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吠えろ!ガラクタ~塵芥戦術~  作者: 堀尾 朗
第4章「全生物平等教」
12/28

—1—

 ビューティフルロードを歩く駿河の足取りは、どこか軽やかだった。

この景観の美しい通りでは、いつもなら「汚れているのは自分だけだ」と自虐が胸に刺さる。だが今日は、精神のみならず身体まで穢れた甲斐が隣にいる。その存在が、駿河に妙な安心感を与えていた。

甲斐の態度は、相変わらず堂々としている。

恥じらいなど微塵もない。

まるで汚物に群がる蝿のごとく、“下には下がいる”という諺通り、駿河に空しい自信を与えてくれた。

一方の甲斐は、十年ぶりに訪れた池袋に大興奮だった。中身のない、見掛け倒しの綺麗な町並みを純粋に褒め称え、ステップを踏みながら右へ左へと騒がしく動き回る。周囲の白い視線など意に介さず、明朗な声ではしゃぎ立てている。

「おぉ見ろよ、あそこ!落書きだらけだったのに跡形もなく消えてる!」

「あっ!ここ、カャティがあったところだろ?あの巨大なカッティの顔面看板、外されてんじゃん!」

「ほぉ〜様変わりするもんだな〜!」

十年ぶりの外出なのだから、興奮するのも無理はない。

しかし、あまりに騒がしいので、駿河は周囲の視線を気にして注意した。

「わかったわかった、少し落ち着けって。お前、過激派に見られたら酷い目に遭うぞ」

「ごめんごめん。騒ぎすぎた。しかし……久しぶりの外は楽しいな!」

「お前、引きこもりのプライドとやらはどこへ行ったんだよ」

「引きこもりじゃない。ニートのプライドだ」

「似たようなもんだろ」

「全然違う。僕はまだ負けてない」

どうやら、彼を買いかぶりすぎていたようだ。彼が尊敬していたのは“引きこもり”ではなく“ニート”だった。単に都合よく解釈を変えただけだが、永遠のニート願望を抱く者なら、外へ引っ張り出すのは意外と容易い。


駿河が甲斐の部屋に招かれたあと、二人は翌朝までゲームに没頭した。

長年、同士を求めていた駿河と、マルチプレイでないと攻略できないクエストに悩んでいた甲斐。互いの利害は一致し、同年代だったこともあり、親しくなるのに時間はかからなかった。

ゲーム中、駿河は笑いながら嬉し涙を流し、甲斐はクエスト達成に満足し、二人の関係は一気に深まった。

やがて駿河が甲斐の服の汚れを指摘できるほどの間柄となり、こうして二人は池袋へ服を買いに来る運びとなった。

なお、甲斐にも私の姿を視認させている。

最初は狼狽したがすぐに受け入れた。現実主義の駿河とは違い、夢想家の甲斐は超常現象に対して寛容であったのだ。

頭のネジが抜けている私は、二人に終始ダル絡みをしていた。

駿河は会話が成立しないと悟っているのか完全に無視を決め込み、甲斐は反応こそするが、駿河との会話中はあしらうことが多い。除け者にされているわけだが、悲観的感情が欠落している私には大した問題ではない。


洋服店へ向かう道中、ファミリーレストランの前に人だかりができていた。

日本人の習性ゆえか、つい引き寄せられ、何事かと覗き込むと――

大勢の人間が、ひとりの女性をぐるりと取り囲み、口角泡を飛ばしながら罵声を浴びせていた。

「生物の気持ちを考えたことがないのか!!」

「そうだそうだ!もっと慎ましく食すべきだ!」

「同じ生物として最低だ!苺に詫びろ!!」

怒号の波は、アスファルトを震わせるほどの圧力を帯びていた。熱気と憎悪が入り混じった群衆の吐息が白く曇り、冬の冷気を押しのけるほどの“怒りの熱”が一帯を覆い尽くしている。

