第六章、対決
時刻は十九時。外はすでに薄暗くなり始めているが、事件が起こった学校の喧騒はまだやみそうにない。そんな中、事件の関係者全員が再び会議室に集結していた。
警察が第一容疑者と目している永村愛子は、部屋の一番奥でかなり憔悴した表情のまま座り込んでいた。今回のむごたらしい事件の第一発見者になってしまったから、と言えばそれまでだが、警察の考えに即してその様子を見てみると、何となく殺人を犯して途方にくれている犯人のように見えるのだから不思議だ。
そして、その考えはどうも他の人間にも伝わっているようだ。誰が言い出したというわけでもないだろうが、最終的には全員同じ結論に行き着いたのか、その場にいる関係者一同の愛子を見る視線が厳しいものになっている。ただ、律子は相変わらず十影の方を汚らわしそうに見つめ、倉品は事件に興味がないように薄目で寝てしまっていた。
こんなとき、亜由美がいればそんな空気を和らげる発言をするのだろうが、亜由美の姿はどこにもない。十影たちが部屋に入る直前、麟五が何事かを亜由美に耳打ちし、それを受けてどこかに行ってしまったのだ。よって、この場には事件当時に四階にいた容疑者十三名、階段にいた二人、麟五、それに新庄ら警察関係者の姿があった。
「それで、その子はいったい誰なの? さっきいきなり現れたみたいだけど」
麟五が部屋に入ってくると、マスクをつけたままの犬神珠美が静かに当然の疑問をぶつけてきた。新庄が軽く咳払いし、事情を説明する。
「えー、事件前に被害者の和光佐美代さんが話をしていた金津麟五さんだ。被害者の事情をよく知る事件関係者としてこの場に来てもらった」
どうやら、新庄は被害者が麟五に事件調査依頼をしていた事を隠すつもりらしい。とはいえ、その説明でその場にいる全員が不承不承とはいえ一応納得した様子だった。
「そこで、せっかくの機会なので、全員で一度事件の事について振り返ってみたいと思う。各々、自由に議論してほしい」
「どういうことですの?」
副会長の黒宮百合奈が不思議そうな表情で聞く。
「関係者同士で話をすれば、何か新たな手がかりが見つかるかもしれないと考えての判断だ」
そう言うと、新庄は一歩下がって両手を組んだ。後は麟五に任せるつもりらしい。十影は心配になって小さな声で麟五にささやいた。
「おい、ここまで来た以上、何かしらの結論は出す必要があるが、大丈夫なのか?」
「問題ない」
麟五は無表情のまま……元から表情は見えないが……そう言うと、その場の全員を見据えた。
「待ってよ。私はこいつがここにいるのに賛成したわけじゃないわ」
と、律子がそんな言葉を発する。これに対し、麟五は少し律子の方を見ると、こう告げた。
「私は和光さんと話しただけでこんな事件に巻き込まれた。正直なところ、私の方も不愉快に思っている。だから、さっさと検証を終わらせたい。そこの刑事さんから聞いた事件の話の内容から、第三者の立場に近い私が疑問に思ったことをいくつか聞く。まずは、それについてみんなで考えてみたいと思うのだけど」
突然そんなことを言い始めた麟五に、その場にいる全員がざわめいた。それは、さっきまで話を聞いていた十影たちも同じだった。
「さっきはあれだけ事件に介入したがっていたはずだぞ。何のつもりだ?」
これに対し、早苗の方は麟五の意図を読み取っていた。その顔が少し緊張している。
「麟五ちゃん、この場での主導権を握ろうとしてる。ああ言って、自分の存在を話の中心に置こうとしてるの。もう戦いが始まってるって事ね」
見ると、新庄もその事に気づいているのか特に何も言う様子はない。この麟五の物言いに対し、一同はしばらく呆気にとられていたが、最初に異議を唱えたのは遠藤だった。
「君……いきなり出てきてその言い草はないだろう。和光君に対して何とも思わないのか?」
「今日初めて話した人間にそこまで何かを感じる事はない」
「じゃあ、そんな彼女は初対面のはずのあなたに何を言ったの?」
これを尋ねたのは紗枝子だった。他のメンバーも同じように頷く。当然の疑問であろう。それに対する麟五の答えはこうだった。
「……自分に何かがあったら、ミス研で調べてほしい。それだけ」
麟五の言葉に、一番驚いたのは十影だった。
「そういうわけだから、そこの二人にも協力をすでに取り付けてある。あなたたちが認めないなら、私たちだけで勝手に進めるけど」
どうやら、麟五はこの状況においても先程の約束を律儀に果たそうとしているらしい。ならば、自分たちがそれを拒む理由はない。十影と早苗は、麟五の意を汲むと黙って頷いた。
「……時間の無駄だなぁ」
と、いきなり今まで興味なさげにしていた倉品が欠伸交じりに発言した。
「俺はやり方なんて正直どうでもいいから、さっさと話を進めてほしいんだけどな。そこの金津さんが進行役になるって言ってくれているんだ。他にやるやつがいないんなら、反対する時間が惜しいんだけどなぁ」
その言葉に、反対していた律子や遠藤は黙り込んだが、やがて小さくため息をついた。
「あぁ、もういいわ。勝手にすればいい」
律子はそう言うと、そのまま椅子に座ってしまった。遠藤も憮然とした表情をしているが、結局麟五の提案を呑んだようで、忌々しげに麟五に先を促した。
「それで、具体的にこれからどうするつもりだ?」
一段落着いたところで十影が尋ねる。対して、麟五はこう答えた。
「最初にこの事件における疑問点を抽出する。そして、その疑問について一つ一つ答えて、すべての疑問に答えられる筋書きが真相。これが推理の鉄則」
「御説ごもっともだが、金津、お前が考える疑問というのは何だ?」
十影に促されて、麟五は語り始めた。
「まず、そもそも犯人がどうしてこのタイミングで殺人を決行しなければならなかったのか。殺人を起こすタイミングは犯人が好きに決める事ができる。にもかかわらず、犯人は委員長会議の最中という特殊な時間帯を狙った。なぜか?」
「まぁ、そりゃそうだが……」
十影は考え込んだ。他の人間も、戸惑ったように互いの顔を見合わせる。いきなりの事で誰からも意見が出てこないようだ。麟五はかまわず続ける。
「二つ目に凶器の行方。話に出ていなかったところを見ると、発見されていないみたい」
「そういえばそうだな」
全員の視線が新庄に向くが、新庄は首を振った。
「その子の言う通り、凶器は未発見だ」
「ということは、犯人は凶器を持ち去ったって事か。またどうして?」
十影も不思議そうに言う。続けて早苗も疑問を述べる。
「ええっと、死因は撲殺なのよね? つまり、凶器は鈍器のようなもの」
「撲殺するとなるとそれなりの重量と大きさがいる。おまけに血液も付着している」
「持っているところを見つかったらアウトって事か。ますます持ち去る意味がないな」
十影の言葉に、麟五は頷く。と、早苗がハッとしたように顔を上げた。
「ちょっと待って。犯人は四階に閉じ込められている状況なのよね。だったら、凶器の持ち出しもできないはず。つまり、凶器はまだこの四階のどこかにあるはずじゃない?」
十影は思わずアッと声を上げていた。が、これには新庄が否定した。
「四階は警察が徹底的に調べている。それで見つからないという事はありえない」
「じゃあ、犯人がまだ持っている?」
十影は反射的にその場にいる全員を見渡したが、どう考えてもそれらしきものを持っているような人間はこの場にいない。人を殴り殺すとなるとそれなりの大きさのはずだが、そんなものを隠し持っているなら身体検査などせずとも簡単にわかってしまう。
「じゃあ、凶器はどこに消えたんだ? それに犯人は何で持ち去ったんだ?」
「その凶器が犯人を特定する証拠になるからっていうのが一番考えられるけど……そんな凶器だったら私たちがすぐわかるだろうし……」
と、その時今まで静観していた磯美が突然発言した。
「推理小説の話だけど、靴下に砂を入れて鈍器にしたというトリックを聞いた事がある」
その言葉に、その場の全員がギョッとしたような表情をする。
「じゃあ、全員の靴下を調べてみますか?」
百合奈がそんな提案をするが、これには紗枝子が異論を唱えた。
「いくらなんでもそのトリックは強引過ぎる気がする。それに、それが本当だったら靴下には血痕がついている。隠し通せるとは思えないけど」
「洗えばいいんじゃないか?」
「だったら靴下は濡れているわ。この場に濡れた靴下をはいている人間なんていないわね」
遠藤の言葉を紗枝子は否定する。そんな面々を尻目に、麟五は次の疑問点を告げる。
「三つ目。犯人が火を点けた理由。なぜ犯人は殺すだけでは飽き足らず、死体に火を点けたのか。普通に考えれば無駄な作業以外の何物でもない」
十影は思わず早苗と顔を見合わせた。確かに、派手な事件でそこまで考えが及んでいなかったが、言われてみれば当然の疑問である。
「うーん、いくつか考えられるよね」
早苗が唸りながら答えを考える。十影も腕を組みながら考え込んだ。
「要するに、火を点けた事で発生するメリットを考えればいいんだろ? そうだな、例えば服についた血痕みたいな証拠が焼けてなくなるし、それに……」
「被害者の身元がわからなくなるわ」
突然、早苗がそんなことを言い始めた。十影は驚いて早苗の方を見る。
「現にあの死体が誰なのか、顔が焼けているせいで今の段階でははっきりしていない。単に四階から一人いなくなったから和光さんって事になってるだけ」
「じゃあ何か? あの死体が和光君の死体ではないという事か? だったら、あの死体はいったいどこの誰で、肝心の和光君はどこに消えたんだ?」
遠藤が少し疑わしそうに聞く。早苗は自信なさげに答えた。
「考えられるのは、和光さんが誰かとこっそり入れ替わっているってパターンだけど……」
