悪役令嬢ならぬ悪役令息になってしまったかわいそうな男の話
底の見えない切り立った崖の上、一人の男がぼんやりと空を見上げている。手は頑丈な縄で固く結ばれており、男の周りにはいくつかの人影が見える。
ーーー空を見上げていた男はその端正な顔を邪悪に歪ませる。
まさしくニヤリ、この言葉がぴったりだ。
男は後ろを振り返る。かつて自分の愛しい妻になる予定だったモノ、弟だったモノ、親友だった、学友だったモノ………。
ものすごく簡単に言ってしまえば男は信頼していたすべてのモノから裏切られたのだ。しかもその裏切りは全く自分の身に覚えのないことで、だ。
説明しても説明しても何も変わらない状況に男は痺れを切らし、もういいや、と簡単にその身を、その命を諦めることにした。
完璧な容姿だったのに、勿体ないとは少し思いはしたものの、最早謂われのないことで罵られ、暴力を受けるのはまっぴらごめんだと自分のすべてが訴えかけてくるのだ、素晴らしい幕引きをしてやろうと男はこの処刑されるそのときまで企んでいた。
そのときまでは、だ。
皮肉なことに今日の天気は雲一つない晴天で、まるで自分がこの世から去るのを喜んでいるみたいだった。
ーーー悔しいなぁ
人知れず漏れた呟きは誰にも届くことはない。
目線の先にいたかつての親友ーーーアルベルト王太子殿下(実際にこう呼んだことはない)がそこで端正な顔を不快そうに歪めてこちらを見ている。その隣で俺を軽蔑した目で見るのは弟のラルク。あんなに慕ってくれてたのになぁと少しだけため息。
そしてその二人の後ろに、まるで守られるようにしているのは俺の愛しい愛しいオフィーリア。まあ、今では愛しかった、ではあるが。この女、俺と婚約を結んでおいて不倫三昧、豪遊三昧のとんだアバズレーーーおっと失礼。口が滑った。
昔はあんなに純粋で綺麗だったのにと厚い化粧の施された顔面パレットを見て思う。
神の愛し子オフィーリア?ハッ、知らないな。俺が知っているのは悪魔に魂を売った目の前の顔面パレットのオフィーリアだけだ。
さらりと視界の隅で自分の少し青みがかった髪が風で揺れる。
このオフィーリアという女を早いうちに見抜くことの出来なかったお前の落ち度であると、誰かが言った気がした。
「ーーーさあ、レガン、貴様の行いを悔い改め、懺悔することは出来たか?」
「ああ、この無駄な時間はそういう意味だったのか。慈悲深い配慮、痛み入ります王太子殿下」
「いつまでも口の減らぬ奴だ。まあ良い。どうせここで朽ち果てる身だ」
上機嫌に笑う奴らを冷めた目で一瞥し、俺はピンと背筋を伸ばす。こんなクソみたいな人生、さっさとおさらばするのが賢い選択に違いない。
「なかなかにハードな人生だった。何かと楽しませてくれたてめぇらには感謝しよう。どーもどーも」
「貴様、アルベルト王太子殿下に向かってそのような口をきくとはーーー!」
「王子の狗は黙ってな。てめぇなんざお呼びじゃねーんだよ」
「なっーーー!?」
顔を真っ赤にして吠えるガキに反吐が出る。馬鹿らしい馬鹿らしい。そう言えば最後の最後まで世話になった俺の唯一の味方の王国騎士団長の姿が見えない。あいつにはお礼をしたかったのになあ。
「やあやあ諸君、こんな俺なんかの最期を見届ける為にわざわざ足を運んでくれてありがとう。ご苦労ご苦労」
最後くらい見逃してくれ、俺はいつだってあんたらのために尽くしてきたのに。こんな仕打ちはひどいじゃないか。少しだけ目の前の景色が歪む。しかし、こんな情けない姿誰にだって見られたくない。
近くに教会でもあるのだろうか。教会の鐘の音が聞こえる。
「あーあ。俺の人生はなんてみっともなくて呆気ない。俺が死んで、お前らが現実に直面するとき、そのときに真実はわかるだろう」
「神の愛し子オフィーリア? そんなもんいないさ。いるのは」
「顔面パレットのオフィーリアだけさ。最高、面白い、だろう…?」
