第一章6 『音の先に』
ドライグは夢の中、セピア色の景色の中に1人孤児院の周りを眺めている。
ふと自分の掌を見る、手は大きく、遊びに使っていたブランコなども小さく見える。
成長し身体はもう子供ではない、脳が認識した時にもう一度孤児院がある正面に視線を移せば、そこに影も形も残さず真っ黒な景色に変わっていた。
足元を見ても、周りを見ても真っ黒、真っ黒。
宙に浮いているのか、地面に立っているのかわからず、身体がグラッと揺れる、体勢など立て直す事もできずに、奈落へと引きずられる様に落ちていく。
いつまで落ちるんだろう、ドライグは闇の奈落に落ちながら考える。
ただ、声だけが聞こえた。
――下僕。
ドライグに取って聞き慣れたフレーズが、耳に入り脳に到達する。
夢の中だと自覚した時に目が覚めた。
「ん……朝か」
「お前汗がすごいわよ」
「え?」
ソファーにもたれて枕代わりに使ったリュック、ゆっくりと起き上がると首筋から背中に向かって垂れていく汗、服も水分を吸収しびちゃびちゃになっている、背中を伝う汗にこそばゆさを感じるドライグは、少しぼーっとしていた脳も覚醒したことに気付く。
彼女はいつもの様に、目を薄く開いた状態で夢から覚めたドライグを見つめる。
「ひょっとして、起こしてくれたんですか?」
あのエルザライトさんが? とは口には出来ないものの、その台詞を口にした瞬間深紅の瞳はドライグから目を逸らす。
「……お腹が減ったのよ」
「精霊もお腹が減るんですね」
「なんとなくよ、お前の気持ちを代弁したに過ぎないわ」
「俺は別に」
「無に消してあげるわよ」
「お腹空きましたね!」
鋭く氷より冷たい視線でドライグに言い放つ、殺意を感じて直ぐにその場から立ち上がり、お腹が減ったポーズを取る。
ただのマヌケにしか見えない、お笑い芸人ですらこんな妙ちくりんなポーズはしないだろう、冷たい視線が無くなると普段通りの自分に戻る。
「本当にお腹が減ったならわかるんですが、寝てる俺に声を掛けたのは何かあったんですか?」
時間は朝より少し早いくらい、お日様が上り始めるくらい。
窓の外は薄明るく、まだ人通りは無い。
「宿の外から気配を感じたのよ、それだけよ」
「誰かに追われているとかですか?」
「まだ寝ぼけてるようだから、ぶん殴ってあげるわよ?」
「じ、冗談ですって」
慌てて謝罪、苦笑いも引きつる表情を白い目で見てくる。
今になってまた学んだ事がある、彼女から話し掛けられた分は『発言許可』が要らないとドライグは気づいた、もしかしたら飽きただけなのかも、と心で呟く。
そこから話は止まり無の空間となった部屋、話すことが無いとかではなく、何の話しなら話してくれるのかと悩むドライグ、1人小声で唸ること30分。
「下僕」
「んー……」
「…………」
――パシンっ!!!
「痛い!?」
何を話せばいいか悩んでいるところに、頭上を何かがクリーンヒットする、乾いた音でダメージはあまり無いが心理的に悲鳴を上げてしまう、ドライグは彼女の手に握られた物を見ると、そこには丸められた雑誌が即席ブレード化していた。
自分の頭を撫でながらエルザライトを見る。
「な、なんですか、てか本当に殴らないでくださいよ!」
「うるさい下僕、静かに聞きなさい」
「何をですか?」
「しっ!」
人差し指を立てて唇に当てながらドライグを黙らせる、思わずその唇を見つめてしまい、ドキッとする。
艶があり弾力性もある、薄く塗られた口紅は男を完全に魅了するのには時間も掛からない、そんな傲慢で冷女な彼女に迫られたらひとたまりも無いだろう。
などと、有りもしない妄想をしていたがそれは直ぐに消し去る事になる。
――キーン、キーン。
ドライグにも聞こえた、よく耳をすまさないと分からないくらいだが、何かが音を発している。
1階の厨房で朝食を作り始めたにしては、包丁らしからぬ音、金属音には近いが打ち付ける感じでは無い、何かが速く動いている様な音。
窓を見ていると、音がする度に光が何かで反射しそれがガラス越しにチラチラする。
