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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第5章「ショッキングピンクの毛皮のコート」
19/28

—4—

 店内には、大島のすすり泣く声だけが残っていた。

ノッポ男と豆タンク男が、派手な服を容赦なく没収してから、すでに十分ほどが経過している。

体格の良い大島が、人目も憚らず、メソメソと泣き続けている。

その姿は、あまりにも痛ましく、誰も言葉を発することができないまま、居たたまれない空気が場を支配していた。

和奏は、悲しそうに俯いている。

甲斐は、上半身裸というふざけた格好を棚に上げ、珍しく、思い詰めた表情を浮かべていた。

一方の駿河は――

なぜ、没収されて取り乱すほど大切な物を商品として売っていたのかと、内心では呆れてもいた。だが同時に、生病の過激派に目を付けられ、理不尽な暴力に晒されたことについては、確かな同情も抱いていた。

そんな、澱んだ空気などお構いなしに。

私は、いつもの調子で、陽気な声を張り上げた。

「ねぇねぇ駿河?どうしたの、そんな暗い顔してさ~。服を選びに来たんでしょ?ほらほら、これ似合う?」

彼の周囲を飛び跳ねながら、適当に掴んだ服を、自分の身体に当てがってみせる。

「……お前は、少し空気を読まんか」

いつもなら、無視するか、怒鳴り返すかのどちらかな駿河だが、このときは、珍しく冷静な返答に留めた。

続いて、私は甲斐にも絡んだ。

だが――

陽気さだけが取り柄の、あの能天気な男ですら、「……う、うん」と、気の抜けた返事を返すだけだった。

和奏に至っては、完全に無反応。

「ねぇねぇ、バストいくつ?あ、そうだ、測ってみようか?」

調子に乗って触れてみても、悲鳴も、拒絶も、怒りもない。

ただ、何も反応しない。

――それが、この場の異常さを、何よりも雄弁に物語っていた。


やがて、私は退屈を覚えた。

そこで、身に纏っていた服をガラクタ――正確には、ドット柄で腰に大きめのリボンが付いたワンピースへと切り替えた。

次いで、アイボリー色のニット服に着替える。

それは、つい先ほど没収されたばかりの、大島デザインの洋服を模したものだった。

――刹那。

その場にいた誰一人として、この超常現象に思考が追いつかなかった。

瞬きだけが、示し合わせたかのように、同時に起こる。

「ねぇねぇ、似合う?うっふ~ん」

私は、わざとらしく腰をひねり、裾をつまみ、服のラインを誇張するようにポーズを取った。

そのまま、和奏の前に身を寄せ、服を押し付けるように近づく。

和奏は一瞬たじろぎながらも、そっと、恐る恐る布地に指先を触れた。

――指が、止まる。

「……可愛い……」

吐息のような声だった。

だが、その一言は、確かに、空気を震わせた。

それを耳にした瞬間、大島が、はっと顔を上げる。

涙で濡れていた睫毛が震え、赤く腫れた目が、ゆっくりと和奏へ向けられる。

数秒。

瞬きもせず、彼は彼女を見つめ続けた。

そして――

喉を鳴らし、掠れた声で、問いかける。

「……あなた……わかるの?」

肩が、僅かに前のめりになる。

両手は、無意識に握り締められていた。

「えぇ……まぁ……」

和奏がそう答えた、その瞬間。

大島は、弾かれたように立ち上がった。

椅子が音を立てて倒れるのも構わず、大股で、一気に私の目前まで詰め寄る。

「今の……今の、どうやってやったの!?」

目を見開き、肩で荒く息をしながら、

「ねぇ?ねぇ!?」

先ほどまで、泣き崩れ、メソメソと肩を震わせていた男とは、まるで別人だった。

身体の奥から、何かが再点火したかのような――

剥き出しの気迫が、全身から立ち上っている。

駿河も、甲斐も、和奏も、その圧に気圧され、言葉を失った。

私はそれを面白がるように、ひらり、と彼の頭上を飛び越え、くるくると周囲を旋回する。

「ガラクタを生み出しただけじゃないか~そんな怒んないでよ~」

相変わらず、会話は成立していない。

だが――

駿河と違い、大島は根が大らかだった。

彼は一瞬、口を半開きにしたまま固まり、やがて、ふっと肩の力を抜く。

「……ちょっと、待ってて」

そう言い残し、踵を返して、店の奥へと引き下がった。

しばらくして戻ってきた彼の手には、画用紙と、無数のペンが握られていた。

