシュエット様と合体した時の感覚と似ている。
体そのものが作り変わろうとしていたから痛かったのかもしれない。
同時に、私の右目も見開かれていた。
「……逃げる必要は、なさそうだ。見えるよ、その姿」
私の目前には、巨大な多頭の蛇がいた。
まるで、ヤマタノオロチやヒュドラを思わせる姿だ。
カタカタと主張する白狐を掴み、抜き放つ。
「さぁ、始めようか」
右腕を走る筋は、クロエの右目尻まで伸びています。
クリムゾンな方が好きですが、クロエは悪役なのでゴルドです。




