最終話:桃の香りがする方へ
川を流れるその桃は実に巨大であった。大の大人を縦に二つ並べた程である。川で洗濯をしていた老婆は瞠目して腰を抜かしたものである。
「四つも!?」
である。二十年ほど前に出くわしたあの巨桃が今度は四連である。金にがめつい人間は大抵しぶといものである。かつて巨桃を川から引き揚げ競売にかけたこの老婆は、御年九十であった。がめつさは未だ健在と見えて、これは売り捌かねばとまたしても川底に片足を突っ込んだが、
「人の声がしたね」
先頭の桃の中から少女の声がし、その足を止める。
「状況を確認しろ」
立て続けに後ろの桃の中から淡々とした声色がし、先頭の桃が突如として砕け散る。中から丸い瞳をしたくノ一が姿を現し、キョロキョロと周囲を見回すと、
「猿姉の仮説通りかな」と肩を落とした。「川まで流れついたみたい」
そのぼやきを皮切りに、次々と桃から人が出てくる。雉は桃の外側に巻き付けてあった糸で殻をバラバラにしつつ出、猿は最初からそこに立っていたかのように、桃を存在ごと消滅させて現れた。船頭の入っていた桃もそのようにして消し去った。
「あ、」
老婆は目を怒らせつつ、ズンズンと川の中に入ってくる。「アンタら、うちの売り物になんてことしてくれてんだい!」と激高する。
「売り物」
猿は呟き、老婆に向き直って尋ねる。
「二十年前、嘉宮大名に巨大な桃を売った老婆は貴様か」
「だったら何だい! 話を逸らそうったってそうはいかないよ! アンタらきっとあの桃が実ってる場所知ってんだろ!? 少しでも悪いと思う気持ちがあるならさっさと教えな! アタシはまだまだ稼ぎ足りないのさ! 今しがたその気持ちに火ィ点いちまったとこなんだよ!」
「鬼ヶ島に行けば腐るほど実っている。嘘だと思われるかもしれないが実際そうなのだから他に答えようがない。鬼はもう我々が退治した後だから、行きたいなら一人で勝手に行くが」
「爺さんや! 仕事の時間だよ! 家中ひっ繰り回して銭かき集めて、ありったけの船を買いに行くんだ! まだまだアタシらの天下も終わっちゃあいないよ!」
老婆は洗濯物も何もかもほっぼり出し、猪のごとく去って行ってしまった。「ありゃきっと死んでも持って帰ってくるね」と雉は呆れ呆れ呟き、隣の犬は「どこからあんな元気出てくるんだろ」と首を傾げた。
「行くぞ」
と先んじて猿が川を上がり、三人も後をついていく。西和苑と嘉宮城とを順繰りしたが桃子の姿はなかったため、桃子が日頃から懇意にしていたきび団子屋を訪れる。店頭には誰も立っていなかったが、「ここからご主人様のにおいがする。まだ新しい」と犬が嗅ぎつけ、では中にお邪魔してみようかという段、「結局さ」と雉がオズオズと口を開く。
「その、今回の場合、誰が一番お手柄だったことになるのかね。――そいつを正妻にって話だけど」
「流石にボクじゃないかな。……いや、でも、桃を落としてくれたのは雉姉だし、頭を使ってくれたのは猿姉か」
本来、誰が一番か言い争う場面のはずであったが、誰も彼も遠慮がちであった。それもそのはず、こうして自身らがかつての桃子と同じだろう方法と経路で、鬼ヶ島からこの川にやって来れてしまった以上、やはり桃子は鬼の子なのではないか。――そして自分は、いくら相手があの御方だとしても、鬼の子との愛を育めるだろうかと、すっかり自信を喪失してしまっていたからであった。その傍ら船頭は、「自分ここに居る意味ありますか?」と所在なさげにしていた。
「戯言を」
猿は団子屋の方に体を向けたまま、一蹴した。
「誰が正妻に相応しいかなど、我々の知ったところではない。主が我々からの報告を受け、どう判断なさるかなのだ――ゆめゆめ思い違うな。そんな調子で私の横に立たれては、こちらの株まで下がるというものだ」
「……アンタは芯の通った女だよ」
雉は大きく息を吸い込み、ひとしきり吐いてから、「よしっ」と殊更に大声を出す。バッと顔を上げ、
「もう決めた。迷わない」と、真っ直ぐな瞳で宣言する。
「アタシみたいなしょうもない曲芸師くずれを、溶けるほど愛してくれるのはあの人だけだ――土台、今の私は、主様以外で満足できないんだよ。そういう体にさせられちまったんだから――そういうわけで、犬公。お前はもうそんな感じならどっかに行きな。競争相手が少なくなるなら、それに越したことはないんだ」
犬は目を見開き、俯いて目を泳がせ、どうしようどうしようという塩梅に口をパクパクして狼狽していたが、
「ボク馬鹿だから」
震え声になりつつ答える。「思ってることぜんぶご主人様に聞いてもらって、どうしたらいいか決めてもらう」
「悪くない答えだ。我らは三人とも、まとめて主の傀儡なのだから」
「どうだかねぇ。傀儡だろうがなんだろうが、自分の意見くらい自分で決めるべきじゃないの?」
三人と一人は軽口し合いながら団子屋の框に上がる。奥へと続く障子を開ける。
果たして、桃子はそこに居た。
畳の上で、団子屋の若い娘とくんずほぐれつしていた――湿気と熱気を帯びた、甘い桃の香りが部屋中に立ち込め、粘り気のある汁がてらてらと輝き、二人して来訪者の存在に一切気付かぬほど没頭していた。「このきび団子は私だけのものだからね。誰にも渡すんじゃないよ」と桃子は娘の胸に付いた二つの団子を揉みつむしゃぶりつし、娘は言葉にならぬ嬌声で返事していた。
「……ひ、」
雉は額に青筋を浮かべつつ、片足を畳に踏み入れる。隣で犬も、右の手を歪に開いてグギリと骨を鳴らした。
「人に鬼ヶ島行かせといて、アンタって人は…………!」
わなわなと雉は両肩を震わせる。ここへきてようやく桃子と団子屋の娘は障子の方を見、娘は「ヒッ」と短く悲鳴、桃子はバツの悪そうな笑みを浮かべていた。
「【張糸】!」
「【握食】」
二人は障子も何もかも蹴散しつつ畳の間に突入。甘露と耽美とを極めた桃の香り漂う一室が、瞬く間に砂埃の舞う修羅場の極みと化した。
「やはり鬼の子か」
猿は仮面の顎先を指で摘まみつつ呟く。飛んできた扇子をひらりと躱し、その後ろで鼻の下を伸ばしていた船頭の顔面に直撃した。
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