第四話:聳え立つ湖上の巨木
作戦会議を終え、三人の忍と一人の船頭は、森の中を奥へと進んでいく。浜辺から遠ざかる方、島の中心部に向かって連れ立った。
どこまで続くか分からぬ、迷路のごとく木々の入り組んだ森をやっとこさ突っ切ると、打って変わって開けた空間に出る。
そこは広大な湖であった。彼女らの立つ湖畔の反対側では、帳のごとく横長に広がった滝がドウドウと勇ましく流れ落ちており、どれを取ってもいちいち規模感の大なる空間であったが、中でもひときわ巨大であったのは、湖の中心に生えた大木であった。
最前にも猿が遠巻きから発見していたその巨木は、いざ目の前に立って見ると、目眩すら覚えるほど超大であった。——樹齢にして数万年はあろうかと思われる、湖上の大木。根は湖中に埋めつくさんばかり張り巡らされ、ごん太の幹は天まで届き、枝葉は雲に隠れて見えぬ。
然らば、ここは雉の出番であった。見えない階段をピョンピョンと跳ねつつ上り、四半刻もせぬうちに雲の上に躍り出る。枝に止まって一呼吸落ち着ける。
幻想のごとく壮観であった。目下の白雲から大木の枝葉が飛び出し、見渡す限りの突き抜けるような青空。流石は神の国だけあって雄大の極みである。
また、雄大ついでに言うと、大木の枝葉の先には巨大な桃がいくつも実っていた。大の大人が立ったままですっぽり収まりそうなほどの大きさである。
奇天烈千万。常人がこの光景を目の当たりにすれば、いたく感動するかひどく発狂するかの二者択一であろう。――が、雉はそのどちらでもない。休憩がてら、ボンヤリと眺めるのみであった。
というのも、雉はその絶景をつい先ほどにも拝んでいたのだ。――金銀財宝を探しに島中を飛び回っていた時分、雉はこの大木ないし雲の上の枝葉に思いを馳せ、「蓬莱の玉の枝みたくなっているかもしれぬ」と天上に繰り出し、その時にひとしきり感涙を済ませてしまったので、二度目の見物ともなると興醒めもやむなしであった。
ではなぜ彼女は、少なからず時間と体力とを費やしつつ、わざわざこの空に舞い戻ったのか——差し金はもはや言わずもがな、猿であった。
先刻の作戦会議にて、雉が件の桃について言及するや否や、「貴様が行って桃を落としてこい」と雉に命じたのである。他に空を飛べる者が居ない以上、雉が最適任であることは本人含め満場一致であったが、とはいえ当人からすれば不服も不服であった。
「……ったく、何が悲しくてあの猿公の命令に従わなくちゃならんかね」
ぶつぶつとぼやきつつ、雉は手指に巻き付けた極細の糸をピュンと飛ばして、手近な枝の先端に巻き付ける。桃の実との結合部に位置する箇所である。 要領的には高枝バサミである。糸で強く締め付けて枝を裁ち、実を落とす気でいるのだ。
雉の糸は金剛不壊の糸である。どれだけ踏みつけようといじめ抜こうと千切れた試しがなかった。此度の巨桃収穫に際しても同様であった。——が、枝の方も相当に頑固で、雉がどれだけ糸で締め付けようと、樹皮を傷付けることすら叶わなかった。大木の幹のごとく逞しい枝であるから、それも仕様のないことではあった。
雉は一旦、その桃は諦める。糸を手に巻き取り、枝々を飛び回りつつ、一等大きな桃を見繕って、そこに繋がる枝のキワに糸を巻きつけた。実が大きいということは、繫がる枝に掛かる負荷もそれだけ大きく、かつ長い時間にわたっていじめ抜かれているはずだから、音を上げさせ易いだろうと考えた。