大島は、床に画用紙を広げると、膝をつき、前屈みになって、一心不乱にペンを走らせ始める。

手首が、肘が、肩が、リズムよく動く。

迷いはない。

そこに描かれていくのは、黄緑のブラウスに、ベージュのロングスカート。

線を引き、消し、また描き足し、細部を詰めていく。

やがて彼は、息を整えながら顔を上げ、私に向かって、子どものように目を輝かせた。

「……これを、作って頂戴」

「お安い御用さ」

お望みどおりに生成すると――

「……!!」

大島は、両手を胸元で握り締め、小さく跳ねた。

「キャー!すごーい!!」

声が裏返り、すっかり我を忘れている。

彼は再び画用紙に向かい、次々と、服のデザインを書き上げていく。

私はそれに応え、大島デザインの服を、次々と生成した。

彼の声は次第に野太くなり、ワーキャーと歓声を上げながら、ひたすらペンを走らせ続ける。

頭の中では、デザインが泉のように湧き出しているのだろう。

これまで、強引に蓋をされていた分を、一気に吐き出すかのような勢いだった。

やがて、店内は派手な服で埋め尽くされ始める。

その最中――

「……うーん……なんか、違うのよね……」

大島は、ペン先を宙で止め、顎に手を当てた。

「……肩のあたりが、こう……」

言葉にならない感覚を探すように、視線が彷徨う。

そして――ぴたりと止まった。

その先に立っていたのは、和奏だった。

「あなた!」

突然の大声に、和奏は肩を大きく跳ねさせた。心臓が一拍遅れて、どくんと鳴る。

興奮状態のまま大島は距離を詰め、逃げ場を塞ぐように和奏の正面に立った。そして、頭の先からつま先まで、値踏みするように、しかし貪欲に視線を走らせる。まるで布地を撫でるかのような、執拗な目つきだった。

「えっ……いや、その……」

和奏は思わず身体を捩り、半歩下がる。視線の圧に耐えきれず、腕を胸の前で交差させた。

「なによ、そのボサッとした格好は」

白いTシャツにデニム。至って無難で、周囲に溶け込むための服装。

責められる覚えはないはずなのに、その一言で、なぜか和奏の背筋は縮こまった。

「これも良いわね……あ、こっちも似合いそう」

大島は独り言のように呟きながら、先ほど生成されたばかりの服を次々と和奏の身体に当てがっていく。肩に、腰に、胸元に。距離感などお構いなしだ。

「あなた、素材が良いんだから、もっとお洒落に気を配らなきゃダメよ」

断定口調。疑問の余地はない。

「そうだわ!私がコーディネートしてあげる」

そう言い放つなり、大島は踵を返し、どたどたと店の奥へ引き下がっていった。

完全に我が物顔である。

その様子を見送った駿河と甲斐は、そろって一歩引いていた。

「お、おい……これは一体、何が起きてるんだ……」

駿河は引きつった笑みを浮かべ、和奏に向かって間延びした声を投げる。

「お~い和奏さ~ん。いざって時は叫ぶんだぞ~。そしたら全平教が助けてくれるから~」

―――人任せである……」

一方の甲斐はようやく自分の格好に気づき、上半身裸のまま首を傾げた。

「え? あれ? 僕、服着てない……。なんでだ?追い剥ぎ?」

「最初からです」

和奏は低い声で答えた。

「……それにしても」

彼女は視線を奥へ向け、眉をひそめる。

「急にどうしちゃったんでしょう。さっきまで、あんなに情けない醜態を晒していた人が、まるで人が変わったかのように…違う。気が狂ったかのようにハイテンションに…」

口の悪さが、ぽろりと漏れた。

その時だった。

ばたばたと慌ただしい足音が、店の奥から近づいてくる。

反射的に身構えた駿河たちの視界に飛び込んできたのは――

「腕が鳴るわ」

現れた大島は、女装していた。

掘りの深い顔立ちに厚化粧。青髭の影を無理やり隠した白塗りの肌。

ごつい体躯にぴちぴちのピンク色のTシャツ。ミニスカートにタイツという、遠慮の欠片もない装い。

駿河と甲斐は、言葉を失った。

断っておくが、かつて女装という文化は珍しいものではなかった。

しかし、ここ十年でそういった趣きをする者は皆無となり、すっかり免疫が低下していたのだ。だから良いというわけではないが、その握った拳は是非とも緩めて欲しい。

何事に於いても、開拓者が、最初は卑下されてしまうのは世の常である。初めてちょんまげをした人だって、初めて白塗りした人だって、きっと最初は笑われたはずだ。いや、誰も笑ってない。

