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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第6章「愚痴を居酒屋で吐き出す文化」
24/29

—5—

 翌日も、その翌日も、駿河は居酒屋ゆうちゃんを訪れた。

いつの間にか通い詰めるようになってから、彼は自分の幸福度が着実に上がっていることを実感していた。

職場は相変わらず退屈で、仕事の内容も変わり映えしない。だが、仕事終わりにあの店で過ごす楽しい時間が待っていると思えば、不思議と苦にはならなかった。

無駄としか思えない始末書を書いている最中、ふと気を抜くと鼻歌が漏れてしまったり、パトロール中に周囲に誰もいないのを確認して、思わずスキップしてしまったりすることもある。

それほどまでに、ここ最近の彼は上機嫌だったのだ。


 一日空けて、さらにその翌日。

この日、居酒屋ゆうちゃんのカウンターには、駿河のほかに甲斐と和奏の姿があった。

いつもなら、すでに奥の席でグラスを傾けているはずの顔が見当たらない。

駿河は、無意識のうちに店内を一度見回してから、ぽつりと呟いた。

「そういえば……最近、夏川さん見ないですね」

言葉にした瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。

和奏が占いをしたあの日から、すでに五日が経っていた。ほぼ毎日のように顔を出していた人物が、理由も告げずに姿を消す。気にしないほうが無理というものだ。

「大凶を引いたからじゃないか」

悪びれもせずに言い放った甲斐の一言で、空気がわずかに固まった。

和奏は、びくりと肩をすくめ、思わず視線を落とす。

彼女は、占いを完全な遊びだとは思っていない。

結果に一喜一憂するほどではないにせよ、少なくとも「言葉には意味がある」と感じる側の人間だった。

だからこそ、あのとき軽はずみに“大凶”などと言ってしまったことを、今になって後悔しているのだろう。

「あんなの、ただの遊びじゃないか。気にする必要ないよ」

駿河は慌ててフォローを入れた。

場を和ませるつもりで、できるだけ軽い調子を選んだ言葉だった。

だが、その配慮は、和奏にとっては別の形で刺さってしまう。

「……」

真剣にやったからこそ、結果に意味を見出してしまった。

その“真剣さ”を、遊びの一言で片づけられるのは、それはそれで心外なのだ。

どう言われても、どこかしらが痛む。

どう足掻いても、彼女は少しだけ傷つく運命にあるらしい。

「……仕事が忙しいんだろ」

その様子を見かねたのか、園島が口を挟んだ。できるだけ明るく、いつもの調子を装っている。

「そのうち、ひょっこり顔出すって」

だが、その声には、ほんのわずかな硬さがあった。

長い付き合いだからこそだろう。園島自身が、この中で一番、夏川の不在を気にしている――そんな気配を、駿河ははっきりと感じていた。

誰もそれ以上は言葉を重ねなかった。

グラスの中で氷が小さく音を立てる。

笑い声のない時間が、居酒屋ゆうちゃんに、静かに流れていた。


 それから、さらに三日後のことだった。

一週間ぶりに、夏川が居酒屋ゆうちゃんの暖簾をくぐった。その姿を認めた瞬間、駿河は思わず息を吐いた。

事故や事件に巻き込まれ、命を落としていた――そんな最悪の想像が、胸の奥でひっそりと膨らみかけていたのだ。

それが、ただの杞憂だったと知り、ようやく肩の力が抜ける。

駿河は自然と立ち上がり、夏川の隣に腰を下ろした。

「久しぶりですね。来ないから、正直ちょっと心配してましたよ」

「あー、悪い悪い」

夏川は、申し訳なさそうに手を振りながらも、どこか晴れやかな声色だった。

「色々と仕事が立て込んでてな。家にも、まともに帰れないくらいだったんだ」

その様子に、駿河は小さく首を傾げる。

いつもなら、仕事の話題が出た途端、毒と愚痴が滔々と流れ出すはずなのに――今日は違う。

夏川は、むしろ楽しそうですらあった。


そのタイミングで、和奏と大島が続けて入店してくる。甲斐の姿は見えない。どうやら今日は来ないらしい。

ひと通り落ち着いたところで、駿河は切り出した。

「それで……この一週間、ずっと来られなかった理由って?」

夏川は一拍置き、グラスを傾けてから語り始めた。

どうやら、彼の所属する課に、新しい人物が加わったらしい。

元は大阪支店の人間だが、向こうではどうにも周囲と折り合いがつかず、最近になって東京本社へ異動してきたという。

「最初はさ、他の生病と同じだよ。無表情で、何考えてるかわからない、つまらない男だと思ってた」

もっとも――と、夏川は苦笑する。

「俺も普段は、不真面目病だってこと隠して、周りに合わせてるからな。人のこと言えた義理じゃないんだけどさ」

そして迎えた、新作玩具の立案会議。

そこで、その男は本性を現した。

「びっくりしたよ。あいつ、オリジナリティの塊みたいな玩具を出してきたんだ」

さらに驚くべきことに、会議でいつも通り糾弾されていた夏川に対し、男ははっきりと口を開いた。

「『僕は、素晴らしいアイディアだと思います』ってな。庇ってくれたんだ」

会議が終わった後、夏川は自然と声を掛けていた。

そして予想通り、二人の馬は驚くほど合った。

少年時代に好きだった玩具の話。

夢中になった遊び。

胸を躍らせた記憶。

気がつけば、二人は合作を作ることになっていた。

互いに案を出し合い、試しては壊し、また作り直す。

数日間、研究室に泊まり込み、寝る間も惜しんで手を動かした。

そうして、ついに完成したのだという。

「彼のアイディアは本当に凄いんだ」

夏川は、止まらなかった。

「オリジナリティに溢れててさ。聞いてるだけで、楽しさが伝わってくるんだよ。本当に玩具が好きなんだって、ひしひし感じる」

さらに続ける。

「しかも、性格もいい。俺が腹空かせてたら、何も言わずに差し入れ持ってきてくれてさ……」

それはもう、べた褒めだった。

正直に言えば、いつもの舌鋒鋭い生病批判と比べると、笑いどころは少ない話だ。

だが――

人を心底から尊敬し、楽しそうに褒め称える夏川の横顔を見て、駿河は思った。

こういう話も、たまには悪くない。

夏川は、ふとグラスを見つめながら、ぼそりと呟いた。

「人を誉めるって……こんなに気持ちのいいものだったんだな」

その言葉に、駿河と和奏は顔を見合わせ、自然と頬を緩めた。

「……羨ましいです」

二人は、ほぼ同時にそう言った。

お読みいただきありがとうございます。

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