—3—
一度は消滅した野球だったが、”モンクエ”発売から半年も経つ頃には、徐々にグラウンドに人が集まるようになっていた。
この頃には、駿河は河村グループの一員としてすっかり認知されていた。
当初はどこか控えめな印象だったが、そのツッコミ体質が幸いし、今ではクラス内でも目立つ存在へと飛躍していた。
河村は賑やかし役としては抜群の才能を発揮する一方、どこか適当な節があり、途中でだらけてしまうこともしばしばあった。そのため、リーダーシップに長けた駿河の存在は、自然と重宝されるようになっていった。
チーム戦でも、駿河が仕切り役を買って出ることが増え、打順やポジションを考えることもあるほどだった。
もちろん、野球がない日は、相変わらず河村たちと遊ぶ日々である。
それからさらに数ヶ月が経ち、学年が一つ上がった頃のことだった。
ある日、河村が唐突に言い出した。
「俺たちの秘密基地、作らないか?」
一同はすぐに賛同し、どこか良い場所がないか話し合いが始まった。
すると、歳の離れた兄を持つ友人が、かつて兄が秘密基地として使っていた場所を提案した。
小学生あるあるだが、そうして秘密基地に最適な場所は、まるで伝承のように受け継がれていくものなのだ。
そこは、栄丸神社の裏山の奥にあった。
山肌が削れて窪み、絶妙に張り出した木の根が支えとなって形を保っている、浅い洞窟のような場所だった。
自分たちだけの空間にすっかり魅了され、皆は秘密基地作りにのめり込んだ。
まず、それぞれの家からお菓子や雑誌を持ち寄った。
次に、バザーで安く売られていたレターボックスや丸テーブル、座椅子などを買い漁り、えっちらおっちら運び込んだ。
家具が揃うと、そこはいよいよ部屋らしい雰囲気になり、ますます夢中になっていった。
中でも河村の嵌まりようは群を抜いていた。
親と喧嘩して家出したときなどは、この秘密基地で夜通し過ごすほどだった。
夏休みには、秘密基地でお泊まり会をすることもあった。
キャンプ用のランタンを持ち寄り、真っ暗闇の秘密基地を照らす。山の奥は夜になると想像以上に暗く、ランタンの灯りは、まるで自分たちだけの世界を切り取ったように周囲をぼんやりと照らしていた。
コンビニで買ってきた夜食や菓子を広げ、トランプをしたり、ポケットゲームをしたりしながら、朝まで語り尽くした。
ポテトチップスの袋を回し食いしながら、誰かがカードを切り、誰かがゲームのボタンを連打する。負けた奴がジュースを奢るだの、カードを引く順番でもめるだの、くだらないことでいちいち大騒ぎになる。
普段とは違う環境に、皆の気持ちはどこか上擦っていた。
外では虫の鳴き声が途切れることなく続き、時折、風に揺れた木の葉がざわりと音を立てる。そのたびに誰かが「今のなに?」と騒ぎ、すぐにまた笑い声が戻る。
好きな人の名前を言い合ったり、芽生え始めたばかりの性の話をしたり——。
誰かが思い切って名前を口にすると、すぐさま他の連中が囃し立てる。
「あ、どうりで最近、俺の席に来るわけだ」
「ち、ちげぇーよ。それはたまたまだよ」
所詮は小学生だ。恋の発展なんて考えちゃいない。
ただ互いをからかい合い、笑い合う。そんな公平な空気があったからこそ、つい口を滑らせてしまうのだ。
「今度、伝えといてやるよ」
「伝えたら殺す!」
大げさな脅し文句に、また笑いが起きる。
やがて話題は、まだよくわからないままの性の話へと移っていく。どこで仕入れてきたのかも曖昧な知識を、それぞれが得意げに披露し合う。
結局、どこまで本当なのか誰にもわからないまま、また笑い声が広がった。
互いの秘密を共有することで、仲間としての結束はより強くなったように思えた。
この場所で話したことは、ここにいる者だけの秘密だ——。
そんな暗黙の了解が、いつの間にか皆の間に生まれていた。
生涯忘れることのない貴重な時間だと、誰も口にはしなかったが、その場にいた全員が直感していた。
ランタンの灯りの向こうで、仲間たちが笑っている。
夜はまだ長く、そして、この時間がずっと続くような気さえしていた。
