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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第5章「ショッキングピンクの毛皮のコート」
18/28

—3—

 かつて――

大島雅彦は、売れっ子のファッションデザイナーであった。

独特の世界観と、徹底的に磨き上げられた美意識。

そのセンスは業界内で群を抜いており、彼の名を知らぬ者はいないと言われるほどだった。

ジャンルに囚われることを、彼は何よりも嫌った。

洋服はもちろん、和服、民族衣装、舞台衣装――

依頼があれば、どんな分野であろうと引き受け、そして例外なく「一級品」と評される作品を生み出してきた。

まさしく、天才。

その評価に異を唱える者はいなかった。

お洒落に対する拘りは、並のものではない。

彼の完璧主義を象徴する逸話は、数え切れないほど存在する。

中でも、業界で語り草となっているのが、ある有名アーティストのライブ衣装の一件である。

依頼内容は、至って明確だった。

一曲ごとに衣装を変更できるようにしてほしい、というものだ。曲間の、ほんの僅かな時間で衣装替えを行う。そのため、大島はあらゆる工夫を凝らした。

仕掛け、構造、素材――

考え得る限りの手段を盛り込み、衣装を完成させた。

だが。

出来上がったそれを前にしたとき、彼は首を縦に振らなかった。

仕掛けに意識を割きすぎた結果、デザインとしての完成度が、自身の基準に達していなかったのだ。

一方で、クライアントは満足していた。

感謝の言葉も述べられた。

――それでも、大島は、納得しなかった。

彼は、あろうことか、クライアントの目の前で、完成したライブ衣装をすべて破棄した。

周囲は唖然とした。

現場は騒然となった。

その中で彼は、静かに、しかし迷いなく宣言する。

「本番まで、一週間ありますね。――全部、作り直します」

無謀。

誰もがそう思った。

だが、大島は寝る間も惜しまず、文字通り命を削るように制作に没頭した。

そして一週間後。

彼は、本当にすべての衣装を作り直してみせた。

しかも、それらは――

前作とは比べ物にならないほど、圧倒的な完成度だった。

当然ながら、制作費はすべて自費。売上としては、大きな赤字である。

だが。

目先の利益に囚われないその姿勢は、業界内で強い賞賛を呼び、彼の信頼と評価は、より一層揺るぎないものとなった。

結果的に得たものは大きい。

だが、大島に計算はなかった。

彼を突き動かしていたのは、ただひとつ。

自らが手掛けた作品に対する、絶対的な誇り。

そして、純粋すぎるほどの、ファッションへの情熱。

それだけだった。


ファッションに対しては、鬼才にありがちな病的とも言える執念を覗かせる大島雅彦。

しかし、ひとたび仕事を離れれば、その性格は驚くほど柔らかかった。

どこか癖はあるが、気取らず、冗談も通じ、話せば話すほど人を惹きつける――

そんな、特有でありながらも親しみやすい人物だった。

その人柄は、次第にファッション業界の外へも広がっていく。

雑誌のインタビュー。

テレビ番組への出演。

やがては、バラエティー番組にも度々呼ばれるようになった。

“天才デザイナー”でありながら、“面白い人”。

そのギャップが、一般層の心を掴んだのだ。

地位も名誉も、すでに手にしている。

そこへ加えて、世間的な人気まで得始めた。

彼は、まさに人生の絶頂へと差しかかっていた。


そんな、ある日のことである。

