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翌日も、その翌日も、駿河は居酒屋ゆうちゃんを訪れた。
いつの間にか通い詰めるようになってから、彼は自分の幸福度が着実に上がっていることを実感していた。
職場は相変わらず退屈で、仕事の内容も変わり映えしない。だが、仕事終わりにあの店で過ごす楽しい時間が待っていると思えば、不思議と苦にはならなかった。
無駄としか思えない始末書を書いている最中、ふと気を抜くと鼻歌が漏れてしまったり、パトロール中に周囲に誰もいないのを確認して、思わずスキップしてしまったりすることもある。
それほどまでに、ここ最近の彼は上機嫌だったのだ。
一日空けて、さらにその翌日。
この日、居酒屋ゆうちゃんのカウンターには、駿河のほかに甲斐と和奏の姿があった。
いつもなら、すでに奥の席でグラスを傾けているはずの顔が見当たらない。
駿河は、無意識のうちに店内を一度見回してから、ぽつりと呟いた。
「そういえば……最近、夏川さん見ないですね」
言葉にした瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。
和奏が占いをしたあの日から、すでに五日が経っていた。ほぼ毎日のように顔を出していた人物が、理由も告げずに姿を消す。気にしないほうが無理というものだ。
「大凶を引いたからじゃないか」
悪びれもせずに言い放った甲斐の一言で、空気がわずかに固まった。
和奏は、びくりと肩をすくめ、思わず視線を落とす。
彼女は、占いを完全な遊びだとは思っていない。
結果に一喜一憂するほどではないにせよ、少なくとも「言葉には意味がある」と感じる側の人間だった。
だからこそ、あのとき軽はずみに“大凶”などと言ってしまったことを、今になって後悔しているのだろう。
「あんなの、ただの遊びじゃないか。気にする必要ないよ」
駿河は慌ててフォローを入れた。
場を和ませるつもりで、できるだけ軽い調子を選んだ言葉だった。
だが、その配慮は、和奏にとっては別の形で刺さってしまう。
「……」
真剣にやったからこそ、結果に意味を見出してしまった。
その“真剣さ”を、遊びの一言で片づけられるのは、それはそれで心外なのだ。
どう言われても、どこかしらが痛む。
どう足掻いても、彼女は少しだけ傷つく運命にあるらしい。
「……仕事が忙しいんだろ」
その様子を見かねたのか、園島が口を挟んだ。できるだけ明るく、いつもの調子を装っている。
「そのうち、ひょっこり顔出すって」
だが、その声には、ほんのわずかな硬さがあった。
長い付き合いだからこそだろう。園島自身が、この中で一番、夏川の不在を気にしている――そんな気配を、駿河ははっきりと感じていた。
誰もそれ以上は言葉を重ねなかった。
グラスの中で氷が小さく音を立てる。
笑い声のない時間が、居酒屋ゆうちゃんに、静かに流れていた。
それから、さらに三日後のことだった。
一週間ぶりに、夏川が居酒屋ゆうちゃんの暖簾をくぐった。その姿を認めた瞬間、駿河は思わず息を吐いた。
事故や事件に巻き込まれ、命を落としていた――そんな最悪の想像が、胸の奥でひっそりと膨らみかけていたのだ。
それが、ただの杞憂だったと知り、ようやく肩の力が抜ける。
駿河は自然と立ち上がり、夏川の隣に腰を下ろした。
「久しぶりですね。来ないから、正直ちょっと心配してましたよ」
「あー、悪い悪い」
夏川は、申し訳なさそうに手を振りながらも、どこか晴れやかな声色だった。
「色々と仕事が立て込んでてな。家にも、まともに帰れないくらいだったんだ」
その様子に、駿河は小さく首を傾げる。
いつもなら、仕事の話題が出た途端、毒と愚痴が滔々と流れ出すはずなのに――今日は違う。
夏川は、むしろ楽しそうですらあった。
そのタイミングで、和奏と大島が続けて入店してくる。甲斐の姿は見えない。どうやら今日は来ないらしい。
ひと通り落ち着いたところで、駿河は切り出した。
「それで……この一週間、ずっと来られなかった理由って?」
夏川は一拍置き、グラスを傾けてから語り始めた。
どうやら、彼の所属する課に、新しい人物が加わったらしい。
元は大阪支店の人間だが、向こうではどうにも周囲と折り合いがつかず、最近になって東京本社へ異動してきたという。
「最初はさ、他の生病と同じだよ。無表情で、何考えてるかわからない、つまらない男だと思ってた」
もっとも――と、夏川は苦笑する。
「俺も普段は、不真面目病だってこと隠して、周りに合わせてるからな。人のこと言えた義理じゃないんだけどさ」
そして迎えた、新作玩具の立案会議。
そこで、その男は本性を現した。
「びっくりしたよ。あいつ、オリジナリティの塊みたいな玩具を出してきたんだ」
さらに驚くべきことに、会議でいつも通り糾弾されていた夏川に対し、男ははっきりと口を開いた。
「『僕は、素晴らしいアイディアだと思います』ってな。庇ってくれたんだ」
会議が終わった後、夏川は自然と声を掛けていた。
そして予想通り、二人の馬は驚くほど合った。
少年時代に好きだった玩具の話。
夢中になった遊び。
胸を躍らせた記憶。
気がつけば、二人は合作を作ることになっていた。
互いに案を出し合い、試しては壊し、また作り直す。
数日間、研究室に泊まり込み、寝る間も惜しんで手を動かした。
そうして、ついに完成したのだという。
「彼のアイディアは本当に凄いんだ」
夏川は、止まらなかった。
「オリジナリティに溢れててさ。聞いてるだけで、楽しさが伝わってくるんだよ。本当に玩具が好きなんだって、ひしひし感じる」
さらに続ける。
「しかも、性格もいい。俺が腹空かせてたら、何も言わずに差し入れ持ってきてくれてさ……」
それはもう、べた褒めだった。
正直に言えば、いつもの舌鋒鋭い生病批判と比べると、笑いどころは少ない話だ。
だが――
人を心底から尊敬し、楽しそうに褒め称える夏川の横顔を見て、駿河は思った。
こういう話も、たまには悪くない。
夏川は、ふとグラスを見つめながら、ぼそりと呟いた。
「人を誉めるって……こんなに気持ちのいいものだったんだな」
その言葉に、駿河と和奏は顔を見合わせ、自然と頬を緩めた。
「……羨ましいです」
二人は、ほぼ同時にそう言った。
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