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居酒屋ゆうちゃん放火事件——
世間的には、厨房の火の不始末による事故として処理されている——をきっかけに、駿河、甲斐、和奏の三人は、本格的に全平教への報復を誓い合った。
三人は駿河の家に集まり、どのように報復すべきかを話し合うことになった。
だが、この話し合いは思いのほか難航した。「報復」と聞いてまず思い浮かぶのは、教会への放火、殴り込み、あるいは教祖の誘拐といった、どうしても物騒な手段ばかりだった。
しかし——それを実行したところで、何になるのか。
正直なところ、そこに明確な答えはなかった。
仮にそれらを実行したとしても、全平教に目を付けられるリスクは避けられない。
さらに、捕まった場合に待ち受けるであろう制裁を考えれば、危険に見合うだけの見返りがあるとは到底思えなかった。
結局、手段を考える前に、「何を目的とするのか」を定めるべきだという結論に至った。
だが、その肝心の目的が、まったく浮かばない。
重たい沈黙が部屋に落ちた。
「……大島さんとかにも相談してみるか?」
駿河がぽつりと呟いた。
その言葉に、甲斐は即座に頷く。
「それいいな」
だが、和奏はわずかに眉をひそめ、渋い表情を浮かべた。
「良いとは思いますけど……あまり巻き込みたくはないですね」
慎重に言葉を選びながら、和奏は続ける。
「どのみち、バレたらただじゃ済みません。もしそうなったら、大島さんのお店にも迷惑が掛かりますし……夏川さんや清水さんは、確実に会社を解雇されるでしょう」
一度言葉を切り、二人を見渡す。
「声を掛けるにしても、慎重に吟味した方がいいと思います」
「でも、それを言うなら、和奏は大丈夫なのか? それこそ大学は退学になるぞ」
駿河が問いかける。
「ええ。だからこそ、わたし個人としては、できるだけ表立って活動したくありません。なるべく裏方に徹したいと考えています」
和奏は真剣な眼差しでそう答えた。
そしてそのまま視線を移し、今度は駿河、続いて甲斐を見つめる。
「それを言うなら、駿河さんと甲斐さんは、お仕事の方は大丈夫なんですか?」
しばし、三人の間に沈黙が流れる。
やがて和奏は、ふと何かに気付いたように目を泳がせた。そして次の瞬間、バツの悪そうな表情へと変わる。
——甲斐は、ニートだった。
「いやいや、もうわざとらしいって。実はいじってるだろ?」
甲斐が不満げに口を尖らせる。
だが和奏に悪気はない。ただ、毎回忘れてしまうだけなのだ。
駿河は小さく息を吐き、「俺が言い出しっぺだしな」と前置きしてから続けた。
「警察なんかに未練はないし、こんな惨めな生活を守ったって仕方ない。それに——」
駿河は、自分の手を見つめる。
そこには、神の力が宿っている。
「俺がいないと始まらないだろ…」
静かに、だが確信を込めて言おうとした時だった。
「妙案があります!」
和奏が突然、目を輝かせて身を乗り出した。
因みにこれにより駿河の決め台詞は、見事にかき消された。彼女は人の話を最後まで聞けないのだ。
「差別教の方々に協力を仰ぐのはどうでしょう?」
和奏は勢いそのままに続ける。
「わたしが以前調べた限りでは、全平教とは真逆の思想を持っています。規模は不明ですが、うまくいけば一気に仲間を増やせるかもしれません」
「あー……前に話してた、黒人と若い女のやつか」
駿河が思い出すように呟く。
かつてファミリーレストランで、生真面目病の連中に囲まれたとき、差別教を名乗る二人組に助けられたことがあった。その話を、以前和奏が語っていたのだ。
だが——
駿河の表情には、どこか引っかかるものが残っていた。
「けど、差別教って名前からして過激すぎないか? 危ない奴らの匂いしかしないんだけど」
駿河が眉をひそめる。
「ちなみに、どんな思想だっけ?」
甲斐の問いに、和奏は少し言葉を選びながら答えた。
「正直、細かいところまでは分かりません。ただ……名前の通り、日本人以外は国外追放すべきだとか、肌の色で階級を決めるべきだとか、男の方が偉いんだ、女は家事育児だけしていればいいとか……」
一度言葉を切り、やや言いづらそうに続ける。
「人間以外は家畜として扱うべきだ、とか。そういう思想を掲げて、それを実現するために活動している……らしいです」
