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おデブな定食屋の娘ですが、ハイスペック騎士団長の愛が重すぎて魔族への生贄婚約が破談になりました

作者: 藤原綾瀬
掲載日:2026/06/15


王都のメインストリートは、歓声と薔薇の花びらで埋め尽くされていた。

長きにわたる北方の魔物討伐から帰還した王国騎士団の凱旋パレード。燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、騎士たちの鎧が眩しくきらめいている。


「ロセウス様ーーーッ! お帰りなさいませ!」

「こっちを向いて、ロセウス様!」


黄色い悲鳴を一身に浴びているのは、先頭を進む大柄な男――王国騎士団長にしてオルプニノン侯爵家の次男、ロセウス・オルプニノンだった。

三十五歳。短く切りそろえられた漆黒の髪に、彫刻のように深く精悍な顔立ち。磨き上げられた銀色の鎧の上からでもわかる、強靭に鍛え上げられた分厚い肉体は、まさに一騎当千の英雄そのものだ。彼は沿道の群衆へ向けて、いつも通り非の打ち所のない、礼儀正しく爽やかな微笑みを返していた。その狂騒から少し離れた路地の隙間で、ルビーはつま先立ちをしながら、そっとその姿を見つめていた。


「はぁ……やっぱり、お月様とスッポン……いや、お星様と泥団子だわ……。」


ルビーは、街で大人気の定食屋『ごちそう亭』で働く二十歳の看板娘(自称・ただの店番兼芋剥き係)である。

外見は、腰まで伸びた癖の強いブルネットヘアに、抜けるように白い肌。しかし何より特徴的なのは、その体型だった。食べるのが何よりも大好きなルビーは、丸々とした、文字通りの「おデブ」なのだ。お餅のように滑らかで弾力のある白い肌は、触れば気持ちよさそうではあるが、お世辞にも「社交界の薔薇」とは言えない。自分に全く自信がなく、いつも猫背で、目立たないように生きている。そんなルビーが、国中の女性の憧れであるロセウスに密かな恋心を抱いているのは、彼が『ごちそう亭』の常連客だからだった。


パレードのあった日の夜。

『ごちそう亭』の厨房では、ルビーの父親であるガスが、スキンヘッドの頭を光らせながら無口にフライパンを振っていた。元ギルド職員の彼は五十五歳になった今も筋肉質で、頑固一徹な職人気質だ。


「ルビー、そっちの皿、早く持ってっとくれ!」


カウンターの向こうから声を張り上げるのは、母親のアンバー。五十歳になっても明るく豪快で、ルビーと同じ癖のあるブルネットを肩で切りそろえた、これまた肉付きの良い肝っ玉母さんである。


「はーい、ただいま!」


ルビーが短い足をパタパタと動かして、山盛りのカツレツを運んでいく。その時、店の重い木製の扉がカランカランと音を立てて開いた。


「いらっしゃい……おや、団長さんじゃないの! 凱旋早々、うちの店かい?」


アンバーが声を弾ませる。

入ってきたのは、マントを外し、少し崩した私服姿のロセウスだった。その後ろには、幼馴染であり副騎士団長でもあるペンテ・ダルダスも従っている。ペンテは茶色い長髪を後ろで一つに束ねた、騎士団の中では細身のスマートな男だ。


「こんばんは、アンバーさん。ガスの料理が恋しくてね。遠征中の干し肉には辟易していたんだ。」


ロセウスは低く心地よい声で笑い、いつものカウンターの隅の席に腰を下ろした。


「ロ、ロセウス様……! お、お疲れ様でした……!」


ルビーは顔を真っ赤にしながら、お盆を胸に抱きしめて挨拶した。緊張のあまり、ただでさえ丸い体がさらに縮こまり、猫背に拍車がかかる。ロセウスはルビーを見ると、パレードの時のような「営業用の爽やかな笑み」ではなく、目元を優しく和らげた、心からの笑みを浮かべた。


「ただいま、ルビー。君の顔を見たら、長旅の疲れも吹き飛ぶよ。今日も髪が綺麗だね。」

「ひゃぅっ!? あ、ありがとうございますぅ……!」


ルビーは心臓がバクバクと音を立てるのを感じながら、大急ぎでお冷やを差し出した。


な、なんて優しいお方なの……。私みたいな、歩くお餅みたいな女にも、いつもこうやって声をかけてくれるんだから。神様か仏様か、それとも大天使様だわ……!


ロセウスにはこれまで、浮いた噂が一切なかった。どんな高貴な令嬢からの誘いも、礼儀正しく右から左へ受け流すことで有名だった。そんな完璧な男が、自分の働く庶民の定食屋を気に入り、自分に優しくしてくれる。それだけでルビーは、一生分の運を使い果たしている気分だった。

しかし、そんな幸せな時間は、ある常連客の噂話によって、音を立てて崩れ去ることになる。


数日後の昼下がり。

ロセウスがいない時間帯、店にやってきた近所の情報通の男たちが、大声で話し込んでいた。


「おい、聞いたか? あのクラリッサ王女殿下が、ロセウス団長に正式に婚姻を申し込んだらしいぞ!」

「マジかよ! あの我儘で有名なハニーブロンドの美少女王女様か。でも、ロセウス様なら侯爵家だし、実績も十分。王室の婿養子としちゃ最高だもんな」

「国王陛下も大乗り気らしいぜ。近々、婚約が発表されるって噂だ。」


ガシャーン。

ルビーの手から、空のスープ皿が滑り落ちた。幸いにも木製の床だったので割れはしなかったが、ルビーの心は粉々に砕け散っていた。

……あ、あたりまえ、よね。

ルビーは胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛むのを感じた。クラリッサ王女。十八歳の若さで、眩いばかりの金髪を持つ絶世の美女。我儘で癇癪持ちという噂はあるが、身分も美貌も、ロセウスにはお似合いだ。自分のような、定食屋の居候おデブ娘が、一瞬でも彼とどうこうなれるかもなんて夢見たのが間違いだったのだ。


