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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第9章「狐狸会議」
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—2—

 道中、懐かしい景色を前にして、駿河は少年時代の記憶を辿っていた。

毎朝通った小学校の校舎。

中学時代、よくたむろした町で唯一のコンビニ。

密かに想いを寄せていた女の子と偶然鉢合わせした郵便局の前。

自転車で転び、膝を擦りむいて泣きながら座り込んだ坂道。

祭りの帰り、父親におぶってもらいながら渡った橋。

足繁く通った玩具屋。

腰の曲がったおばあさんが切り盛りしていた駄菓子屋。


―――玩具屋も駄菓子屋も、すでに閉店していた。だが建物だけは、当時の姿のまま残っている。

時間だけが、先へ進んでいた。

駿河は夏の青空を見上げ、大きく深呼吸をした。

胸いっぱいに吸い込んだ空気は、どこか懐かしい匂いがした。

気分は、不思議と晴れやかだった。

その背後では、甲斐が最近のモンクエ事情について熱弁を振るい、和奏が「へぇ」「そうなんですか」と適当な相槌を打っている。

さらにその後方では、私が意味不明な舞を舞っていた。

――これを、平和と呼ぶのかもしれない。


「あら、もしかして光太郎くん?」

声がかかったのは、橋を渡った先にある一軒の民家の前だった。振り向くと、農作業着に身を包んだ五十代半ばほどの女性が、目を丸くして立ち尽くしている。

「……圭佑のお母さん?」

駿河は一歩前に出て、女性へ近づいた。

懐かしさが警戒心を上回っていた。

全平教が日本を席巻して以来、常に張り詰めていた警戒は、この瞬間だけ緩んでいる。

その女性は、かつての親友――河村圭佑の母親だった。


「外じゃなんだから、上がっていきなさい」

引き戸を開けると、ぎい、と少し軋んだ音がした。

古い平屋だった。

瓦屋根に、縁側付きの典型的な田舎家。玄関先には泥のついた長靴が並び、脇には使い込まれた農具が立てかけてある。軒先には、洗濯物が風に揺れていた。

靴を脱いで上がると、畳の匂いがふわりと鼻をくすぐる。

廊下は磨き上げられた木板で、ところどころに歳月の傷が刻まれていた。

居間には低いちゃぶ台。

壁には家族写真と、色褪せたカレンダー。

天井には年季の入った蛍光灯。隅にはテレビが置かれている。

エアコンはなく、代わりに扇風機が首を振っていた。その風が、風鈴の音をかすかに揺らす。

差し出されたのは、よく冷えた麦茶だった。

ガラスのコップに浮かぶ氷が、からり、と涼やかな音を立てる。一口含むと、ほんのりとした苦みと香ばしさが喉を通った。

久しぶりに感じる、“普通の家”の匂い。

畳と麦茶と、どこか石鹸の残り香が混ざった空気。それだけで、駿河の肩から力が抜ける。

ここには、全平教の掲げる標語も、監視の目もない。

ただ、生活がある。

「それにしても久しぶりだねぇ。何年ぶりかね」

おばさんはちゃぶ台の向こうに腰を下ろし、懐かしそうに目を細めた。

「さぁ……どのくらいでしょう。十五年とかですかね」

おばさんは、駿河の隣に座る甲斐と和奏にも視線を向けた。

二人は簡単に自己紹介をする。

なお、私は視認を許していない。つまり、おばさんの目には、三人しか映っていなかった。

「えっと……圭佑さんのお母さんは、その……なんと言うか、不真面目なんですね」

あまりにもド直球だった。

駿河は呑みかけていた麦茶を吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえる。和奏は数拍遅れて、自分がとんでもないことを言ったと気づいたらしい。みるみるうちに頬が赤く染まっていく。

「ち、違っ……その、悪い意味じゃなくて……!」

しどろもどろになる和奏。

だが、おばさんは腹の底から笑った。

「ははは! そりゃあ、なかなか面白いこと言う子だね」

軽快な笑い声が、畳の居間いっぱいに広がる。

その響きは、どこか久しく聞いていなかった“普通の大人の笑い”だった。

「ええ、そうね。不真面目よ、私は。だから色々と大変なの」

そう言って、肩をすくめる。

冗談のようでいて、どこか本音も混じっている声音だった。

「旦那も圭佑もね、わたしから言わせれば変になっちゃったから」

一瞬だけ、空気がわずかに沈む。

だがすぐに、彼女は駿河へと視線を向けた。

「……でも光太郎くんは、前と変わらないのね」

その目は、昔の少年を見ているようだった。

「それが、なによりよ」

駿河は目を細めた。

「よく分かりましたね。怖くはなかったんですか? もし前と変わってたらって……むしろその方が可能性は高い。全平教の一員かもしれないわけですし」

おばさんは、またくすくすと笑った。

目を点にする駿河たちに、あっさり種明かしをする。

「だってあなた達、服装が派手なんだもの。昔で言うところの“お洒落”よ」

その瞬間、全員が合点した。

この国の“夏の私服”は、無地の白Tシャツに黒のチノパンが基本である。

だが今日は違う。

大島のコーディネートのもと、駿河は黒のポロシャツにベージュの短パン。甲斐は堂々とアロハシャツ。和奏はロゴ入りTシャツにミニのデニムスカート。

「ミニスカートなんて、久しぶりに見たわ」

おばさんは、露わになった生足をちらりと見てから、和奏に向けて優しく微笑んだ。

全平教ならば、【執拗に誘惑している如何わしい服装】と断罪しかねない格好である。

「わたしも若い頃は、よくそんな服を着ていたわよ」

その言葉に、和奏の顔がぱっと明るくなる。

「本当ですか!? わたしも可愛いと思ったんです、このスカート! ほら言ったじゃないですか! 駿河さんが派手すぎないかって、いちゃもんつけてくるんですよ」

「気恥ずかしいだけよ」

おばさんの一言に、駿河は肩を竦めた。

図星だった。

正直、目のやり場に困るのが本音だったのだ。

「僕はいいと思うって言ったよね。白い部分が」

甲斐が、悪びれもなく言う。

「……白い部分?」

意味が分からず首を傾げる和奏。鈍感であることが、時には救いになる。


しばらくファッション談義で盛り上がったあと、駿河がふと思い出したように口を開いた。

「そういえば……狐狸会議のこと、覚えてますか?」

「狐狸会議? ……ああ、それなら絵本があるはずよ」

「本当ですか!? ぜひ見せてください!」

和奏が身を乗り出す。

おばさんは少し驚きながらも、奥の部屋へ引っ込み、やがて枕ほどの大きさの絵本を抱えて戻ってきた。

拍子抜けするほど、あっさりと目的は達成された。

和奏が絵本を受け取る。

表紙を、じっと見つめる。

小屋の中————中央に置かれた一本の蝋燭。

その周囲を囲む狐と狸たち。

右側に狐、左側に狸。

その中の一匹ずつが立ち上がり、白熱した議論を交わしている。

揺れる炎が、影を歪めている。

和奏は、ゆっくりと頁を捲った。

お読みいただきありがとうございます。

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