九話 宴の夜
その日、アードラーは戦士としての試しを受ける事になった。
本当は魔法を使って呪術師として認められればいいやと思っていたが、どうやら私に匹敵する戦士という風評がすでに村で話題になっており……。
『いや、まじんとしてのちからをみてみたい』
その実力を確かめてみたいコルドラがごねて、結局戦士としての試しを受ける事になった。
どうやら、魔人という称号が村ですっかり定着してしまっているらしい。
そして今、アードラーは村の中央でコルドラと対峙していた。
周囲には村人達がいて、それらの視線は二人の動向――特にアードラーへの強い興味を含んでいた。
その観衆の中に私とすずめちゃん、雪風の姿もあった。
私はすずめちゃんと手を繋ぎ、空いた手で雪風を抱えていた。
試しは徒手空拳において行われた。
人の手足の長さというものは、基本的に体長と比例するという。
私よりも長身のコルドラの手足は、例によって私よりも長い。
それは当然、アードラーよりも長いという事だ。
長さの利を持つコルドラが先手を取るのも当然の戦略と言えた。
……コルドラが誰に対しても先手必勝であるという可能性もあるけれど。
力を溜め込んだ右ストレート。
身体の伸ばし具合から、その力みの強さが窺える。
しかし、それはアードラーにとって脅威になる打撃ではない。
アードラーはその一撃を最低限の動作で避けると、踏み込みつつカウンターの掌底で迎撃した。
掌底はコルドラの顎を打ち据える。
私の場合、初めての相手であるなら基本的に一撃目を避けて様子を見る。
しかし、アードラーはこういう部分で意外と積極的である。
どんな時でも、隙と見れば迷わず打ち込む。
人の動きを見切る事にかけて、絶対の自信があるからかもしれない。
私もそこに自信はあるが、アードラーの見切りは私と根本的に違う。
私は相手の動きを観察して見極めるが、アードラーは直感的に相手の動作を把握している部分がある。
相手の動きから、安全圏を感じ取っているようだ。
それが彼女の特殊ステップに繋がる骨子の技術なのではないかと私は思う。
だからこそ、初手からのカウンターを狙っていける。
私以上に見切りが早いからだ。
それでも私が彼女と戦って勝てるのは、魔力で強化した身体の強さと速さがあるからだろう。
子供の頃から修練を積んだ私とは体の鍛え方が違う。
それにアードラーは私ほど魔力による身体強化に慣れていない。
私はスペックによるゴリ押しでアードラーに勝っているに過ぎないのだ。
そう、アードラーは非力である。
だからこそ、今の完璧なカウンターでも決めきれない。
斬りつけるならともかく、打撃力は弱い。
とはいえ、次の攻撃へ繋げさせなかっただけでも十分だ。
コルドラは一歩たじろいだ。
頭を振ってから、アードラーを見据える。
その視線には闘志が宿っている。
再びアードラーへと向かっていった。
繰り出される攻撃に、アードラーは冷静に対処していく。
その都度、一撃の返礼を忘れずに……。
アードラーの攻撃を受けてまだ向かい続けるコルドラもすごい。
非力とはいえ、その一撃一撃は魔力によって強化されたものだ。
見た目以上に、あの一撃は重い。
少なくとも、身体強化をしてない者にとっては脅威だ。
魔力の有無、その差を感じさせないタフさだ。
そして、コルドラがアードラーに掴みかかろうとした時だった。
それを見たすずめちゃんの手が、私の手を強く握った。
あれは危ないと、感じ取ったのだろう。
それに対し、アードラーは前進した。
その体が、コルドラをすり抜けた――
――ように見えた。
あのタイミングではまず、避けられないとコルドラもわかっていたはずだ。
だからこそ、自分の手が空を切った事に困惑しているのだろう。
表情からもそれは窺える。
そして当のアードラーは、コルドラの背後にいた。
その手が手刀の形を作り、コルドラの首へそっと添えられた。
コルドラの額から、つーっと汗が流れた。
『けっちゃくだ』
隣で観戦していたオルタナが声を上げると、私の腕に抱かれた雪風がそれを意訳して伝えた。
アードラーが手刀を首から離し、コルドラが立ち上がる。
そこへオルタナは近づいていった。