「私、ちょっと頭が痛いので、裏の森で薬草を摘んできます……。」


ルビーは両親にそう言い残すと、逃げるように店を飛び出した。涙が溢れそうになるのを必死で堪えながら、王都の裏手に広がる深い森へと足を進めた。


うっそうと茂る木々の中、木漏れ日を浴びながら、ルビーはトボトボと歩く。

もう、ロセウス様の顔を見られない。だって、顔を見たら、泣いちゃうもん。私の初恋、終わりかぁ……。

その時、草むらから「ウゥ……」という低い唸り声が聞こえた。ビクッとして振り返ると、そこには信じられない光景があった。

褐色の肌に、鋭く尖った耳。黒髪の間から覗く小さな角。そして、左半身に怪しげなタトゥーが彫られた、異様な雰囲気を纏う男が倒れていた。脇腹からは、赤黒い血が流れている。


「魔……魔族……!?」


ルビーは息を呑んだ。本来なら、叫んで逃げ出すべき場面だ。だが、その男の顔があまりにも苦しそうだったこと、そして何より、傷口から流れる血を見て、ルビーのお節介焼きな性格が騒いでしまった。


「あ、あの! 大丈夫ですか!?」


ルビーは自分の体型も忘れ、ドタドタと駆け寄ると、エプロンのポケットに入っていた清潔な手拭いを取り出し、男の傷口に押し当てた。


「……ッ!? 貴様、人間か……! 離れ、ろ……呪い殺すぞ……!」


男は掠れた声で脅してきたが、ルビーは「そんなこと言ってる場合じゃないです!」と一喝した。


「いいからじっとしててください! 今、止血しますからね。お腹が空いてるなら、これ、お店の売れ残りのミートパイです。食べて体力つけてください!」


ルビーはリュックから、油紙に包まれた大きなミートパイを取り出し、男の口元に押し付けた。

男――魔族を統べる長、サタン・モールは、呆気に取られた。自分は人間に不意打ちされ、深手を負ってこの森に潜んでいたのだ。見つかれば殺されるか、通報されると思っていた。なのに、目の前に現れたこの、妙に丸っこくて、もちもちした人間の女は、怯えるどころか、必死の形相で自分を介抱し、挙句の果てに美味そうなパイを口に放り込んできた。モグ……と一口噛んだ瞬間、サタンの脳裏に衝撃が走った。


「……美味、い……!」

「でしょ! うちのお父特製のミートパイです! さあ、もっと食べて!」


ルビーは、サタンが魔族の長だとは露知らず、ただの「お腹を空かせた怪我人」として、満面の、それはそれは温かくて美味しそうな笑顔を向けた。その瞬間、サタンの心臓がドクンと大きく跳ね上がった。

な、なんだこの女は……。この俺を恐れず、こんなに……こんなに愛らしい笑顔を向けるとは……。これが、人間の言う『一目惚れ』というやつか……!?

サタンは褐色の頬を真っ赤に染め、ツンとした態度でパイを引ったくった。


「ふ、ふん! 恩に着る。俺はサタン・モール。この借りは、必ず返すぞ、人間の女!」

「あ、私はルビーです。お大事にねー!」


ルビーは傷の手当を終えると、少し元気になったサタンを残し、すっきりした気持ちで森を後にした。失恋の傷が癒えたわけではなかったが、誰かを助けられたことで、少しだけ前を向ける気がしたのだ。しかし、この出会いが、王国の運命を揺るがす大事件へと発展することに、ルビーはまだ気づいていなかった。



数日後、王都はひっくり返るような大騒ぎに見舞われた。

なんと、魔族の長サタン・モールから、国王に向けて直筆の『和平提案書』が届いたのだ。長年、血で血を洗う戦いを続けてきた魔族からの、突然の休戦と和平の申し出。

だが、そこには一つだけ、奇妙極まる「絶対条件」が記されていた。


『我が魔族は、人間との和平を結び、不可侵条約を締結する。その代わり、王都の定食屋「ごちそう亭」の娘、ルビーを我が正妻として娶ることを要求する。これが容認されぬ場合、全軍をもって王都を火の海とする』


「な、何ですってぇーーーーーーッ!?」


『ごちそう亭』の店内で、ルビーは国王からの使者が読み上げた書面を聞き、ひっくり返りそうになった。

ガスは愛用の包丁を握りしめて激怒し、アンバーは「うちの娘をどこの馬の骨とも知れない角野郎にやれるか!」と怒鳴り散らしている。しかし、事態は一介の定食屋の手に負えるものではなくなっていた。


翌日、ルビーは強制的に王宮へと召喚された。

豪華絢爛な玉座の間。

そこには、冷酷そうな目を下卑た欲望で光らせる国王と、その隣で自慢の娘を扇子で仰ぐ王妃、そしてハニーブロンドの髪をかき上げながら、ルビーをゴミを見るような目で見下ろすクラリッサ王女がいた。


「お前がルビーか。ふん、ただの小太りな平民ではないか。」


国王は鼻で笑った。


「魔族の長も物好きだな。このような女一人で、我が国に平和がもたらされるのであれば、安いものだ。ルビーよ、光栄に思うが良い。お前は国を救う『生贄』、いや、『和平の配偶者』として、魔族の元へ赴くのだ。」

「そんな……っ!」


ルビーは床に膝をつき、震えた。

あまりにも理不尽だ。なぜ自分が、あの時の魔族(しかも長だったなんて!)の妻にならなければいけないのか。


「お父様、当然の決定ですわ。」


クラリッサ王女がクスクスと意地の悪い笑い声を上げた。


「こんな醜い平民の女が、国のために役立てるなんて、一生の誉れじゃありませんこと? これでロセウス様も、私との婚姻に集中できますわ。」


クラリッサのその言葉が、ルビーの胸に深く突き刺さった。

そうか……。私がここで拒んで、戦争になったら……ロセウス様はまた、命がけで戦場に行かなきゃいけない。それに、ロセウス様は王女様と結婚されるんだわ……。

ルビーは、自分の3段に重なったお腹を見つめた。

自信なんて、最初からなかった。自分がどこへ行こうと、誰も悲しまない。ロセウスが安全で、幸せになれるなら、自分が魔族の国へ行くことなんて、大した問題ではないのかもしれない。


「……分かりました。私、魔族の長の方との婚姻を、受け入れます。」


ルビーは静かに、しかしはっきりとそう告げた。

国王は満足そうに頷き、クラリッサは勝ち誇ったように笑った。だが――その決定が下された直後から、王都の空気は一変することになる。正確に言えば、ある一人の『英雄』の精神が、完全に崩壊したのだ。



ルビーが婚姻を承諾した翌日の夕方。

『ごちそう亭』は、国王の命令による「結婚準備(実質的な軟禁)」のため、営業停止を命じられていた。静まり返った店内で、ルビーは荷まとめをしていた。

その時、店の扉が、これまでに聞いたこともないような凄まじい音を立てて弾け飛んだ。

バキィィィィンッ!!


