何も起きないのが私の成果でした――「役立たず」と解雇された宮廷魔術師の話
「君には、今日限りで宮廷魔術師団を辞めてもらう」
「……はい?」
突然告げられた言葉に、私は目を瞬いた。
目の前には宮廷魔術師団長、バルガス様。
その隣には副団長と、人事担当の文官まで座っている。
どうやら冗談ではないらしい。
「理由を伺っても?」
「成果不足だ」
バルガス様は、机の上の書類を指で叩いた。
「今年度、君が討伐した魔物はゼロ。新規魔術の開発もゼロ。遠征への参加もゼロ。研究論文も一本も提出していない」
「それは、私が王城設備の管理担当だからですが」
「それだよ」
バルガス様はため息をついた。
「毎日毎日、結界の点検だの、魔力炉の調整だの、魔道具の整備だの。そんなものは成果とは呼べん」
「はあ」
「他の魔術師を見てみろ。討伐任務で成果を上げ、新しい術式を研究し、国王陛下から直接お褒めの言葉をいただいた者までいる。それに比べて君は何をした?」
「王城の設備を維持していました」
「だから、それは誰でもできる雑用だろう!」
なるほど。
そういう評価だったらしい。
私は宮廷魔術師になって八年になる。
最初の二年ほどは、普通に研究や討伐にも参加していた。
ところがある日、先輩から王城の魔術設備の点検を頼まれた。
そこから一つ、また一つと担当が増えた。
外壁結界。
侵入検知術式。
地下魔力炉。
城内照明。
給水用魔道具。
厨房の保冷庫。
緊急時の通信術式。
気づけば六年間、ほぼ一人で面倒を見るようになっていた。
「分かりました」
私は席を立った。
「では、本日をもって退職いたします」
「ずいぶん素直だな」
「解雇なのでしょう?」
「ああ。ただし、君も長年勤めた身だ。退職金は規定通り支給する」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
それから、念のため尋ねる。
「引き継ぎはどうしましょう?」
「必要ない」
「必要ない?」
「雑務の引き継ぎに、優秀な魔術師の時間を使わせるつもりか?」
「……なるほど」
それなら仕方がない。
「分かりました。お世話になりました」
私はその日のうちに私物をまとめ、王城を出た。
八年間通った職場だった。
もっと寂しくなるかと思っていたけれど、不思議とそんなことはなかった。
むしろ。
「明日から点検しなくていいのか……」
そう思った瞬間、肩が軽くなった。
六年ぶりに、何の予定もない朝を迎えられる。
◇
翌朝。
私は昼近くまで寝ていた。
「……幸せ」
誰にも起こされない。
魔力炉の異常警報も鳴らない。
結界の出力低下を知らせる通信も来ない。
こんなに静かな朝はいつ以来だろう。
ところが昼食を食べていると、宿屋の主人が声をかけてきた。
「お客さん、魔術師なのかい?」
「一応」
「だったら、これ直せないか?」
見せられたのは、壊れた保冷庫だった。
「ああ、魔力循環弁が詰まっていますね」
「分かるのか?」
「王城で同型を使っていましたから」
十分ほどで修理した。
主人は大喜びして、宿代を三日分無料にしてくれた。
翌日には給湯器。
さらに翌日には照明用魔道具。
気づけば宿屋だけでなく、近所の店からも修理を頼まれるようになった。
「変ですね」
王城では誰でもできる雑用だったはずなのに。
町ではずいぶん喜ばれる。
そんな生活を始めて五日目。
宿屋に、一人の男が訪ねてきた。
「あなたがリナ・フェルマー殿ですか?」
「そうですが」
男は胸元から銀色の徽章を取り出した。
王国最大の商業組合――銀翼商会の紋章だった。
「私は銀翼商会で魔道具部門を預かっているハインツと申します。ぜひ、あなたを当商会で雇用したい」
「私を?」
「王城の魔術設備を六年間、一人で管理していたと伺いました」
どこから聞いたのだろう。
「ですが、私は新しい魔術を開発したり、強い魔物を倒したりはできませんよ」
「必要ありません」
即答された。
「我々が欲しいのは、壊れないように管理できる人間です」
私は思わず黙った。
ハインツさんは続ける。
「商会には倉庫が十二棟、工房が五棟、店舗が三十一あります。そのすべてで魔道具を使用しています。しかし優秀な魔術師ほど、新しい魔道具を作りたがる」
「ああ……」
分かる。
「誰も点検したがらないんですよ」
「分かります」
「壊れてから修理するので、毎年とんでもない損失が出る。そこで設備管理の専門部署を作ることになりました」
提示された給料は、宮廷魔術師時代の一・五倍。
しかも夜間の緊急対応は交代制。
休日もある。
「働きます」
私は即答した。
◇
銀翼商会で働き始めて十日ほど経ったころ。
王城では、少し困ったことが起きていたらしい。
最初に壊れたのは厨房の保冷庫だった。
「修理できる者はいないのか!」
「できますが、私は魔物討伐の準備があります」
「俺は氷結魔術が専門だ。魔道具は分からん」
「製造元を呼べばいいでしょう」
結局、製造元から技師を呼ぶことになった。
到着まで三日。