『どうだった?』
『クロエのことばにいつわりなしだ』
オルタナとコルドラは言葉を交わす。
『アードラーはせんし……いや、まじんだ』
おおっ、と周囲の女戦士達から声が上がる。
不満の声はそこにない。
みんな納得してくれたようだ。
むしろ、アードラーを歓迎するような歓喜の声だ。
『まじんをたたえるうたげだ!』
試しを行った村の中央で、そのままアードラーを戦士として迎える宴を行う事になった。
あらかじめ準備されていたらしき、酒の瓶が運ばれてくる。
次々に料理も運ばれてきた。
屋内ではなく外なのは、誰かの家が倒壊するのを防ぐためだと思われる。
もしくは、もともと戦士の試しを行う時はこうして外で宴を開くのかもしれない。
宴には村中の人間全てが参加しているようにも見える。
その規模からして屋内ではできないだろう。
なら、後者の方が正しそうだ。
そしてこんなにすぐ宴の準備が整うという事は、アードラーが戦士として認められる事を前提にしていた人間がいたからだ。
それはきっと、宴の準備をしてくれた人間が私の言葉を信じてくれていたからに違いない。
これは私もまた、この村の戦士として認められているという事の証左だろう。
そう思うと素直に嬉しい。
私は宴の中心で祝われるアードラーと、その近くにいるコルドラの方へ向かった。
「あら、おいしい」
アードラーはお酒を勧められ、木の杯を乾した所だった。
「おめでとう」
「ありがとう」
アードラーは微笑んで言葉を返す。
『おまえものむのか?』
警戒した表情でコルドラが訊ねてくる。
「いや、私は飲まないよ」
あの惨劇は二度と起こさない。
『そうか、もしものためにさくせんをたてていたんだがな』
コルドラは笑いながら言う。
何の作戦?
「楽しんでいるようでよかったよ」
「ええ。お酒も久しぶりに飲めて嬉しいわ。料理に少し抵抗があるけれど」
「おいしいよ」
トカゲとか蛇とか、饗された料理は姿焼きのものがちらほら見える。
初めてなら躊躇うのも仕方ないだろう。
すずめちゃんが蛇の串焼きを手にして、神妙な顔をする。
「食べてみなよ」
私が言うと、顔を上げて表情を窺う。
それからもう一度串焼きに目をやり、一口齧った。
「おいしい!」
思っていた以上においしかったのか、すずめちゃんは笑って答えた。
その様子に警戒が解れたのか、アードラーも同じ串焼きを手に取って食べた。
「おいしいわね!」
気に入ってもらえてよかった。
それから、コルドラが地面に大きな毛皮を敷いて座る場所を作ってくれる。
私達はそこに並んで座り、料理を楽しんだ。
そんな中、私はおもむろに宴の席から一人離れるオルタナの姿を見かけた。
その手にはいくつかの料理を盛った器を持っている。
多分、家に帰るのだろう。
ニナタちゃんに食べさせてあげるのだ。
体が弱って受け付けなかったようだが、今なら肉類の料理も楽しめるだろう。
今まで楽しめなかったものを少しでも多く、オルタナは彼女に与えてやりたいのだ。
宴が夜まで続き、すずめちゃんが眠たそうにしていたので私達は一足先にオルタナの家へ帰る事にした。
今回の宴は、この村にいるほとんどの人間が参加している。
主役のアードラーがいなくなっても、まだ宴は続きそうだった。
「いい気分ね。クロエ。お酒の火照りが、ここに吹く風すらも涼しく感じさせるわ」
幸せそうな表情でアードラーは言う。
久しぶりのアルコールが彼女にはよほど嬉しかったらしい。
少しふらついているので、私はそんな彼女の体を支えながら歩いていた。
空いた手には、すずめちゃんの手が握られている。
時折、目をこすりながら歩いている。
その足元を雪風がついてきていた。
珍しく大人しいのは、雪風も眠いからかもしれない。
家に着くと、ニナタちゃんは寝床から出て床に座っていた。
ずっと寝たきりだったので、そんな姿を見るのは初めてだった。
オルタナは家にいなかった。
ただいま、おかえり、と挨拶を交わして家の中へ入る。
「オルタナは?」
『ねえさんはしょっきをあらいにいきました』
やっぱり、ここで一緒に食事をしていたらしい。
『こんなにおなかいっぱい、おにくをたべたのははじめてです』