「あのよ、俺らは事件の前に全員で顔を突き合わせてるんだぞ。入れ替わったらすぐにばれるんじゃないか? 大体、その推理だと和光が殺人犯って話になるが」
「そうなのよねぇ」
十影の言葉に今度は早苗が考え込んでしまったが、今度は十影が何気に呟く。
「というか、それを言うならこの場に明らかに素顔のわからないやつがいるよな」
そう言いながら、十影は一人の人物……登場してから本家『犬神家の一族』の犬神佐清よろしく、ずっとマスクをつけて素顔がわからないままの二組委員長・犬神珠美を見つめた。一瞬、その場の空気が緊張するが、当の珠美は大きくため息をついただけだった。
「……私が和光さんだと?」
「いや、そういう意味じゃなくて、ずっと顔を隠したままだから、いかにも意味ありげだなと」
慌てる十影に対し、珠美は黙ってあっさりとマスクを外した。珠美の素顔があらわになる。
「これで満足? 何だったら、学生証でも見せようか?」
そう言って、珠美は少し怒りながらポケットの財布からカード式の学生証を取り出して示す。確かに、そこには珠美の顔写真つきで『犬神珠美』と書かれている。
「ま、そんな荒唐無稽な話はないよなぁ。というか、マスクで顔のわからないいかにも怪しそうな人間が犯人だなんて、できの悪い推理小説じゃあるまいし」
倉品が欠伸をしながら言う。十影は苦し紛れに麟五に話を振った。
「単に派手にしたかっただけって事はないのか?」
「ない。犯罪者はその犯罪に自分の人生を賭ける。それだけに無駄な事をしない。一見無駄に見える事があったとしても、犯人にとってそれは必然」
「含蓄のある言葉だな」
十影は小さく肩をすくめた。
「とりあえず、この三つの疑問点を考えるべき」
「そう言ってもな。どこから手をつけるべきか」
十影の言葉に全員が同意したように頷くが、一人珠美だけは麟五に対してこう言った。
「というより、それ以前の話として明らかに疑いの高い人についてちゃんと検証しておくべきだと思うけど、金津さんはその辺りどう思ってるの?」
「誰の事?」
「私たちでも少し考えたらわかりましたわ。第一発見者の永村さんの事です」
百合奈の告発に、当の愛子はビクッと肩を震わせ、周囲を見回す。が、味方になってくれそうな人間がいないとわかっているのか、すぐに顔をうつむかせた。
「普通に考えて、タイミング的に犯人の可能性が一番高いと思いますの。金津さんはどうお考えなのかしら?」
百合奈の問いに対し、麟五は反論することもなくうなだれている愛子を少し見た後、、
「なら、彼女が犯人だと仮定して、さっきの三つの問いに答えが出るかを考えてみる。それで合理的な答えが出れば彼女が犯人で間違いない」
と、あくまで自分の推理進行を曲げない姿勢を示した。早苗が慌てて条件を確認していく。
「えっと、会議中に事件を起こした理由、凶器を隠した理由、火事を起こした理由だったよね」
「そう。それで彼女が犯人だとして、この問いに合理的な答えが出せるかが問題になる」
全員が押し黙った。いや、押し黙らずを得なかった。
「……いや、そんなこと急に言われてもよ」
「というより、その言い方だとあなたにはわかってるみたいだけど」
小松の言葉に、麟五はあっさり首を縦に振る。
「それなりの考えは持ってる」
「だったら、さっさと聞かせてよ。正直、そのもったいぶった言い方が前から気に入らないの」
「まぁまぁ」
律子が少し苛立ちながら言うのを早苗が押さえ、麟五に発言を促す。
「まず、第一の疑問。これについての答えは論理的に考えて一つだけだと思う。つまり、単純に殺害できるチャンスがこの会議しかなかったから」
当たり前過ぎる答えに全員が一瞬沈黙した。が、誰かが何かを言う前に麟五は言葉を続ける。
「より正確に言えば、犯人は今回の会議でしか被害者と接触する事ができなかった。だからこそ、危険を冒してでもこの会議の時間中に殺人を決行しなければならなかった」
「あの、何を言ってるのかわからないんだけど……」
早苗がすまなさそうに言うと、麟五は簡潔にこう言い換えた。
「つまり、一年の委員長と生徒会役員が一堂に会するこの会議だからこそ、犯人に被害者を殺害するチャンスが生まれた。犯人が被害者を殺そうと考えていたとして、それを実行できる機会は限られる。一年委員長である彼女が必ず出席しなければならないこの会議なら、誰にも怪しまれずに被害者に接触する事が充分に可能。だからこそ、この会議上が狙われた」
と、黙って聞いていた紗枝子が疑問を挟んだ。
「でも、リスクが大きすぎない? 会議なんて閉鎖された空間を狙ったら、容疑者が特定されてしまうわ。実際、こうして犯人は四階にいた人間である事が明白になっているわけだし」
「それは結果論。たまたま階段の踊り場に大西君たちがいたから四階にいる人間に絞られているだけ。もしあの時踊り場に誰もいなかったら誰でも四階に進入できた事になって、容疑者の幅は大きく広がっていたはず」
「ちょ、ちょっと待って!」
と、早苗が少し青ざめた表情で割り込んだ。
「つまり、麟五ちゃんはこう言いたいの? 被害者の和光さんと今日初めて会った人間……つまり、犯人は生徒会側の人間である、って」
「理論的に、それ以外考えられない。委員長グループはこれ以前にも会議をしているから、犯人が委員長の中にいるならチャンスは以前にもあったはずだし」
その時点で、生徒会組四人に全員の視線が集中した。
「ま、待ってくれ! その理屈なら今日初めてここに来た十影君にも当てはまるぞ」
遠藤が必死に言うが、麟五は首を振る。
「十影君がここに来たのは鬼天さんに頼まれての偶然だし、何より彼にはアリバイがある。今回の犯行は、少なくとも殺害時点で犯人と被害者が接触しないと無理だから、全面的なアリバイのある人間は削除される。つまり、アリバイの観点で十影、玉村、倉品の三人が削除され、さらにさっきの理論から委員長側の犬神、鬼天、三河の三名もとりあえず除外される」
容疑者から外れて紗枝子たちはそれぞれ安心したような表情をするが、逆に容疑者のままの生徒会陣営の表情はどこか重苦しいものがあった。が、麟五はさらに推理を続ける。
「次に、同じくアリバイ的観点から小松さんが除外できる」
小松本人は何ともわかりにくい表情のままだったが、遠藤と百合奈がそれぞれ反応した。
「なぜだ! 僕らと彼女の条件は同じじゃないか!」
「……根拠をおっしゃっていただきたいですわ」
パニック状態の遠藤と冷静な百合奈。対照的な二人を見ながら、麟五は説明する。
「彼女にアリバイがないのは十七時十分から十五分までの五分間だけ。彼女に犯行は無理」
「やってみないとわからないじゃない。五分で殺人ができる人間もいるかもしれないわ」
口を挟んだのは律子だった。どうも麟五に対して反発心を抱いているがゆえの反論のようだが、当の麟五は涼しい表情で言葉を続ける。
「確かに、ただ殺すだけなら五分で充分。絞殺ならともかく、撲殺ならそこまで時間はかからない。その後の現場工作も、単に灯油を撒いて火をつける、もしくは何らかの発火装置を仕掛けるだけなら、五分でも充分収まるはず。でも、これはあくまで理論上の話。現実的ではない」
「どうして?」
「理論的には可能でも、彼女の場合、心理的には不可能。彼女のアリバイがないのは十七時十分から十五分までの五分間で、しかも十五分に生徒会全員で会議室に行くという予定が決まっていた。となると、ギリギリまで犯行を引き伸ばすというのは不可能で、数分間の余裕が必要になる。実質、自由にできるのは一、二分に過ぎない。いくらなんでも、一、二分では無理」
その言葉に、さすがの律子も反論できないようだった。小松がひそかに息をなでおろしているのが、十影のいる場所からもよく見えた。
「以上より、第一の条件を考えると容疑者は一気に三人に絞られる」
残された三人は三者三様の表情をしている。すっかり土気色の表情をしている遠藤。表面上は温厚な表情を崩していない百合奈。そして、下をうつむきっぱなしの愛子。
「その上で聞きたい。この三人の中で、残る二つの条件に合致するのは誰か?」
「凶器の行方と火を点けた理由……」
正直、十影にはまったくもって想像できない。いや、それ以前にこの三人の誰かがあの残虐な殺人を引き起こした犯人であること自体が信じ切れなかった。
「この三人のうち誰かが犯人だとして、火が直接点けられたのなら永村さんが犯人。遠隔装置なら遠藤さんか黒宮さんのどちらかが犯人なのよね」
早苗が遠慮がちに言うと、遠藤が引きつった声で言った。
「き、君は本気で今の金津君の話を信じるつもりかね? そんな馬鹿な事は……」
「会長、少し落ち着きましょう。まだ金津さんは私たちが犯人とは言っていませんわ」
百合奈は遠藤を落ち着けると、さらにこう続けた。
「何より、最有力容疑者の永村さんはまだ容疑者から外れていませんもの。つまり、金津さんも永村さんが犯人である可能性を考えているという事ですわね」
その言葉に、愛子が血の気の引いた表情で周囲を伏せ目がちに見渡した。もはや、喋る事さえできなくなっている様子である。
「な、永村君、やっぱり君が……」
「ち……違う……私じゃ……」
愛子はたどたどしい言葉でそういうのが精一杯だった。それを尻目に麟五は推理を再開する。
「殺人犯が遺体に火を点けるのにはいくつか理由が考えられる。典型的なのは身元隠し。さっき玉村さんが言っていた『顔のない死体』理論がまさにそれ」
「『顔のない死体』理論?」
聞き覚えのない言葉に、十影は思わず聞き返す。
「推理小説用語。首が切断されたり顔が潰されたりして素顔のわからない死体にまつわるトリックを指す。横溝正史辺りが得意だけど、やっぱり死体の主が別人だったとか、密かに人物の入れ代わりが行われていたというパターンが多い。でも、今回はこの理論は使えない。むしろ、犯人は遺体に火を点ける事で『身元を隠すことが目的である』という間違った推理に誘導したがっているように思える」
