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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第4章「全生物平等教」
15/30

—4—

 その日、立て続けに不幸が重なったことで、和奏の心はすっかり擦り切れていた。

気づけば彼女は、ファミリーレストランのボックス席に座り、目の前の鉄板から立ち上る肉の匂いをぼんやりと眺めていた。

ジュウ、と音を立てて焼かれるステーキ。

ナイフを入れると、肉汁が溢れ、湯気とともに香ばしい匂いが鼻を突く。

――今日は、どうでもいい。

そんな投げやりな気分のまま、和奏は黙々とステーキを口に運んでいた。

噛む。

飲み込む。

また切る。

ただそれを繰り返す。

今の世において、必要以上の栄養摂取は自粛すべき行為だとされている。

健康だの、資源だの、持続可能性だの――もっともらしい理由はいくらでも並べられる。だが、そんな理屈は、今の和奏にとってはどうでもよかった。

(……好きにさせてくれればいいのに)

気づけば、テーブルの端には空になった皿が重なっていた。

一枚、二枚……やがてそれは、はっきりと“食べ過ぎ”だとわかる枚数になる。

その様子を見て、声をかけてくる者が現れた。

「……少し、食べ過ぎじゃありませんか?必要以上の摂取は動物達に対する虐待行為と同じです。それを理解されていますか?」

善意を装った口調。

だが、その声音には、どこか咎めるような響きがあった。

ただでさえ、心が荒んでいた和奏は、その言葉を聞こえなかったふりをした。

視線も向けず、ナイフを動かす手も止めない。

すると、その人物は態度を変えた。

「聞いてますか?今の時代に、その食べ方は――」

声は徐々に大きくなり、周囲の視線を集め始める。

和奏は眉をひそめ、唇を噛みしめた。

――放っておいてほしい。

それだけなのに。

だが、運の悪いことに、その場には“さらに厄介な存在”が居合わせていた。

全平教の信者である。

注意する人物の声に反応するように、信者がこちらを見やり、そして皿の山に目を留めた。

「……これは、よくありませんね」

その一言を皮切りに、状況は一気に悪化した。

注意、指摘、正論、そして善意を名乗る圧力。

気づけば、和奏は完全に包囲されていた。

あれよ、あれよという間に逃げ場は失われ、ただ食事をしていただけのはずが、いつの間にか“糾弾される側”へと追い込まれていた。

その場に漂うのは、肉の匂いではない。正しさを振りかざす人間たちの、息苦しい空気だった。

さて、どうしたものかと和奏が完全に追い詰められていると――

その時だった。

店内のざわめきを切り裂くように、二人組が現れた。

ひとりは、高身長で屈強な体格の黒人の男だった。

つるりとしたスキンヘッドに、衣服の上からでもはっきり分かるほど盛り上がった筋肉。肩幅は広く、腕は丸太のように太い。じっと立っているだけで、周囲の空気を押しのけるような圧があり、素人目にも只者ではないことがわかる。

もうひとりは、その男とは対照的に、まだ若い女性だった。

栗色の髪をセミロングに整え、年齢は二十代前半ほど。派手さはないが、目元には強い意志が宿り、口元にはどこか人を食ったような余裕がある。小柄ではないが、隣に立つ男の存在感に隠れ、それでもなお埋もれない芯の強さを感じさせた。

