第一章7 『契り』
夜と言っても日付けは変わり、朝と言っても薄明るい。
そこで起きた出来事はドライグ達に取って、良かったことなのか、そうではないのか、何も出来ずに刀の柄だけを握りしめ硬直し、嫌なじっとりした汗を流したまま突っ立ているだけで、結局エルザライトがその場をうまく収めてしまう。
太陽は徐々に上り始め、空は瑠璃色から蒼い空へと移り変わる、風も軽く吹いている中でドライグ達の目の前に居る2人は、宿に入ろう、そう告げて庭を後にする。
薄暗かった時間に歩いた廊下は太陽光に照らされ、磨かれた床はそれを反射し、さながら光の道になっている。
太陽が上がったとは言え、時間帯的に他の客はまだ起きてはいない、喋ればそれは残響する。
呼吸する音と歩く音、その中に不自然な音。
――チャキ、チャキ、チャキ……。
ドライグか、またはエヴォルド・ハルトマンの武器が身体に当たり、乾いた鉄の音が廊下に響かせている。
武器の重みなんて今まで気にしていなかったドライグ、今は何故か鉄の塊を腰にぶら下げているくらいに重さを感じている、手汗こそ引いたものの背中は脂汗によりシャツが重く感じる。
早く脱ぎたい、新しいシャツに変えたい。
運動なんてしていないのに1人ビショビショになったドライグ、心で気持ち悪い濡れたシャツへの愚痴を吐く。
部屋に着くまでの間誰も喋りはしなかったが、腹の探り合いの様な空気に包まれる、エルザライトは涼しい顔をしているがエヴォルドに関しては、まだドライグ達を邪神側じゃないのか? と疑う様な視線で見ている。
宿のメインであるカウンター脇を通り過ぎ、エヴォルドが一つの扉の前で立ち止まる。
親指をクイクイっと扉に向かって振り『中に入れ』と口にせずにジェスチャーする、何の迷いも無くエルザライトは扉のノブを掴み回す。
使われていない部屋なのか、ドアをは少し強めに押さなければ開かなかった、立て付けが悪くなっていて金具からは、ギギギギっと金切り音を鳴らす。
部屋の中身は大きめで2人が座れるソファーが対面に2つあるのと、大きな窓が1つで殺風景な一室。
寝泊まりするには物が足りない、物置にしてはソファーしかない。
ドライグとエルザライトはソファーに座る、その正面にエヴォルドとヘルテートが座る、最初の数分は無言だったが。
「もう一度聞く、君達は本当に精霊側なのか?」
怪訝そうな顔付きで反対側に座る2人に質問をするエヴォルド、片目は髪で隠れていて見えないが、その隙間からチラリと見えた瞳は真剣そのもので、
――嘘を付いているなら容赦はしない。
ドライグが見たエヴォルドの瞳は、そう訴えている様に見えている、彼の紫色の眼は力強く、それだけで十分な迫力を生み出している。
ヘルテートは昨日までの元気な表情を出さずに俯き、時たまドライグと視線がぶつかると気まずい感覚になる、その中でエルザライトは口を開く。
「えぇ、精霊よ」
「証拠はあるのか? 精霊側である証拠が」
「知ってるんじゃない? そこの娘が、ね?」
エヴォルドは自分の隣に座る女の子を見る、俯いたままで表情まではわからないが、膝の上で手をギュッと爪痕が残るくらい握りしめている、最初にエルザライトから言われた言葉を思い出す。
――共鳴はしていない。
精霊側と邪神側が接近すれば、武器は光共鳴する。
しかし共鳴所か光も無かったのだ、これだけでも十分に証拠にはなるが、エヴォルドの頭の中では精霊側だろうと邪神側だろうと、同じ様な立場の人間を見たくはない、そう思っていた。
「大精霊エルザライト、神に近い存在……」
「ヘルテート……」
「どうして、どうして貴女が再降臨しているんですか!?」
俯いていた彼女が叫びながら顔を上げる、唾が飛ぶ勢いに吐き捨てるようにエルザライトを見ながら疑問をぶつける、だがそれにも動じない深紅の瞳は横に座るドライグをチラッと見てから、
「戦う為よ、それ以外に何も無いわ」
「た、戦う為って……」
「戦わなければ終わらない、この戦争を終わりにするにはね」
「貴女があの時に勝てば終わっていた!」
「負けたのよ、仕方が無いわ」
「くっ!?」
エルザライトは見下す様な目でヘルテートに話す、冷血で冷たい言葉に掴み掛る勢いで立ち上がるが、エヴォルドがそれを押さえる。
涙を垂れ流しにしながらも訴えるヘルテート、この宿に来てから出会った2人は最初から妙な力を感じていた、数1000年前の記憶は忘却の彼方にあった筈がその力で思い出した、エルザライトはカウンターに現れたヘルテートを見た時に、ヘルテートはお風呂掃除の時に見た彼女の太ももにある痣。
姿形は変わっていても心や記憶までは変わらない、精霊同士が出会った時に仲間である事を表す『痣』は何よりの証拠。
「私を憎むなら憎みなさい、でも次は勝つわ」
「そんな根拠がどこに!」
「この下僕なら、この戦いに勝てるわよ」
急に話の中に現れたドライグ、思わずエルザライトの顔を見ながら目を見開く。
戦いの経験が無い、先程のエヴォルドがもし邪神側だったとしたらあの場で立って構えることしか出来なかったドライグは、間違いなく消滅している。
それなのに何故自信ありげにエルザライトは『勝てる』などと言ったのか、ドライグが見た深紅の瞳は嘘をついているようには見えなかった、何か可能性でもあるのだろうか、不思議な力で強くしてくれるのだろうか。
そんなお伽話があるなら見てみたいし聞いてみたい、口にはせずとも心ではエルザライトに問い掛けている。
「勝てる、か。君は確か……」
「ドライグ・ヴァンホッセンです」
「ヴァンホッセン……」
「何か、ありましたか?」
ドライグの名を聞いて一瞬だが考える素振りを見せたが、
「いや、何でもないよ」
「は、はぁ」
ヘルテートも落ち着きを取り戻し、ソファーに座り直す。
しばらくまた無言が続くが何かを決心した様な表情をし、エルザライトとドライグの瞳を順番に見つめてから口を開いた。
「わかった、信じるよ。痣もあるようだしね、疑ってすまなかったね」
無言の空気を消し去る言葉は謝罪、さっきまでの刺々しい発音ではなく、家族を思いやる様な優しい声色で2人に頭を下げる、それを隣で見たヘルテートも一緒に下げる、自然と悪い空気が換気されたように感じて、緊張で強ばった顔をしたドライグもようやく表情を上手く作り出せるようになった。
ただドライグが気になったのは、エルザライトが口にしたあの言葉。
――下僕なら勝てる。
本当にどうしてそんな事を言ったのか、出会って日も浅い2人はお互いに全てを知っている訳じゃない、確固たる確証でもあるのだろうか、適当な事を言っているのか。
今のドライグにはまだまだわからない言葉で、これから何が起きるのかどうなるのかすら誰にもわからないのに、彼女はそれを自信満々に口にした。
大精霊エルザライト、冷血で契約者を下僕扱いにする、
ドSな女。