その日、大島は渋谷で開催されるファッションショーに招かれていた。

本来であれば、彼は裏方の人間だ。

舞台に立つのは、モデルの役目である。

だが――。

メディアへの露出によって、彼自身が“見せる存在”になっていたこともあり、今回は特別な演出が用意されていた。

自らが手掛けた新作を、自らの身体で纏い、表舞台に立つ。

それは、デザイナーとしての成功と、人としての人気、その両方を象徴する瞬間。

渾身の新作――

ショッキングピンクの毛皮のコートを羽織り、大島雅彦は、熱狂の渦巻く観衆の中へと身を投じた。

ふわり、と肩に掛かる毛皮の重み。それは決して邪魔ではなく、

むしろ自分の存在を誇示するための“鎧”のように感じられた。

館内では、音楽が腹の底まで震わせるほどの音量で鳴り響き、赤、青、紫、緑――

カラフルな照明が縦横無尽に駆け回っている。

その中で、一際強いスポットライトが、まるで運命に選ばれたかのように、彼を捉えた。

視線が、集まる。

数え切れないほどの目が、一斉に自分へと注がれる感覚。

だが、不安は一切なかった。

大島は、堂々と腰に手を当て、胸を張る。

背筋を伸ばし、肩を大きく開き、腰を左右にゆったりと揺らしながら、一定の歩幅でランウェイを歩き出す。

一歩。また一歩。

毛皮が揺れるたび、ショッキングピンクの色彩が照明を反射し、観衆の視線を奪っていく。

――完璧だ。

大島は、完全に有頂天だった。

観衆は興奮冷めやらぬ様子で、黄色い声援と、羨望に満ちた眼差しを惜しみなく向けてくる。

「キャー!かわいいー!」

「大島さーん!こっち向いてー!」

「今見た!?目合ったよね!」

「笑った!今、笑った!」

声が、波のように押し寄せる。

その一つひとつが、自分の価値を肯定する証のように思えた。

批評も、評価も、理屈もいらない。

今、この瞬間、自分は美しい。

その確信に、大島はすっかり酔いしれていた。

そして、舞台の中央に立つ。

一瞬、歩みを止め、わざとらしいほどに間を置く。

観衆の期待が、さらに高まるのを肌で感じながら――

大島は、深く前屈みになり、唇に指先を添え、そして――渾身の投げキッスを放った。

歓声が、爆発した。

鼓膜を震わせるほどの叫び。拍手。フラッシュの閃光。

――だが。

まさに、その瞬間だった。

胸の奥で、ぷつり、と何かが切れた。

理由はわからない。前触れもない。

ただ――

急に、どうしようもなく、馬鹿らしくなった。

まるで、背後から氷水を浴びせられたかのように、

頭の芯が一気に冷え、先ほどまで体中を満たしていた高揚感が、しゅう、と音を立てて萎んでいく。

――なぜ、こんなことをしている?

疑問が浮かんだ瞬間、自己嫌悪が雪崩のように押し寄せた。

つい今しがたまでの興奮が、理解できない。信じられない。

まるで、他人の記憶のようだ。

大島は、ポーズを崩した。

張っていた背筋が落ち、肩が下がり、両腕が、だらりと力なく垂れる。

抜け殻のように、舞台の中央で立ち尽くした。

――そして。

異変は、観衆にも伝播していた。

先ほどまでの熱狂は、潮が引くように消え失せ、会場は、不気味なほど静まり返る。

ざわめきはない。

歓声もない。

ただ、困惑した視線だけが、一斉に大島へと向けられていた。

大島は、遅れて気づく。

――視線が、冷たい。

彼は、恐る恐る、自分自身へと目を落とした。

ピチピチのジーンズ。

胸元の大きく開いたVネック。

歩くたびに、じゃらじゃらと耳障りな音を立てる装飾品。

そして――

極めつけの、ショッキングピンクの毛皮のコート。

……なぜ、これが良いと思えた?

