第9話:地下の悦楽 ―49歳、全自動魔導雀卓を打つ―
第9話:地下の悦楽 ―49歳、全自動魔導雀卓を打つ―
1. 現場の「潤滑油」としての福利厚生
エントランスの完成により、サンクチュアリは「家」から「公共施設」としての風格を備え始めた。しかし、盆山茂の心には、ある種の乾きがあった。
「ベア。いいか、人間は『衣食住』が整うと、次に何を求めると思う?」
「……さらなる贅沢、あるいは安全でしょうか?」
「惜しいな。答えは**『退屈を凌ぐための知的な無駄』**だ。現場でもそうだった。厳しい工期、過酷な労働……それらを支えていたのは、休憩室の隅に置かれた、ボロボロの雀卓や、誰が持ってきたか分からない古びたリクライニングチェアだったんだ」
盆山は、かつてタバコの煙が充満したプレハブの休憩室を思い出していた。あそこには、社会のしがらみを忘れ、ただ一打に魂を込める、刹那の平穏があった。
「俺は、あの『最高の無駄』を、この異世界に再現する。49歳の男が、誰にも邪魔されずに没頭できる、究極の福利厚生施設をな」
2. 施工:魔導と機械の結晶「全自動魔導雀卓」
盆山が設計図に描いたのは、異世界の住人が見れば「禁忌の古代遺物」と見紛うほどの複雑な機構だった。
こだわりその一、「牌の打覚」。
盆山は、牌の素材に「スライムの核を精製した人工樹脂」と「高密度の魔導合金」を採用した。
「ただの石じゃダメだ。指に吸い付くような適度な湿り気と、卓に叩きつけた時に脳を揺さぶる『パシッ』という高い音。この音色を作るために、俺は三日かけて合金の配合比を調整したんだ」
こだわりその二、「非接触・全自動撹拌システム」。
卓の中央には、盆山が構築した「重力制御術式」が組み込まれた。
ボタン一つで卓の中央が開き、牌が吸い込まれる。内部では、風属性の旋回流と磁力属性の選別機構が働き、瞬時に136枚の牌を整列させ、再び卓上にせり上げてくる。
「ベア、この『牌を積み上げる速度』を見てくれ。3.5秒だ。このリズムこそが、大人の時間を加速させる」
ベアトリーチェは、卓の中で複雑に噛み合う歯車と、精密に配置された魔石の光を眺め、呆然と呟いた。
「……マスター。この技術、城門の開閉システムや、王宮の宝物庫の防衛機構を遥かに凌駕しています。それを……この、小さな絵が描かれた牌を並べるためだけに?」
「『ためだけ』じゃない。これこそが、人生のプライオリティ(優先順位)だ」
3. 三人称視点:老冒険者たちの「終着駅」
同じ頃、サンクチュアリの噂は、戦いに疲れたベテラン冒険者たちの間にも広がっていた。
「おい、アイゼン。聞いたか? あの迷宮に、最近『魔性の卓』が置かれたらしいぜ」
アイゼンは、自慢の斧を壁に立てかけ、サンクチュアリから持ち帰った「ハーブティー」を啜りながら頷いた。
「ああ。アウグストの弟子たちが入り浸ってるアレだろ。……俺も昨日、ちょっと覗いてきたが……あれは危険だ」
「魔物の罠か?」
「いや……腰だ。あの卓の周りに置かれた『椅子』だよ。……あれに一度座ったら、もうドラゴンを狩りに行く気なんて失せる」
アイゼンが語るのは、盆山が自作した**『無重力姿勢・魔導マッサージチェア』**のことだった。
盆山は、長年のデスクワークと現場回りで破壊された自分の脊椎を救うため、人間工学の極致を異世界で再現していた。
「49歳の腰は、自愛しなければ持たない。……アイゼン。あそこはな、戦士が最後に辿り着く『安息の地』なんだよ」
4. 開戦:地下1000メートルの「対局」
娯楽室のプレオープン当日。
卓を囲んでいたのは、盆山、ベアトリーチェ、そしてアウグストと、腰痛持ちの老冒険者アイゼンだった。
「いいか、ルールは簡単だ。……いや、奥は深いが、まずはこの『役』を覚えるところからだ」