「無茶苦茶じゃないか……」
思わず駿河が呟く。
あまりにも極端で、歪んだ思想の数々。さすがの駿河も、背筋に寒気を覚えた。
だが、甲斐が顎に手を当てて言った。
「でもさ、それって生真面目病の連中から聞いた話なんだろ?」
「ええ、まあ……」
「だったら、誇張されてたり、悪評を流すためにデタラメを掴まされてる可能性もあるんじゃないか?」
甲斐は続ける。
「第一、その場に黒人がいたんだろ? もうその時点で矛盾してるじゃん」
珍しく、筋の通った指摘だった。
和奏は少しだけ気まずそうに目を逸らし、それでもどこか開き直ったように言う。
「ですから、あまり自信はないんです」
なぜか胸を張っていた。
「……なんでそこで堂々とするんだよ」
駿河が呆れたようにツッコむ。
「まあ、とにかく」
気を取り直すように駿河が言った。
「一度話してみるくらいなら、問題ないだろ」
危険かどうかを判断するのは、その後でも遅くはない。
「だな」
甲斐も頷く。
「……そうですね」
和奏も小さく同意した。
こうして三人は、当面の行動方針を”差別教の捜索”に定めたのだった。
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それから一週間。三人はそれぞれ独自に調査を進めた。
駿河は、以前、池袋のファミリーレストランに出没していたという情報を頼りに、周辺を巡回しながら聞き込みを行った。しかし、有力な手掛かりは何一つ得られなかった。
一方の甲斐は、インターネットを駆使して差別教の目撃情報を調べた。だが、ヒットするのは黒い噂や悪評ばかりで、具体的な所在には繋がらない。
こちらも成果はなく、悶々とした日々が続いた。
そんな調子で、何の進展もないまま二週間が過ぎたある日——
和奏から「有益な情報を得た」との連絡が入った。
呼び出された場所は、東京都を越えた先、埼玉県南部のとある駅だった。
駿河が改札を抜けると、すでに甲斐と和奏は到着していた。合流すると、三人は早速、差別教が現れるという場所へと歩き始める。
「平日のこの時間、この辺りの公園でよく見かける、って情報があったんですよ」
和奏はどこか誇らしげに言う。
その口調は、手柄をひけらかす子どものようだった。
「へぇ〜、そうなのか。よくそんな場所まで特定できたな」
駿河は素直に感心する。
「ええ、まあ。大学のト・モ・ダ・チに、戸籍に詳しい人がいまして。相談したら教えてくれたんです」
——彼女に友達はいない。つまり、嘘である。
「戸籍に詳しい友達って、どんな友達だよ……」
駿河は眉をひそめる。
「今の役所なんて個人情報にめちゃくちゃ厳しいだろ。簡単に教えてくれるわけないのに」
ぶつぶつと疑問を口にしていると、甲斐が割って入った。
「あー、あれじゃね?なんか聞いたことあるぞ。昔は戸籍情報とか売れたらしいし」
甲斐は腕を組み、適当な調子で続ける。
「きっとそういうので金儲けしてた親の倅なんだよ」
「失礼なこと言わないでください!」
和奏がすかさず反論する。
「せっかく教えてくれたのに……」
なぜ嘘の友達をここまで庇えるのか。しかも、目にはうっすら涙まで浮かんでいる。
——甚だ疑問である。
「……というか、戸籍と居場所って関係なくないか?」
駿河がぽつりと呟く。
「……確かにそうですね。なんで分かったんでしょう」
和奏は小首を傾げた。
その一言で、情報の信憑性は一気に揺らぐ。駿河は思わず、深く溜息をついた。
それでも三人は歩みを止めず、しばらく進む。
やがて——
和奏の言う、差別教が現れるという公園へと辿り着いた。
危険な宗教団体かどうかを見極めるため、三人は人目を避け、草陰に身を潜める。
そこから、公園内にそれらしき人物がいないか、慎重に様子をうかがうことにした。
公園は、町中にひっそりと佇む小さなものだった。
遊具はすべり台とブランコだけ。最低限の設備しかない。
周囲は木々に囲まれ、中央には低い丘があり、その向こうに小さな広場が広がっている。
全体を一望できる、こぢんまりとした造りだった。
「あっ……あの人です。いました」
和奏が小さく声を上げ、指差す。
その指先に釣られるように、駿河と甲斐も視線を向けた。
そこには——