やがて中学生になると、秘密基地は自然と使われなくなった。
しかし、河村を含めた三人との関係は続いていた。
カラオケ、映画、ゲームセンター。小学生の頃とは遊び方こそ変わったが、時間さえあれば集まっていた。
その関係は、高校に上がってからも変わらなかった。
だが——。
その友情が終わりを迎えるきっかけとなったのは、言うまでもなく、全平教思想の日本席巻、そして生真面目な性格への突然変異現象だった。
それはまさに晴天の霹靂だった。
その日、駿河は河村たちとカラオケに来ていた。
十八番を歌い終えた、ちょうどその直後だった。
突然、河村が言った。
「帰ろう」
あまりにも唐突だった。
駿河は戸惑ったが、他の二人もそれに賛同したため、その日はそのまま解散することになった。
違和感を抱えたまま、翌日。
学校で声を掛けてみると、やはり三人はどこかよそよそしい態度を取った。
胸の奥に動揺が広がっていく。
だが、きっと何かの間違いだろうと自分に言い聞かせ、休み時間のたびに話し掛けた。
しかし、やはりよそよそしい態度のままだった。
混乱は増すばかりだった。
その翌日も、またその翌日も。
折れそうになる心を奮い立たせながら、駿河は話し掛け続けた。
そして、ついには注意を受けるようになった。
「なぁなぁ。今日テスト期間で部活休みだし、カラオケでも行かないか」
「部活が休みなのは勉強をするためだ。なぜカラオケに行くのか、意味がわからない」
「……まぁ、そう固いこと言うなよ。どうせお前は赤点だろうが」
「失礼なことを言うな。俺は毎日、家でずっと勉強している。光太郎も遊んでばかりいないで、生活を改めた方がいい」
これには耳を疑った。
勉強嫌いの河村の発言とは、とても思えなかったのだ。
それから河村は、日に日に小うるさくなり始めた。
そして——。
「光太郎。俺たちは、これまで多くの悪行をしてきた。そのことにずっと思い悩んでいたが、全生物平等教の教祖様が言うには、ある禊をすれば、それは償われるそうだ。光太郎も一緒に行くべきだ」
「教祖?」
この頃はまだ、全平教の存在は一般には知られておらず、駿河は小首を傾げた。
ただ、日本人特有の新興宗教に対する偏見意識が働いたのか、漠然とした胡散臭さを感じた。
そして、それは遠からず当たることになる。
河村は一週間ほど学校に来なくなり、久しぶりに登校したかと思えば、口調が以前より格段に強くなっていた。
「君も禊をやるべきだ。今ならまだ間に合う」
「なんだ禊って!俺がいったい何をした」
「小学生の頃から、遊び呆けていたではないか。それに蝉取りだ、カブトムシ狩りだ、ザリガニ釣りと、生き物を粗末に扱った。蟻の巣を潰したり、鹿にエアガンを撃ち込んだりもしたな」
確かに、小学生ならではの残酷なことをしたのは事実だった。
だが、今さらそんな昔の話を持ち出され、「禊をしろ」と言われても、駿河には到底納得できなかった。
「あの頃は、俺もどうかしていた。毎日のように遊び回って、馬鹿みたいだった。木を折ったりもしたな。魚たちの住処を荒らしたりもした。そういえば山に不法投棄もした」
「なにを言ってるんだ、お前……」
楽しかった日々を、まるで悪事だったかのように言い換えていく河村に、駿河は嫌悪感を覚えた。
そんな駿河の気持ちを知ろうともせず、河村は「罪」と題して禊を強要し続けた。
その強要は日に日に過激になり、やがて顔を合わせるたびに突っかかってくるようになった。
友人の変わりようにショックを受けると同時に、駿河は次第にそれを鬱陶しく感じるようになっていった。
友人を失い、沈んでいく日常生活の中で、かつての思い出だけが駿河の拠り所になっていた。
ある休日、ふと思い立ち、小学生の頃に秘密基地として使っていた栄丸神社の裏山へ向かうことにした。
栄丸神社は、一面が落ち葉に埋もれていた。
裏山へ入り、秘密基地のあった場所を目指す。
しかし、かつて運び込んだ家具はすべてなくなっており、そこにはただの浅い洞窟が残っているだけだった。
落胆しながらその場に座り込み、空を見上げる。
