—2—
早々に見切りをつけた二人は、短い話し合いの末、格闘ゲームをやることに決めた。
現代の価値観に照らせば、格闘ゲームは過激で野蛮な世界観の娯楽である。暴力を肯定し、殴り合いで勝敗を決するその構造は、今や忌避されがちなものだ。
――だからこそ、二人は惹かれた。
格闘ゲームが設置されている二階へと足を運ぶ。
フロアに上がると、先客が一人だけいた。無精髭を生やし、紺色のジャージに身を包んだ中年の男だ。
男はゲーム機の前に陣取り、淡々と格闘ゲームを続けている。表情には張り合いがなく、ただ指とレバーだけが惰性のように動いていた。
こちらの気配に気づいたのか、男はちらりと視線を向ける。
だが、それだけだった。
興味も警戒も示さぬまま、すぐに画面へと視線を戻す。
ゲーム機と向き合うその横顔は、驚くほど退屈そうだった。
駿河が百円玉を投入口に落とす。
――チャリン。
その音を合図に、どこか懐かしさを帯びた電子音楽が流れ始めた。画面が切り替わり、ゲームが起動する。
「まずはシングルで慣らそうか」
二人はそれぞれ、キャラクター選択画面に向き合った。
「へぇ……意外とキャラ多いな」
甲斐は画面を眺めながら、楽しそうに声を上げる。
「おっ、こいつかっこいいじゃん。これにしよっかな」
純粋にデザインの好みだけで選ぶ甲斐に対し、駿河は画面を睨むようにしていた。
「……このマッチョ、強そうだな。でも動きは遅そうか?」
駿河の基準は一貫している。
――勝てるかどうか。見た目ではなく、性能だ。
キャラクター選択ひとつ取っても、人となりははっきりと表れる。
甲斐は気に入ったキャラクターを一途に使い続けるタイプだった。一方の駿河は、次々とキャラクターを変え、手当たり次第に試していく。
より実力的に優れたキャラを見極めることを、何よりも優先していた。
レバーを倒し、ボタンを叩く。
画面の中でキャラクターが跳び、拳を振るい、相手を容赦なく殴り倒す。
――タコ殴り、と呼ぶほかない光景。
だが、不思議と嫌悪感はなかった。むしろ、胸の奥がすっと軽くなる。
いつもとは違う環境。
いつもとは違う刺激。
久しく触れてこなかった“単純な暴力表現”。
二人は次第に無言になり、画面に集中していく。
時間の感覚が薄れ、指先だけが忙しなく動き続けた。気づけば、二人はすっかりゲームにのめり込んでいた。
三十分ほどが経過した頃だろうか。
駿河は、ひと区切りの良いタイミングでレバーから手を離し、ふと店内全体を見渡した。
他にはどんなゲームがあるのか、少し気になったのだ。
すると、二階フロアの一角で、先ほどから一人で格闘ゲームを続けていた中年の男が、複数の店員に取り囲まれているのが目に入った。
店員たちは、一定の距離を保ったまま、男に向かって何やら声を掛けている。
「ゲームを開始してから、一時間以上が経過しました」
抑揚のない声が響く。
「直ちに手を止め、三十分の休憩を取ってください。これ以上継続してのゲームは、不真面目病の進行に繋がります」
同じ文言が、少し間を置いて繰り返された。
「再度忠告します。直ちに手を止め、三十分の休憩を取ってください」
――お節介も、ここまで来ると滑稽である。
一時間以上ゲームをしたら、三十分の休憩。
従わなければ、不真面目病の疑いあり。まるで子供騙しの脅し文句だが、それが大の大人に向けられているのだから、なお質が悪い。
本来なら「放っておいてくれ」で済む話だ。しかも相手は他人で、そもそも、こちらは客の立場である。
それにもかかわらず、店員に行動を指図されるというのは、虫唾が走るほど不愉快な光景だった。
――だが、時代が時代である。
ここで反発するのは賢明とは言えない。
生病の人間たちは、常に”自分たちが正しい”という前提で物事を判断する。そして一度口にした忠告を、決して引っ込めない。
下手に逆らえば、確実に痛い目を見る。
だからこそ、多くの者は表情を消し、素直に従うのだ。
あの男も、きっとそうするだろう――
そう予想した駿河の考えは、あっさり裏切られた。
男は、店員の忠告を完全に無視していた。
レバーを握る手を止めることなく、淡々とキャラクターを動かし続けている。
店員の口調が、わずかに強まった。
同じ言葉を、より明瞭に、より大きな声で繰り返す。
――まずい。
駿河の背中を、嫌な汗が伝った。
まるで目覚まし時計が、眠る主人を起こすために、徐々に音量を上げていくようだった。忠告にも、確実に力が込められていく。
それでもなお、男は手を止めない。
異変に気づいた甲斐も、ゲームから視線を離し、成り行きを見守り始めていた。
「おいおい……全然止める気配ないぞ。何がしたいんだ、あの人」
これは、かなりまずい状況だった。
生病の忠告に従わないという行為は、法的な問題ではない。
――倫理的な問題に抵触する。
つまり、これ以上の無視は、連中を“呼び寄せる”ことを意味している。
駿河の不安をよそに、男は依然として無視を決め込む腹積もりらしい。やがて、店員の一人が静かにその場を離れた。
嫌な予感が、確信に変わる。その店員は、奥へと消え――
そして、ある団体へ連絡を入れていたのだった。