音が鳴るのはバラバラ、たまに鳴らなくても光は窓ガラスに当たる、もう少し耳をすませると。
「風を切る音に近いような」
「よくわかったわね」
「はい、でも風を切る音にしては尖り過ぎてる気がします」
どんな物でも風を切る音はする、ただ音に問題がある。
風を切る音として細い物なら『ヒュン』で太い物なら『フォン』と言った擬音が脳内に流れるが、さっきから2人が聞いている音は高音で綺麗な音。
そしてチラつく光。
「なるほど、気配はこれね」
「え? どこ行くんですか」
「音と光の正体」
「は? あ、ちょっと!」
勝手に納得したエルザライトは、ドライグを置いてけぼりにしながら先に部屋を出ていく、急に動きだした彼女に追いつくために慌てて部屋から出ていき追いかけた。
1階にあるメインホールとなるカウンターにはおじさんは居ない、時間帯によっては店の入口は閉め切るようで、扉にはクローズと書かれた看板が下げられている。
エルザライトはそこを素通りし、関係者以外立ち入り禁止の扉を開けて中に入る。
「ちょっとエルザライトさん、こっちは入っちゃいけませんよ!」
「静かに付いてきなさい下僕」
「あー、もう!」
出会ってから短い間と関係なく振り回されるドライグ、灯のない廊下をひたすらに突き進む彼女の背中を追いながら、窓の外を見る。
日の光がレーザーの様に窓ガラスを突き抜け照らし始める、その温もりと反対に眩しさで目がやられそうになる、なるべく窓側を見ないように付いていくと、1本の廊下は裏口へと繋がっていた。
長い廊下を抜け、外に出ると。
「やはり、か」
「エルザライトさん、お願いしますから戻りま……」
暗闇の廊下を抜け出た先は庭、数分前までは漆黒だった世界は瑠璃色へと変化する。
その淡い明るさの空の下、ドライグとエルザライトが目にしたのは1人の男と、
「ヘルテートさん……」
ヘルテート、宿の看板娘でありスタッフ。
その横で汗を流していた男、その手には『剣』が握られている。
変な話では無い、剣を携帯し獣などが出ればそれで斬る、村では良くあることだ。
しかし、今目撃した剣は異様なオーラを放っている、異質な光がプリズムを起こし、それが反射し虹色を見せている。
ドライグは少し考えるが出てくる答えが『戦い』の一言だけ、手には汗が滲み始める、思わず腰に下げた刀の柄に手を掛ける、震えてしまい『カチカチ』と鞘が刃をぶつける音がする。
それに気づいた男は、
「ここは、立ち入り禁止のはずだよ」
片目は髪で隠れていて見えないが、その眼光はドライグが握る刀に注目している。
ヘルテートは目を見開いたままで硬直している、事態を把握し切れないドライグは変な汗をひたすらに分泌しているだけ。
「わかってるわ、それより貴方達が気になるのよ」
「気になる?」
冷静なのかネジが飛んでるのか、エルザライトはニッコリした表情のまま彼等に話し掛ける、流石に男も警戒している、深紅の瞳は1度捕らえた獲物を離さないとばかりに、噛み付く。
「ひょっとしなくても、神の悪戯に参加しているのでしょ?」
「…………」
男は無言、それは肯定している事になる。
ヘルテートも視線を落とし、俯く、まるで頷くように返事をした様に見える。
苦い漢方薬を噛んでしまった様な表情をし、俯いたヘルテートを見た男は剣を背中にあるケースに仕舞う。
後ろ髪を手で軽くかきながらエルザライトの質問に答える。
「そうだよ、と言ったら?」
「安心しなさい、私は精霊側よ」
「嘘かもしれない」
「それならそれでいいわ、証拠があるもの」
「証拠?」
エルザライトはドライグの刀に指を差す、男はそれを見るがなんの事だか理解していない、溜息を吐きながらも簡単に説明をする。
「例え貴方が邪神側なら、武器は光るし共鳴する、しかしそれが無いのよ」
「……はぁ、そうか」
ホッとしたのか、ヘルテートの頭を撫でる男はエルザライトではなくドライグに目を傾ける、でもそれはほんの少しの間だけだった。
直ぐに視線の先はエルザライトに向けられ、
「俺はエヴォルド・ハルトマン、精霊ヘルテートの兄だ」
朝焼けの空、叫べばこだまする空気の中で、彼は名を名乗った。