そこにいた俺の敵は顔を歪ませる。女が両手で顔を覆っている。心配そうに声を掛ける男ども。くだらない。涙なんて少しも流れていないのに、こうもうまく嘘泣きに釣られるのは惚れた弱みかそれとも単なる馬鹿か。
「諸君、」
パラリとその手に結ばれていたはずの縄が地面に落ちる。驚愕で目を見開くモノたち。こんなもの外せないとでも思っていたのだろうか。ぬくぬくと温室育ちどもとは違い、俺はいつでも命を危険にさらしながら生きてきたっていうのに。ラルク、お前も分からなかったわけじゃないだろうに。蕩けきったそのグズグズな脳みそはきっともう使い物にならない。
「さあ、幕引きといこうじゃないか」
俺は隠し持っていた拳銃を自らのこめかみに押し当てる。ゴリッ。これでようやく楽になれる。もう体も心も痛くならない。死んだように生きるのは辛かった。俺は、俺はただ、
「むかしみたいに わらいあいたかった だけなのに どうして 」
安全装置が外れる。
「ッッレガン!!!」
王子が俺に手を伸ばす。弟が泣きそうに顔を歪める。学友どもが大きく目を開いている。オフィーリア?あいつはただ呆然と、でも嬉しそうに俺に小さく笑いかけただけさ。
「ーーーーその処刑、待っーーーー」
パァンッッッ
王国騎士団長の声と銃声。
俺の目の前は真っ赤に染まって、そして、暗転。
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ピチョン、ピチョン、
”最初”に来たときとなんら変わりない暗い洞窟。そこに佇む綺麗な女。
ああ、オフィーリア。
俺の唯一はお前だけだった。なのにあんな顔面パレットにうつつを抜かしてしまったのは、きっとその微笑みと、優しく俺を包んでくれるお前を、忘れられなかったからだ。
悲しそうに微笑むお前。泣くな、俺はこの通り元気だろう?この問いかけに首を振るオフィーリア。あなたは、とその小さな唇が言葉を紡ぐ。
「あなたは死んでしまったわ、私の愛しい人。こんなはずじゃなかったのに」
「そうか、ここは死後の世界か。俺はどうやらうまく死ねたらしいな」
「あなたは頭を撃って、微笑みながら谷底へと……」
「こんなはずじゃなかった」
オフィーリアはひどく悲しそうにその言葉を繰り返す。俺は何も気にしていないというのに。
「愛しい人、もう一回よ」
「ん?」
「もう一回」
額に彼女の小さな唇が寄せられる。柔らかいそれが自分の額を離れた時、そこには、
「? レガン、どうした、ぼんやりとして」
「兄さん?」
「レガン、今日のあなたはなんだか可笑しいわ? 何か悩み事でもあるのかしら?」
嘘だ。
『愛しい人、もう一回よ』
オフィーリアの声が脳内でぐるりと回る。もう一回って、そういうことか。
「おーい、レガーン?」
目の前でアルベルトが手を振っている。制服のネクタイの色を見るに、どうやら高等部に入りたての頃に俺の体は戻ったらしい。しかし、その残酷な記憶は未だ脳内に残ったままだ。
ああ、
だれか、うそだと、いってくれ
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レガンが幸せになるまで続くであろう無限ループ。
レガン
苗字とか考えてない。
悪役顏のくせに優しい。ぶっちゃけると転生者かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
顔面パレットに手のひらで転がされてた系かわいそうな男子。
顔面パレットはただのアバズーーーげふんげふん。優しくてお金持ちで自分を宝物みたく扱う、ただ優しいだけの男に飽きたようですが、レガンは顔面パレットに素顔を見せていないだけだったり。
本当は優しくなんてないし、お金持ちなのは親のおかげだし、宝物みたいに扱うのは顔面パレットを雑に扱うと後々面倒なことになるからである。
ただ単に面倒くさがりな男子なんだよっていうアレ。