—3—
「こうちゃん。凄いわ。惚れちゃいそう」
大島の賛辞を皮切りに、店内は一気に喝采へと変わった。
夏川と清水が、これでもかというほど大袈裟に手を叩きながら叫ぶ。
「よっ、男前!」
「やるじゃないですか!」
園島は胸を撫で下ろしながら「いや〜助かったよ。一時はどうなることやらと……」と、心底安堵した様子で笑う。
和奏は少し離れたところで、胸元に両手を揃え、小さく拍手していた。派手ではないが、確かな称賛だった。
私と甲斐はというと、いつも通りである。意味もなく踊り、意味もなく騒ぎ、勝利の祝祭を全力で浪費していた。
激昂から一転。
急激に照れくさくなった駿河は、ぽりぽりと頭を掻きながら、元の席へ戻る。
「いや〜、ムカついちゃって、つい……」
声のトーンはすでにいつもの駿河に戻っている。
「それにしても爽快だったな。見ました? 奴の間抜けな表情。粗相までしちゃってさ。傑作、傑作。てか、あれは誰が掃除するんだ?」
まるで自分の武勇伝のように嬉々として語る甲斐。
場の空気は完全に緩んでいた。
「わたしが掃除しますよ」
すっと立ち上がったのは和奏だった。
甲斐は軽く片手を上げる。
「うん、よろしく」
……あまりにもあっさり。
その軽さに呆れつつも、和奏は何も言わず、水溜まりへと歩み寄る。卓上にあった大量のナプキンを無造作に掴み、そのまま放り投げるように汚れの上へ落とした。
じわり、と染み込んでいく。
その姿を見かけて、慌てて駆け寄ったのは園島だった。
「いいよ、いいよ。和奏ちゃん。こっちでやるからさ」
「いいんです。嫌いじゃないんで、掃除……」
酔いで赤く染まった頬。
だが、その表情はどこか寂しげだった。笑っているようで、どこか遠い。
不憫に思った――というわけでもない。たまたま目に入ったから、というだけだ。
私は二人に近づき、手をひらりと振る。
次の瞬間。
床の水溜まりも、砕けたガラス片も、吸い込まれるように消えた。まるで最初から何もなかったかのように。
二人は、ぽかんと口を開けたまま固まる。
目が、点になっている。
「ねぇ〜惚れた? ねぇ〜惚れた?」
せっかくの善行を自ら台無しにしながら、私は和奏に詰め寄った。
和奏は一瞬きょとんとしたあと、はっとしたように迷惑そうな表情へ切り替える。そして、気を取り直すように悪態をついた。
「……ガラクタさんの方が、よっぽど汚物に近いです」
これ以上ない暴言である。
だが私はまるで堪えない。むしろ楽しそうに、さらに距離を詰める。
「ひっ、ちょ、近寄らないで下さい!」
和奏は両手を大きく振って、必死に近づけまいとする。その姿は抵抗というより、もはや小動物の威嚇に近い。
傍から見れば、じゃれ合いにも見えるだろう。
その様子を苦笑混じりに見守っていた園島が、ふと表情を変えた。
笑みが消える。
視線が、ゆっくりと私に向く。
「……もしかして……栄丸神社に祀られている神様じゃないのか?」
空気が、わずかに変わった。
「ちょ、マジで近寄らないで下さい」
和奏は私から距離を取ろうとしつつ、手にしていた麦酒瓶を投げつける勢いで構え――だが、園島の言葉に反応してぴたりと止まる。
「え? なんの話です?」
園島は、まじまじと私を見つめた。
値踏みするように、確かめるように。
「やはり……そうだ」
小さく呟き、今度は和奏へ向き直る。
「彼の正体についての話だ。前々から、どこかで見た覚えがあったんだよな……」
「そ、それってどういうことですか? 正体? 栄丸神社? 以前にも遭ったことがあるってことですか?」
和奏の声が一気に上ずる。
そして、勢いのまま私を指差した。
「こんなヘンテコで、気色悪い神が実在するって言うんですか? そんな……。こんな気色悪いのが神なんて信じられません。神って創造ですよね? なんでこんな気色悪い物体にしたんですか?」
容赦がない。
加減という概念が、彼女には存在しないらしい。
「まぁまぁ、和奏ちゃん、落ち着いて……」
園島が宥める。
しかし和奏はまだ興奮気味だ。目は爛々とし、呼吸も荒い。
一方、私はというと、傷つく素振りも見せず、むしろどこか誇らしげに胸を張っていた。
やがて園島は静かに踵を返し、厨房へ戻っていく。
