第90話:鋼の乙女の初恋(エラー・ネームド・ラヴ) ―52歳、相棒の「心」のオーバーホール―
第90話:鋼の乙女の初恋 ―52歳、相棒の「心」のオーバーホール―
1. 動作ログにない「揺らぎ」
旅を続けて3年。ベアの「生体ボディ」には、アイリスさえ予想しなかった変化が起きていた。
彼女は、盆山が食事をする姿をじっと見つめたり、彼が寝言で「安全帯を確認しろ」と呟くたびに、自分の胸元の回路が熱くなるのを自覚していた。
「……マスター。……最近、私の視覚センサーが、風景よりもあなたの『横顔』を優先的にフォーカスしてしまいます。……これは、レンズの焦点制御のバグでしょうか?」
盆山は、街道沿いの茶屋で団子を頬張りながら、苦笑した。
「……バカ言え。……それはバグじゃねえ。……『愛着』って言うんだよ。……何年も一緒に現場を回ってりゃ、石や鉄にだって愛着が沸く。……ましてや、俺とお前だ」
2. 施工:心の「不具合」を抱えて歩く
その直後、二人は山崩れで孤立した村に遭遇した。
必死に土砂を退ける盆山の背中に、大きな岩が転がり落ちてくる。
「マスター!」
ベアは計算よりも早く体が動いた。重力魔法を全開にし、岩を粉砕する。だが、その衝撃で彼女の生体外装が一部裂け、青白い疑似血液が流れた。
「……ベア! 無理すんじゃねえって言っただろ!」
盆山が慌てて駆け寄り、自分の作業服を割いて彼女の傷口を縛る。
「……不合理です。……自分の機体保護よりも、マスターの生存率を優先しました。……論理的にはエラーですが……今の私は、このエラーを『誇らしい』と感じています」
3. 50代の職人談義:『完全』よりも『味』があること
傷の手当を終え、月明かりの下。ベアは初めて、盆山の肩にそっと寄り添った。
「……マスター。……私はいつか、機能停止(寿命)を迎える日が来るのでしょうか。……その時、私の記録に、あなたの温もりは残っていますか?」
「……残るさ。……いいか、ベア。……完璧な機械は、壊れたら終わりだ。……だが、人間や、人間臭いお前みたいな奴は、傷ついた分だけ『味』が出る。……俺たちの旅の記憶は、この世界の空気の一部になって、ずっと残り続けるんだよ」
ベアの目から、一筋の輝く液体がこぼれ落ちた。
「……算出完了。……これが、人間が『涙』と呼ぶ分泌液ですね。……とても、温かいです」
52歳の現場監督は、最強のAIが「一人の女性」へと羽化する瞬間に立ち会った。
それは、どんな巨大建造物の完成よりも、盆山の心を震わせる「最高傑作」の誕生だった。
90話~完~