その間に保存していた食材の一部が駄目になった。
翌日には給水設備が止まった。
こちらは火炎魔術を専門とする魔術師が修理を試み、なぜか二階の浴室まで水が出なくなった。
その翌日には北棟の照明が消えた。
さらに三日後。
侵入検知術式が誤作動し、真夜中に警報が鳴り響いた。
王城中の兵士が叩き起こされたという。
誰かが一つ直している間に、別の何かが壊れる。
しかも故障するたびに担当者が違う。
設備の記録がどこにあるのか。
交換部品がどこに保管されているのか。
そもそも、どの設備をどの頻度で点検すればいいのか。
誰も知らなかった。
そして決定打は、私が辞めて二週間後だった。
「リナさん!」
銀翼商会で仕事をしていると、受付の女性が飛び込んできた。
「王城から使者です!」
「王城?」
応接室へ向かうと、見覚えのある人物がいた。
副団長だった。
「リナ!」
「お久しぶりです」
「頼む! 一度王城へ戻ってくれ!」
「嫌です」
用件を聞く前に断った。
「待ってくれ! せめて話を聞け!」
「では、お話だけ」
副団長によれば、王城の魔術設備はあちこちで不具合を起こしているらしい。
まあ、そうなるだろう。
「なぜこんなことになった!?」
「点検していないからでは?」
「点検しないだけで、二週間でこんなに壊れるものなのか!?」
「壊れませんよ」
「ではなぜ!」
「壊れかけていたからです」
私は答えた。
「王城の魔術設備は古いものが多いです。交換予算もなかなか下りませんでしたので、出力を調整したり、部品を入れ替えたりして延命していました」
「聞いていないぞ!」
「報告書は毎月提出していました」
副団長が固まった。
「……報告書?」
「はい」
「どこに?」
「魔術師団長室です」
おそらく読まれていなかったのだろう。
「特に外壁結界は、三年前から限界です。毎朝出力を調整しないと安定しません」
「待て」
副団長の顔色が変わった。
「毎朝?」
「はい」
「誰が?」
「私が」
「休暇の日は?」
「遠隔で」
「夜間は?」
「異常があれば呼び出されていました」
「……六年間?」
「だいたい」
副団長は頭を抱えた。
「では、君が辞めた翌日から……誰が外壁結界を調整している?」
「さあ?」
「さあって!」
「引き継ぎは必要ないと言われましたので」
副団長が黙った。
しばらくして、小さな声で尋ねてきた。
「……他には?」
「何がです?」
「君が毎日やっていたことだ」
「全部お話しすると長いですよ」
「どれくらいだ?」
「点検項目だけで百八十七あります」
「百……」
「日次、週次、月次で分かれていますけど」
副団長は額を押さえた。
知らなかったらしい。
「と、とにかく戻ってくれ。待遇は見直す。給料も上げる」
「申し訳ありません」
私は首を振った。
「もう銀翼商会に雇っていただきましたので」
「倍出す!」
少しだけ心が動いた。
しかし。
「夜間対応は?」
「当然ある!」
「休日は?」
「設備に異常があれば出てもらう!」
「では結構です」
「なぜだ!?」
なぜと言われても。
「今の職場、休めるので」
副団長は絶句した。
◇
それから一か月後。
王城の外壁結界が完全に停止した。
幸い魔物の襲撃などはなかったが、王城の防衛機能が失われたことは大問題になった。
国王直属の調査官が入り、私が六年間提出し続けていた報告書も発見された。
そこには設備の劣化状況、必要な交換部品、修繕の優先順位、将来の故障予測まで全部書いてあった。
ついでに、何度も人員増強を求めていた記録まで残っていた。
さらに調査の結果、私が一人で担当していた業務を正常に回すには、最低でも魔術師四人と補助員二人が必要だと判明した。
六人分。
それを私は一人でやっていたらしい。
自分では考えたこともなかった。
結果。
バルガス様は魔術師団長を解任された。
理由は「重要設備の管理体制を把握せず、必要な報告を放置した上、唯一の管理担当者を引き継ぎなしで解雇したため」。
私に戻ってきてほしいという話も、何度か来た。
全部断った。
「リナさん、東倉庫の点検記録です」
「ありがとうございます。三番保冷庫の魔力消費が増えていますね。明日見に行きましょう」
「故障ですか?」
「まだ故障していません」
「では、急がなくても?」
「故障してからでは遅いでしょう?」
「あ……そうですね」
銀翼商会では、私の作った点検表が全施設に導入された。
設備管理部門も正式な部署になった。
故障件数は半年で半分以下。
修理費も大幅に減った。
その功績で、私は設備管理部門の責任者になった。
部下も六人できた。
今日も特別なことはしていない。
魔物を倒していない。
新しい魔術も作っていない。
ただ、壊れる前に点検する。
異常があれば直す。
必要なら交換する。
それだけだ。
以前は、それを「成果を出していない」と言われた。
今は違う。
「今月も大きな故障はゼロです!」
部下の報告に、私は笑った。
「それは素晴らしい成果ですね」
何も起きない。
それこそが、私たちの仕事の成果なのだから。