その背中は、何かを思い出した者のそれだった。
店内の空気が、再びわずかに軋む。
――栄丸神社。
その名だけが、場に残った。
「東京の外れ、栄丸町にある栄丸神社。そこに祀られているのが、塩椎神様だ」
和奏がカウンター席に戻ると、園島がそう切り出した。
「しおつち……? 聞いたことないですね。栄丸町ってどこです?」
小首を傾げる和奏。
その横で、思わず声を上げたのは駿河だった。
「栄丸町って……自分の地元です」
店内の空気が、わずかに動く。
栄丸町は、駿河の故郷だ。栄丸神社も、小学生の頃は遊び場にしていた馴染みの場所だった。
「でも、ガラクタと知り合ったのは池袋の神社なんですよね。なにか関係があるのかな?」
駿河が私へ一瞬視線を寄越す。珍しく、気遣うような目だった。
園島は腕を組み、うなずく。
「そりゃあ分からんが、なにかしらの縁はあるかもしれねぇな。……それにしても、駿河くんも栄丸町出身だったか」
懐かしむように目を細める。
「ガキの頃は、よく栄丸神社で缶蹴りしてなぁ。隠れてた場所に壁画があってよ。そこに描かれてる絵に、こいつがそっくりなんだ。隠れてる間、暇でよ。ずっと眺めてたから覚えてる」
園島の視線が、私へ向く。
だが駿河の返事は歯切れが悪かった。
「……そうなんですか。でも、あの神社って……」
ちらりと私を見てから、言葉を選ぶように続ける。
「……数年前に焼失したんです。たぶん、全平教の仕業でしょうけど。表向きは自然発火ってことになってますけどね」
園島の顔から、懐古の色が消えた。思い出の地が焼け落ちたと知り、言葉を失う。
重くなった空気を払うように、和奏が明るく口を開く。
「あ、そういえば。その塩椎神様って、なんの神様なんですか?」
しかし園島も、詳しい由来までは知らなかった。会話は一度、途切れる。
すかさず駿河が話題をずらす。
「それにしても、園島さんと同郷なんて。世界は狭いですね」
「そ、そうだな。あっ、あれってまだ残ってる? ほら、駅前の……」
地元談義に移ると、園島の声色は徐々に明るさを取り戻した。
話についていけなくなった和奏は、頬杖をつきながらジントニックのレモンをかき混ぜ棒で弄ぶ。
くるくる、と回る黄色。
そのとき。
「――狐狸会議」
その言葉が耳に入った瞬間、和奏の目の色が変わった。
「それ、興味あります」
身を乗り出して目を輝かせる。
園島は嬉しそうに頷いた。
「おっ、そうか。狐狸会議ってのはな、栄丸町に伝わる童話だ。確か……狐と狸が会議して、猿をとっちめた話だったかな」
「あー、懐かしいですね」
駿河が相槌を打つ。
「もっと詳しく知りたいです」
目を輝かせる和奏。
だが園島も駿河も、物語の詳細までは覚えていなかった。
「どうして、そんなに興味あるの?」
駿河が尋ねると和奏は、照れ隠しのようにまたレモンをくるくると回した。
「……論文のテーマにうってつけかと思って。ほら、わたし一応、歴史学部ですし」
「うーん。ただ、全国区の童話じゃねぇからなぁ。調べるにしても難しいぞ。……あっ、栄丸町の図書館なら文献があるかもしれねぇな」
「それはいい! 是非僕も行こう!」
突如、甲斐が割って入る。
無駄に腰を振りながら、全身で浮かれ気分を表現している。
和奏は思わず小声で漏らした。
「……甲斐さんはいらないんだけど」
「えっ。僕ってもしかして嫌われてる?」
露骨に拗ねる甲斐。
「嘘です嘘です! 行きましょう、みんなで。ははは。駿河さんも行きますよね?」
「いや、俺はいいんだけど……」
駿河は唐揚げを口に放り込み、正面を向いて我関せずを装う。
だが。
「お願いしますよ。人助けだと思って、ね?」
両手を合わせ、上目遣い。無意識なのか、計算なのか。
和奏は、やはり美人だった。
駿河は盛大にむせた。
「わ、わかった。わかりました」
顔を真っ赤にしながら、どうにか声を絞り出す。
「……僕はこの間、どういう表情をしていればいいんだ?」
甲斐の悲哀に満ちた疑問が続く。
こうして――
駿河と和奏、そして厚顔無恥の甲斐は、急遽、栄丸町へ小旅行する運びとなった。
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