—4—
後藤俊は、かつて自動車整備士だった。
男ばかりの職場で働く中、数少ない女性事務員と恋仲になり、十数年に及ぶ長い交際期間を経て結婚した。やがて一人娘を授かる。
周囲からは「バカ親」と冷やかされるほど、後藤は娘を溺愛していた。
毎週末、近所の公園へ娘を連れて行くのが、後藤の役目だった。
最初は園内をゆっくりと散歩するだけだった。ヨチヨチと覚束ない足取りで歩く小さな背中を、決して目を離さず見守る。
やがて足元がしっかりしてくると、すべり台やブランコ、アスレチックといった遊具で遊ぶようになった。最初はおっかなびっくりで、必死に遊具にしがみついていた娘も、次第に慣れていく。
後藤がそばにいなければ不安そうだった表情は消え、動きは安定し、遊びの水準は驚くほど早く高まっていった。
「パパ〜!」
遊具の上から手を振る娘の、誇らしげな笑顔。その姿が、どれほど愛らしく見えたことか。
数年も通ううち、同じように毎週末公園に来ている男の子と仲良くなり、遊びは一人遊びから友だちとの戯れへと変わっていった。
その成長を、後藤は少しの寂しさと大きな喜びを胸に抱きながら見守っていた。
それが、彼にとって何よりの楽しみだった。
幼稚園に通うようになってからも、娘は相変わらず公園に行きたがった。
毎週末とはいかなくなったが、時間に余裕のある日は、車で少し離れた大きな公園へ連れて行くこともあった。
この頃には、体力もずいぶんついてきていた。
気づけば日が暮れるまで遊び尽くし、帰る頃にはいつもクタクタになっている。それでも娘は、疲れた様子ひとつ見せず、楽しそうに笑っていた。
特にお気に入りだったのは、蛸を模した大型のすべり台だった。
一日中、飽きもせず何度も何度も滑り続ける。
後藤はベンチに腰掛け、その様子を眺めながら、ただ穏やかな時間に身を委ねていた。
身体は疲れていた。
だが、娘の笑顔ひとつで、その疲れは簡単に吹き飛んだ。
小学校に上がってもなお、週末になれば決まって二人で公園へ出掛けていた。
近所の公園は普段から遊び慣れているせいか、娘は次第に、少し離れた大きな公園へ行きたがるようになった。
元気に走り回り、お気に入りの蛸のすべり台を何度も往復する娘。
後藤は、もう手を引くこともなく、ただ少し離れた場所から見守るだけになっていた。
それでも、何の不満もなかった。
つい先日、生まれたばかりだと思っていた娘が、もう小学生だ。
この先、思春期を迎えれば、きっと距離を置かれるようになるのだろう。
「パパ臭い」なんて言われたり、中学生にもなれば、一緒に写真に写ることすら嫌がられるかもしれない。
年を重ねるごとに、少しずつ距離は離れていく。
口を利いてくれない時期が来ることも、きっとある。
それでもいい。
同じ屋根の下で暮らし、すぐそばで娘の成長を見守ることができれば。
元気で、健康に、生きてくれさえすれば――それだけで充分だった。
しかし、そんなささやかな願いは、生真面目病という“流行”が日本を席巻したことで、呆気なく奪われることとなった。
妻と娘は豹変した。
家の中で言葉を交わすことはなくなり、視線すら合わなくなった。
そして、後藤が”不真面目病”と診断された翌日――
置き手紙と離婚届だけを残し、妻と娘は無慈悲にも彼のもとを去っていった。
不真面目病と診断された後藤に対する世間の風当たりは、想像を絶するほど冷たかった。
職場は一方的に解雇され、実家からも絶縁された。
行き場を失い、心は日に日に荒んでいく。
空腹を感じることが、次第になくなった。
体調も優れず、咳は止まらない。
味のしない食事を無理に口にすると、吐いてしまうこともあった。
時折、血が混じることさえあったが、それでも彼は、義務のように食べるだけだった。
ただ、娘に会いたかった。
話をしてもらえなくてもいい。
見向きもされなくて構わない。
ただ一目、あの子の成長を見守りたかった。
――それだけだった。
そんな絶望の最中、娘との再会を果たせたことは、まさに奇跡と呼ぶほかなかった。
その日、後藤は日雇いの仕事帰りに体調を崩し、休息を求めてゲームセンター【ゴールドゲーム】に立ち寄った。
しばらく椅子に座っていると、呼吸は落ち着き、眩暈も治まってきた。
せっかく入ったのだからと、少しだけ遊ぶことにした。
視界に入ったのは、かつて娘が好きだった音楽ゲームだった。
深い理由はなかった。ただ、自然と手が伸びただけだ。
プレイを始めると、娘との思い出が次々と溢れてきた。
上手くできるはずもないのに、気がつけば夢中になっていた。
だからだろう。店員の忠告は、まるで耳に入らなかった。
気づいたときには、後藤は全平教に囲まれていた。
怒号と叱責の中で、彼は見た。
五、六人の全平教の、その後方――
怒りで顔を歪めた、娘の姿を。
”たった一度でいいから、娘に会いたい”
その願いは叶った。
だが人間とは欲深いもので、叶えられた翌日には、もう一度会いたいと願うようになった。
そして、藁にもすがる思いで、後藤は足繁く【ゴールドゲーム】に通うようになったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、評価して下さるとありがたいです。