「ひゃああっ!?」


ルビーが悲鳴を上げて振り返ると、そこには、息を荒くしたロセウスが立っていた。

いつも綺麗に整えられている黒髪は乱れ、瞳は血走り、その全身からは、戦場でも見たことがないような、凄まじいまでの漆黒の殺気が立ち上っている。


「……な、なに?!……あ、ロセウス様!? どうされたんですか、そんな恐ろしいお顔をして……!?」


あまりの気迫にルビーがガタガタと震えながら一歩下がると、ロセウスは音もなく間合いを詰め、ルビーの行く手を遮るように、ドォン!と壁に両手を突いた。完璧な壁ドン――いや、壁がメキメキと音を立てているので、壁破壊一歩手前だ。


「ルビー。」


その声は、いつもの爽やかなトーンとは似ても似つかない、低く、地を這うような、執念に満ちたものだった。


「君が、あの角の生えたトカゲ野郎との婚姻を認めたというのは、本当か?」

「え、あ、はい……。国のため、ですし、ロセウス様も王女様と……むぐっ!?」


言いかけるお口を、ロセウスの大きな手が優しく、しかし強引に塞いだ。

ロセウスの顔が、鼻の頭が触れ合いそうなほど近くに迫る。彼の目は、完全に据わっていた。


「二度と、その口からそんな恐ろしいことを言うな。……王女?あんな傲慢なだけの女、私の視界に入ったこともない。私の世界にいる女性は、最初から君だけだ、ルビー。」

「え……? ええええええっ!?」


ルビーの頭の中は真っ白になった。

何を言っているのだろう、この大天使様は。


「ロセウス、落ち着け! ルビーちゃんが怯えているだろうが!」


割れた扉から、大慌てでペンテが飛び込んできた。ペンテは額に青筋を立てて、ロセウスの肩を掴む。


「お前、数日間遠征の報告で王宮に缶詰にされてたからって、解放された途端にこれか! 侯爵家の次男としても、騎士団長としても、完全に一線を越えてるぞ!」

「うるさい、ペンテ。私は今、極めて冷静だ。」


ロセウスはペンテの手を容赦なく振り払うと、ルビーの丸くて柔らかい腰を、両腕でぎゅっと抱きすくめた。


「ひゃんっ! ろ、ロセウス様、お腹、私のお腹、お餅みたいにぷにぷにで、見苦しいですから……!」


恥ずかしさで爆発しそうなルビーが暴れるが、ロセウスの腕は鉄格子のようにびくともしない。それどころか、彼はルビーの首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「見苦しい? 何を言うんだ。この世のどんな絹や宝石よりも、君の肌の方が滑らかで素晴らしい。この柔らかさ、この甘い香り……あぁ、遠征中、どれだけ君を抱きしめたかったか。毎日、君に触れることだけを考えて、魔物を一匹残らず惨殺してきたんだ。」


ざ、惨殺!? 爽やか騎士団長の発言じゃないーーーッ!!

ペンテがハァ、と深い、深い溜息をついた。


「ルビーちゃん、驚かせてすまないね。……実はな、こいつ、昔から君に狂ってたんだよ。」

「えっ?」


ペンテは諦めたように、ロセウスの「裏の顔」を暴露し始めた。


「こいつがなんで、浮いた噂が一切ないか分かるかい? 君以外の女に、塵ほどの興味もないからだよ。君が『ごちそう亭』で働き始めた三年前から、こいつは毎日、君のシフト表を独自に作成して、君がいる時間にしか店に来なかった。こいつが遠征に行く時のモチベーションは『早く終わらせてルビーの顔を拝む』、ただそれだけだ。君が婚姻を受け入れたって聞いた時、こいつ、王宮の会議室の机を素手で真っ二つに叩き割って、国王を殴り倒しに行こうとしたんだぞ。俺が全力で睡眠薬を盛って止めなきゃ、今頃この国は滅びてた。」


ルビーは、開いた口が塞がらなかった。目の前で、自分を壊れ物のように、しかし絶対に離さないという強い力で抱きしめている男を見る。


「……本当、なんですか……? ロセウス様、私のことが……好き、なんですか……?」

「好き? そんな生温い言葉で、私の感情が片付くと思っているのかい?」


ロセウスはルビーの顔を両手で挟み込み、親指で彼女のもちもちした頬を愛おしそうになぞった。その瞳には、狂気的なまでの『執着』と、宇宙よりも深い『溺愛』が渦巻いている。


「私は君を愛している、ルビー。君のすべてが愛おしい。君が食べる時の、あの幸せそうな顔。丸くて可愛い手足。私を見上げる時の、恥ずかしそうな瞳。君を魔族の元へやるくらいなら、私は今すぐ騎士団を率いて謀反を起こし、この国を滅ぼす。国王も、王妃も、王女も、あのサタンとかいうトカゲも、全員私の手で八つ裂きにして、君を誰も知らない地の果てへ連れていき、一生私の腕の中で甘やかして飼い殺す。」

「ひえええええええええええっ!!」


愛が重い!!!

重すぎる!!!

カツレツのトリプル特盛大盛りよりも重い!!!

