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東京の街並みは、見る影もなく様変わりしていた。
二十年前、政府主導のもと大規模な都市改革が進められ、かつて「不衛生」「非効率」とされたものは徹底的に塗り潰された。古き良き風情は“時代遅れ”と断じられ、やがて弾圧の対象となった。
瓦屋根は剥がされ、石畳はアスファルトに飲み込まれ、木造の長屋はガラスと鉄の塊へと姿を変えた。下町の香りや、商店街の呼び込みの声は消え失せ、残ったのは無機質な整列と沈黙だけだった。
一部の文化人や住民が反発の声を上げたが、少数派が軽視されるのは世の常である。
抗議は無視され、強制退去が相次ぎ、行き場を失った者たちが一時は路上に溢れた。
だが、同時に改革は景気を押し上げた。
莫大な財政出動が建設・流通・不動産を潤わせ、一時的な好景気が蜃気楼のように街を包んだ。仕事と夢を求めて、地方の労働者たちは続々と東京へと流れ込んだ。
都市は膨張を続け、東京一極集中は加速したが、政府はその歪みを見て見ぬふりをした。
それでも、あの頃はまだ“幸せだった”と言えるだろう。
——少なくとも、人々が未来を信じていた頃までは。
やがて、来ると囁かれていた第二のバブルは、唐突な増税によって跡形もなく潰えた。都市改革の恩恵にあずかっていた者たちは一斉に職を失い、重税と物価高に喘ぎながら、働けど働けど豊かになれない現実に打ちのめされた。
希望を奪われた人々は、まるで掃き溜めの塵のように次々と街から姿を消した。
——自らの意思で。
街は美しく整い、人々の心は荒み切っていた。
そんな混沌の時代、一つの思想が静かに日本全土を席巻した。
——ちょうど十年前のことである。
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駿河は池袋駅の東口を出たところで、東武百貨店の巨大な看板を見上げ、ひとつ溜め息をついた。
「……逆……じゃない」
かつてこの街には、「東口に西武、西口に東武」という、誰もが一度は突っ込みたくなる小さな“違和感”があった。それがちょっとした笑いの種であり、日常の潤いでもあった。
だが今や、政府の都市改革によってその違和感は整然と正され、東口に東武、西口に西武——規律正しく、美しく揃えられてしまった。
――誰も間違わない街。
――誰も文句を言わない社会。
それは確かに単純で、わかりやすいのかもしれない。けれど駿河にとっては、どこか息苦しかった。
かつて「逆じゃん!」と笑えた、ささやかな違和感すら、今の世界では“修正すべき欠陥”として抹消されている。
「……そのまんまだな」
駿河は自嘲気味に肩を竦め、交番へと歩き出した。
「ただいま、パトロールより戻りました」
池袋駅東口交番(旧称)に戻ると、同僚の湯川がデスクに向かい、始末書を書いていた。
「はい」
返ってきたのは、顔も上げない素っ気ない一言だけだった。
駿河は空いているデスクに腰を下ろし、水筒のぬるいお茶を口にした。
平穏で、そして息苦しい時間が流れる。
ただ背筋を真っすぐに保ち、正面の一点を見つめる。何も考えず、何も感じず、ただそこに存在していることを演じる。時間は止まったように流れ、彼は“勤務”という名の静止に身を預けていた。
しばらくして、彼は立ち上がった。
「湯川さん。パトロールに行って参ります」
「はい」
またも変わらぬ調子で、陽川は返事だけして筆を動かし続けた。
パトロールから戻ってきて、わずか数分足らずで再びパトロールに出掛ける——。
こんなにもわかりやすく滑稽な行動をしているというのに、彼の表情には感情の起伏ひとつない。
それが今の職場であり、いや、この世界そのものだった。
