第5話:地下の太陽 ―自動散水と49歳の菜園ライフ―
第5話:地下の太陽 ―自動散水と49歳の菜園ライフ―
1. 49歳の「健康診断」
鏡、といっても昨日俺が磨き上げた「3000番仕上げ」の石壁に映る自分を見て、俺は小さく溜息をついた。
「……肌が、荒れてるな」
49歳。代謝が落ち、無理が効かなくなる年齢。
昨日のベア特製の煮込み料理は最高に旨かった。だが、足りない。決定的に足りないものがある。それは「新鮮なビタミン」だ。
干し肉と魔獣肉、そして日持ちのする根菜。それだけでは、遠からず口内炎に悩まされ、肌のツヤを失い、俺のサンクチュアリ・ライフは不健康な隠居生活へと成り下がってしまうだろう。
「ベア、俺は決めた。今日から俺たちは『農家』になる」
朝のコーヒー(昨日の給湯システムで淹れた絶品だ)を啜りながら、俺は宣言した。
ベアトリーチェは、もはや驚くことさえ忘れたような顔で、銀髪を整えながら問い返す。
「農家、ですか。……マスター、ここは地下1000メートルの迷宮ですよ? 陽の光もなければ、肥えた土もありません。必要な食料は、私が地上へ飛んで、適当な貴族の農園から徴収してきましょうか?」
「徴収(略奪)はダメだ、ベア。俺が欲しいのは、一歩も外に出ずに手に入る『もぎたての安心感』なんだ。ないなら、作る。それがDIYの基本だろう?」
俺は空になったカップを置き、作業着(代わりに仕立てた頑丈なシルクの長袖)の袖を捲り上げた。
2. 三人称視点:『銀の剣』の凱旋(?)
同じ頃、地上。
冒険者ギルド・ノースエンド支部は、異様な熱気に包まれていた。
昨日、あの「鏡の迷宮」へ潜った新米パーティー『銀の剣』が、無傷で、しかもどこか艶々とした顔で戻ってきたからだ。
「聞いてくれよ、ギルドマスター! あそこは魔宮じゃない、天国だ!」
リーダーのレオンが、興奮気味にカウンターを叩く。
「……落ち着け、レオン。調査報告を聞かせてくれ。魔物の種類は? 罠の設置状況は? 侵入を拒む強力な結界はあったのか?」
ギルドマスターが身を乗り出して尋ねるが、レオンの答えは斜め上を突き抜けていた。
「魔物? そんなの見てねえよ! それより水だ、水! 通路の途中にあった水飲み場、あれはヤバい。キンキンに冷えてて、不純物が一切なくて……一口飲んだだけで、昨日の深酒の頭痛が吹き飛んだんだぜ!」
「ベンチもすごかったよね」と、弓使いのリンがうっとりとした顔で続く。
「あの石の座面、人間の背骨のカーブに完璧に合わせて削ってあるの。座った瞬間、腰の重みがスーッと消えて……あたしたち、そのまま一時間くらい昼寝しちゃった」
周囲のベテラン冒険者たちが、ポカンと口を開けている。
「おい、お前ら……舐めてるのか? あの恐怖の『秩序の壁』に守られた場所に潜って、水を飲んで寝てきただと?」
昨日警告したアイゼンが、呆れたように割り込む。
「アイゼンさん、嘘じゃないんです! あの壁も、近くで見ると全然怖くないですよ。むしろ、あそこまで綺麗だと『汚しちゃいけない』って気持ちになって、マナーが良くなるっていうか……。ギルドの宿屋より、よっぽど心が洗われましたよ」
ギルド内は騒然となった。
「魔王の罠だ」「いや、高潔な隠者が住んでいるに違いない」「あそこに行けば腰痛が治るらしい」……。
盆山の知らないところで、彼の「丁寧な暮らし」は、戦慄を伴う伝説から、一種の「パワースポット」へと変貌しつつあった。
3. 地下の太陽 ―波長制御の魔導結晶―
地下深部。盆山はそんな噂など露知らず、天井の岩盤と格闘していた。
「植物を育てるには、光が必要だ。だが、ただ光ればいいってもんじゃない」
俺は作業台の上に、数種類の魔導結晶を並べた。
49歳の男がかつて見たYouTubeの知識によれば、植物が光合成に最も必要とするのは「赤色」と「青色」の光だ。
「ベア。この赤い魔石に『火の微小振動』、この青い魔石に『冷気の静止』の属性を刻み込め。二つを合わせて、波長を660ナノメートルと450ナノメートルに固定するんだ」
「な……なのめーとる……? マスター、私は一国を滅ぼす術式なら知っていますが、光の色を細かく指定されるのは初めてです」
「いいから。これが『地下の太陽』になるんだ。失敗すれば、レタスが徒長してヒョロヒョロになっちまう」
俺は天井に、特製の「リフレクター(反射板)」を取り付けた。
鏡面仕上げにした石板を放物線状に並べ、そこに魔石の光を当てる。
カチッ――。
スイッチを入れた瞬間、真っ暗だった地下の小部屋が、幻想的な「紫色」の光に満たされた。
赤と青の光が混ざり合い、植物にとって最も効率の良いエネルギーが降り注ぐ。
「綺麗……ですね。ですが、少し不気味な光です」
「人間にはそう見えるが、草どもにはこれがご馳走なんだよ」
俺はさらに、この光に「タイマー機能」を組み込んだ。
魔力の供給量を太陽の周期に合わせて増減させる。午前6時に点灯し、正午に最大出力、午後6時には消灯。
「規則正しい生活。それは人間も植物も同じだ。49年も経つと、不規則な生活のツケがどう回ってくるか、身に染みて分かるからな」