ルビーは心の中で盛大にさけんだ。


「ロセウス、本音が漏れすぎだ。ルビーちゃんがリアルに引いてるだろ?」


ペンテが頭を抱えるが、ロセウスは気にも留めない。


「ルビー、君は何も心配しなくていい。あの無能な国王の決定など、私がすべて覆す。君の許可が欲しい。……私に、君のすべてを委ねてくれるかい?」


ロセウスの、どこか懇願するような、捨てられた仔犬のような(体格は熊のようだが)潤んだ瞳で見つめられ、ルビーの心臓は完全に降伏を宣言した。


「は、はいぃ……! ロセウス様がそうおっしゃるなら……!」

「あぁ、可愛いルビー……! 私の天使、私の生涯の主……!」


ロセウスは狂喜乱舞し、ルビーを軽々と抱き上げると、そのもちもちした頬や額に、チュッチュと音を立てて熱烈なキスを降らせ始めた。


「んむっ、ふぇ!? ロセウス様、くすぐったいですぅ!」

「可愛い。あぁ、たまらない。一生離さないからね。」


こうして、かつて「硬派で礼儀正しい」と言われていた騎士団長は、ルビーを手に入れるため、その恐るべき本性を完全に解放したのだった。



数日後、王宮の謁見の間は、一触即発の緊迫感に包まれていた。

今日は、魔族の長サタン・モールが、ルビーを引き取るために直々に王宮へとやってくる日だった。

玉座には国王と王妃、そしてクラリッサ王女が、どこか怯えた様子で座っている。なぜなら、その玉座の前に立っている王国騎士団長ロセウス・オルプニノンから、尋常ではないプレッシャーが放たれているからだ。


「ロ、ロセウスよ……。魔族との和平のためだ。ルビーをサタンに引き渡す儀式を滞りなく進めよ……。」


国王が震える声で命じる。

そこへ、謁見の間の大きな扉が開いた。

現れたのは、黒髪に褐色の肌を持つ魔族の長、サタン・モールだった。彼は鋭い目を輝かせ、室内にいる一同を見回した。そして、国王の後ろで、綺麗に着飾らされた(しかしサイズがパツパツの)ドレスを着て縮こまっているルビーを見つけると、ニヒルな笑みを浮かべた。


「ふん、待たせたな。我が愛しのルビー。約束通り、迎えに来てやったぞ。」


サタンがルビーに向かって歩みを進めようとした、その瞬間。

ヒュンッ!!!

サタンの鼻先を掠めて、一本の漆黒の大剣が床に突き刺さった。激しい衝撃波で、大理石の床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。


「……あァ?」


サタンの目が細まり、タトゥーの彫られた左腕が戦闘態勢に入る。大剣を投げつけた張本人――ロセウスが、ゆっくりと前に出た。その姿は、騎士団の制服を纏っていた。彼の背後には、完全に武装した精鋭騎士たちが、国王ではなくロセウスの合図を待って控えている。


「そこから一歩でも動けば、その薄汚い角を根元から叩き折るぞ、異形のゴミめ!」


ロセウスの言葉に、謁見の間が凍りついた。


「ロ、ロセウス! 無礼であろう! 和平の使者に対して何ということを!」


国王が立ち上がって怒鳴るが、ロセウスは冷酷な一瞥を国王にくれただけだった。


「黙れ、無能。貴様が我がルビーを売り渡そうとした罪、万死に値する。……本日をもって、私は王国騎士団長を辞任する。そして、この場にいる全員を敵に回すと宣言しよう。」

「な……何ですって!?」 


クラリッサ王女が悲鳴を上げる。


「ロセウス様! 何のためにそんなことをされるのですか!? まさか、そのデブな平民の女のために、地位も名誉も、私との未来も捨てるというのですか!?」


クラリッサがルビーを指差して金切り声を上げる。

その瞬間、ロセウスの瞳から完全に光が消えた。


「おい、そこの不細工な金髪カボチャ。」

「き、金髪カボチャ!?」

「二度と、私のルビーをその汚い指で指すな。肉の付き方が悪い、骨と皮だけの貧相な貴様が、ルビーのあの極上の、芸術的とも言える素晴らしいもちもちボディに対して意見するなど、一世紀早い。貴様のような我儘な女、ルビーが毎日剥いている芋の皮ほどの価値もない。」


容赦のない暴言の嵐に、クラリッサはショックのあまり白目を剥いてその場に卒倒した。


「おいおい、随分と好戦的な騎士様だな?」


サタンがフッと笑い、首を鳴らす。


「だが、ルビーは俺のものだ。俺が怪我をしていた時、彼女は優しく手当てをしてくれた。俺の心は彼女のものだ。貴様に渡すわけがない。」

「手当て……? ルビーが、お前のような虫ケラに、触れただと……?」


ロセウスの周囲の空気が、物理的に歪み始めた。嫉妬の炎が、ドス黒いオーラとなって立ち上る。


「ルビーの手を汚させた罪、その肉を細切れにして償わせる。……ペンテ、合図を。」

「はいはい、了解。全軍、突撃ーー……って、待て待て! 戦う前に、ちゃんと言葉で解決しろって言っただろ!」


後ろでペンテが慌てて割って入る。

ルビーは、ロセウスのあまりの激変ぶりに圧倒されながらも、彼の背中を見つめていた。


ロセウス様……。私のために、本当にすべてを捨てて戦おうとしてくれてる。地位も、名誉も、国さえも……!


ルビーの目から、ポロポロと涙が溢れ落ちた。

自分には価値がないと思っていた。おデブで、冴えなくて、誰からも愛されないと思っていた。だけど、この人は、自分のすべてを、そのままで愛してくれている。


「ロセウス様……!」


ルビーは短い足で一歩前に出ると、ロセウスの後ろから、その逞しい腰にしがみついた。


「っ……ルビー!?」


ロセウスが驚いて振り返る。


「私、どこにも行きません! 魔族の国にも行かない! ロセウス様と一緒にいたいです! ロセウス様が、私の大好きなカツレツよりも、ミートパイよりも、世界で一番、大好きです!!」


ルビーの、魂からの叫び。

その言葉を聞いた瞬間、ロセウスの顔が劇的に変化した。これまでの殺気や狂気が一瞬で消え去り、まるで世界中の幸福をすべて手に入れたかのような、極上の、とろけるような笑顔になった。


「あぁ……あぁ、ルビー……! 今、何と言ったかい? 私のことが好き? 世界で一番? あぁ、神よ、私は今、死んでもいい……いや、死なない、君を幸せにするために永遠に生きる!」


