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【狐狸会議】
むかしむかし、山あいの小さな集落に、狐と狸が仲良く暮らしていました。
けれども、その集落にはひとつ、大きな悩みがありました。
それは、いたずら好きの猿が、田んぼや畑を荒らしてしまうことです。
せっかく育てた作物を踏み荒らされ、かじられ、狐も狸も、毎日ため息ばかりついていました。
「このままではいけない」
そう言って、狐と狸は集まり、どうするべきか話し合いを始めました。
すると――
狐たちは言いました。
「猿が来る前に、こちらから奇襲をかけて追い払うべきだ!」
一方、狸たちは言いました。
「いいや、集落のまわりに囲いを作って、猿が入れないようにすればよい!」
どちらも、自分たちの考えがいちばん正しいと思っていました。
互いに一歩も引かず、話し合いはまとまりません。
とうとう狐と狸は、別々に作戦を実行することにしました。
狐たちは猿に奇襲をしかけました。
けれど、猿はすばしこく、力も強く、なかなかうまくいきません。
狸たちは囲いを作りました。
けれど、作っているそばから猿に壊され、囲いは完成しません。
どちらの作戦も、うまくいかなかったのです。
困り果てた狐と狸は、山の奥に住む神さまに助言を求めました。
神さまは静かに言いました。
「互いの主張を尊重し、話し合うことが先決だ」
狐と狸は顔を見合わせました。
そして、もう一度話し合いを始めました。
今度は、自分の意見を押し通すのではなく、相手の考えを聞きながら、どうすればよいかを一緒に考えました。
やがて、ひとつの作戦がまとまりました。
翌朝――
猿がぐっすり眠っているあいだに、狐と狸は力を合わせて、猿のまわりに囲いを作りました。
すばしこい狐が見張りをし、器用な狸が囲いをしっかり組み上げます。
目を覚ました猿は、囲いの中から出ることができません。
こうして、いたずらは止まり、狐と狸の集落には、ふたたび平和が戻りました。
それからというもの、狐と狸は何か問題が起きるたびに、まずは「話し合い」をするようになったそうです。
おしまい。
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和奏は読み終えると、小さく息を吐き、天井を見上げた。
絵本を読んでいるあいだ、おばさんは一度席を外し、駿河は退屈しのぎに部屋のあちこちを眺め回り、甲斐は都合よく訪れた睡魔に身を委ね、畳の上でぐっすりと眠っていた。
静かな居間に、扇風機の回る音だけが響いている。
和奏は膝の上の絵本を、そっと撫でた。
その表情には、どこか感慨が滲んでいる。
「……なかなか興味深いお話でした」
ぽつりと呟く。
「なんだか、逆をいく今の世の中にこそ、大切なことが詰められている気がします。まぁ……こんなこと、論文には書けませんけど」
自嘲気味に肩をすくめる。
「そんな話だっけ?」
駿河は首を傾げた。どうやら、彼にはそこまでの示唆は読み取れなかったらしい。
ちょうどそのとき、おばさんが戻ってきた。
「読み終わったかい?」
「あ、はい。ありがとうございました」
和奏は立ち上がり、深々と頭を下げる。
その横で、甲斐は相変わらず規則正しい寝息を立てている。まるで平和の象徴のようだ。
和奏は絵本の裏表紙をめくり、作者名に目を止めた。
「この“田口あかり”さんって方が原作者なんですか?」
指先で名前を示しながら尋ねる。
おばさんは少し考えるように顎に手を当てた。
「さぁねぇ。ただ、原作者っていうのは違うんじゃないかしら。あれは伝承話だしね。だから、本当の意味での原作者は不明なんじゃないかねぇ」
「伝承……」
「確か、栄丸神社の壁画にもこの話が描かれていたはずよ。だから、かなり昔からある話なんだと思うわ」
「なるほど、なるほど……」
和奏はいつの間にか手にしていたメモ帳を開き、さらさらと書き込みながら何度も頷いた。
いくつか質問を重ねてみたものの、おばさんは詳しい由来までは知らないらしい。
結局、有力な情報は得られなかった。
だが、和奏の目はどこか楽しげだった。
答えよりも、問いそのものに価値を見出しているように。
畳の上では、甲斐が寝返りを打つ。
平和な午後の空気が、ゆるやかに流れていた。
「圭佑は……相変わらずですか?」
これ以上、狐狸会議の話で進展はなさそうだと判断し、駿河は話題を変えた。
その瞬間だった。
おばさんの表情が、ふっと曇る。
ほんのわずかな沈黙のあと、静かに口を開いた。
「そうよ。……しかもね、全平教に入信してしまったの」
その言葉は、畳の上に重く落ちた。
「旦那はね、ただ会話が成り立たないくらいよ。でも、あの子は……」
声が揺れる。
「一歩間違えると、ものすごい形相で睨みつけてくるの。まるで敵を見るみたいに。恐ろしくて、恐ろしくて……」
両手を膝の上で握りしめる。
愛情いっぱいに育てたはずの我が子に、憎しみにも似た視線を向けられる。
それが、どれほどの痛みか。
説明はいらなかった。
その顔に刻まれた皺のひとつひとつが、積み重ねてきた年月と、積み重ねられた絶望を物語っている。
居間の空気が、少しだけ重くなる。
扇風機の羽音だけが、場違いに規則正しく回り続けていた。
しばらく他愛のない話を続けたのち、やがて「そろそろ」と腰を上げる流れになった。
「ごめんね。大したおもてなしもできなくて」
申し訳なさそうに笑う。
だが駿河たちは、それが出し惜しみではないことを知っていた。
娯楽が否定される社会では、当然“お菓子”もまた、無用な贅沢として排除される。
家に菓子類がないのは、倹約ではなく、この世界の当然なのだ。
「いえ、十分です。本当にありがとうございました」
和奏が頭を下げ、駿河も軽く会釈をする。
玄関先で、甲斐はまだ半分寝ぼけた顔をしていた。
河村家をあとにし、三人は再び歩き出す。
目指すは――栄丸神社跡地。
夏の空気は重く、どこか湿っていた。
けれど駿河の胸の内には、さきほどの母の言葉が、鉛のように沈んでいた。
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