優しい世界 ―Repeat―
__この世界は、優しい。
僕が困れば、誰かが手を差し出し、
誰かが笑い、誰かが守ってくれる。
けれど――もし、その“優しさ”が、全部嘘だったら?
雨が降る。
優しい音が街を包み、夜を眠らせていく。
世界は、まるで何も知らない顔で微笑んでいた。
◆「深夜の世界」は、今日も大賑わいだった。
外の雨音すら掻き消すように、笑い声が店いっぱいに広がっている。
__パリンッ。
乾いた音。皿が割れた。
「わっ!? 兄よ、すまない……」
破片が床に散らばる。
シンは即座に駆け寄り、しゃがみこんだ。
「大丈夫か!? ケガしてねぇか!?」
「うん……平気……」
常連たちも「大丈夫か!」と声をかけ、
ECOは淡々と破片を回収する。
「破片、除去完了。弟様、外傷は確認できません」
「ふぅ……よし。気にすんな。皿一枚くらい!!そんな日もあるさ」
兄は笑って、背中を軽く叩いた。
店にはまた笑いが戻り、ECOも静かに片付けを続ける。
その時、ドスッ!と鈍く響く音。
「すまんシンさん! 壁に穴開けちまった! そんな日もあるさ! ゆるちて!」
「オメーは弁償しやがれッ!!」
お玉が飛び、見事に襖を貫通した。
「ギャァァァァ!!」
笑い声が弾ける。
……けれど、シュウだけは笑えなかった。
胸の奥で、何かがきしんだ。
(……なんで、怒らないんだ?)
皿を割ったのに。失敗したのに。
兄も、ECOも、誰も怒らない。
(……僕が、ハンデを持ってるから?)
まるで、“壊しても許される存在”みたいだ。
胸の奥が、ひどく重たくなった。
(……そんな優しさ、要らないよ……)
心の奥で、黒い石の記憶が泡のように浮かび上がる。
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◆夜が更け、「深夜の世界」は眠りについた。
雨だけが屋根を叩き、世界は静まり返る。
シュウは布団の上で、あの黒い石を見つめていた。
「……自由になれる、か」
呟いた声が、部屋の闇に吸い込まれていく。
石は微かに温かく、心臓の鼓動と同じリズムで脈打っていた。
兄も、ECOも、眠っている。
時計の針は、午前3時を指していた。
シュウは、静かに石を胸に抱き、目を閉じた。
◆朝。
まぶしい光。鳥の声。まるで祝福のような朝。
「……ん?」
シュウは上体を起こした。
足に、感覚があった。
「……まさか」
ゆっくりと足を動かす。
膝が震える。足裏が床を踏む。
___立てた。
「……歩ける……!」
声が震えた。
一歩、また一歩。ぎこちないけれど、確かに歩ける。
嬉しさが溢れ、胸が熱くなった。
「………兄!……ECO!」
部屋を飛び出した。
だが、誰もいない。
居間にも、厨房にも、人の気配はなかった。
「……どこ行ったんだろ」
寂しさよりも、喜びが勝った。
窓の外には、光の世界が広がっている。
息を呑む。
シュウは兄の靴を履き、玄関のドアを開けた。
一歩。外の空気。
足で踏む地面の感触。
空気が違う。音が違う。
世界が、こんなにも鮮やかだったなんて。
涙が溢れた。
走れる。
跳べる。
転んでも痛くない。
嬉しくて、子供のように笑いながら、町を駆け抜けた。
◆気づけば、公園にいた。
屋根の下____あの日の男の姿を探す。
せめて、お礼を言いたかった。
「……いない」
あの不気味な笑みも、古びた帽子も、どこにもない。
ふと、背後から声がした。
「おにーさん、サッカーできる?」
振り向くと、小さな男の子がボールを抱えていた。
「あ、いや……全然……」
「じゃあ一緒にやろ!」
「え、でも……」
「だいじょうぶ! 遊びたそうな顔してたもん!」
笑顔で差し出されたボール。
戸惑いながらも、手を伸ばす。
掴みそのねてボールが転がる。
反射的に足が動き――見事にリフティングが決まった。
「うまいじゃん!」
歓声が上がる。
気づけば子供たちに囲まれ、笑い合っていた。
走って、蹴って、転んで、起きて、また笑う。
世界は光に満ちていた。
優しくて、穏やかで、どこまでも柔らかい。
まるでこの場所だけが、本物の“天国”みたいに。
――ただひとつ。
その光景を、遠くの木陰から見つめる影があった。
黒い帽子の男が、ゆっくりと口角を……静かに上げた。