ロセウスは大剣をその場に放り出すと(サタンの足元に落ちてサタンが「危ねぇな!」と飛び退いた)、ルビーを強引に抱きすくめ、その場でぐるぐると回り始めた。


「聞いてくれ、ルビー! 私の、本当の、愛の告白を!」


ロセウスはルビーを優しく床に下ろすと、その場に跪き、彼女の小さな、もちもちした手を両手で包み込んだ。謁見の間全員が、そして魔族の長サタンさえもが、その光景を呆然と見つめている。


「私は君を、ただ愛しているのではない。君の存在そのものが私の信仰だ。君が朝起きて、息をして、ご飯を食べて、太っていく、その全てのプロセスが愛おしい! 君がどれだけおデブになろうが、歩けなくなろうが、私が一生、お姫様抱っこでどこへでも連れて行く! 君が食べるための料理は、私が世界中から最高の料理人を集めて作らせるし、なんなら私が爵位を捨てて『ごちそう亭』の弟子になる!君の抜け毛一本、爪の先一切に至るまで、私はすべてを愛し、収集し、保管する覚悟がある! 君を害する者がいれば、神であれ魔王であれ、この私がすべてを屠る! 私の財産も、命も、魂も、すべて君に捧げる! だから、お願いだ、ルビー。私の妻になってくれ。君を世界一、甘やかして、溺愛して、二度とベッドから出られなくなるほど愛し尽くしてあげるから!!」


静寂。

謁見の間には、ロセウスの熱い息遣いだけが響いていた。


「……すご、すぎる……。愛が、物理的に重い……。」


ペンテが遠い目をして呟く。

サタンは、ロセウスのあまりの「ガチ度」と「狂気」を前に、完全に引いていた。

「……おい、人間のルビー。お前、本当にこんな奴でいいのか? 俺の国に来れば、もっと普通の、まともな生活が送れるぞ?」


サタンの必死の提案だったが、ルビーは顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに涙を拭って、ロセウスの手をぎゅっと握り返した。


「はい! 私、この重たい愛と一緒に、一生生きていきます!」

「あぁ、ルビー!!」


ロセウスは立ち上がると、ルビーの唇に、深く、熱い、誰にも邪魔させない誓いのキスを交わした。

あまりの熱量に、国王は「もう勝手にせよ……」と頭を抱え、サタンは「チッ、振られたか。ミートパイのレシピだけ置いてけ」と呆れ顔で退散していった。クラリッサ王女はまだ気絶したままだ。

こうして、おデブで冴えない定食屋の娘ルビーは、国一番のハイスペック騎士団長ロセウスの、重すぎるほどの溺愛と執着に包まれながら、最高にドタバタで、最高に甘い幸せを手に入れたのだった。




世間は私のことを「王国騎士団長にしてオルプニノン侯爵家の次男、若き英雄ロセウス」と呼ぶ。

三十五歳、独身。黒髪短髪、高身長で鍛え上げられた分厚い肉体を持ち、誰に対しても礼儀正しく、硬派で優しい――それが、私が長年かけて作り上げ、維持してきた「表の顔」である。

貴族社会の醜い権力闘争や、群がってくる令嬢たちの計算高い眼差しには、塵ほどの興味も湧かなかった。私の心は常に、戦場での冷徹な戦略と、騎士団の統率にのみ向けられている……と、周囲は勝手に思い込んでいた。

だが、彼らは知らない。

私の磨き上げられた銀色の鎧の下で、どれほどドス黒く、そして狂おしいほどの情念が渦巻いているかを。

私の頭脳の九割九分九厘が、ある一人の、おデブで内気な平民の少女によって占められているという事実を。

彼女の名は、ルビー。

王都の片隅にある定食屋『ごちそう亭』の看板娘だ。

彼女に出会うまでの私の人生は、灰色で、ただ義務を果たすためだけの退屈な時間だった。しかし、三年前のあの雨の日、偶然立ち寄った定食屋で彼女を見た瞬間、私の世界は爆発的な色彩で満たされたのだ。

腰まで伸びた、癖の強いブルネットの髪。

抜けるように白く、まるで極上の絹とお餅を掛け合わせたかのような、滑らかで弾力のある肌。そして何より、見る者を例外なく幸福にする、あの丸々とした、愛らしい体型。


世の浅薄な男たちは、社交界の細いだけの令嬢を好むようだが、私に言わせれば正気の沙汰ではない。ルビーのあの、包容力に満ちた、触れれば優しく押し返してくれそうな完璧な肉体こそ、神が地上に遣わした至高の芸術だ。


「い、いらっしゃいませぇ……!」


あの日、緊張のあまり猫背になり、短い手足で震えながらお冷やを運んできた彼女を見た瞬間、私は理解した。

あぁ、私はこの子のために生まれてきたのだ、と。そして同時に、私の内側で、それまで眠っていた「怪獣」が目を覚ました。彼女のすべてを把握したい。彼女のすべてを私のものにしたい。彼女を誰も見つけられない場所に隠し、一生、甘やかし、食べさせ、肥え太らせ、私の腕の中だけで飼い殺したい――。

それが、私の本当の姿。

愛しいルビー、君はまだ知らないだろう。君が毎日、何気なく過ごしているその日常の裏で、私がどれほどの執着と情熱をもって、君のすべてを監視し、愛し、崇拝してきたかを。


私の執務室の机の引き出しには、厳重な鍵がかけられた秘密の革手帳がある。中身は、暗号で書かれた『ルビー・観察日記』、そして彼女の完璧な『シフト予測表』だ。平民の定食屋に、騎士団長ともあろう者が毎日通いつめるわけにはいかない。怪しまれるし、何より私の立場が彼女に迷惑をかける可能性がある。だから私は、週に二回、決まった曜日の決まった時間にのみ『ごちそう亭』を訪れることにしていた。


だが、行かない日、私が何をしているか。


「ロセウス、お前またやってるのか。」


呆れたような声を上げて執務室に入ってきたのは、副騎士団長であり、私の唯一の幼馴染であるペンテだ。茶色い長髪を後ろで束ねた彼は、私のこの「裏の顔」を唯一知る男であり、同時に私の暴走を止めるストッパーの役割を(勝手に)担っていた。