何気に衝撃的な言葉に、十影は思わず絶句した。が、麟五はかまわず続ける。
「火が点けられて顔がわからない遺体があったら、警察はまず『この遺体が本人かどうか』を疑う。仮にここまで容疑者が限定されていなかったら、和光佐美代が誰かわからない遺体と入れ替わって逃亡しているという推理も充分真実味を帯びていたと思う」
「要するに、踊り場に大西たちがいた事が、犯人の計画の何もかもを狂わせているってわけか」
十影の言葉に、当の大西と赤島は顔を見合わせる。
「でも、じゃあ何で犯人は警察にそう思ってほしかったの?」
早苗の質問に対する麟五の答えは単純だった。
「つまり、犯人は警察に『遺体に火を点ける事』が目的であると誤認してほしかった。そして、これは裏を返せば、犯人が火を点けた目的が『遺体に火を点ける事』ではなかった事になる」
「遺体に火を点ける事が目的じゃないって……じゃあ、それこそ何で火を点けたんだ?」
十影にはもう何がなんだかわからない。が、麟五はすでに何かを確信しているようだった。
「当然遺体以外の何かを燃やすため。そして、この状況下で燃やす必要のあるものは限られる」
「それって……」
何かに思い当たったかのような早苗の言葉を、麟五が引き継いだ。
「凶器。つまり、二つ目と三つ目の問題は一つに考えられる」
その言葉に、十影は一瞬頭の中が真っ白になったが、すぐに考えを取りまとめた。
「すると、犯人が火を点けた目的は凶器の隠滅で、なおかつ凶器を隠滅した事がばれないように警察の注意を遺体に向けさせたって事か」
「木を隠すなら森の中、死体を隠すなら死体の中。古典の名探偵・ブラウン神父の有名な言葉だけど、今回の事件に言い換えれば、燃えた凶器を隠すなら燃えた死体の中ということ」
「でも、何でそこまで凶器を隠そうとしたんだ」
十影の純粋な疑問に、麟五はあっさり答えた。
「凶器が現場から見つからなければ、犯人が外部に逃走したという推理が補強される事につながるからという理由が一つ。そして、何よりその凶器が犯人を明確に示してしまうものだから。それこそ、凶器を燃やした事がばれるのを防ぐほどに」
「それって、その凶器がわかれば犯人もわかるって事?」
早苗の言葉に麟五は頷き、改めて残る容疑者三人を眺めた。
「凶器は少なくとも燃える物ってわけか。でも、可燃物で人を殴って殺せるか?」
「木の棒とか竹刀は?」
早苗が具体例を挙げるが、首を振ったのは紗枝子だった。
「出火してから消火まで五分経ってないわ。つまり、そんな短時間で完全に燃え尽きる物じゃないと無理。いくら灯油がかかっていたからって、木の棒や竹刀じゃ燃え残ると思うわ」
「でも、そんな都合のいいものなんて……」
すっかり悩みこんでしまった早苗であったが、その瞬間、十影の頭にはある物が浮かんでいた。そして、それはまさに、犯人の正体を明確に指し示すもの以外の何物でもなかった。
「まさか……」
十影は思わず、その凶器が指し示す人物を……三人の中の一人を見つめる。そして、麟五もしっかりとその人物を見つめていた。
「以上の考察から考えると、考えられる『真犯人』はただ一人」
その言葉に、その場の全員が緊張した。そんな中、麟五は普段通りの単調な声で、しかしはっきりとした口調で言葉をつづる。
「私の考えるこの事件の『真犯人』は……あなた」
そう言うと、麟五はおもむろにまっすぐ腕を伸ばし、前髪の奥から鋭い視線を発しながらその人物に人差し指を突きつけ、その名をしっかり告げた。
「黒宮百合奈」
生徒会副会長・黒宮百合奈は、その衝撃的な告発に対し、温厚そうな表情を崩すことなく小首をかしげるような動作をしただけだった。だが、十影には逆にその落ち着き振りが、何だかひどく恐ろしげなものに映っていた。
金津麟五と黒宮百合奈……二人の「怪物」の戦いが、今まさに切って落とされた瞬間だった。
「私が犯人……」
告発の後、百合奈が最初に発した言葉がそれだった。他の人間は唖然とした表情で対峙する二人を見比べ、特に今までずっとパートナーだった遠藤の狼狽ぶりは尋常なものではなかった。
「君、告発という行為がどれほど責任を伴うものかわかっているか?」
不意に、新庄が麟五に尋ねた。さすがにこの刑事は表向き動揺していないように見える。
「もちろん」
「覚悟の上の告発だね? 今さらなしというのはそれこそなしだぞ」
麟五はためらう事なく頷いた。新庄は黙ってそれを見据えると、再び腕を組んで下がった。
「なら、やれるところまでやってみるといい」
そう言って、麟五たちに先を促す。麟五は再び小さく頷くと、百合奈を見据えた。
「そういうわけだけど、何か異論はある?」
「……そうですわね。まず、どうして私が犯人という結論になったのか教えてもらえるかしら」
「言った通り、問題の凶器を考えたとき、該当者があなたしかいないから」
「その凶器って何なのかしら。まずはそこから教えてほしいですわ」
普段と変わらぬ温厚な表情を崩さぬまま、百合奈は問いかける。これに対し、麟五も口調を一切変えることなく告げる。
「凶器は簡単に燃えて、しかも短時間の出火で完全に燃え尽きる典型的なもの……それは、紙」
「か、紙ぃ?」
いまだショックが抜けきれない表情ながらも、遠藤が全員の気持ちを代弁して声を上げた。
「ふざけないでよ。紙で人が殴り殺せるわけないでしょ!」
律子が遠藤の後に続けて言うが、十影には心当たりがあった。
「いや、一枚じゃ無理でも、枚数があれば……それこそ五百枚とか千枚とか重ねれば……」
「充分人は殴り殺せる」
麟五は断言した。十影の頭には、以前麟五が読んでいた千ページ越えの文庫本が浮かんでいた。紙の塊である本で人が殴り殺せるなら、紙そのものの集合体でもそれは可能なはずだ。それでもやっぱり信じられないのか、紗枝子が疑問を呈する。
「でも、いくら紙を集めても、殴るときにバラバラになるわ。何かで固定したらしたで今度は燃やすのが大変になるし、やっぱり無理があるんじゃ……」
「たとえば開封する前のコピー用紙の束。これならバラバラになる心配もないし、凶器として問題なく使用できる。犯行後は開封して中の紙をばら撒けば、燃やすのも簡単」
それを聞いて、愛子がハッとしたように百合奈を見る。麟五は言葉を続けた。
「それがあるのは、黒宮さん、あなたのいた印刷室だけ。だからこそ、犯人はあなたでしかありえない。何しろ十七時からの十五分間、印刷室にはあなたしかいなかったはずだから」
「私が出た後に誰かが印刷室から凶器を持ち出した可能性はありませんの?」
百合奈はチラリと愛子を見ながら発言する。が、麟五は首を振った。
「だとするなら、被害者はずっと現場で待っていたことになる。でも、会議のために来ている以上、何もなければ被害者は十五分で会議室に戻ってしまう。だから、最低限でも犯人は十五分までには被害者と接触していたはず。十五分に現場に行ったのでは遅すぎる」
言われてみれば確かにそうである。となると、実質的に犯人が殺人を起こせるのは、十七時から会議が始まる十七時十五分の十五分間に限定されてしまう事になる。
「この時点で、永村さんが犯人になりえない事は明らか。彼女のアリバイがないのは十七時十分から二十分までの十分間。でも、被害者の事を考えれば実際に殺人ができるのは十分から十五分までの五分間だけ。状況は限りなく小松さんに近い」
「お待ちください。彼女には小松さんと違って心理的な制約はありませんわ。その五分間に殺人だけでもやってしまえば、もう被害者の都合なんて考える必要はないのですから、今まで通りアリバイのない十分間がそのまま使えますもの」
「でも、そもそもその殺人を犯す十七時十分から十五分までの空白は、小松さんがトイレに行ったことによって生じたもの。何かの拍子で小松さんが予定よりも早くトイレから戻ってきたそこで終わってしまう。そう考えると、こちらも心理的に備品室に行こうなど考えられるはずがない。つまり、凶器が何であったとしても、永村さんは犯人候補から外れるという事」
その言葉に、永村はしばらく何を言われたのかわからないような表情をしていたが、やがて自身の無罪が証明された事を悟ったのか、顔を赤らめさせてホッとしたように息をついた。
そんな中、麟五はあくまで理路整然と推理を続ける。
「つまり、犯人は被害者が会議に戻る十七時十五分までに殺人を実行しなければならない。でも、凶器がコピー用紙だとしたら、その凶器のある印刷室にはあなたがいたから凶器を持ち出すことができない。この矛盾を正当化する答えは、印刷室にいたあなたが犯人だった場合のみ。つまり、コピー用紙が凶器とわかった段階で、あなたが犯人であるという事実が確定する」
激しくやり取りされる二人の意見の応酬を、他の人間は固唾を呑んで見守っていた。だが、百合奈はスゥッと目を開けて麟五を正面から見据える。
「でも、それはあくまで可能性、あなたの想像に過ぎませんわ。現場で血のついた紙が見つかったわけでもないようですし、実際に紙が凶器かどうかはわかりませんわね。その程度で私を犯人にされてはかないませんわ。第一、私が犯人だとすれば出火は遠隔によるものになりますわ。私はどうやって火を点けましたの? 直接火を点けたと考えた方が妥当だと思いますけど」
「火を点けるだけなら、いくらでも方法はある」
麟五は百合奈の言葉を一刀両断した。
「古今東西の推理小説で、そんな方法は何度でも研究されてきた。まして、現場は備品室。小道具には困らないし、何よりストーブ用の灯油がある。遺体と凶器の紙に灯油をまいておけば、後はきっかけとなる火さえ点火できれば充分にあのクラスの火災を起こせる」