人々は肩と肩を押しつけ合い、爪先立ちになってでも前に出ようとし、誰もが“正しさ”という名の武器を手に、ひとりの女性を断罪しようと狂った目を向けていた。

どうやら、女性はショートケーキを食べながら「美味しい…」と微笑んだ――

ただそれだけだった。

しかし、この世界では、それが“生物への侮辱”に当たるという。苺という“生物”に対する冒涜であり、生真面目病の基準では天地が裂けても足りないほどの大罪らしい。

甲斐と駿河には理解不能な話だが、ここにいる“健全な一般市民”たちは狂喜乱舞していた。

怒れる正義の群れに身を委ね、互いの怒りを燃料にし合いながら、炎のように声を上げ続ける。

その渦の中心にいたのは――

以前、駿河が映画館で見かけた朝比奈和奏であった。

だが駿河はそのことに気づかず、ただ哀れみだけを含んだ、弱々しい視線を向けるだけだった。


和奏は、罵声の嵐に晒されながら、声ひとつ上げられず俯いていた。長い髪の隙間から僅かに見える口元は、血が滲むほど強く歯を食いしばり、両手は白くなるほど握りしめられて震えている。

足元はわずかに揺れ、今にも崩れ落ちそうなほど膝が弱っていた。

だが、それでも必死に立ち続けている。

怒りか。

恐怖か。

屈辱か。

そのいずれでもあり、いずれでもない――

ただ、耐えている。

その一点だけが、痛々しいほど確かだった。


彼女を取り囲む集団は、全平教である。

全平教とは略称で、正式名称は 全生物平等教。

その名の通り、“全ての生物は平等でなければならない”という理念のもと、理念に反する者を徹底的に排除することを使命とした集団である。

軟弱となった警察組織に代わり、風紀を守る活動にも積極的で、その“勇猛果敢な正義感”は一部の層から絶大な支持を集めていた。

かつては極少数の宗教団体に過ぎなかったものの、今では日本中に支部を持つほどの巨大組織へと肥大化している。

そして駿河曰く、過激派の総本山のような存在――

それが全平教だ。


「──あーやまれ!あーやまれ!あーやまれ!!」

やがて、謝罪強要のコールが大合唱となった。

リズムすら揃いはじめ、宗教儀式めいた不気味さが漂う。

寄って集って一人の女性を追い込む様を鬼畜の所業と感じるのは、不真面目病の駿河と甲斐だけであった。

その他の人々は、“仕方ない”“自業自得”といった顔で野次馬に徹している。駿河は情けなくも、右に倣えの姿勢で立ち尽くすだけだった。

そんな中――

甲斐が無謀にも前へ進み出て、「やめろ!」と割って入った。

駿河の心臓が跳ねあがった。

胸の奥で何かが弾けるように脈打つ。脇腹がきゅっと縮み、息が詰まる。背中を冷たい汗が伝った。

(馬鹿かお前は!!)

心の中で何度も叫んだが、声にはならない。

ただただ、暴徒化した群衆の真ん中へ歩み出ていく甲斐を、目の端がひくつくほどの恐怖で見守るしかなかった。

十数の目が、一斉にギロリと甲斐へ向けられる。

それは視線ではなく、**殺傷能力を持った“刃”**だった。呼吸がひりつき、空気が一瞬で凶暴になる。

しかし――

甲斐だけは違った。

胸を大きく張り、堂々と前に立つ。

正義感を漲らせ、歯が浮くような理想論を、熱意を込めて、迷いなく吐き出す。

完全に空気が読めていない。

だが、その愚直さだけは誰よりも突出していた。

この一言で、矛先は和奏から甲斐へ移り変わる。

群衆の怒号はさらに過激になり、空気は一気に、肉食獣が餌を見つけた時のような凶暴さを帯びた。

「なんなんですか君は!」

一見真面目そうな男子学生が怒りの形相で詰め寄り、額には、怒りで走った血管が“浮き上がるどころか脈打って見える”。

「悪いのはこの女よ! 犯罪者を庇うっていうの?」

貴婦人然とした女は、手袋をはめた手を震わせながら声を張り上げ、指先は怒りのせいで白くなっていた。

「苺より、この女のほうが生きてる価値がないに決まってるじゃないか」

平たく言えば不細工な男は、青筋を立てようとするも、肥満で皮下脂肪に埋もれ、一向に浮かび上がらない。

それがまた彼を激昂させ、ぶるぶると顔を揺らしていた。

――そして、駿河。

彼は一歩も動けない。助けに入る勇気もなく、ただその場に立ち尽くす。

喉がカラカラに乾き、唾を飲む音だけが異様に大きく響く。

足が震えている。だが、周囲に悟られぬよう、必死に踏ん張っていた。

(……本当に、無茶苦茶だな、お前)

