「君を愛することはない」にはご注意を
お目汚しに、何のひねりもない、あっさり読める短編です。
「―――君を愛することはない、」
このセリフ、どのタイミングで使うのが正解かしら?
初夜?披露宴?結婚式の誓いの口づけの前?
そもそもソレ伝える必要あるのかしら?
たった今、初夜を迎えるタイミングで目の前の本日夫(仮)となった男が言ったのだけど、だから何?
だいたい自分は愛される前提のセリフでしょう?お互い愛さないのだったら意味ないですもの。
何気に図々しいですわよねぇ。
そして何か続きを言いたそうにしながら突っ立っていますけど。
わたくし、コレに返事しなければいけないの?本っ当っに図々しいですわねぇ。
「⋯⋯さようですか。では離縁ということでよろしい?まさか白い結婚をお望みなのですか?」
「なっ!?そ、それは」
もう淑女の姿勢も微笑みも吹っ飛びましたわー。夫(仮)に盛大なため息を吐いてやりました。
「時間の無駄ですから、離縁でよろしいですわよね?」
近くにあった呼び鈴を鳴らすと、直ぐにノックの後に執事の「お呼びでしょうか?」と声がかかります。
夫(仮)が目だけでなく口も開けて、わたくしを見詰めていますが、構うことなく「入って」と告げました。
我に返った夫(仮)が慌てて「いや、待てっ」とか何とか言っていますが、執事と侍女二名が入室した後ですし。
さすが我が伯爵家の使用人は仕事が早いですわ〜。
「こんな夜(結婚式及び披露宴の後)ですもの。お父様もお母様もまだお休みではないわよね?
至急ご相談したいことがあると伝えてもらえるかしら?」
ただならぬ雰囲気を感じ取った執事が「⋯かしこまりました」と礼をもって退室する際、侍女に目配せして指示を出したようです。
着替えを促され、わたくしも侍女と隣の私室に向かおうと歩き出したところで、夫(仮)が喚き出しました。
「待ってくれ!何を言ってるんだ!!」
あー、うるさい。
「⋯貴方もお着替えされた方がよろしいですわよ。
お話は後ほど、両親とうかがいますので。」
わたくし達は、The 初夜という出で立ちですもの。とても両親の前には出られません。
執事が手配したのでしょう。夫(仮)の従者が慌てて駆け付けました。
何やら言い合っていますが、そちらの準備はそちらで。頼みましたわよ。
真夜中の応接室で、苦虫を噛み潰したかのような両親と、今日神の御前で愛を誓った新婚夫婦が冷気を漂わせながら、一人掛けのソファーにそれぞれ座りました。
「⋯⋯それで、先ずは話を聞こうか。」
父の伯爵が口火を切ったところで、娘のわたくしが事の次第を説明します。
「先ほど、わたくしのお婿様(仮)から『君を愛することはない』と、お話しいただきましたの。どうやらこの婚姻はご不満のようですので、早々に離縁をした方がお互いのためだと思いまして――」
「待ってくださいっ!私は離縁したいなどと言ってはいません!」
ちょっと、まだわたくしの話が終わっていないというのに、夫(仮)が言葉を被せてきましたわ。
「あら。では、やはり白い結婚をご希望ですの?でも、それですと後継問題が生じますもの。ここは後顧の憂いなく、離縁の方がスッキリしますわ。」
わたくしが淑女の嗜みとばかりに微笑んで見せましたら、夫(仮)が信じられないと言わんばかりに顔色を無くしつつ
「き、君、君は、わ、私と離縁したいのか?!」
なーんて言ってきました。
「ま、どの口がおっしゃっているのかしら。
わたくしを愛することはないとおっしゃったのは貴方ではないですか。
ですから、この結婚を無かったことにするのが最善でございましょう?」
何か間違っています?と、こてんと首を横に傾けました。
夫(仮)と話していても埒が明きませんので、ここは伯爵家当主の父に委ねようと思います。
「お父様はどう思われますか?」
深く深く息を吐きながら、父は夫(仮)に問いかけました。
「君は実のところ娘の何が気に入らずにそのような発言をしたのかい?⋯まあ、確かに気は強いがね⋯」
お父様、語尾が小さくなっていましたけど、わたくしが何か?