「何のことだ、ペンテ。私は今、次期遠征の兵站計画を練っている。」

「嘘をつけ。その書類の裏に隠してあるの、ルビーちゃんのシフト表だろ。なんでお前が、一介の定食屋の娘が何時に厨房に入って、何時に買い出しに行くかを分刻みで把握してるんだよ。怖いんだよ、行動が。」

「恐怖を抱く必要はない。これは純然たる愛の管理だ。」


私は大真面目に答えた。


「ルビーは内気で、自分に自信がない。だから、私が突発的に店に行くと緊張して、あの愛らしいお餅のような肌に冷や汗をかかせてしまう。彼女のバイオリズムを崩さないためにも、私の訪問は彼女の精神的負担が最も少ない時間帯――つまり、ランチのピークが過ぎ、彼女が少しお腹を空かせて、賄いを食べようか迷っている時間帯に設定せねばならない。そのために、彼女の行動パターンを割り出すのは当然の義務だ。」

「お前のその、狂気的なロジックを一般社会に持ち込むな。」


ペンテは頭を抱えた。

実際、私のストーカー行為――いや、見守り行為は徹底していた。部下たちには内密に、休日の私は、気配を完全に消す魔導具を身に付け、王都の市場を歩くルビーを遠巻きに尾行した。


彼女が短い足を一生懸命に動かして、大きな買い物カゴを抱えている姿は、思い出すだけで胸が締め付けられるほど愛おしい。カゴの重みで、彼女の白い、もちもちした指先が赤く染まっているのを見た時は、その場で市場の果物屋のオヤジを(ルビーに重いものを持たせたという理不尽な理由で)極刑に処そうかと思ったほどだ。

彼女が時折、買い食いをする瞬間が、私の最高のご褒美だった。屋台の焼き豚串を、実に美味しそうに、幸せそうに頬張るルビー。一口噛むごとに、彼女の丸い頬がぷにぷにと動き、小さな唇の端にタレが少しつく。

彼女はそれを、恥ずかしそうに、誰も見ていないか周囲をキョロキョロと見回しながら、小さな舌でペロリと舐めとるのだ。


あぁ……ッ! 可愛い、可愛い、可愛い!!

その瞬間、私の心臓は爆発せんばかりに脈打ち、私の大剣は嫉妬と欲情で赤黒く発光しそうになる。あの焼き豚になりたい。彼女のその温かい口内に迎え入れられ、咀嚼され、彼女の血肉になれるのなら、私は喜んで火に炙られよう。彼女が歩いた後の地面の足跡さえ、私にとっては聖遺物だった。流石に足跡の土を持ち帰るような真似は(ペンテに全力で羽交い締めにされて止められたため)していないが、彼女が買い出しの途中で落とした、小さなパセリの切れ端や、お店のメニューが書かれたチラシの裏紙などは、すべて魔法で滅菌処理を施した上で、私の宝箱に厳重に保管されている。そして、店に入った時の私は、完璧な「常連の騎士団長」を演じる。


「こんばんは、ルビー。今日も髪が綺麗だね。」

「ひゃぅっ!? あ、ありがとうございますぅ……!」


彼女が私の言葉にいちいち過剰反応し、顔を真っ赤にして、まるで大きなお餅のように縮こまる姿。あぁ、そのお餅を、今すぐこの両腕で力任せに抱きしめ、私の筋肉で押し潰し、彼女の悲鳴をその唇で吸い尽くしたい。

だが、私は耐えた。

まだ早い。私は侯爵家の人間であり、彼女は平民だ。不用意に手を出せば、周囲の冷たい目が彼女を傷つける。私は完璧な平穏を彼女に与えるため、外堀を完璧に埋め、誰も文句の言えない状況を作ってから、彼女を我が物にするつもりだった。そのためなら、どれほどの禁欲も耐えられる――そう、思っていた。


半年前、私に最悪の命令が下った。

北方の国境地帯で、魔物の活動が活発化。王国騎士団を率いて、長期の遠征に赴けという、国王からの勅命だった。

期間は、最低でも数ヶ月。それはつまり、数ヶ月もの間、ルビーの姿を見ることも、彼女の声を聴くことも、彼女の作った料理を食べることもできないということを意味していた。それは、絶望以外の何者でもなかった。


遠征前夜、私は『ごちそう亭』の裏手にある細い路地に、一晩中立ち尽くしていた。もちろん、隠蔽魔法を完璧に発動させているため、誰にも見つからない。私の視線は、二階にあるルビーの部屋の窓へと固定されていた。夜が更けると、窓の明かりが消え、彼女の小さな寝息が(私のルビーの為に強化された聴覚には)微かに聞こえてきた。


「ルビー……私の天使。少しの間、離れ離れになることを許しておくれ。」


私は窓に向かって、狂信者が神像に捧げるような深い一礼をし、彼女の部屋の空気を少しでも吸い込もうと、深呼吸を繰り返した。「ロセウス、本当にお前、一歩間違えたらただの不審者だからな。いや、もう二歩くらい踏み外してるわ」と、後ろの柱の影からペンテが呆れた声をかけてきたが、私は無視した。私にとっての正義はルビーであり、世界の法律など知ったことではないのだ。


そして始まった北方遠征は、文字通りの「地獄」だった。

魔物が強いからではない。そんなものは、私の大剣の一振りで塵に変わる。地獄だったのは、私の脳内における『ルビー成分』の絶対的な不足だった。遠征中の食事は、乾燥した干し肉と硬いパン。それを口にするたび、私の脳裏には『ごちそう亭』の山盛りのカツレツ、脂の乗ったハンバーグ、そしてそれを運んでくるルビーのもちもちした二の腕がフラッシュバックする。


「団長、前方にオークの群れ、約三百!」


偵察の騎士が叫ぶ。


「……三百か。」


私は愛剣を抜き、感情の消えた目で前方に視線を向けた。

私の頭の中は、今、ルビーがお店でエプロンの紐を結び直す瞬間、その豊かな腰回りの肉が少し乗っかる、あの至高のディテールについての考察で忙しかったのだ。邪魔をするな。


「総員、下がれ。私がやる」

「え? いや、団長、三百ですよ!?」


制止する部下たちを置き去りにし、私は一人でオークの群れへと突撃した。ルビーに会えない怒り、ルビーに触れられない飢え、ルビーの香りを嗅げない狂気。それらすべてのストレスが、私の剣技へと変換される。

ズバァァァァァンッ!!!