「例えばどんなの?」
早苗が興味津々に聞く。
「一番簡単なのは遺体の上に黒い紙か布を置いておいて、窓際に水の入ったガラス容器か凸レンズを置いて太陽光を集めるという方法。ガラス容器だと火が点くかどうか運の側面もあるから、今回の場合は備品室に置いてあった物理教室で使う虫眼鏡か凸レンズだろうけど」
拍子抜けするほど簡単な方法に、その場の全員が呆気に取られる。
「そんなに簡単でいいの?」
「火を点けるだけならこれで充分。後は灯油が勝手に炎を広げる」
「確かに、太陽光をレンズが屈折させて火をつけるって話は聞いたことがあるが……」
「部屋はすべて西側に位置しているから、事件があった十七時なら、ちょうど窓から西日が差し込んでいたはず。火を点ける位置さえ調節すれば、炎の勢いで窓ガラスが割れたときに、窓際においてあった凸レンズも一緒に地上へ落下して粉々になるから証拠も残らない。多分、地面に落ちている窓ガラスの破片の中に、凸レンズの破片があるはず」
それを聞いて新庄が部下の刑事に小声で指示を出し、その刑事はすぐに部屋を出て行く。。おそらく、この校舎の下に落下したガラスの破片を調べるように言ったのだろう。
「じゃあ、その光を集める黒い紙か布は? そんな都合のいいものないと思うけど」
珠美は不思議そうに問うが、これについて麟五は予想外の言葉を発した。
「それは、犬神さんが一番よくわかってるはず。普段から見慣れているはずだし、あなたが寝ていた部屋にもいっぱいあったと思うから」
その言葉に、珠美はアッと声を上げた。
「そうか、書道の下敷きね。あれなら黒いし、備品室にも放り込んであった」
十影の頭に、小学生の頃によく使っていた黒い布が浮かんだ。
「備品室は書道室の準備室でもあった。そこから一枚拝借するだけでいい。それに、燃え残ったとしても、元からそこにあった備品として処理されてしまう」
確かに、こうして言われてみるとその場にいなくても火を点ける事はできたように思われた。
そして、ちょうどその時、先程出て行った刑事が戻ってきた。新庄が眉をひそめる。
「やけに早かったな」
「その子、あらかじめ鑑識に頼んでおいたみたいですよ」
刑事は麟五の方を見ながら呆れたように言う。
「確かに推理通り、地面に落ちた窓ガラスの一部から凸レンズと思しき破片が見つかったそうです。どうやら、放火に関しては今の推理が正しいと見ていいようですね」
その報告に、全員の視線が百合奈へと向いた。が、百合奈は涼しい表情を崩さない。
「……でも、今の推理は火が遠隔で点けられた事しか証明できませんわね」
「だけど、これで放火はその場にいなくても可能だった事が証明できる。当然、あなたにも」
「あくまで私を犯人にしたいようですわね」
百合奈はスカーフを手でいじりながらも、落ち着いた口調で反論した。
「あなたの推理だと、私は和光さんの殺害を計画して彼女を備品室へ呼び出し、コピー用紙の束で撲殺した後、凸レンズの放火装置を仕掛けて会議に戻ったという事になりますわね。だとするならいくつか疑問が浮かびますわ」
百合奈は反論を続ける。
「まず、私はなぜ紙を凶器にしたのでしょうか。単に撲殺するだけなら他にいくらでも凶器はありますわ。にもかかわらず犯人の特定につながりかねないコピー用紙の束を凶器に選んだ理由は何でしょうか。メリットらしいメリットが思いつかないのですけど」
十影は考え込んだ。確かに、印刷室にあった紙を凶器にする事によってわざわざ凶器隠滅の必要性が生じてしまっている。犯罪者は無駄な行動をしないと先程麟五は言ったが、これはその無駄な行動以外の何物でもないはずだ。にもかかわらず、彼女が紙などというトリッキーな凶器を使った理由はなんだろうか。
「第二に、私はどんな理由で和光さんをあの備品室に呼び出したのでしょうか。普通に考えたら、初対面の人間に何かを言われてあんな場所に行く人間はいませんわ。第三に、そもそも私が和光さん殺害する動機とは何でしょうか? 何度も言うように、私と和光さんはこの場が初対面です。あなたも、さっき私と和光さんが出会えるのがこの場限りだったからこそ、この会議中に殺人を起こしたと言いました。今まで一度も会ったこともない人間にどんな殺意を抱けるというのですか? 私が犯人だというなら、これらの疑問を説明してもらいたいですわね」
ここに至って、十影の思考は完全に止まってしまった。そう、この場にいる誰が犯人であったとしても、動機がまったくわからないのだ。
「た、確かに……というか、誰が犯人でも和光君を殺す動機がまったくわからないぞ」
遠藤が十影の思った事をそのまま言い、他の人間も難しい表情をしている。
「まさか、動機は逮捕してから調べればいいなんて言うつもりではありませんわよね。あなたがお好きな推理小説ではありかもしれませんが、それではこの場の誰も納得しませんわよ」
どこか余裕さえ伺える百合奈の言葉に、早苗が不安そうに麟五に問いかけた。
「ね、ねぇ、麟五ちゃん。動機の話については今まで何も話が出てきていないよね。いくらなんでも無茶じゃないかな?」
誰もが、同じような気持ちで麟五の方を見やった。
だが、それでも、金津麟五という少女はとどまるという事を知らない。
「確かに、あなたが被害者を呼び出すのは無理がある」
「認めるのですか?」
百合奈がやや拍子抜けしたように言う。が、間髪いれずに麟五は鋭く告げた。
「だから、考え方を変えてみる。つまり、あなたがどうやって被害者を呼び出したかではなく、なぜ被害者……和光さんがあの備品室にいたのかを考える」
思わぬ解答に、百合奈は一瞬黙り込んだ。
「考えてみれば、私たちは犯人の行動ばかり追いかけて、被害者の行動に目を向けていない。だから、ここで被害者の行動を振り返ってみる」
そう言われて、早苗は改めて佐美代の行動を列挙し始める。
「えっと、授業が終わってから会議が始まるまでにミス研の部室を訪れて何かあった際に調査をしてくれるように依頼。その後一時間会議して、休憩時間の十五分の間に備品室で殺された……ってことでいいのよね」
「現場が備品室なのは間違いないの? 例えば、他の場所で殺されて備品室に運ばれたとか」
珠美の言葉に、首を振ったのは紗枝子だった。
「無理ね。他の場所から備品室に入るには必ず廊下を通る。いくらなんでも死体を担いでいる人がいたら目立つし、記憶に残るわ」
「それに、遺体に動かした痕跡はなかった。現場は間違いなくあそこだ」
新庄が補足説明する。と、早苗は首をかしげながらも発言した。
「でもこうしてみると、どう考えても和光さんは会議の前から何かが起こる事がわかっていたみたいね。じゃないと、ミス研にわざわざ依頼なんてしないだろうし」
「つまり、自分が事件に巻き込まれる事がわかっていたのか?」
十影はそう言いながらも、何か違和感のようなものを感じていた。
「んー、だったらどうして何の対策もしてなかったんだ。何か事件に巻き込まれるのがわかってたら、俺だったら用心くらいはすると思うけど」
不意に発言したのは、倉品だった。そして、その言葉に早苗が反応した。
「……そうよ。確かにおかしいわ。わざわざミス研に頼みに来るなんて事をしているはずなのに、和光さん、その割にはあっさり殺されすぎている。何の警戒もなしに備品室に行って、結果的にほとんど抵抗もしないで殺されてるし」
他の全員が顔を見合わせた。何かに巻き込まれることを警戒してミス研に依頼しているはずなのに、実際の彼女の行動はそれに大きく矛盾しているのだ。まるで、自分から事件に巻き込まれに……殺されに行っているようにも映るのである。
「被害者の行動には大きな矛盾がある。何か起こる事を警戒しながら、まるで自分からそれに巻き込まれるような行動をしている。一方、加害者は計画的犯行の割にはコピー用紙という凶器を使った無駄の多い犯行をしている。何もかもがあべこべ。だったら、そもそもの前提をひっくり返せばいい。そして、その中にさっきの問いの答えがある」
続く麟五の言葉に、その場にいた全員が文字通り度肝を抜かれる事となる。
「その解答は、本来は被害者が加害者で、加害者が被害者だった……つまり、襲ったのは被害者の和光佐美代で、襲われたのは加害者の黒宮百合奈だったという筋書き」
「な、何だって!」
遠藤が驚愕の表情で叫ぶ。他のメンバーも似たり寄ったりの表情だ。ただ、告発されている百合奈だけが無表情に麟五を見ている。
「か、金津君、殺されたのは和光君なんだぞ!」
「だから、寸前のところでそれが逆転してしまった。つまり、襲撃した和光佐美代が、逆に黒宮百合奈に殺されてしまった。それなら何の問題にもならない」
「それじゃあ、この事件は……」
息を呑む早苗に対し、麟五はあっさり答えを告げた。
「黒宮百合奈の正当防衛。それが私の結論」
誰もが、あまりに突飛な推理に絶句していた。
「この事件が和光佐美代の襲撃に対する正当防衛なら、すべての疑問に説明がつく。黒宮百合奈がコピー用紙を凶器にしたのは、したくてしたわけじゃない。印刷途中で呼び出された彼女がたまたまコピー用紙を持っていて、襲われたときに咄嗟に凶器にしたに過ぎないから。黒宮百合奈に動機がないのは、動機があったのは和光佐美代だからこそ。備品室に和光佐美代がいたのも黒宮百合奈が呼び出したからではなく、逆に彼女自身が黒宮百合奈を呼び出したから」
「ちょ、ちょっと待って!」
あまりに急すぎる展開に、早苗が待ったをかける。
「じゃあ、和光さんは自分が起こす事件の調査をミス研に依頼したってこと? 何でそんな自殺行為を?」
「それに、どうして和光が彼女を殺そうなんて考えるんだ? それに、どうやって標的を備品室に呼び出したのかって疑問はさっきと変わらないぞ」