あくまで比喩だ。失敬失敬。

「こっちが良いかしら……ううん、こっちも似合うわね」

大島は鏡を見るでもなく、和奏を中心にくるくると回り始める。

「ちょっと腕を上げて。そう、もう少し。色々測らなきゃならないわ」

和奏は万歳させられ、回され、立たされ、されるがまま。

困惑した表情のまま、抵抗する隙すらなかった。

「なかなかスタイル良いじゃない。あら、これも可愛い」

止めに入ろうとした駿河は、口を開きかけて――言葉を失った。

大島の目元に、うっすらと涙が滲んでいたのだ。

それは嗚咽を堪える涙でも、悲嘆の涙でもない。

十年ぶりに蘇った情熱と、その楽しさに触れたことで、感情が決壊した証だった。

大島は涙を乱暴に拭い、時折えずきながらも、手を止めなかった。

その姿を見て、和奏は悟った。

――この人は、今、救われているのだ。

だから彼女は、逃げなかった。

彼が満足するまで、付き合おうと、静かに決めた。

「こういうのはどう? あなた、好きかしら?」

「……えぇ、好きです。でも、さっきの色の方が好みです」

「そうなのよ!」

大島はぱっと顔を輝かせる。

「私も、そうじゃないかって思ってたの!あなた、センスがあるわね」

その瞬間、大島洋服店には、

そよ風のように、優しく、温かい空気が流れ始めていた。


夕暮れ時。

膨大な衣服を抱えた駿河は、同じく膨大な衣服を抱えた甲斐と和奏と並び、帰路を歩いていた。

三人は大島にコーディネートしてもらったおかげで、見違えるように様変わりしていた。

汚物塗れだった甲斐は清潔感のある装いに、地味一辺倒だった駿河は程よく個性を主張するスタイルに生まれ変わり、和奏に至っては――薄情者の彼女でさえ「……ありかも」と内心思ってしまうほどの出来栄えである。

それはまるで、魔法にかけられたかのような変貌ぶりだった。

当然、派手な三人組は周囲から浮いている。

だが「自分だけじゃない」という意識が、妙に気を大きくさせており、好奇の視線もさほど気にならなかった。

紙袋には大量の衣服が詰め込まれており、見た目以上に重い。

抱えて歩くだけでもふらつくうえ、視界は最悪。一歩間違えれば盛大に転ぶ危険を孕んでいる。

駿河は足元に注意を払いながら、ふと思いついた仮説を口にした。

「もしかしてだけど、生病の中には――」

「あっ」

和奏が躓き、衣服を盛大にぶちまけた。本日、五回目である。

「またかよ……」

小言を言いながらも、駿河と甲斐は紙袋を地面に下ろし、散らばった衣服を拾い集める。

一方の和奏は、紙袋を抱えたまま微動だにしない。

すっかり“お姫様気分”である。

衣服を詰め直し、再び歩き始める。

「……でさ」

駿河は、先ほど言いかけた仮説を改めて口にした。

「不真面目病でありながら、それを隠して生活してる人もいるんじゃないか?

和奏さんも、普段はそうなんだろ?

百人に一人って言われてるけど、実際はもっと多い気がするんだよな」

「あっ」

本日、六回目である。以下割愛。

歩きながら、和奏は静かに答えた。

「……そうかもしれませんね。わたしも、それは考えたことがあります。ただ一つ問題なのは、下手に詮索して、間違えた時のリスクがあまりに大きいことです」

彼女は少し言葉を選び、続ける。

「学校なら、一瞬で校内中を敵に回します。そして……酷い仕打ちを受けることになります」

「……だよな」

甲斐は天を仰ぎ、長く息を吐いた。

ここにいる三人は、全員がその“酷い仕打ち”を経験している。

だからこそ、その恐ろしさが、骨身に染みてわかっていた。

夕日が沈み、街灯が一つ、また一つと灯り始める。

「あっ」

本日、七回目である。以下割愛。

嫌な過去を振り払うかのように、三人は話題を変えた。

「ガラクタ。お前、案外役に立つんだな」

なぜか偉そうに言う駿河。

「うん、正直びっくりした」

陽気に同調する甲斐。

「でも相変わらず気色悪いですけどね。ていうか、ガラクタさんもコーディネートしてもらえば良かったんじゃないですか?」

和奏は相変わらず容赦がない。

「そんなこと言わないでよ~。あっ、そうだ。さっきバスト測ったから、次はウエスト測らせて~」

「ちょ、近寄らないでください!叫びますよ!」

「「やめて!」」

駿河と甲斐の情けない声が、夕暮れの街に響き渡った。

「あっ」

本日、八回目である。以下割愛。


――ちなみに、先ほどの駿河の仮説は正しい。

だが、大島の例には当てはまらない。

なぜなら、彼――いや、彼女の場合は、長年蝕んでいた生病の洗脳そのものが、溶け落ちたのだから。

お読みいただきありがとうございます。

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