一撃で、大地が割れ、百匹のオークが消し飛んだ。


「ひ、ひえぇ……! 団長が怒り狂っている……!」

「まるで魔王だ……! いや、魔王よりも恐ろしい……!」


後ろで部下たちがガタガタと震えているのが聞こえたが、どうでもよかった。私はただ、一秒でも早く魔物を全滅させ、王都へ帰り、ルビーの元へと駆けつけたかった。それだけが、私の体を動かす動力源だった。

天幕に戻ると、私は毎夜、ルビーへのお土産を磨いていた。北方の特産である、最高級の蜂蜜。彼女のブルネットの髪に絶対に似合う、エメラルドをあしらった髪飾り。そして、彼女が喜びそうな、地元の名物菓子のレシピ本。


「ルビー、待っていてくれ。私は君のために、すべての魔物を屠り、完璧な英雄として君の前に戻るからね。」


ベッドに入り、私はルビーの形をした抱き枕(私の記憶を完全に投影し、魔法で作らせた特注品。もちろん等身大で、お餅のような弾力も再現されている)を、力任せに抱きしめる。


「あぁ、ルビー、ルビー……。君の肉の柔らかさが恋しい。君の脂肪の一粒一粒が、愛おしくてたまらない……!」


隣の天幕からペンテの「うわ、隣からブツブツ不気味な声が聞こえる……呪いか?」という声が聞こえたが、私は精神統一を続け、彼女への愛をさらに深めていった。



そして、ようやく迎えた凱旋の日。

王都のメインストリートは、歓迎の歓声と薔薇の花びらで埋め尽くされていた。

私は馬に跨り、先頭を進みながら、沿道の群衆へ向けて「営業用の爽やかな笑み」を振りまいていた。右手を振り、左手を振り、礼儀正しく頭を下げる。

だが、私の目は、沿道の女たちなど一瞥もくれていなかった。私の網膜は、ただ一つの動体を感知するために全精力を傾けていた。

どこだ……私のルビーはどこにいる……?

路地の隙間、群衆の後ろ。

いた。

つま先立ちをして、短い首を一生懸命に伸ばし、こちらを見つめている私の天使。彼女は私と目が合うと、すぐに顔を真っ赤にして、お盆を胸に抱きしめるようにして縮こまった。

あぁ……ッ!! ただいま、私のルビー! 君のその、自信なさげに視線を彷徨わせる姿、最高に愛らしいよ! 今すぐ馬から飛び降りて、その丸い体を抱きしめ、民衆の前で熱烈なキスを交わしたい!

だが、私は完璧な騎士団長だ。ここでは、目元を少し和らげるだけの、紳士的な微笑みに留めておいた。彼女を驚かせてはいけない。


その日の夜、私は遠征の泥を落とすのももどかしく、私服に着替えて『ごちそう亭』へと向かった。カウンターの隅の席。そこは、ルビーの動きが最もよく見える、私にとっての「特等席(アリーナ席)」だ。


「こんばんは、ルビー。君の顔を見たら、長旅の疲れも吹き飛ぶよ。今日も髪が綺麗だね。」

「ひゃぅっ!? あ、ありがとうございますぅ……!」


あぁ、このやり取りだ。これが私の生きる意味だ。

彼女が運んできてくれた大盛りのカツレツを口に運ぶ。ガスの料理は美味い。だが、何より美味いのは、ルビーがそのもちもちした手で皿を持ち、ここまで運んできてくれたという「付加価値」だ。皿に残った彼女の指紋さえ、魔法で抽出して保存したい。


すべては順調だった。

私の計画では、あと数ヶ月で侯爵家の中での手続きを終え、彼女を正式に妻として迎えるための準備が整うはずだった。しかし、運命は、私の理性を木っ端微塵に打ち砕く大事件を用意していた。

数日後。私は王宮の会議室で、遠征の事後処理に関する退屈な会議に出席していた。そこへ、近衛兵が慌てた様子で飛び込んできた。


「報告します! 魔族の長サタン・モールより、直筆の和平提案書が届きました! ……ただし、条件が一つ…!」


内容を聞いた瞬間、私の世界の時間が止まった。


『王都の定食屋「ごちそう亭」の娘、ルビーを我が正妻として娶ることを要求する。さもなくば、王都を火の海とする』

「……何だと?」


私の口から漏れた声は、自分でも驚くほど冷たく、低いものだった。会議室の温度が、物理的に氷点下まで下がった。周囲の貴族たちが、ガタガタと震え始める。


「ロ、ロセウス団長……? どうされたのですか、そんな恐ろしい目で……。」

「……あの、角の生えたトカゲ野郎が……!」


私の脳内で、何かが音を立てて千切れた。

私のルビー。私が三年間、指一本触れるのすら我慢し、神聖な存在として崇め、観察し、愛を育んできた、私の、私だけのルビー。それを、どこの馬の骨とも知れない魔族のゴミが、自分の妻にすると?


「素晴らしいではないか!」


玉座の間から、国王の、能天気で、そして万死に値する声が聞こえてきた。


「ただの平民の女一人で、魔族との和平が成るのだ! こんなに安い買い物はない! すぐにそのルビーという女を捕らえ、結婚の準備をさせよ!」


さらに、その隣にいたクラリッサ王女が、高飛車な笑い声を上げる。


「当然ですわ。あんな醜い平民の女、国のために役立てて光栄に思うべきです。これでロセウス様も、私との婚姻に集中できますわね。」


ガキィィィィンッ!!!