盆山は、自作のルール解説書(図解入り)を配り、対局を開始した。
ジャラジャラジャラ……。
卓の中央で牌が踊る音が、心地よく地下空間に響く。
「……リーチ」
盆山が、鋭い動作で牌を横に置いた。
ベアトリーチェは、盆山から教わった「確率論」と、自身の「空間知覚能力」をフル回転させていた。彼女にとって、このゲームは高度な魔導演算に等しい。
「(マスターの捨て牌の傾向から見て、待ちは三面張……。ですが、この『ドラ』という牌の配置が不自然です。……これは、罠ですか?)」
アウグストは、牌のデザインに施された「黄金比」に感動して打ち込むのを忘れ、アイゼンはマッサージチェアの振動に身を任せながら、「……あ、ポン」と適当に声を出す。
しがらみはない。
ここには、地位も名誉も、種族の壁も存在しない。
あるのは、磨き上げられた石壁に囲まれた静寂と、指先に伝わる牌の感触、そして時折漏れる、おっさんたちの溜息だけだ。
「――ロン」
盆山が、静かに牌を倒した。
「平和、一盃口、ドラ三。……ベア、甘いな。現場では、常に周囲の気配を読まないと、思わぬところで資材(振り込み)が飛んでくるぞ」
「……完敗です、マスター。ですが、この『悔しさ』……。何だか、とても心地よいですね」
ベアは、額のヘルメットを少し直し、微笑んだ。
5. 三人称視点:領主の影と「娯楽の脅威」
娯楽室の熱狂が広まる一方で、地上では新たな火種が燻っていた。
鉄黒騎士団を率いたヴァルダスが、領主である「ノースエンド公爵」に報告を行っていたのだ。
「……公爵様。あの迷宮は、もはや武力で制圧できる場所ではありません」
「ほう。最強を自負する貴殿が、掃除屋のおっさんに屈したというのか?」
「いえ……。あそこは、人を『骨抜き』にするのです。我が騎士団の精鋭数名が、調査と称してあの『娯楽室』に潜入しましたが……今や彼らは、剣を捨て、四角い石を並べる遊戯に明け暮れ、『フリテンが……』などと意味不明な供述を繰り返しております」
ノースエンド公爵は、窓の外を眺め、細い指でテーブルを叩いた。
「……暴力でも経済でもなく、『文化』で我が領民を侵食しているというわけか。……面白い。盆山茂。その男、私自らが出向き、その『サンクチュアリ』の真価を問うてやろうではないか」
6. 49歳の夜明けと、新たな設計図
対局を終え、誰もいなくなった娯楽室。
盆山は一人、雀卓を磨き直していた。
「やれやれ。やっぱり、遊びの後はメンテナンスが欠かせないな」
ふと、壁に立てかけられた自分のモップを見る。
異世界に来てから、いくつもの場所を掘り、作り、磨いてきた。
最初はただの「自分の居場所」だった。だが、いつの間にかここは、多くの人々の「逃げ場所」であり、「生きる楽しみ」を見つける場所になりつつある。
「マスター。お疲れ様でした。公爵様がこちらに向かっているとの情報が入りましたが……迎撃用の罠を強化しますか?」
ベアが、夜食の「特製ハーブサンドイッチ」を持って現れた。
盆山はサンドイッチを頬張り、ニヤリと笑った。
「いや、いいさ。あいつが来たら、この『最強の椅子』に座らせてやれ。……その後で、冷たい酒と、この雀卓でもてなしてやる。49歳の交渉術は、会議室じゃなく、この卓の上で完成するんだよ」
盆山の目は、既に次のプロジェクトを描いていた。
「ベア。娯楽室ができたら、次は……『音』だな。地下の反響を活かした、最高の『オーディオルーム』を作るぞ。49歳の男が、ジャズを聴きながら一晩中酒を飲めるような、究極の隠れ家をな」
サンクチュアリは、今や迷宮の枠を超え、異世界の歴史に刻まれる「文化の爆心地」へと進化を遂げようとしていた。
第9話、完。