つい数分前まで、確かに“美しい”と信じて疑わなかったはずなのに、

今では、そのどこにも美点を見出せない。

まるで、自分だけが別の世界に取り残されたような感覚。

小首を傾げた、その瞬間。

「……なに、その服。ダサくない?」

どこからともなく、軽く、無遠慮な声が飛んできた。

その一言は、刃物のように、大島の胸に突き刺さる。

続いて――

くすくすと、失笑が、あちこちから漏れ始めた。

そこで、ようやく理解する。

自分はいま、恥ずかしい衣装を着て、人前に晒されている。

羞恥心が、一気に芽吹いた。

顔が、熱い。火照る。血が、耳の奥で脈打つ。

「……やめて……見ないで……!」

反射的に、身体を隠そうとした。

だが、隠すべき“恥部”は、服ではない。身体でもない。存在そのものだった。

隠しようがなく、大島は無様に身体をよじらせ、手を、あちらへ、こちらへと彷徨わせる。

その滑稽な動きは、逆に観衆の嘲笑を煽った。

視界が、ぐらつく。

焦点が合わない。

口元に手を当て、笑いを堪える女。

こちらを見ながら、隣の友人に耳打ちする、卑しい視線。

「なにあの服。キモいんですけど」

「恥ずかしくないの?あんな醜態晒して」

鋭く、容赦のない言葉が、次々と浴びせられる。

人を小馬鹿にした笑み。

優越感に満ちた目。

会場は、いつの間にか、悪意と憎悪で満たされていた。

胸が、苦しい。

大島は、思わず手を胸に当て、その場に蹲る。

呼吸が浅い。息が、うまく吸えない。

――それでも。

嘲笑は、止まらない。


とんだ赤っ恥をかいた大島は、どうにかこうにか自力で舞台裏へと引き下がった。

だが、安堵する間もなかった。

舞台裏では、主催者が仁王立ちで待ち構えていたのだ。

元来癇癪持ちで知られるその男は、完全にタガが外れた様子で、猛烈な勢いで大島を非難し始めた。憤怒によって歪み切ったその顔は、もはや人のものとは思えない。

大きく開かれた口から吐き出される怒声は、まるで地獄の底から吹き上げてくる熱風のようで、大島は思わず――

ここが地獄の入口なのではないか、そんな錯覚に囚われた。

さらに追い打ちをかけるように、つい先ほどまで和やかに言葉を交わしていたはずのスタッフたちも、態度を一変させていた。

誰一人、声を掛けてはくれない。

誰一人、視線を逸らそうともしない。

向けられるのは、冷たく、値踏みするような眼差しばかりだった。

――なにが、なんだかわからない。

ヘンテコな衣装を作らされ、それを着せられ、観衆の前に引きずり出され、笑われ、罵られ、怒鳴られ、そして、軽蔑された。

散々である。

状況を整理しようとしても、頭が追いつかない。

ただ、胸の奥に、重く冷たいものが溜まっていくだけだった。

元来、その大きな身体に似合わず、大島は小心者である。

目に涙を滲ませ、唇を震わせながら、彼はわけもわからぬまま、ひたすら頭を下げ続けた。

「……申し訳ありません……」

「……本当に、申し訳ありません……」

謝罪の言葉だけが、

虚しく舞台裏に落ちていった。


 大島のファッションに対する情熱は、この日を境に、失われてしまっていた。

新しいアイデアは、もう浮かばない。

それどころか、ファッションの良し悪しすら、わからなくなっていた。

かつては売れっ子だった彼の元には、十年先まで予約が埋まっていると噂されるほど、膨大な仕事が舞い込んでいた。

生真面目な大島は、それらを投げ出すつもりはなかった。

だが――

センスを要する仕事である以上、自分にそれをやり遂げられる自信が、もうなかった。

悩み、立ち止まり、頭を抱えた。

だが、幸か不幸か――

その心配は、杞憂に終わる。

膨大にあったはずの予約が、一斉にキャンセルとなったのだ。

電話が鳴る。また鳴る。そして、また。

理由を告げられることもなく、淡々と、次々にキャンセルが申し立てられた。

それは、数日間に及んだ。

休む暇もなく、キャンセル対応に明け暮れる日々。

真っ黒だった手帳が、一本、また一本と線で消されていく。

やがて――

気がついた時には、手帳は真っ白になっていた。

こうして、大島雅彦は呆気なく、ファッションデザイナーとしての職を失った。

ほぼ無職となった彼は、職を求めた。

無職は大罪。

働かねばならない。

役に立たねばならない。

そんな強迫観念が、頭の中で渦を巻いていた。

しかし、時代は大不況。四十代での転職は、現実的に厳しかった。

面接を受けても、結果は芳しくない。

なにもかもを失った彼だったが、資金だけは、まだ残っていた。

そこで彼は、店を開くことにした。

何にも興味を持てなくなっていた彼は、仕方なく、前職に絡めて――

洋服店を営むことを選んだ。


開店前日。

仕入れた、味気ない服を無感情に店内へ並べていると、ふと、既視感に襲われた。

久しく、大量の服に触れていたからだろう。

だが、その瞬間――

彼の脳裏に浮かんだのは、なぜだか、あのショッキングピンクの毛皮のコートだった。

派手な服の良さは、依然としてわからない。

美しいとも、醜いとも、感じない。

それでも。

なぜか、捨てることだけはできず、タンスの奥底に仕舞い込んでいた。

彼はそれを引っ張り出し、しばらく、呆然と見つめた。

――そして。

理由はわからない。

理屈も、説明も、ない。

ただ、これを商品として売らなければならない

そんな気がした。

生真面目な人間へと生まれ変わった彼は、もはや豊かな感情を失っているはずだった。

それでも、どんな深層心理が作用したのか――

それを解き明かすことは、誰にもできない。

とにもかくにも。

彼は、何かに掻き立てられるように、派手な服を商品として、店内に並べた。

――その、澱んだ目で。


お読みいただきありがとうございます。

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