私が無意識に握りしめた会議室の高級な木製机が、私の握力によって真っ二つに叩き割られ、木片が四方に飛び散った。


「ひゃああっ!?」


貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。私の瞳からは、完全に光が消えていた。

あぁ、そうか。この世界は、私のルビーを奪おうとする国だったのか。ならば、そんな国など、存在する価値はない。


「ロセウス! 落ち着け、落ち着けお前!!」


ペンテが私の背後から飛びかかり、首筋に強力な魔法睡眠薬を仕込んだ注射器を突き刺した。


「全軍! 団長を拘束しろ! こいつ今、マジで国を滅ぼそうとしてる! 目がガチだ! 早く薬を回せぇぇ!」


意識が急速に遠のいていく中、私の胸の中にあるのは、ただ一つの漆黒の決意だけだった。


ルビー……待っていておくれ。私から君を奪おうとする者、神であれ王であれ、すべてを、一匹残らず惨殺してあげるからね……。



ペンテに盛られた睡眠薬のせいで、私は丸一日、王宮の地下にある特別監禁室で眠らされていた。目が覚めた時、私の魔力は完全に回復しており、周囲に施されていた頑丈な封印の結界など、ただの薄い紙切れのように感じられた。バキ、バキ、と首を鳴らしながら立ち上がる。監禁室の鉄格子を、素手で飴細工のようにへし折り、外へと出る。通路には、私の気配を察知して、冷や汗を流しながら武器を構えるペンテが立っていた。


「……行くのか、ロセウス。」


ペンテの声には、いつもの軽薄さはなかった。私の「本気」を、彼は誰よりも理解している。


「あぁ。ルビーは婚姻を受け入れたのだろう?」


私の声は、驚くほど静かだった。怒りの限界を超え、私の精神は今、かつてないほどに澄み切っている。


「彼女は優しいからね。国のため、そして私のために、自分を犠牲にしようとしたのだろう。……愛おしい。本当に、なんて健気で、守ってあげたくなる子だ。だが、彼女は間違えている。」


私は一歩、前へと踏み出した。床の大理石が、私の足元からメキメキとひび割れていく。


「彼女がいない世界など、私にとってはただの荒野だ。彼女が魔族の国へ行くというのなら、私は今すぐこの国の人間を全員殺し、その後、魔族の国へ攻め込んであのトカゲの首を跳ね、世界のすべてを血で染めてから、彼女を連れ戻す」

「……お前、本当にルビーちゃんのことになると、一切の容赦がなくなるな」

ペンテはハァ、と深い溜息をつき、構えていた剣を鞘に収めた。


「分かったよ。止められるわけがない。……ただし、行くなら一人で行けよ。俺はまだ、死にたくないし、お前のその狂った愛の巻き添えで国が滅ぶのを見るのは寝覚めが悪い。」

「感謝する、ペンテ。」


私はマントを翻し、王宮の窓から飛び降りた。


目指すは、私の聖域――『ごちそう亭』。

夜風を切りながら、私の胸の中に、三年間の思い出が走馬灯のように駆け巡る。

買い出しの時の、あのもちもちした歩き方。

つまみ食いをした時の、悪戯っぽい笑顔。

私の言葉に、いつも顔を真っ赤にして縮こまる、あの愛らしいおデブな体。


もう、仮面を被るのは終わりだ。

「硬派で礼儀正しい騎士団長」などという、つまらない人形はここで破棄する。私は、私のすべてを、私のこのドス黒く、重く、狂おしいほどの執念のすべてを、彼女にぶつける。彼女が怯え、泣き叫び、私を拒絶したとしても、もう離さない。彼女のその柔らかい体を、私のこの鍛え上げられた肉体で永遠に縛り付け、私の愛という名の檻の中に閉じ込めてみせる。


「ルビー……私の天使。今、行くよ。」


闇夜の中、私の目は、獲物を捉えた獣のように、爛々と赤く輝いていた。


王宮の謁見の間で、私はついに、私のすべてをルビーの前で曝け出した。

国を捨てる。騎士団も捨てる。

彼女を侮辱した王女を「金髪カボチャ」と罵倒し、魔族の長を「トカゲ野郎」と脅迫した。周囲がどれほど引き、怯え、私を「狂人」を見る目で見つめようとも、私の目にはルビーしか映っていなかった。

そして、私は跪き、彼女に私の「本当の愛」を告白した。


『君の抜け毛一本、爪の先一切に至るまで、私はすべてを愛し、収集し、保管する覚悟がある!』

『二度とベッドから出られなくなるほど愛し尽くしてあげるから!!』


平民の少女に対する告白としては、あまりにも常軌を逸した、重すぎる言葉の数々。言った瞬間、私は一抹の不安を覚えた。流石に、引き裂かれて逃げ出されるのではないか、と。だが、私の天使は、私の想像を遥かに超える、最高の聖母だった。


「はい! 私、この重たい愛と一緒に、一生生きていきます!」


顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに涙を拭い、私のこの血に汚れた手をぎゅっと握り返してくれたルビー。

その瞬間、私の魂は救済され、私はこの世界の神となった。




現在。

私は騎士団長を辞任し、今まで貯めた莫大な資金を使い新居として建てた、世界で最も強固な結界が施された邸宅の大きなベッドの上で、私は毎日、私の愛しい妻を抱きしめている。


「むぅ……ロセウス様、朝からくっつきすぎですぅ。お腹がぷにぷにしてて、恥ずかしいっていつも言ってるのに……。」


朝の光を浴びて、ルビーが私の腕の中で、もちもちした体を丸めて文句を言う。遠征中に夢にまで見た、本物のルビーの柔らかさ、本物のルビーの甘い香り。


「何を言うんだ、ルビー。このお腹の肉こそ、私が世界で最も愛する至高の果実だ。遠征中の干し肉とは比べ物にならない。あぁ、今日も本当に可愛いね。朝食には、君が大好きな特大ミートパイを五十個、用意させてあるよ?」

「ご、五十個!? そんなに食べたら、私、もっとおデブになっちゃいます!」

「いいんだ。君がどれだけ太ろうが、私のこの筋肉は君を軽々とお姫様抱っこできるように、毎日さらに鍛え上げているからね。さあ、今日も私の腕の中で、一生、甘やかされて暮らすんだ。」


私はルビーの、お餅のように滑らかで弾力のある頬に、何度も、何度も、熱烈なキスを降らせた。


彼女は私の「重すぎる愛」に戸惑いながらも、最後にはいつも、世界で一番美味しい、大好きな笑顔を私に預けてくれる。


これからも私は、君のすべてを監視し、愛し、溺愛し、執着し続けるよ、私の愛しいルビー。


終わり

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ラブコメディをかけるようになりたくて…でも、なんか違う…?少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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