「気に入らないなどと!そのようなことを思ったことはありません!私は、私はその、彼女のことを婚約当時から、こ、好ましいと、ずっと思っております⋯」
こちらも語尾が尻窄みになっていますが。それよりも。
「は?」
気の抜けた声は果たして誰のものだったか。
沈黙が場を支配したのち、母が待機していた侍女にお茶の用意を指示しました。
夜中という時間を考慮してか、緊張した空気を和ますためか、紅茶ではなくハーブティーが各々の前に供され、優しい香りと温かな湯気が、我知らず昂ぶっていた気持ちを落ち着かせてくれます。
うーん、わたくしも冷静さを欠いていたのですね。淑女にあるまじき失態でした。
だとしても、あの「君を愛することはない」というセリフはどうかと思うのです。
心の中で思うことは仕方のないことです。それを、あえて口にする意味は何でしょう?
相手に知らしめて、相手が傷つく顔を見たいという嗜虐心を満足させるため?
やだ、悪趣味ですわねぇ。
改めて横に座る夫(仮)の顔をうかがいますと、バッチリ目が合いました。
夫(仮)の瞳が不安げに揺れています。
わたくしが盛大に「?」を飛ばしている最中に、夫(仮)が立ち上がり目の前に跪きました。
「すまなかった。君を不快にさせるつもりはなかったのだが、その、」
ちらと両親に視線を向け、直ぐにわたくしに視線を合わせます。
「⋯君の気持ちを私に向けてくれるまで、その、その、ふ、夫婦の営みを⋯待とうと言うつもりが、あのような⋯思ってもない言葉が⋯」
顔を真っ赤にしながら、わたくしの手を包み込む夫(仮)の両の手の平には、じっとりと汗が滲んでいます。
「⋯待つ、と覚悟を決めていたのに、君を大切にしたい、と心から思っていたはずなのに、あの⋯君のしどけない姿を目にした途端、自分の欲に理性が飛んでしまって⋯頭が真っ白に⋯」
うつむきながら言葉を紡ぐ夫(仮)は、耳まで真っ赤です。手汗も尋常ではありません。
「だが、私が生涯、妻として愛するのは誓って君だけだ。神だけでなく、君にも、君と私の両親の前で誓うよ。」
―――どうか信じて欲しい、と希う夫(仮)は、うつむけていた顔を上げ、わたくしの目を一心に見詰めています。
ぽかんと半開きの口の、あっけに取られて見開いた目をした自分の顔が、夫(仮)の瞳に映っています。
え?え?ナニコレ。
夫婦の寝室で「君を愛することはない」と聞かされたのに、応接室で愛を誓われているこの状況。しかも両親に見られているオマケ付き。
わたくしの顔も真っ赤に違いありません。夫(仮)の手の中の、自分の手も熱を持っています。
いやだわ、手汗が吹き出しそう!
「ぷっ、くくくっ、くくく。」
ただただ顔を真っ赤にさせながら見詰め合うしかできない、わたくし達を前に、吹き出すのを堪えて、父が肩を震わせています。
その隣に座る母も、口許を扇で隠してはいますが、扇の房飾りが小刻みに揺れています。
「⋯ふっ、はぁ⋯。
娘夫婦との語らいが、こんなに楽しいものだとは思わなかったよ。
いやぁ、これから毎日が楽しみだね。」
何とか笑いを堪えた父が、母に同意を求めています。
「そうね、結婚してからの時間は長いわ。それはもうたっぷりとあるもの。
あなた達、よく話し合いなさいな。どうやら言葉が足りていなかったようね。」
「明日はゆっくり二人で過ごすといい。
娘をよろしく頼むよ、婿殿。いや、息子殿。」
「おやすみ」と言いながら、父と母がゆったりと部屋を出ていきました。
ようやく熱と手汗が引いてきたところで、わたくしの手を握ったままの夫(確定)が、立ち上がりました。つられるようにして、わたくしもソファーから立ち上がります。
「戻ろう。」
「⋯ええ。」
廊下を歩く途中にも、何かが吹っ切れたのか謝罪と愛の言葉を垂れ流す夫(確定)に、あんなに離縁を主張していたわたくしは、成す術なく夫婦の寝室へとエスコートされたのでした。
なんだかんだと言っても、決して短くない婚約期間を経ての結婚です。
わたくしの中でも夫(確定)への気持ちは育っていたのです。好きか嫌いかと問われれば、好きに傾くくらいには。
つ、妻になる覚悟だって、ちゃんとあったのに、あのセリフ!
頭に血がのぼったとしても許されますわよねぇ。
夫(確定)にわたくしの気持ちをぶちまけると、嬉しそうに抱きしめて「ごめんね。愛してる」と、またしても謝罪と愛の言葉をセットにして囁かれたのでした。
こうして新婚初夜の離婚の危機は回避されたのですけど、わたくしは思うのです。
「君を愛することはない」
このセリフの取り扱いには、どうぞ充分にご注意を―――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