小学生時代の思い出が次々と溢れ出し、感傷的な気分に包まれていく。
気がつけば、空は滲んでいた。
秘密基地を解体したのは、全平教か、あるいは河村本人だろう。
いずれにせよ、河村が関与していることは間違いないはずだった。
駿河にとって何より悲しかったのは、河村が秘密基地を「不法投棄」と呼んだことだった。
確かに、第三者から見ればそうなのかもしれない。
だが、小学生だったあの頃、ここは確かに楽園に見えた。
自分たちだけの空間が嬉しくて、たまらなかったのだ。
その思いまで否定されてしまったことが、駿河には何より悲しかった。
もはやその思い出は、駿河の独りよがりに成り果ててしまったのだ。
それから駿河は、定期的に元秘密基地へ通うようになった。
遊び相手もおらず、時間はあり余っていた。
そんなある日、秘密基地でぼんやり過ごしていると、麓の方から声が聞こえてきた。
こっそりと山を下り、木の陰に隠れて様子をうかがう。すると、そこには複数の男たちに混じって河村の姿があった。
男たちは斧やチェーンソーを手にしていた。場違いなほど物騒な道具だった。
次の瞬間だった。
バキッ——。
鈍い破壊音が山に響いた。
男の一人が斧を振り下ろし、神社の柱に叩きつけたのだ。さらにチェーンソーが唸りを上げる。耳障りな金属音が空気を切り裂き、木材が削られていく。
神社荒らしとも言える破壊行為が、目の前で始まった。
「やめろ!」
駿河は反射的に飛び出していた。
石段を駆け下り、男の腕を掴んで引き剥がそうとする。
しかし次の瞬間、肩を掴まれた。
「邪魔だ」
身体が強引に引き剥がされ、地面へ叩きつけられる。背中に衝撃が走り、息が詰まった。
それでも駿河は立ち上がった。
そして河村に向かって必死に叫んだ。
「なにしてるんだ。やめてくれ。俺たちの思い出の神社じゃないか!」
「うるさい」
河村はゆっくり振り向いた。
「神を祀るなど、あってはならないんだ」
その目は血走っていた。正気とは思えなかった。
「俺たちは、この悪しき伝統を打ち破らなければならない。誰かがやらなければならない」
河村は斧を握り直す。そして、振り上げた。
ゴンッ——!
木を打つ鈍い音が響く。
もう一度。
ゴンッ。
破壊の音が山に反響する。
血走った目で斧を振り回しながら、河村は正義を語っていた。
狂っている——。
駿河は心の中で叫んだ。
だが周囲から見れば、異常者は駿河の方だった。
背後から腕を掴まれる。さらにもう一人。二人、三人と身体を押さえつけられ、羽交い締めにされた。
「やめろって言ってんだろ!」
駿河は暴れる。肩を揺さぶり、身体をねじり、なんとか拘束を振りほどいた。
そして河村に飛びついた。
「小難しいことはよくわからない。でも、神社を壊して何になる。やめてくれ。頼む!」
「うるさい!!」
次の瞬間、強く突き飛ばされた。
身体がよろめき、地面に膝をつく。駿河は絶望しながら、壊されていく神社を見上げた。
そこには、凄まじい形相で斧を振り回す河村の姿があった。
振り上げる。叩きつける。また振り上げる。
かつて笑顔の絶えなかったその顔は、今では憤怒に歪んでいた。
やがて誰かが叫んだ。
「火をつけろ!」
次の瞬間、炎が上がった。
落ち葉に火が燃え移り、瞬く間に社を包み込んでいく。
乾いた木材が爆ぜる。
炎が屋根へと駆け上がる。
栄丸神社は崩れ落ち、炎に呑まれ、やがて全焼した。
こうして、思い出がまた一つ、消えていった。
その帰り道。
とぼとぼ歩いていると、ゴミ捨て場に大量の粗大ゴミが出されているのが目に入った。
それを眺めているうちに、ふと、ある考えが頭をよぎる。
——もう一度、秘密基地を作ろう。
駿河はすぐに粗大ゴミを漁り、秘密基地に使えそうな物を引っ張り出しては運び入れた。
それからも少しずつ、使えそうな物を見つけては運び込んでいった。
そして高校を卒業する頃には、雑多な物で溢れた秘密基地が完成していた。
その光景を眺めていると、不思議と救われたような気がした。
共有できる友はいない。
独りよがりの思い出だ。
それでも——。
駿河の口元は、わずかに緩んでいた。