交番を出ると、駿河は出入口にある落書きを見上げ、卑屈な笑みを浮かべた。
交番の看板には、赤いスプレーで大きく×印が描かれ、脇には太字で【税金泥棒】の文字。
——これは、彼の孤独な戦いの象徴である。
彼がこの交番に配属された当初から、すでにこの落書きは存在していた。
駿河は一晩かけてそれを洗い落としたが、一週間も経たぬうちに再び書かれた。そこから、駿河と“犯人”との根競べが始まった。
どれほど落書きされても、彼は諦めずに消した。それは執念というより、もはや義務感のようなものだった。だが、何度繰り返しても結果は同じ。
赤い文字は、まるで意志を持つかのように数日後には蘇っていた。
やがて堪忍袋の緒が切れた駿河は、犯人を捕まえるために張り込みを決意する。
一週間の休暇を取り、夜な夜な交番の陰に身を潜め、スプレー片手の犯人が現れるその瞬間を、息を殺して待ち続けた。
そしてある夜、ついに“それ”は現れた。
意外にも、その姿は地味で人の良さそうな中年の女性だった。
髪は後ろでひとつに束ねられ、薄手のカーディガンを羽織り、手にはスーパーのビニール袋。どこにでもいる、ごく普通の主婦のように見えた。
だが、その手の中には赤いスプレー缶が握られている。
表情は穏やかで、悪びれた様子はまるでない。
まるで買い物帰りに、ついでに夕飯の支度をするかのような自然さで、看板に向かって、「税金泥棒」と一文字ずつ丁寧に書き込んでいく。
駿河は目を疑った。
こんな人物が、夜な夜な落書きを続けていたのか。そのギャップに、怒りよりもむしろ虚しさが込み上げてきた。
そして駿河は、勇気を振り絞って声を掛けた。
「やめてください!こんなことをしても意味がありません!」
しかし、女は動じず、むしろ落書きを続けた。駿河が肩に手を伸ばした瞬間、女は甲高い声で叫んだ。
「触らないで!全平教に通報するわよ!」
——全平教。
そういえば、まだ説明していなかった。
「全平教」とは、警察に代わって“風紀”を取り締まる団体である。今の日本では、彼らこそが“秩序の番人”とされているのだ。
とにかく、この名を出された時点で駿河の分は悪かった。
正義を名乗る者に逆らうことは、即ち社会への反逆を意味する。手立てを失った駿河は、まるで玩具を取り上げられた子どものように地面に寝そべり、駄々を捏ねて抗議したが、努力虚しく落書きは最後まで完遂された。
仕方なく泣きべそをかきながら落書きを消していると、消したそばから、またも赤いスプレーが吹きかけられた。駿河が雑巾で擦って消すのに対し、相手はスプレー。
明らかに分が悪い上に、その女の粘着質な執念は異様なまでだった。
やがて駿河は完全に心を折られ、戦意を喪失した。
以降、落書きを見かけても、ただ卑屈な笑みを浮かべることしかできなくなった。
それが彼なりの“抵抗”であり、同時に“降伏”でもあった。
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駿河がパトロールと託つけて訪れたのは、街外れの寂れた神社だった。
境内には人影ひとつなく、ただ風だけが通り抜けていた。鳥居は赤錆に覆われ、かつての朱色はすっかり褪せ、陽光を浴びてもなお、鈍く濁った茶色に沈んでいる。
注連縄は風化し、房の先がほどけて土に貼りつき、まるで鳥居そのものが、長い年月に飽きてうなだれているようだった。
参道は落葉に埋もれ、踏みしめるたびにカサカサと乾いた音を立てる。風が吹くたび、枝葉がさざめき、埃と土の匂いが鼻をかすめた。その匂いには、どこか焦げたような、懐かしさにも似た哀しみが混じっている。
手水舎の水は濁りきり、鏡のように静まり返っていた。その底では、小さな黒い影がゆらゆらと動き、水面に細かな波紋を描いては、やがて闇の中へと消えていく。