十影も混乱した様子で質問する。が、麟五はジッと百合奈の方を見て告げた。
「それに答えるよりもまず、当の本人に聞きたい。今の私の推理、当たっているかどうか」
百合奈は答えない。しばらく黙って麟五の前髪に隠れた目の辺りを見ていたが、やがて今まで見たことがないような厳しい表情でこう答えた。
「私が認めると思いますの?」
「思わない。だから意地でも証明する。あなたが否定できないくらいに」
そう言うと、麟五は追求を続けた。
「今の推理が正しいなら、和光佐美代は黒宮百合奈を殺害しようとしていた事になる。だとするなら、和光佐美代はどうやって黒宮百合奈を殺そうとしたのかが問題になる」
「現場にそれらしいものはなかった」
新庄の言葉に対し、麟五は首を振った。
「ちゃんとあった。和光さんが左手で握っていたはず」
「左手って……もしかして石油ストーブの電気コードか? だとすると、狙いは絞殺か?」
「殺人事件において血痕が重要な証拠になるのは明白。だから、よほどの理由がなければ血が出ない殺害方法を選ぶのが定石。絞殺はその典型」
「だが、結果的にそれは失敗して、逆に撲殺された……か」
「つまり、彼女に襲われた人間は一度被害者に首を絞められているはず。となると、その痕が首に残っていないとおかしい」
「首に痕?」
その言葉に、全員が互いを見渡した。が、見た限りそんな痕が残っている人間はいない。
そう、たった一人の例外……首にスカーフを巻いている百合奈を除いては。
「私の推理が正しければ、そのスカーフの下に和光さんに絞められたときの痕が残っているはず。もしあなたが正当防衛を認めないというならば、今すぐ、そのスカーフを外してほしい」
百合奈は答えなかった。無表情だが、しかしその両手は強く握り締められている。一触即発の状況に、全員が固唾を呑んで見守っていた。
無限とも思える時間が過ぎていく。誰も何も言おうとしない中、その瞬間はついに訪れた。
「……いいですわ」
フウッと小さく息を吐くと、百合奈はそっと自分のスカーフに手をかけ、そのままゆっくりとそれを首から外す。次の瞬間、その場にいた全員が息を呑んだ。
その首筋には、何か紐のようなもので絞められた痕が、確かにくっきりと残っていたのだ。
「……私の負けですわね」
それが、生徒会副会長・黒宮百合奈の敗北宣言であることに十影が気付いたのは、それからしばらく経ってからだった。
「ハァ、ハァ……」
十七時五分頃、備品室。黒宮百合奈は、床に転がる女生徒を見下ろしながら、手に持っていた血まみれのコピー用紙の束を床に落とした。
不意打ちもいいところだった。呼び出されてこの部屋に来たら、いきなり後方から首を絞められたのだ。咄嗟に持っていたシャーペンで相手の右手を突き刺して拘束を解き、なおも襲い掛かってくる彼女の頭部に対して反射的に持っていたコピー用紙の束を振り下ろした。単なる抵抗ではあったが、まさか紙で殴った程度で死ぬとは想定外だった。
彼女の前には襲ってきた少女……三組委員長の和光佐美代の死体が転がっていた。ばれるわけにはいかない。それが百合奈の最初に思ったことだった。
もちろんこのままにしておくわけにはいかない。が、それ以上に凶器のコピー用紙をどうするかという点で百合奈は大いに迷っていた。印刷室にいたのが自分だけである以上、凶器がばれた時点で犯行が露呈してしまう。かといって、こんなものを持ち去るわけにはいかない。だが、死体がある以上は必ず警察が介入してくるだろうし、おそらくこれが殺人事件であることも容赦なく暴かれてしまうだろう。そうなれば、犯人がわかるまでは捜査は終わらない。
そう考えたとき、百合奈の頭に一つの考えが浮かんだ。犯人が外部の人間の仕業であるかのように見せかける。凶器さえ始末してしまえば、ずっと四階にいた自分に凶器隠滅の時間がないことがアリバイになって、犯人は外部に逃走したと思わせられる。
百合奈の頭に凶器を遺体もろとも燃やしてしまうというトリックが浮かんだのは、まさにその瞬間だった。会議まで時間もない。百合奈はすぐさまそのたくらみを実行に移した。
まさか、階段に人がいて四階が密閉状態になってしまうなどとは思いもせずに……。
事件の様子を語り終えると、百合奈は再び息をついて頭を下げた。
「……隠していて、申し訳ありませんでした」
誰も何も言えず、重苦しい表情で百合奈を見つめている。
「改めて聞こう。被害者・和光佐美代を殺害したのは君か?」
新庄が重々しい言葉で尋ねる。それに対し、百合奈はしばし逡巡した後、小さく頷いた。
「なぜ隠した? 君の話が本当ならこれは正当防衛だ。法的には罪にならない」
「いくら正当防衛でも、殺人は殺人ですわ。これがばれたら、学校にはいられなくなりますし、永遠に後ろ指を差されて生きる事になるでしょう。それが……我慢できませんでしたの」
百合奈は涙ぐみながらそう言うと、十影に向き直った。
「あなたならわかるのではありませんか? 親族の犯罪でマスコミに後ろ指を差され、人生を無茶苦茶にされたあなたなら」
十影は何も言えなかった。その感情は痛いほどよくわかったからだ。
「で、でも待ってください。何で和光さんの呼び出しに応じたんですか?」
早苗の言葉に、百合奈はしばらく黙ると、彼女らしくない自嘲気味の口調で答えた。
「隠していてもいずれはばれますわね。私、中学時代にかなり荒れていましたのよ」
予想外の話に、遠藤がエッと声を上げた。
「こう見えて、不良グループのリーダーをやっていましたの。もちろん、今は手を切っていますわ。ただ、それをばらすと言われて仕方なく……」
「被害者に襲われた理由に心当たりは?」
新庄の問いに対し、百合奈は首を振った。
「わかりませんわ。私の昔の事を知っていたからには、その当時の事で何か恨まれていたのだと思いますけど、それが何かまではわかりません。いきなり理由も告げずに襲われたので」
そう言うと、百合奈は麟五を見やった。
「あなたには負けましたわ。でも……これでよかったのかもしれませんわね」
麟五は無表情に黙ったままだ。百合奈はそれを見ると、新庄に向き直る。
「行きましょう。すべて認めますわ」
その言葉に、新庄は黙って頷くと、部下の刑事に車を回すように命令した。
すべては終わった。誰もがそう考えていた。犯人は自白し、状況から正当防衛は明らか。和光佐美代が百合奈を襲った動機は不明だが、それも取調べで判明するだろう。十影も含め、皆が本気でそう思っていたのだ。
だが、それを許さない人間が一人だけいた。
「待って」
他でもない、金津麟五が事件の終了に待ったをかけたのだ。
「まだ、私の話は終わっていない」
その言葉に、再びその場に緊張が走る。事件をかき乱し続けたこの少女が、今再び何か天変地異を起こそうとしている。十影は何ともいえない予感に思わず背筋を震わせた。
「終わっていないって……金津君、君の指摘した犯人が自白したのだ。これ以上何があると?」
「事件の構図が間違っているとは思わない。でも、解明されていない謎がある」
遠藤の言葉に、麟五は淡々と答えると疑問点を提示していく。
「まず、さっき玉村さんが提示した疑問。つまり、なぜ被害者はミス研に事件の調査を依頼したのか。それに関連して、彼女が黒宮百合奈を襲った理由もわかっていない」
「だから、それは黒宮君にもわからないと……」
「わからないなら推理するまで」
遠藤の言葉を切り捨て、麟五は糾弾を続ける。
「そもそも、あなたがなぜ事件を隠そうとしたのか。その理由がどうしても私には解せない」
「それは説明したはずです。それはこのことがばれたら私は破滅してしまいますから……」
「でも、だからと言ってさらに罪を重ねるのは不可解すぎる」
振り返って反論する百合奈の言葉をさえぎって、麟五は矛盾を突きつけた。
「遺体への放火、凶器隠滅は完全な違法行為。あなたは本来ばれても無罪になるはずの正当防衛を、別の罪まで犯して必死に隠そうとしていた事になる。あなたの行為は不可解極まりない」
「気が動転していただけですわ。人を殺すなんて初めての経験ですもの」
百合奈は間髪入れずに反論する。だが、麟五は口調を崩さないまま言葉を畳み掛けた。
「確かに、あなたが言うように殺人がばれたら破滅してしまうという理由もあったとは思う。でも、本当に理由がそれだけだとは思えない」
「何が言いたいですの?」
「あなたは、本当は被害者が自分を殺そうとした理由を知っている。知っていてそれを隠そうとしている。そしてそれが、あなたが正当防衛にもかかわらず事件を隠したもう一つの理由」
その言葉に、場の空気が変わるのを十影は感じていた、
「いくら正当防衛とはいえ、殺人が発生した以上、警察は被害者と加害者の人間関係を調べる。そして、その中にあなたが知られてはならない人間関係……それこそ、あなたが別の罪を犯してまで隠したい『秘密』があったとしたら。そして、被害者は逆にそのあなたが隠したがっている『秘密』を何が何でも……それこそあなたを殺してでも暴露したいと考えていたら」
その恐るべき発言に、早苗が恐る恐る言葉を挟んだ。
「それってつまり、和光さんは被害者になるはずだった黒宮さんに関する何らかの『秘密』を暴露しようと考えていた。そして、そのために黒宮さんを殺して、自分から殺人犯として捕まろうとしたって事?」
「それなら、被害者が私たちに依頼をした理由にも納得がいく。殺人事件の犯人として捕まれば、当然動機の解明が問題となる。和光佐美代はその場で殺した黒宮百合奈に関する『秘密』を暴露するつもりだった。殺人犯の言う事は警察や法廷などの公機関で調書として正式に認められ、一般にも公開される。それこそが、和光佐美代の狙いだったとすれば、ミス研の調査で犯行が暴かれるところまで想定の範囲内だった事になる」