果たして、枝は辛うじて千切れた。桃は落下して雲の中に消え、しばらくしてから遥か下の方でドッポンと水を打ち付ける音がした。雉はヤレヤレと首を鳴らしてから枝を飛び降り、桃の後を追った。
雉は湖に目掛け急転直下。そのままザブンと着水――はしない。化粧が崩れるためである。彼女は湖面スレスレの宙空に、両足揃えてスタッと留まった。
その真横を大水飛沫を上げつつ泳ぐ者がいる。犬である。雉はたちまち全身ずぶ濡れになり、後方を振り向きつつ「何すんだクソ犬!」と怒号を上げる。
が、犬が一心不乱に泳ぐ方、帳のごとく横長に広がった滝を、巨大な桃がどんぶらこと登っていくさまを目の当たりにし、雉は怒りなど忘れて絶句した。
なぜ桃が自ずから滝登りを? アレではまるで自由意思を持った生き物である――と思うと同時に、犬が大慌てであることにも合点がいく。桃を引き戻そうと躍起の最中なのだ。
「手を貸せ」
湖岸に棒立ちする猿から指令が飛んでくる。雉は舌打ちしつつ身を翻し、犬と結託して桃を湖岸に打ち上げる。滝を遡上する桃の力強さたるやビクともせず、二人がかりで辛うじて任務遂行の後、犬と雉とは桃を囲むようにして寝そべりつつ、ハアハアと息を切らした。
「珍妙極まる桃の実よ」
猿は呟きつつ腰を曲げ、地面に転がった雉の袂からクナイを抜き取る。「割って中を調べてやろう」と巨桃に向き直る。
クナイを逆手に持ち、頭上に振りかぶり、桃に突き刺す。普通の桃にするのと同じように、いともたやすく傷が入る――が、ザクザクと切り進めていくそばから、傷が閉じていく。
「再生し遡行する巨大な桃」
呟きつつ猿はクナイを抜き取り、「犬」と呼びかける。「両断せよ」と。
「潰してもいいの?」と、犬は依然としてグッタリしたまま振り向く。「構わん。使い物にならなくなればまた雉に取ってこさせる」「調子乗ってんじゃねえよ猿公」「よっこいしょ」
犬はムクリと起き上がり、自身の三倍の上背はあろう桃の前に堂々立ち塞がり、右手を突き出し、
「握食」
と唱えつつ桃の表皮を握った。桃は見えない何者かに食われたかのように、全体の半分ほどが一瞬の内に消滅し、内側の構造が露わになった。
見掛け倒しというか、まったく実の詰まっていない桃であった。皮の内側に、薄黄色の果肉が申し訳程度にへばりついているのみである――断面の部分から徐々に再生し、段々と五体満足に回復し終えるも、最後の最後まで中身は空洞のままであった。
「この島に存在する鬼は全て討伐したとのことだったが」
猿は桃と対峙したまま、隣の犬に問う。「雌雄の分布は?」
「雄と雌がどの割合ずつだったかってこと? ぜーんぶ雄だったよ。みんなちんちん付いてたもん」
「連中の姿かたちは概ね人間のそれと同じだった。骨や筋肉の構造、内臓の造りに至るまで」と猿は呟く。何やら滔々と語り始める。
「人間と似た身体構造をした鬼は、人間と同様の方法で生殖するのか? しかし鬼に雌は存在しない。少なくともこの鬼ヶ島に住まう鬼には一匹たりとも。
「なら、人間の女を攫ってきて孕み袋にするのだろうか? この島で見かけた人間の女の死体はいずれも、凌辱こそされていたが一人たりとも妊娠はしていなかった。身籠る前に殺してしまうという風習でもない限りは、そもそも鬼と人間の間で生殖は不可能であると考えるべきある。
「主は桃子という名を冠されるだけあって、巨大な桃の中から生まれた――その桃が、もしこの桃の木に実っていたものだとしたら?