柄杓は柄が折れ、苔むした石の上に無造作に転がっていた。
社殿の瓦はところどころ剥がれ、雨漏りの跡が板壁を黒く染めている。
両脇に佇む狛犬は苔に覆われ、片方は鼻が欠け、もう片方は片耳が落ち、原形を留めていなかった。
それでもなお、守護の姿勢だけは崩さずに立っているのが痛々しい。
肝心の社殿は、まるで銃撃でも受けたかのように無数の穴が穿たれ、その木肌は乾ききった血のように黒ずんでいた。周囲には、破壊された梁や柱の残骸が無秩序に散らばり、その上を、枯葉がさらさらと覆っていく。
時間が、ゆっくりと“神の死”を埋めていくかのようだった。
中へ足を踏み入れると、空気が一変する。
埃っぽく、湿気を帯びた風が肌にまとわりつく。御神体であった木像は、胸から真っ二つに裂かれ、無造作に床へと転がされていた。
木肌には、斧か鋸の跡がくっきりと残り、削られた断面はまだ新しい。
神棚は倒れ、棚板の一部が折れ、縄や紙垂は無残に引き裂かれ、畳の上に雨水と共に散乱していた。
畳は黒く腐り、歩くたびに柔らかく沈む。湿り気を帯びたその感触は、生き物の死骸を踏むようだった。
壁の塗装は剥がれ落ち、ところどころに赤錆が浮かび、かつてそこにあった“祈り”の痕跡をすべて飲み込んでいる。
そこには、もはや“神を信じる”という行為の痕跡すらなかった。
静寂だけが残り、世界の終わりのような時間が流れていた。
長年の放置による劣化ではない。
誰の目にも明らかな、意図的な破壊だった。
——全平教による“浄化”の跡である。
駿河は社殿の前に立ち、崩れかけた向拝の階段をゆっくりと登った。
賽銭箱には目もくれず、土埃まみれの縁側に躊躇なく足を踏み入れる。
そして、あろうことか——そのまま寝そべった。
十年前であれば、罰当たりにもほどがある行為だ。
だが今、この国に“罰を与える神”など存在しない。神主はいない。いや、そもそも神主という職業自体が、法律で消された。
先にも述べた通り、古風は弾圧の対象とされている。
ならば、神社仏閣などという「時代遅れの信仰施設」が残っていること自体が罪であった。
この神社も、かつては人々の心の拠り所であったに違いない。だが今や、その残骸すら“反秩序”として破壊され、文明の名のもとに、塵のように葬られている。
——いわば、日本中に信長が蔓延っていると考えてくれれば良い。
いや、仏だけに飽き足らず、神までも抹殺するのだから、信長よりも質が悪い。
数年前には、「扁額狩り」と呼ばれる大規模な破壊工作が各地で行われた。
人々は信長と秀吉を混同し、さらには、「敵は関ヶ原にあり」と、今度は信長と家康を混同しながら、光秀ばりに叫び、自らの無知を誇示するように神社を焼き払い、石碑を削り落とした。
―――全員落第である。
当然、この神社にも名はない。
扁額は外され、石碑は削られ、ただの瓦礫の山と化している。私は便宜上ここを“神社”と呼んでいるが、実態は廃墟にほかならない。
兎にも角にも、見るも無残な有様である。
それにしても、これほど神を冒涜してなお、彼らが対外向けには“日本人”を名乗っているのだから滑稽である。私から言わせれば、誇り高き先人と現代人とでは、種族こそ同じでも、精神の系譜はとっくに断ち切られている。
極端に言えば、現代人はもはや“日本人のなり損ない”である。
……愚痴が過ぎた。話を戻そう。
駿河は静かに寝息を立てていた。
ここは人通りが絶え、監視の目もない。彼にとっては、心ゆくまで惰眠を貪ることができる、
数少ない“安息の地”であった。
やがて日が傾き、黄昏の光が社殿の穴を縫うように差し込んでも、駿河は目を覚ますことなく、静かに夢の中を漂っていた。
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