そう言って、ニナタちゃんは自分のお腹をさする。
『いつもはたべても、きぶんがわるくなってはきだすことがおおかったので』
「そう。それはよかった。これからはもっと、いろんな事ができるね」
私が言うと、ニナタちゃんは儚げに苦笑する。
『いきているかぎりは……』
何か、含みのある言い方だった。
それに、今の笑顔。
しるしが消えても、手放しに喜んでいる様子ではなかった。
もしかして……。
ある考えに至って、私は言葉を途切れさせた。
冷や水を頭から浴びたように、思考が冷たくなっていく。
アードラーとすずめちゃんがいる場所で、問う事はやめた方がいいだろう。
「……アードラー。すずめちゃんを寝かせてあげてくれる?」
「ええ。多分、私も一緒に寝ちゃうと思うわ」
「うん。いい気分のまま、眠ってしまうといいよ」
すずめちゃんをアードラーに預けると、私は雪風を抱き上げて外へ向かおうとする。
「どこへ行くの?」
「ちょっとオルタナを手伝ってくる」
「そう。わかったわ」
私は雪風と一緒に家を出た。
『クロエ……。ねむい……』
「ごめん。もう少しだけ我慢して」
ごしごしと雪風の頭を掻きながら、私はオルタナを探す。
家の外には、川の水を貯めた瓶が置かれていた。
そこで、オルタナは食器を洗っていた。
横顔から見えるその表情は、食器をただ洗うにしては険しい。
洗う手もまた、力が強く込められすぎていた。
「しるしはなくなった」
私は挨拶もなく、本題に入る。
オルタナは食器を洗う手を止め、私を見る。
「なら、神様に命を捧げる必要も無い。違うの?」
オルタナは一度私を睨み付けるように目を細めると、口を開いた。
『……かみとのやくそくは、そういうものではないだろう。しるしをつけられたことにはちがいないのだ。かみにそのこころづもりがあるのなら、たがえればむらへさいかがおとずれる……』
しるしがなくなったのに、命を捧げるというのか……。
なら、私のした事は……雪風がニナタちゃんを助けた事は無駄だったの?
不意に、オルタナは笑みを作った。
私が彼女の笑顔を見たのは初めてかもしれない。
先ほどの険しさが嘘のように穏やかな表情だ。
彼女は、こんなに穏やかな顔で笑うのか……。
『このりふじんにおこっているのか?』
「……かもしれない」
『おまえはやはり、わたしたちとちがうな』
何故、この期に及んでそんな笑みを作れる?
妹が死ぬというのに、どうしてそんな……。
『かみにささげられることはてんさいでいのちをうばわれることとかわらない。あらがえぬちからに、ひとはむりょくだ。いかりなどいだきようもない』
だから諦めも着くと?
『クロエ。わたしはおまえにかんしゃしている』
不意に向けられた感謝に、私は戸惑った。
『これからは、ニナタにくるしみのないひびをおくらせることができる』
その事か。
「でも――」
『むだではない。おまえのしたことにはいみがある。わたしがむけるかんしゃは、ひとつだけではないのだから』
「どういう意味?」
『おまえのおかげで、わたしもまたかわったのだから』
そういうオルタナの笑みは絶えない。
『わたしは、むらでいちばんのせんしだ。
だからこそそれにほこりをいだき、そしてまんしんもまたともにあった。
しかしそれらは、おまえにうちくだかれた。
そしておもったのだ。せかいはひろいのだ、と。
そしてそのばくぜんとしたにんしきへ、さらにかたちをあたえてくれた。
わたしがおもうだけでなく、じっさいにせかいはひろいのだとおまえはニナタにかたった』
あの時、ニナタちゃんに聞かせた話か。
それを伝え聞いたのだろう。
『わたしはこのむらにこそ、せかいのすべてがあるとおもっていた。
だから、このむらのなかにあるしあわせこそがゆいいつのものであるとおもっていた。
だが、しあわせとはきっと、わたしがおもういじょうにおおくのしゅるいがあるのかもしれない。
それをしんじられるようになった。ありがとう』
「どういう意味?」
『いえにもどろう』
私の問いに答えず、オルタナは言った。
彼女は洗い終わった食器を手に立ち上がり、家へと歩き出す。
答えを求めても無駄だろうと思い、私はオルタナに従った。