「巨大な桃の木から、桃の実が降ってきて、真下の湖に落ちる。鬼はそれを拾って、中に陰茎を突き刺し射精する。
「然る後、鬼はその桃を海に流す。桃は流れに遡行する性質があり、鬼ヶ島に引き寄せる海流を逆に外へ外へと向かっていく。
「また、この桃であるが、おそらく鬼にとって母体的な存在ではないのだろうか――桃の中で受精や着床が起こり、胎児が発生し、胎児は桃の内側の実を食べつつ生き永らえる。この間にも桃は海流に逆らうようにして、どんどんと鬼ヶ島から遠ざかっていく。
「やがて人里の浜に行き着き、この頃には鬼は成熟しきるか桃の実を食い尽くすかして、桃の殻を破って外に出ている。解き放たれた鬼は狩猟本能に従って人里を襲い、満足したら帰巣本能に従って鬼ヶ島に戻る。
「主は船酔いする体質である。というか、常日頃から『流水が苦手』と仰っていた。であれば、桃の中に閉じこもっている最中も、気分が優れなかったのではないのだろうか。
「桃の果肉がロクに喉を通らず、食い破るもこじ開けるも出来ないまま海から川へ突入し、人の手によって無理やり殻を切開された主は、だから鬼という種族としては片輪である、女として生を得た。——そう考えれば、主が生粋の女好きであることにも合点がいく。本来的な性格が男であれば何らそこに酔狂も不自然もなく――――――」「いい加減にしろよクソ猿公!」
たまらず雉は猿の胸倉を掴み上げる。倍ほど背丈の差があり、猿の両足が地面から浮く。雉は至近距離で捲し立てる。
「さっきから黙って聞いてりゃあ、主様が鬼の子だのなんだの、荒唐無稽にも程があるだろうが! 大体、分かった風なことベラベラ捲し立てていやがるが、今はアタシらがどうやってこの島から出ていくかの話だろうが! お前って何考えてんのか全然分からねえんだよ! そのふざけた仮面とっぱらって見てやろうか!?」
しかし猿はどこ吹く風、身じろぎ一つせぬまま、雉の肩越しに「犬」と呼びかける。「言いたいことがあるなら言え」と促す。
雉はバッと後ろを振り向きつつ、「おお、そりゃあるだろうよ! お前からもなんか言ってやれ」と勢いづく――が、たちまちのうちに血の気が引く。
犬の様子は尋常ではなかった。指先をモジモジと揉み合わせつつ、何やらしおらしい調子であった。――歯に衣着せぬ、明朗闊達な野生児ですら、言葉にするのも憚られるほどの――――。
「鬼が桃と交尾するのを見たか」
猿の問いに対し、犬は返事こそしなかったものの、――半ば泣きそうな顔をしつつ、コクリと小さく頷いた。
「…………いやいやいや」
雉は猿の胸倉から手を離す。猿はそのまま垂直落下する。
「そりゃお前、そんなことってないぜ……」片手で額を抑えつつ、ブツブツと呟く。
「主様が鬼? いや、確かに鬼みたく強い御方ではあるが、別に肌も赤くないし背もべらぼうに高いわけじゃないだろ。角も生えてないし…………」
「人間のようだ。分類上、鬼かもしれないというだけで」
猿は組めない腕を後ろに回す。「些事だ」と仮面の下で言い放つ。
「私は主がどのような正体であろうと愛し続けることができる。主がこれから先、鬼の姿に変貌するようなことがあったとしても、私は変わらず主に嬲られたいと思う。主で果てたいと思うだろう――貴様らがそうでないというのなら、所詮それまでの恋慕だったまで」
「か、勝手に代弁するなよ!」
雉は声を荒げて抗議する。が、
「アタシだって、そりゃ、アンタと同じつもりで…………」
みるみる消沈していき、しまいには言い切らぬ。犬もその隣でシュンとし、船頭の少年はひたすら気まずそうに縮こまっている。
「雉は桃をあと三つ調達しろ。その後は犬に桃を割らせ、それぞれ中に入り、海に出る。私の仮説が正しければ桃は自然と人里に行き着き、主がかつて流れ着いた川に上っていくだろう」
猿の号令に意を唱える者はいない。返事する気力も失せていた。
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