それから十分も経たないうちに、全平教を名乗る輩が複数人、店内に現れた。
無駄のない足取り。揃いすぎるほど揃った服装。周囲を一瞥するだけで、場の主導権を握ったことがわかる。
――これ以上の無視は、暴力沙汰に発展する。
駿河はそう確信し、固唾を呑んで成り行きを見守った。
だが、その予想は、あっさりと裏切られる。
全平教の信者が一人、鋭い口調で男に注意を向けた瞬間――
男の態度は、まるで別人のように変わった。
それまでレバーを握り続けていた手が止まり、背中がわずかに丸まる。視線は泳ぎ、口元は引き攣った笑みを作り、ぎこちない動きで一歩下がった。
「……す、すみません」
今度は、驚くほど素直だった。
いや、それどころか、怯えていると言っていい。
全平教の説く理不尽な教えに対しても、男は一切の反論をしなかった。ただ、言われるがままに頷き、言葉を遮られるたびに、何度も頭を下げる。
「申し訳ない……ゲホッ」
軽い咳を一つ挟みながら、男は平謝りを繰り返した。
さっきまで、店員の忠告を完全に無視していた人物とは、とても思えない。
――いったい、何だったのだろうか。
店員の注意を無視するという大胆な行動を取っておきながら、全平教の前では、これほどまでに従順になる。
敵意はなく、反抗の兆しもない。
あるのは、過剰なほどの萎縮と、意味のわからない低姿勢だけだ。
その不自然さに、駿河の胸の奥で、別の不安が膨らんでいく。拍子抜けしたはずなのに、安心できない。
むしろ――
理解できない分だけ、気味の悪さは増していた。
―――――――――――――――――――――――――――――
居酒屋ゆうちゃん。
この日はオールメンバーが揃っており、店内はいつも通りの賑わいを見せていた。
「やっぱり、ゲームセンターは別格だね」
甲斐はグラスを片手に、興奮を隠しきれない様子で語り出す。
「なんていうか……特別感があるっていうか、臨場感が凄いんだよ。レースゲームなんて、本当に車を運転してるみたいでさ。運転したことないけど」
そう言ってから、駿河を見る。
「なぁ、駿河」
「お、おう」
甲斐の浮かれっぷりは、普段の倍どころではなかった。
ゲームセンターでの体験がよほど楽しかったのだろう。興奮が冷めやらぬ様子で、あからさまに興味なさそうな和奏を完全に置き去りにし、怒涛の勢いで語り続けている。
「あの服、どうだった?」
大島が口を開いた。
「ちょっと大袈裟すぎた?」
大島としては、悪ふざけが過ぎたかと少し反省していたようだが、当の本人は至って満足そうだった。
「さいっこうでしたよ!」
甲斐は即答する。
「まるで自分がヲタクになれた気分で。なるほど、これが数十年前に流行った“コスプレ”の真髄なんだなって、理解しました」
終わりの見えない不毛なゲーム談義に、和奏がついに小さく溜息を零した。
その露骨な態度に”少しは大人になれよ”と言いたくもなるが、正直なところ、駿河自身もそろそろ飽き始めていた。
そこで、話題を変えることにする。
「……そういえばさ、変な客がいたな」
「変な客?」
夏川が眉を上げる。
「そもそも、他にも客がいたのか?」
驚くのも無理はない。
今の時代、娯楽施設にいる客=まともではない、というのが半ば常識だ。
駿河自身、池袋の映画館に通い続けてきたからこそわかる。思い返してみれば、退屈な映画はともかく、娯楽映画で“他の客”を意識したのは、和奏が初めてだったのではないか。
ちらりと和奏の様子を窺う。
先ほどまでの無関心が嘘のように、今は目に生気が戻っていた。どうやら話に興味を持ったらしい。
「そうそう。せっかくゲームセンターに来てるのに、やたら退屈そうでさ……」
「そこじゃねぇーよ」
駿河が割り込む。
「一時間以上ゲームするのは禁止されてるのに――」
改めて説明する。
店員の忠告を無視したこと。あれほど大胆な行動を取ったにもかかわらず、全平教の忠告には驚くほど素直に従ったこと。
一通り話し終えると、和奏が静かに口を開いた。
「……そのゲームに、何か強い思い入れがあったんじゃないですか?」
ファミレスで“差別教”なる人物を待ち続けていた彼女らしい着眼点だった。
だが、駿河は首を振る。
「いや。それなら三十分休憩して、また再開すればいいだけだ」
淡々と続ける。
「わざわざ全平教を呼び寄せることに、何のメリットもない」
「……確かに、そうですね」
そこで、甲斐が何か思いついたように、急に真剣な顔つきになった。
「待てよ」
「なんだよ」
勿体ぶった言い回しに、駿河が苛立ち気味に促す。
「店員は男だっただろ?でも、あの時に来た全平教は女だった」
一拍置いて、甲斐は結論を口にする。
「つまり……」
「つまり?」
「……変態なんじゃないか」
「いや、お前だ」
あまりにも馬鹿馬鹿しい推論に、駿河の鋭いツッコミが炸裂した。
店内に、どっと笑いが起きる。
――少なくとも、この居酒屋ゆうちゃんでは、まだ“正気”が息をしていた。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、評価して下さるとありがたいです。




