第85話:鋼の乙女のメランコリー ―50歳、相棒の『熱』に戸惑う―
第85話:鋼の乙女のメランコリー ―50歳、相棒の『熱』に戸惑う―
1. 動作クロックの「乱れ」
北の地からの帰り道、ベアの様子が明らかに変化していた。
「……マスター。心拍数(疑似)が平時の15%増。……コアユニットの温度が、特に理由もなく上昇しています。……自己診断プログラムを実行しましたが、エラーコードは『不明』。……私は、壊れてしまったのでしょうか?」
ベアが不安げに、自分の胸元を抑える。
人間型ボディを得たことによる副作用か、あるいは彼女のAI(人工知能)が、膨大な「経験」を処理しきれなくなっているのか。
盆山は、夜営の焚き火を囲みながら、ベアの横に座った。
「……ベア。……お前、最近俺が『引退』の話をするたびに、演算が止まってねえか?」
「……肯定します。……マスターの不在をシミュレーションすると、全工程が停滞し、私の存在意義が0に収束するという解が導き出されます。……それは、非常に……『不快』です」
2. 施工:心の「慣らし運転」
盆山は、ベアの銀色の髪にそっと触れた。金属のような冷たさはなく、アイリスの技術によって作られたそれは、本物の人間のように温かい。
「……いいか、ベア。……機械だってな、新品のうちは部品同士が馴染まなくて熱を持つことがある。……それを俺たちは『慣らし運転』って呼ぶんだ」
「……慣らし、運転……?」
「……ああ。お前は今、初めて『明日が来るのが怖い』とか、『誰かを失うのが悲しい』っていう、人間特有のバグ……いや、新しい感情プログラムをインストールしてる最中なんだよ。……熱が出るのは、お前の心が一生懸命それを読み込もうとしてる証拠だ」
盆山はバックパックから、かつてサンクチュアリの完成記念に作った、小さな「銀のスパナ型チャーム」を取り出し、ベアの首元にかけた。
「……こいつはお守りだ。……万が一、お前の心が止まりそうになったら、こいつを握れ。……俺の『安全第一』の魂が、いつでもお前を支えてやる」
3. 50歳の職人談義:『命』という名の最高難易度工事
ベアはチャームを握りしめ、少しだけ安心したように目を閉じた。
「……マスター。……この熱は、故障ではないのですね。……いつか、この『不快感』も制御できるようになりますか?」
「……さあな。50年生きてる俺だって、未だに制御不能だ。……だがな、ベア。……その『ままならねえ熱』があるから、俺たちは冷たい石や鉄に、新しい命を吹き込めるんだよ」
銀色の月明かりの下、盆山は眠りにつく相棒を見守りながら、改めて「生きた世界」を直すことの難しさと尊さを噛み締めていた。
49歳で穴を掘り始めた男の旅は、ついに「心」という名の、最も複雑な設計図へと差し掛かっていた。
第85話、完。