二人は、糾弾の輪の中心にいる和奏には一切目もくれず、群がる一向へ向き直ると――

十数枚にも及ぶ空皿を、無言で掲げて見せた。

テーブルの上に残された和奏の空皿は、せいぜい三枚。それと比べれば、彼らの掲げる皿の山は桁が違う。

――全平教の価値観に照らせば、それは比較にならないほどの罪を意味していた。

動物の命を奪い、その肉を喰らい、さらに十数回も繰り返した証。

つまり彼らは、和奏など問題にならないほど、大量の殺生に加担した存在だったのである。

一瞬、店内の空気が凍りついた。

嵐の前の、あまりにも不自然な沈黙。

その沈黙を、あえて踏み潰したのが――若い女性だった。

「――美味しゅうございました」

あろうことか、そう言い放ち、口角をくいっと吊り上げ、はっきりと笑ってみせた。

この世界において、笑うことは慎むべき行為であり、状況をわきまえぬ笑みは、時に罪と見なされる。

ましてや――

大量の空皿を掲げた直後の笑顔など、全平教の信者にとっては、挑発どころではない冒涜に等しかった。

次の瞬間。

阿鼻叫喚が店内を埋め尽くした。

「ふざけるな!」

「反省しろ!」

「何を考えている!」

女性はそれを意にも介さず、挑発するように肩をすくめる。

「あ〜、美味かった美味かった」

わざとらしく、何度も繰り返す。

騒然とする店内。

怒号、罵声、正義の名を借りた言葉の暴力。

そして――

言葉が通じないと悟った瞬間、人々は次の段階へ進んだ。

複数人が、一斉に二人へ飛びかかる。

だが、そこで真価を発揮したのが黒人の男だった。

男は一歩も退かない。

掴みかかってきた相手を、まるで子どもでも扱うかのように投げ飛ばす。

体格差も、人数差も、まるで意味を成さなかった。

実力は、歴然。

肉弾戦で敵わないと悟ると、今度はテーブルの上の物、皿、カトラリー、あらゆるものが投げつけられた。

だが――

男はそれらを、すべて素手で弾き飛ばした。

中には鋭利なものもあり、男の手から血が滴り落ちる。

それでも、男は顔色一つ変えなかった。

怒りも、恐怖も、そこにはない。

ただ、静かな意思だけがあった。

その殺伐とした最中、若い女性がふいに和奏のもとへ駆け寄る。

「――逃げるよ!」

考える間も与えず、和奏の手を掴んだ。

されるがままに引かれ、和奏は黒人の男の背に守られながら、店内を後にする。

背後では、まだ怒号が飛び交っていたが、それは次第に遠ざかっていった。


―――――――――――――――――――――――――——————————


「……で、その男は大丈夫だったの?」

甲斐が、ふと思い出したように訊ねた。

「わかりません……」

和奏は小さく首を振る。

「その時の私は、気が動転していましたし……お礼を言うだけで精一杯でした」

言葉を選ぶように、一拍置いてから続ける。

「店の外に出たあと、その女性が……『今度、一緒にケーキでも食べよ』って。はにかみながら言ってくれたんです。それだけ言って、また店の中に戻ってしまいました」

和奏は視線を落とし、身をすくめるように続けた。

「……わたし、そのまま二人を置いて、逃げ帰ってしまって」

胸の奥が、きゅっと縮む。

彼女はそれ以降、二人とまた会えることを願い、あのファミリーレストランに通うようになったのだ。

「それって……もしかして、今日囲まれてた店?」

駿河が確認する。

「……そうです。つい、食べちゃって……」

その言い方は、どこか照れたようで、お茶目で済まされてしまいそうな響きがあった。

だが実際は――

一緒に食べよう、と言われた手前、ただ待ち続けていただけなのだ。

数年経っても現れず、それでも期待を捨てきれず、ついに我慢しきれなくなった結果が、今日だった。

「でもさ……」

甲斐が、いつもの調子で口を挟む。

「数年経っても来ないってことはさ。もしかして、全平教に捕まっちゃったんじゃない? それで、あの酷い拷問を……」

和奏は、はっと息を呑んだ。

――その可能性を、彼女は一度も考えたことがなかった。

今になって突きつけられ、呑気に待ち続けていた自分が、ひどく間抜けに思えてくる。

「……」

「それで、その二人が誰なのか。他に手がかりはないの?」

今度は駿河が問いかけた。

「わたしも……聞いて回ったりはしたんです。でも、有力なのは特に……」

そこで、和奏の表情が少しだけ変わる。

「あっ……ただ……」

「ただ?」

「もしかしたら、“差別教”の二人かもしれない、って言われたことはあります」

「なんだその仰々しい名前は!」

あまりにも阿呆らしい宗教名に、駿河の顔には露骨な懐疑の色が浮かんだ。

お読みいただきありがとうございます。

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