若い女と、肌の黒い高身長の男。
女は栗色の髪を肩口で揺らし、淡いピンク色の半袖の上着にジーンズという、どこか柔らかい印象の服装をしていた。
男の方はがっしりとした体格で、水色のTシャツにチノパンというラフな格好だ。二人とも夏の終わりを感じさせる軽装で、いかにもこの場に溶け込んでいるように見える。
その二人組が、子どもたち五、六人を前にして、紙芝居をしていた。
紙芝居の題目は、桃太郎。
女は微笑みを浮かべ、優しげな声で台本を読み上げている。その声音は柔らかく、子どもたちに語りかけるようだった。
だが——
その場には、どこか異様な空気が漂っていた。
原因は、子どもたちの表情にあった。
誰一人として、楽しそうにしていない。目は淀み、感情が抜け落ちたように冷え切っている。中には、まっすぐに語り手を睨みつけ、あからさまな敵意を向けている者さえいた。
明らかに、普通の紙芝居の光景ではない。
その要因の一つは、語られている桃太郎の内容にあった。
それは昨今よくある「鬼ヶ島へ行き、話し合いによって鬼と分かり合う物語」ではない。
一昔前の——
鬼を容赦なく退治する、あの桃太郎だった。
棍棒を振るい、鬼を打ち倒し、力でねじ伏せる物語。
子どもたちが冷めた反応を示すのも、無理はなかった。
「なるほどな……確かに、差別教らしい」
その様子を見ていた駿河が、低く呟く。悍ましい内容を、まるで当然のように語る二人に、合点がいったらしい。
だが、甲斐の見解は違った。
「僕はこっちの桃太郎の方が好きだけどな〜」
気楽な調子で言いながら、続ける。
「ほら、白雪姫だって——」
「いや、ペチャクチャとうるせぇーよ!」
駿河が即座に遮る。
「言いたいことは分かる。でもな——」
一度、子どもたちの方へ視線を向ける。
「幼気な子ども相手に、こんなもん見せて洗脳しようとするのは……さすがに狡くないか?」
駿河の言葉には、わずかな苛立ちが滲んでいた。
テレビでは連日、極端なまでの非暴力思想が繰り返し報道されている。その影響を、駿河も少なからず受けていた。
一方で、甲斐は違う。
日常のほとんどをゲームに費やしている彼は、全平教が日本を席巻する以前の感覚を、色濃く残していた。
その差が、二人の見解の違いとなって表れていた。
異様な空気に包まれたまま、女はそれでも変わらぬ優しげな声で物語を続けた。
「鬼を退治した桃太郎、犬、猿、雉は、鬼から奪い返した宝物を荷車に積み、村へと帰りました。村人たちは大喜び。こうして村は平和になりましたとさ——めでたし、めでたし」
最後の言葉とともに、女は満面の笑みを浮かべ、そっと紙芝居を閉じる。
ぱたん、と薄い板の合わさる音が、公園に静かに響いた。
——その直後だった。
ヒュッ、と空気を裂く音。
次の瞬間、小石が一直線に飛び、女の額にぶつかった。
「っ……!」
小さな悲鳴が漏れる。
予期していなかったのか、反応はわずかに遅れていた。
黒人の男が咄嗟に前へ出る。
女を庇うように一歩踏み込み、腕を振るう。
カン、と乾いた音を立てて、二つ目の小石が弾かれた。
三つ目、四つ目——。
飛んでくる小石を、男は次々と払い落としていく。
その動きは速く、無駄がなかった。
最初に石を投げたのは、先ほどから敵意を剥き出しにしていた少年だった。
唇を歪め、強く握った拳を振りかぶる。
その姿に呼応するように、他の子どもたちも次々と石を拾い上げた。
そして——投げる。
乾いた地面を蹴る音。
小石が宙を走る音。
バラバラと不規則な軌道で、女へと降り注ぐ。
「そんな悪い桃太郎いるもんか!」
「嘘つき!」
「つまんねぇーよ!」
「鬼さん可哀想!」
非難の声が、矢のように飛び交う。男は前に立ち続けながら、何度も声を張り上げた。
「やめなさい!」
だが、その声は届かない。
子どもたちは投げる手を止めない。
一方、女は——
額に当たった箇所をそっと押さえながら、俯いていた。
指先にわずかな赤が滲む。
長い栗色が垂れ、表情を覆い隠す。
それでも彼女は、その場から動こうとしなかった。
ただ、じっと耐えるように、石を受ける空間に身を置き続けている。
子どもたちは容赦なく、小石を投げ続けていた。
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