4. 自動散水システム:ドリップ工法の美学
次に着手したのは、水やりだ。
毎日決まった時間にジョウロを持って歩くのは、最初は楽しいが、長続きしない。49歳のDIYは「いかに手間を減らして質を保つか」という『保守管理』の視点が不可欠だ。
「ここで使うのが、この『ドリップチューブ』だ」
俺は、細い魔導合金の管を網の目のように配置した。
管には、数センチおきに極小の穴が開いている。
「上からドバドバ水をかけるのは、素人のやり方だ。それだと土が固まるし、蒸れの原因にもなる。このシステムなら、根元の土に『一滴ずつ』水を染み込ませることができる。……いわば、点滴だな」
昨日の給湯システムから分岐させた配管に、減圧弁(自作)を取り付ける。
水圧を一定に保たないと、最初の穴からは噴き出し、最後の穴からは水が出ないという不均衡が起きる。俺は配管の継ぎ目を、これまたミリ単位で調整した。
「……よし。ベア、見てろ。これが『全自動・地下菜園管理システム』の起動だ」
俺が念じると、配管の奥でバルブが静かに開いた。
チッ、チッ、チッ……。
乾いた土の上に、規則正しく水滴が落ちる。
無駄な音もなく、無駄な水も使わない。
「……凄まじい。この緻密さ。マスター、あなたはもしや、かつて別の世界で『生命の運行』を司る神だったのですか?」
「よせよ。俺はただ、現場で『水浸しになった現場の片付け』をさせられるのが死ぬほど嫌いだっただけの、ただの監督だよ」
俺は土の上に、肥料として細かく砕いた魔獣の骨と、地下の腐葉土を混ぜたものを敷き詰めた。
そして、大切に持っていた「異世界の薬草」と「野菜の種」を、一つ一つ、丁寧に埋めていく。
指先に伝わる、湿った土の感触。
49歳のゴツゴツとした指が、小さな命を土に託す。
かつて、コンクリートと鉄筋に囲まれて生きてきた俺にとって、この「土をいじる」という行為は、何よりも贅沢な遊びに思えた。
5. 三人称視点:ベアトリーチェの戦慄、再び
ベアトリーチェは、完成した「植物工場」の隅で、静かに震えていた。
彼女には見えていた。
盆山が組んだ配管と魔石の配置が、結果として、とてつもない精度の「結界」を形成していることに。
植物の成長を促すための「赤と青の光」は、アンデッドや闇属性の魔物にとっては、存在そのものを消去しかねない「聖なる浄化の波動」を放っている。
そして、地面を這う「ドリップチューブ」の水流は、微弱な魔力の振動を迷宮全体に響かせており、それが侵入者の感覚を狂わせる「迷いの霧」のような役割を果たしていた。
「(……この人は、自覚がない。ただ『美味しいサラダが食べたい』という一心で、神話級の結界を、しかも自動メンテナンス機能付きで作り上げてしまった……)」
彼女は、盆山が種を植えた後、嬉しそうに腰をトントンと叩きながら「これでビタミン不足解消だな」と笑う姿を見て、深く、深く溜息をついた。
この男の「こだわり」は、もはや世界を書き換えるレベルに達している。
6. 芽吹きと、新たなしがらみ
数日後。
紫の光が降り注ぐ土の中から、小さな、だが力強い「緑」が顔を出した。
「……出たな」
俺は、その小さな芽を眺めながら、不覚にも少し目頭が熱くなるのを感じた。
49歳、独身。
誰かを育てるという経験をほとんどせずに生きてきた俺にとって、自分の手で作った環境で、新しい命が生まれたという事実は、言葉にできない充実感を与えてくれた。
「ベア。見てみろ。芽が出たぞ」
「……はい。とても、美しい緑ですね、マスター」
ベアもまた、その芽を愛おしそうに見つめていた。
彼女にとっても、この地下空間はもはや「守るべき拠点」ではなく、共に暮らす「家」へと変わっていた。
だが、その平穏を破るように、上層階から微かな「人の声」が響いてきた。
それも、昨日よりも数が多い。
「……マスター。上層の『休憩所』に、十人ほどの人間が詰めかけています。……どうやら、昨日帰った冒険者たちの話を信じて、『聖なる泉のベンチ』に座りに来たようです」
「……は?」
俺は耳を疑った。
俺が作ったのは、あくまで俺が快適に過ごすための「隠れ家」だ。
それがなぜ、腰痛持ちの冒険者たちのサロンになっているんだ?
「マスター。彼らは、あそこに『奉納品』を置いていっていますよ。……上質なパンや、ワイン、それから珍しい果物の種まで」
俺は、自分の額に手を当てた。
しがらみからの解放。そう思って始めた異世界生活だったが、どうやら俺の「こだわり」は、意図せずして新しい「しがらみ(ファン)」を呼び寄せてしまったらしい。
「……ベア。ワインと種は回収しておけ。……それから、あいつらがもっと快適に休めるように、明日はあそこに『自動販売機』でも作るか」
「本気ですか、マスター……」
49歳のDIY精神は、止まるところを知らない。
こうして、地下1000メートルのサンクチュアリは、住人だけでなく、迷い込む者さえも癒やす、奇妙な聖域へと進化を始めたのである。
第5話、完。