あまりに常識外れの推理に、その場が再び緊張に包まれてきた。
「いったい何なんだ? 殺人犯になってまで暴きたいという、その『秘密』とは?」
新庄の疑問に、百合奈は首を振った。
「そんな秘密なんかありませんわ。刑事さん、早く私を連行して……」
「じゃあ、私から話そうかしら」
不意に誰かの声が百合奈をさえぎった。見ると、最初に麟五に何かを言われて部屋を出ていた亜由美が部屋の入口に立っていた。
「金津さん、言われた通りに調べてみたわよ」
「調べたって?」
突然の出来事に早苗が戸惑ったような声を上げると、麟五は解説を加えた。
「犯人が黒宮百合奈とわかった時点で、被害者がなぜ加害者を襲ったのかが残す問題になるのは自明だった。それを解決するには、被害者と加害者の過去を明らかにするしかない。だから、黒宮百合奈と和光佐美代の過去について調べてもらうように、あらかじめ先生に頼んでおいた」
そう言うと、麟五は亜由美に対して目で発言を促した。亜由美は頷いて結果を報告する。
「金津さんに言われてうちの事務所……榊原探偵事務所に大急ぎで黒宮さんと和光さんの事を調べてもらったわ。そしたら、意外な事実が浮かんできたの」
「中学時代に不良だったという事なら、先程話しましたわ」
「それもあるけど、それ以上に興味深い事よ」
そして、亜由美は今までで最大級に衝撃的な発言を一同に叩き込んだ。
「彼女、捜査線上に上がっていたのよ……二年前の、法務省官僚殺人事件の、ね」
その瞬間、何もかもがひっくり返ったような感覚が、十影を襲った
「……え?」
一瞬遅れて律子が声を上げた。先程までその場にあったざわめきがピタリとやんでいる。
「それって……十影君の伯父さんが殺されたっていう」
早苗が十影の方を見ながら気まずそうに言う。亜由美は静かに頷いた。
「もっとも、それは最初の数日だけ。すぐに有力容疑者が浮かんで、捜査の主力はそちらに向いたから。そうですよね?」
「あぁ……」
さすがに呆気にとられた表情をしている新庄が何とか答える。
「待ってよ! あの事件はそいつの伯父が蘭奈を襲って返り討ちになったって事件のはず。何で今さらここでそんな話が……」
「それが、間違った真相だったとしたら?」
麟五がぴしゃりと律子の発言を封じて、鋭く告げた。
「間違ったって……だって蘭奈は……」
「自殺して遺書を残している。でも、その遺書が本物だという証拠はない」
「筆跡は間違いなく彼女のものだった。状況も間違いなく自殺。殺人ではない」
「彼女が自殺で、遺書を書いた事に異論はない。でも、彼女が本当の事を書いたのかは疑問」
新庄の言葉にそう答えると、麟五は百合奈を見やる。
「例えば、本物の犯人に脅されて、別の真相を書いたとか」
「おい、待てよ。お前、まさか……」
「過去に殺人を犯して、しかもその罪を着せた人物を自殺に追い込んだ。これ以上ない隠し事」
何かとんでもない事が起きようとしている。十影はそう感じて思わず麟五を止めようとするが、麟五は止まらない。そして、彼女は告発する。
「二年前の事件。事件の犯人は七里蘭奈でも、もちろん十影英太郎でもない。黒宮百合奈。あなたがすべて……何人もの人間の人生を狂わせたあの事件の元凶だとすれば、今回の事件の和光佐美代の動機に説明がつく」
十影はショックを通り越して、麟五が何を言っているのか理解が追いついていなかった。それは律子も同様のようで、今までの強気な態度とは違い、呆然とした表情で百合奈を見ている。
一方、告発された百合奈は顔を上げると、麟五を睨みつけた。顔は笑っているが、その目はまったく笑っていない。それだけに、逆に鬼気迫るものが周囲に漂っている。
「それがどうしましたの。私には身に覚えのないことですけど、なぜそれを和光さんが暴露しようなどと考えますの。何度も言うように、和光さんとは一度も会ったことがありませんのよ」
不穏な雰囲気に反して歌うように反論する百合奈に、答えたのはまたしても亜由美だった。
「被害者の和光さん、二年前の事件で死んだ七里蘭奈さんとは知り合いだったみたいね」
その言葉に、全員の視線が再び亜由美を向く。特に律子はもはや茫然自失の状態だった。
「中学校は違うみたいだけど、小学校時代に親友だったみたい。中学が分かれてからも付き合いはあったみたいね。黒宮さんを調べて十影英太郎さんの事件との関係が出てきたと思ったら、和光さんの方からも同じ事件の関係者とのつながりが出てきた。だから、うちの事務所も黒宮さんと七里蘭奈さんにつながりがないか調べ直したそうよ」
そしたらね、と亜由美は続ける。
「七里さんの通っていた中学校が、当時黒宮さんの通っていた中学校と同じだって事に気がついたんですって。これは何かあると思って事務所側は直接その中学校に調べをかけたそうだけど、そしたら黒宮さんが恐喝したとされている生徒の中に七里蘭奈の名前を見つけたそうよ。つまり、黒宮さんと七里さんが顔見知りで、なおかつ黒宮さんは七里さんを脅迫した過去があった。うちで調べられたのはこの程度ね」
この程度どころか、事件の根幹を揺るがしかねない重要情報のオンパレードだ。しかも、依頼してからまだ一時間も経っていないのである。改めて、十影は亜由美がかつていた事務所がとんでもないところだという事を思い知らされた。
「ああ、そうそう。その中学校の先生が言うには、事件直後に七里さんの様子について調べに来た女の子がいたそうよ。それがどうも和光さんみたいね。さすがに、中学生の彼女に今言ったような事は教えられなくて、彼女は肩を落として帰ったそうだけど」
亜由美の言葉に、早苗が首をひねりながら発言する。
「つまり、彼女は蘭奈さんの自殺……というより、事件そのものに納得していなかった。だから、個人的に事件を調べていたって事?」
「おそらく、それが七里蘭奈の友人としての彼女の事件に対する向き合い方」
悪評に耐え切れず、事件から逃げ続けた十影。事件を憎み、十影一族を憎み続けた律子。そしてそのどちらでもなく、事件に納得せず調べ続けた佐美代。まさに三者三様。一つの事件に対し互いにまったく違う態度を持った三人が、この学校に一堂に会していたことになる。
「じゃあ、まさか和光さんの動機って……」
「友人である七里蘭奈の復讐。その場合、彼女の復讐対象は事件の犯人以外考えられない。つまり、黒宮百合奈は今日の事件では確かに正当防衛かもしれないけど、過去の事件では立派な殺人犯だった可能性が浮上する」
その言葉を発した瞬間、『怒り』という金津麟五という少女にもっとも不釣合いな感情が彼女の体からオーラとなって吹き出ているのを、十影ははっきりと見て取っていた。
「今回の事件だけではなくて、過去の事件まで私のせいにするつもりですの。いくらなんでも発想の飛躍が過ぎるのではなくて? それに、警察も何の根拠もなしに犯人を指摘したわけではないでしょう。当然、その七里蘭奈という子が犯人であると確定するだけの根拠があったはずですわね。それを覆せますの?」
百合奈の言葉に、麟五は新庄の方を見やった。新庄は軽く咳払いして答える。
「我々が、彼女が犯人であると結論付けた根拠はいくつかある。被害者の十影英太郎が殺された時間帯に七里蘭奈が現場周辺を歩いているのを目撃されている事。次に、遺体周辺にはローファーと思しき靴跡があって、その靴跡の一つが彼女の自殺後に回収された彼女のローファーと一致した事。さらに、被害者の服には突き飛ばされた際についたと思われる手形が残っていて、その手形の指紋が七里蘭奈のものと一致した事だ。そこに彼女の自殺と、彼女の残した直筆の遺書が重なって、我々は最終的に彼女が犯人であると断定するに至った」
「目撃者がいた以上、彼女が現場にいたのは間違いない。問題は、彼女の事件への関与方法」
麟五は推理を続行する。
「まず、十影英太郎が七里蘭奈を襲って返り討ちにあったという考えそのものをが違うとすると、最初に出てくる問題は『なぜ十影英太郎が殺されたのか』という点になる」
ここで、麟五は亜由美を見やった。
「黒宮百合奈が不良であった事は彼女の告白でわかっている。では、その具体的な内容は?」
「調べてあるわ。補導にまではいっていないけど色々やってたみたいね。同級生への恐喝や暴行。あとこれは噂に過ぎないけど、いわゆる親父狩りをやってた疑惑もあったらしいわ」
その言葉に、新庄がハッとしたような表情になった。対照的に、百合奈の表情が硬くなる。
「おい、まさか十影英太郎が殺された理由は……」
「十影英太郎が暴行行為に及んだ返り討ち……ではなく、親父狩りの被害に遭ったから。そして、その親父狩りを実行したのが、当時荒れていた黒宮百合奈。そう考えると辻褄が合う」
百合奈は反論しなかった。それが、逆に麟五の言葉の信憑性を高いものにしていた。
「そして、先程の話から、七里蘭奈はかつて黒宮百合奈に恐喝を受けていた事があった。例えば、たまたま現場を通りかかって事件を目撃してしまった彼女を逆に脅して、自分の代わりに犯人に仕立て上げてしまう事も、彼女の立場ならばできた事になる」
「よくも……想像だけでそこまで言えますわね」
百合奈が硬い表情のまま麟五の言葉を否定する。想像。確かにそうであろう。だが、亜由美の報告は今なされたばかりのはずだ。となると、麟五は今もたらされたばかりの情報を瞬時に構築して、理論的に齟齬のない推理を展開している事となる。もはやそれは推理力があるというよりも、一種の神がかりに近いものと捉えてもいいかもしれない。
「だが、今回の事件の犯人と被害者が、それぞれ七里蘭奈という二年前の事件の関係者とつながっていたのは事実だ。これを偶然と思うほど、我々警察は甘くないぞ」
新庄が麟五を後押しするような言葉を発する。