そう思ったが、その“無茶苦茶”ができるのは甲斐だけだと、駿河は内心うっすら知っていた。

そして、甲斐。

怒号を浴びながらも怯まず、むしろ胸を張って群衆を睨み返していた。

恐怖よりも正義感、狂気よりも愚直さが勝っている――そんな、常人にはまず備わらない精神構造が露わになっていた。

だが、その勇敢さは**あくまで“数秒だけ”**だった。

信者のひとり、2メートルはあろうかという巨漢の男が、ぬっと影のように前へ出て、甲斐の胸ぐらを鷲掴みにした。

「なんだ、テメェはァ?」

耳元で吐き捨てられたその声は、生温い肉食獣の息のようだった。

甲斐の表情が一瞬で情けなく崩れる。

さっきまでの威勢は跡形もなく、顔色がみるみるうちに青ざめていく。

そして――

「ごっ、ごめんなさいぃぃ……!

きっ、君も謝りなさい!!」

よりにもよって、和奏に助けを求めるという大失態を晒した。

巨漢の腕の中で半べそをかき、鼻水まで垂らしながら、和奏の腕を引っ張ってくるその姿は、英雄的行動の残骸すら感じられなかった。

当然、場はさらに悪化する。

「い、いやです。わたしは……悪くありません」

悔しさと恐怖を必死に押し殺した声で、和奏は震えながらも、はっきりと言い返した。

この一言が、また信者たちを焙り立てた。

「反省ゼロ!?」

「ならば罰を!」

「今すぐあやまれ!!」

怒号が渦巻き、拳が振り上げられる。

そして、巨漢の男が甲斐へ拳を振り下ろそうとした、その瞬間――


「――おい!」

駿河が叫んだ。自分でも信じられないほど鋭い声だった。

思考より先に身体が動いたのだ。

全平教の視線が一斉に駿河へ向く。

刃物の束に首を差し出すような、最悪の瞬間。

(あ……終わった)

駿河の背中に氷の柱が突き刺さる。

喉が乾きすぎて、呼吸がうまくできない。

だが――奇跡的に、言葉が出た。

「高尾山で狸狩りをする集団が出没したとのことで、至急、応援の要請が入りました」

一か八かの虚言。

常識的に考えれば、誰も信じない。

しかし――

「……それはけしからん!!」

一人の信者が怒りで声を震わせた瞬間、場の空気が“ガラッ”と書き換わった。

単細胞な信者たちは、矛先が変わっただけで怒る対象も丸ごと上書きされる。

「重犯罪だ!即刻処刑だ!」

「狸狩り!?野蛮にもほどがある!」

「急げ!!生物の平等が危うい!!」

怒鳴り散らしながら、信者たちは雪崩のように高尾山へ向かって走り去っていった。

まるで風に追い払われた紙屑のように、あっけなく。

場に残ったのは、3人と静寂だけ。


駿河は大きく息をつき、腰が抜けそうになりながら呟く。

「……っはぁ……助かった……。やっぱりアイツら……本気でイカれてるな……」

甲斐は、鼻水を垂らし、髪をボサボサにしながらも

すっかり元の陽気さに戻っていた。

「いや~危なかったな!ってか、お前すげぇな駿河!狸狩りって!!フヒヒ!」

「にしても、こんなに上手くいくとは……これは良い勉強になった」

「確かに、これを武器に復讐に使うのもアリかもしれないな」

「高尾山を全平教信者で埋め尽くすってか」

「それは面白い!すげぇ形相で狸を追い回すんだぜ?生態系まで破壊したら、全平教の面子丸潰れだな!」

二人はすっかり気が抜け、愉快に笑いあった。

その横で和奏は、足を震わせながらも、静かに胸に手を当て、小さく息を吐いていた。

お読みいただきありがとうございます。

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