「つまり、手形も靴跡も、事件の罪を七里蘭奈にかぶせるためにあなたが彼女を脅迫してわざとつけさせたものだとすれば何の問題にもならなくなる。そして、あなたは罪を逃れるために偽の真実を作り出した」
「それが、十影英太郎が七里蘭奈を襲って、返り討ちに遭ったという筋書きか」
新庄が呟き、十影は拳を握り締める。もしそれが本当なら、遺族として許せるものではない。
「おそらく、最初は偽の証拠で誘導された警察に捕まった七里蘭奈にこの偽のストーリーを語らせるつもりだった。自白している人間が語るストーリーだから、警察も無条件で信じるはず」
「納得できないわ。蘭奈は何でそんな身勝手な要求に応じたの!」
律子の言葉に、麟五はこう答えた。
「応じざるを得ない。相手は人をすでに一人殺している人間で、しかもかつて自分を恐喝した相手。断れば自分が殺されるという恐怖があったはず。仮に逮捕されても、未成年で十影英太郎に襲われての反撃というストーリーが通れば罪にならない可能性さえある。どちらを取るかといわれれば、まず黒宮百合奈の要求を呑む」
「でも、蘭奈は自殺した」
涙ぐみながら必死に言葉をつなげる律子に、麟五も真剣に答える。
「良心の呵責に耐え切れなかったんだと思う。だから、遺書という形で黒宮百合奈の命令を果たして、その代償に自ら命を絶った」
誰も彼もが何も言えないでいた。無茶苦茶な話だ。だが、筋は間違いなく通っている。
「以上が、今までの情報から私の考える二年前の事件の真実。異論は?」
麟五の言葉に、百合奈は押し殺した声で反論した。
「証拠がありませんわ。今の推理は、全部私がその十影英太郎を殺した事が前提になっています。私が十影英太郎を殺した直接的な証拠はどこにありますの? それがない限り、私は絶対に認めませんわ」
そして、彼女は手を広げて皆に呼びかける。
「皆さんはどう思われますの? こんな荒唐無稽な推理を信じられますの?」
その言葉に、容疑者の生徒たちは気まずそうに目をそらした。無理もない話だ。特に、遠藤や律子は、意地でも信じないという風に顔をうつむかせてしまっている。
「御覧なさい。誰もあなたの推理なんか信じていませんわ。あなたの推理は的外れですのよ」
麟五は黙った。表情に変化はない。だが、その手が小さく握り締められているのを、十影は見逃さなかった。その瞬間、十影の言葉は決まった。
「……俺は信じるぞ」
十影は一歩前に出る。それを見て、誰もが驚いたような表情をした。
「こいつは、前の盗難事件で俺を信じてくれた。だから、今度は俺が信じる番だ」
その言葉に、反応したのは他ならぬ麟五だった。
「……理解できない。なぜ私を信じるの。どんな理論で?」
「そんなものはない。ただ、直感的にお前の言葉が正しいと思った。それで充分だ」
そう言われて、麟五は押し黙った。それを見て、別の影が麟五の横に立つ。
「私も信じるよ。だって、私が認めた麟五ちゃんの答えだもの」
早苗だった。チラリと麟五を見ると、すぐに百合奈の方を見て続ける。
「それに、友達の言うことを信じないなんで、それこそ友達失格だしね」
ミス研の三人は、目の前に立ちふさがる百合奈を見やった。
「仲がよろしいですわね。でも、それは話が別。私を追い詰めたいなら、証拠をお出しなさい」
その言葉に、麟五は一瞬自分を挟む二人を見てジッと考えたが、やがて決然とこう言った。
「わかった」
その言葉に、百合奈の動きがピタリと止まる。が、麟五は最後の推理を開始し始めた。
「そもそも、なぜ和光佐美代は警察ですらつかめていなかった二年前の事件の真相に気づいたのか。いくら調べていたとはいえ、つい最近まで中学生だった人間。それこそ事件に深く関係していた人間に教わらない限り、まずたどり着けない。そして、真実を知るのは、事件の被害者、犯人、それに目撃者だけ。被害者は死んでいるし、犯人のあなたが教えるはずもない。となると、残るは目撃者のみ。よって、和光佐美代は目撃者から事件の話を聞いたと思われる」
「でも、その目撃者……七里蘭奈さんは亡くなっていますよ」
愛子が遠慮がちに言った。百合奈は笑みを歪めながら、
「残念でしたわね。唯一の目撃者も死んでいる以上、真相を知る人間なんて……」
「本当に、目撃者は一人だけなのか」
鶴の一声だった。百合奈の歪んだ笑みが瞬時に固まる。
「目撃者が一人とは限らない。別の目撃者がいて、和光佐美代がその第二の目撃者にたどり着いた可能性がある。ならば話は簡単。その目撃者を見つけ出せば、あなたの犯行を立証できる」
「そんな……いるわけがありませんわ」
そう言いながらも、百合奈の唇は大きく震えていた。だが、麟五はさらに爆弾発言を続ける。
「いる。しかも、この事件の関係者……つまり、この中に」
その言葉が発せられた瞬間、その場が再び緊張に包まれた。だが、麟五は言葉を止めない。
「この一連の事件で黒宮百合奈と和光佐美代以外に明らかにおかしな行動をとっていた人間」
そう言うと、麟五は何の前触れもなく、百合奈とは別の一人を指差した。
「あなたこそが、和光佐美代に真実を教えた、二年前の事件の第二の目撃者」
その人物は、いきなりの指名に肩を大きく震わせる。その一方で、十影は瞬間的に何が起こったのかわからなくなった。
あれだけ予想外の話の連続だったにもかかわらず、今度の出来事は、あまりにも十影の理解を超えていた。その人物は、一番ありえない……十影にとってはあってはならない人物だったのだ。そしてそんな十影の様子を知りながら、麟五は無情にもその名を告げる。今まで傍観者として、一切会話に参加していなかったその人物の名を。
「大西洋君」
あの事件の後、十影が唯一心を許してきた相手……事件に押しつぶされそうになっていた十影を支え続けた人物……事件から最も遠い位置にいると思われていた大西洋は、ただ唇を噛み締めて、普段ののんびりさが嘘のような悲壮な表情で麟五の指からそっと顔を背けた。
「嘘だ……」
指摘から数十秒後、呟いたのは十影だった。十影だけではない。「大赤鬼トリオ」の残り二人……赤島と紗枝子も唖然とした表情で大西を見つめていた。
「十影君には悪いけど、第二の目撃者は間違いなく大西君」
「馬鹿げてる。こいつは……大西はあの事件のとき、唯一俺の味方で……」
「それがすでにおかしい」
麟五の言葉は容赦ない。
「あの時、マスコミは過熱報道で十影君の家族を糾弾し、十影君には誰も味方がいなかった。はっきり言うけど、その状況下であなたの味方をする人間はまずいない。美談とかそれ以前に、味方できない。にもかかわらず、十影君の話では大西君はあなたを信じ続けた」
麟五が十影を見据える。前髪の下から突き刺さる視線に、十影は思わず彼女から視線を外す。
「ひどい言い方になるかもしれないけど、日本国民全員が十影家を非難していたあの状況下で、大西君があなたに味方をしたのは、単に友情だけが要因とは思えない。考えられる要因は一つ。大西君が、あの事件で本当は何が起こったのかを……つまり、十影英太郎が七里蘭奈を襲ったのではなく、黒宮百合奈が一方的に十影英太郎を殺したことを知っていたから。だからこそ、大西君はあなたへの批判が間違っている事を理解できた」
十影は思わず大西の方を見やった。麟五の言葉を否定してほしかった。だが、大西は目をそらすだけで何も答えない。いつもののんびりとした言葉を発しない。
「お、おい、大西。本当なのか?」
「大西君……何か言ってよ……」
赤島と紗枝子も動揺して聞くが、大西は沈黙を崩さない。その瞬間、麟五は十影を見た。
「あなたは私の事を信じてくれた。だから、私もあなたを信じる。感情に流されないで」
その言葉に、十影は思わず手を握り締めた。彼女の理論は完璧に正しい。認めたくないし、信じたくないが、麟五もそう思われるのを覚悟してこの推理を話しているはずだ。ここで麟五の推理を否定すれば、その瞬間に麟五の今までの推理は根底から崩れ去ってしまう。そのリスクを犯して、理屈も何もなしに彼女は十影に自分の推理を信用してくれるよう求めていた。
そう考えた瞬間、十影は覚悟を決めた。麟五が初めて見せてくれた心からの信頼を、ここで裏切ることなどできない。たとえ、それが今まで唯一信頼してきた相手を否定するとしても。
「……あぁ、わかってる。残念だけど、お前はどこまでも正しいよ。だから……俺はお前をどこまでも信じる。それが、どんなにつらい事でもな」
その瞬間、大西は大きく目を見開いた。十影は目を伏せ、赤島は麟五に突っかかる。
「ふざけんな! 何か証拠があるのか? 大西が和光に二年前の事件の事を教えたっていう」
「少なくとも、今日、何か事件が起こる事を知っていたのは間違いない」
「嘘だ!」
「なら、どうして彼は今、ここにいるの?」
その言葉に、十影は思わず声を上げそうになった。赤島は口ごもる。
「それは……」
「階段に陣取っていたから。そうなったのは、彼が鬼天さんを迎えに行こうと言ったからこそ。彼は何か事件が起こる事を知っていた。でも、彼自身もそれをよしとしていなかった。自分が直接言うわけにはいかない。でも、事件が迷宮入りすることだけは断じてあってはならない。だからこそ彼は階段に陣取った。四階を密室化して、その事件の容疑者を限定させるために」
もう誰も反論できない。十影も赤島も、黙って大西を見つめる。
「事件のすべてはあなたの告白にかかっている。あとは、あなた次第」
その言葉を最後に、麟五は押し黙ると大西の方を見やった。
永遠とも思える時間が過ぎる。実際は五分程度に過ぎなかったのだろう。が、十影にとっては地獄のような時間だった。そして、その瞬間は唐突に訪れた。
「……ごめん、十影君」
その言葉に、十影の思考が凍りついた。
「大西、お前……」
「許してほしい……なんて言えないよね。君の事を支えるふりをしながら、本当は君を苦しめている張本人だったわけだから」
大西は疲れたように言うと、いつもの穏やか笑みではなく、どこか自嘲気味に笑った。
「金津さんの言う通りだよ。僕は確かに、二年前に事件を目撃して……和光さんに、その事を話したんだ」
その言葉に、百合奈が呆然とした様子で床に崩れ落ちた。彼女も、まさか目撃者がもう一人いるなど想像していなかったのだろう。
「私の推理は当たっていたの?」
「不気味なほどにね。まるで最初から事件を見ていたみたいだよ」
「ということは、やっぱり十影英太郎は……」
新庄の問いに、大西は気まずそうに頷いた。
「殺されたんです。そこの黒宮さんに。僕はそれを、はっきり証言できます」
その一言で、百合奈はガクリと肩を落とした。決定的な証拠。それ以外の何物でもない証言である。もはや、彼女に反論する余地など残されていなかった。
「一応聞いておく。反論は?」
「……殺すつもりなんて……」
不意に、百合奈は小さく声を漏らすと、次の瞬間、顔を上げて絶叫した。
「二年前も今日も、誰も殺すつもりなんて、ありませんでしたわ!」
それを見て、十影はこの長かった勝負が本当に終わった事を知った。
黒宮百合奈が荒れ始めたのは、中学一年生の頃だった。百合奈の両親は共に大企業の重役で、金銭的な不自由はなかったが、その分彼女は親の愛情をほとんど受けないまま育った。結果、それは親への反発へとつながり、中学に入ってしばらくすると本格的に荒れ始めたのだった。
たちが悪いことに彼女は学校の成績はトップクラスに近く、彼女の通っていたのが進学系の私立中学だったこともあって、学校側は彼女が荒れている事実をもみ消した。それが彼女の非行にますます拍車をかけ、ついに取り返しのつかない事態になってしまうのである。
二年前、すなわち、彼女が中学三年生の頃。彼女は今までやっていた同級生などへの恐喝などから、いわゆる親父狩りを繰り返すようになっていた。狙いは裕福そうな格好をした中年男性。もちろん、それが自分を放任した父親たちへのあてつけなのは明白だった。大抵の標的は少し脅せばすぐに怯えて金を出し、百合奈もそれに快感を覚えていた。
だが、その日杉並区の児童公園で襲撃したその男性は、今までの標的とは様子が違った。突然百合奈に捕まって脅されながら、毅然とした態度で反論してきたのだ。
「楽しいかね。こんな馬鹿な事をして、それで何か変わると思っているのかね? 何もかも人のせいにして、自分で何かをしたことがあったのかね?」
その一言で、百合奈の中の何かが切れた。自分の心をピンポイントで突かれた気分だった。
「黙れぇ!」
ほとんど条件反射だった。気がついたとき、その男性は地面に仰向けに転がり、その後頭部から血が地面に流れ出していた。自分が何をしたのかわからず、思わず間抜けな声を上げる。だが、その男がもはや生きていないのは明白だった。
「ヒッ!」
そのとき後ろから息を呑む声が聞こえた。振り返ると、そこには見知った顔の人物がいた。
「あんたは……」
その少女は、かつて自分か恐喝した二年生の女子生徒だった。どうやら見られてしまったらしい。百合奈は一瞬通報されるのを覚悟した。
だが、その少女は怯えるだけで通報する様子もない。考えてみれば、目の前にいるのは今まさに人を殺した殺人犯で、しかもその殺人犯はかつて自分を恐喝した相手なのだ。通報する以前の話として体が動かないのだろう。
そして、不幸な事に黒宮百合奈は決して頭の悪い犯罪者ではなかった。その瞬間、百合奈の頭にある計画が思い浮かんだのだった……。
「彼女脅して無理やりに罪を着せる計画を立てました。彼女は私と違って当時誕生日前の十三歳。刑法適用年齢以前で、しかも原因が暴行への反撃と認められれば、うまくいけば罪にならない可能性もあると言い含めたのですわ。まさか……まさか自殺するなんて!」
百合奈は泣き崩れた。十影はその身勝手な理論に静かに怒りをあらわにする。
「いくら罪にならなくても、彼女には人を殺したというレッテルが一生ついて回る。それ以前に、何の罪もない……いや、むしろあんたを諭そうとした俺の伯父は悪者扱いだ。あんた、自分が罪を逃れるために、何人の人生を無茶苦茶にしたと思ってるんだ!」
百合奈はうなだれたまま答えない。その姿は、先程まで麟五の前に立ちふさがっていた冷徹な犯罪者のそれではなく、ただの哀れな一人の少女に過ぎなかった。
「しかも、完璧に隠し通せたと思っていた自分の罪を、暴こうとする人間が現れた。それが和光佐美代。彼女は大西君から事件の真相を聞き、自分の友人を死に追いやったあなたを狙った」
「言った通り、彼女に関しては本当に正当防衛ですわ。休憩が始まってすぐ、例の事件の事で話があると言われて、部屋に行ったら問答無用で襲われて……」
「反撃して紙の束で殺害した。でも、紙を持っていったという事は、何かあるかもしれないと少しは考えていたはず。だとすれば、未必の故意が成立する可能性もある」
麟五の言葉に、百合奈はうつむいた。一方、十影は麟五の言葉の意味がわからず戸惑う。
「未必の故意ってなんだ?」
「明確に殺意を持たずとも、死ぬかもしれない程度の曖昧な考えで人を殺した場合にも殺人罪が適用されるという刑法学の考え方。この場合、彼女が自分に復讐するかもしれないと考え、それに対抗するためにあの紙の束を持っていったとすれば、それはその紙の束を凶器として使うかもしれないという未必の故意があった事になる。もっとも、この辺は私が何を言ったところで、これから開かれる彼女の法廷での判断になると思う」
その言葉に、百合奈は小さく肩を震わせた。
「……大西、お前はいつ、和光のやつに事件の話をしたんだ?」
十影は質問の矛先を変えた。大西は十影から目をそらしながら答える。
「ゴールデンウィークの直前だよ。彼女、最初から僕に目をつけていたみたいで、あの日の夜、夜の学校に呼び出されたんだ。そこで脅されて、すべて話した」
「何でお前が目をつけられたんだ?」
その問いに対し、大西は思わぬ事実を告げた。
「その七里さんと僕、実は同じ塾だったんだよ。あの事件は、塾帰りで一緒に帰っていた僕と七里さんが、公園の前で別れた直後に起こったんだ」
その言葉に、同じ塾出身の赤島と紗枝子が顔を見合わせる。彼も初耳のようだ。
「知らないのも無理ないよ。事件が起きたのは二人が塾に入る前の話だから。別れてすぐに公園で物音がして、何だろうと思って見に行ったら、黒宮さんが人を殺す場面を見てしまって」
「黒宮を知っていたのか?」
「うん。実は、僕も昔彼女の恐喝の被害に遭った事があるんだ。名乗らないまますぐにお金を渡して逃げたから、彼女が知らないのも当然だけどね。とにかく、物陰から固唾を呑んで見ていたら、別れたばかりの七里さんがよりによって黒宮さんの後ろにいて……僕は、怖くて何もできなかった。かつて恐喝を受けた事と、目の前で人を殺した黒宮さんの姿に恐怖を覚えてね。七里さんを助ける事も、事件の後に真実を言う事も、僕は何もできなかったんだ」
重苦しい表情で大西は告白する。
「でも、和光さんはそんな塾での僕と七里さんのつながりをつかんだ。事件後、七里さんの事なんかいなかったかのように振舞う僕に彼女は疑問を覚えたらしい。僕は事件の後、当時志望していた高校に行く気が起こらなくなった。そこは七里さんも志望していたんだ。彼女を見捨てて自分だけ生き残った僕が行く資格はないと思った。だから、この高校に来たんだ。でも、僕を疑っていた和光さんは、僕をさらに調べるために自らこの学校への入学を決めた」
大西は自嘲気味に笑う。
「この事を話したら、和光さんは案の定怒ったよ。僕は平手で叩かれた。そして、彼女はその場で黒宮さんへの復讐を宣言した。何をするにしても、僕は止めないといけないと思った」
「だから、階段に陣取ったのか」
「でも、結局僕は何もできなかった。二年前と同じ。十影君、僕は君以上に臆病で、情けない人間なんだよ。本当は、君を支えるなんて胸を張って言えるような人間じゃないんだ」
そう言うと、大西は新庄の前へと出た。
「すべて話します。それで僕がどんな批判を浴びても……全部僕の自業自得です」
「いいのか?」
「本来、僕が今まで十影君の代わりに受けてこないといけなかった批判です。当然の罰です」
そう言うと、大西は十影たちに背を向け、刑事に連れられて部屋を出て行った。同時に、新庄が百合奈の元へ近づく。
「黒宮百合奈。今回の和光佐美代殺害、及び二年前の十影英太郎殺害に関して話を聞きたい。現段階では手錠はかけないが、おそらくすぐにでも逮捕状が出るだろう。文句はないね?」
百合奈は無言で頷くと、疲れたように立ち上がった。新庄は黙って百合奈の背中に手を当て、そのまま会議室の入口へと向かう。そして、出る前に一度立ち止まり、麟五に向かって告げる。
「……今回は助かった。礼は近いうちに必ず」
麟五は無言のままだった。新庄は肩をすくめると、百合奈と共に今度こそ部屋を後にした。
事件は終わった。部屋には残りのメンバーが残された。
「黒宮君……そんな……」
生徒会長の遠藤は茫然自失のままうわ言を繰り返している。どうも、この中で一番ショックを受けているのは彼だったようだ。だが、他の人間も誰も言葉を発することができず、何ともいえない空気が漂っている。
そんな中、十影は麟五が何か呟くのを見て取っていた。
「これで……やっとかたきが……」
その意味を理解する間もなく、残った刑事からその場にいる全員にも改めて事後処理的な事情聴取をする旨が伝えられ、その場は強制的に散開となった。
こうして、十影のみならずミス研として始めての活動となったこの事件は、十影の過去の呪縛をすべて覆すという衝撃的な結末をもって、静かに幕を閉じたのである。