第一話:桃より鬼より女がいい
どんぶらこと川を流れるその桃はとにかく巨大であった。大の大人を縦に二つ並べたほどはあろうかという代物である。川で洗濯をしていた老婆はビックリして腰を抜かしたものである。
しかし、と老婆は思い至る。世にも珍妙なるこの巨大な桃は、町に持っていけばきっと高値で売れるに違いないと――自分で取って食おうなどとは、微塵も考えていなかった。ただひたすら金のことばかり考えてよだれを垂らしていた。
そうと決まれば老婆、芝刈りに勤しんでいた老爺を川まで誘い、二人して桃を川岸に打ち上げた。見かけの割には妙に軽かったが、中身がどうであるかはさして重要ではない。手にした者が後で勝手に一喜一憂すればよいのだと、売りに出す前から夜逃げの支度すら整えた。どこまでも小物な老婆である。
また、桃に関する妙なことといえば、桃は川の流れを逆らうように、下流から上流へと遡ってもいたのだが、それについても老婆は意に介さず、その日のうちに山の麓の町で桃を売り払ってしまった。
桃を買い取ったのは、嘉宮という大名であった。
大名は平生よりたいそうな桃好きで、城の西方に西和苑という、桃を堪能するためだけの屋敷をつくらせたほどである。して巨桃もそこで嗜むことと相成ったのだが、
「よもや桃の中から赤子が生まれるとはな…………」
名刀、鬼平咲にて両断した桃の中には、生後間もないものと思われる女の幼児がグッタリと横たわっていた。
老婆につかまされたのだと、大名は憤りつつその桃の殻をたちまち火にかけて灰にし、しかし娘の方に罪はなかろう。赤子を桃の中に閉じ込めて売り捌く、あの悪逆きわまる老婆の元にわざわざ返してやるのも酷だろうと思い思い、ちょうど子宝にも恵まれていなかったから、よしこれを我が娘として迎え入れようと、桃子という名を授けて城に置いた。
桃子はスクスク育った。二十の歳になる頃には、どこに出しても恥ずかしくない、顔立ちのことごとく気品高く麗らかなことである。上背も男勝りで、出自の特異さたるや風貌からありありと感ぜられ、老若男女問わず、憧憬の眼差しをその一身に釘付けにしていた。
しかし一方で、桃子にはいくつかの玉に瑕があった。
第一に粗野である。昼間、縁側でひとり巻物を解いて書を嗜む桃子は、装いからして男物の着物をだらしなく着崩し、片膝すら立てる始末である。書に飽きれば刀一本携えて城を出、狩りなどして遊ぶのだ。当年におけるところの女らしさからは、極めて対極の位置にある女子だった。
実際、彼女のそういった粗野の部分を揶揄し。妙なあだ名をつけつつ陰口する者もいないではなかった――が、当の桃子としては誰からどう思われていようが一切頓着なく、今日も今日とて涼しげな顔をしつつ、縁側で巻物を読むのに明け暮れていた。
その背後、何者か抜き身の刀を携えつつ、忍び寄る者がいる。
桃子はその存在を知ってか知らずか、後ろで結わえた髪を左手の甲に乗せて左にどかし、首もその方に傾げる。右側の肩口が、見るも無防備にがら空きになる。
背後の男は刀を大上段に振り上げ、そこへ目掛けて勢いよく振り下ろす。
敗れたのはしかし、刀の方であった。
桃子の肩口には傷一つ付けられず、むしろ反対に、刀の方がカキンと軽妙な音を出しながら折れてしまった。切っ先は滑稽にもクルクルと回転しつつ前方に飛び、庭の枯山水に突き刺さった。
「親父殿」
桃子は振り向きもしないまま、嗜めるような声色で背後の嘉宮大名に語りかける。
「大名ともあろう御方が、ナマクラを振るうものではございませぬ。小娘一人の首すら満足に落とせぬ刀なら、果実でも切るのに使った方がよろしい」
「こいつはお前を桃から出すのに振るった刀だ」
嘉宮大名は嘆息しつつ、折れた刀を鞘に戻す。
「名刀『鬼平咲』。血飛沫の文様を刻まれし、天下十三剣が一つ。――これでも斬れぬなら、もうお前を殺す術はない」
「半端な。そういった手合いは一か三か五、多くても十がいいところにございましょう。十三であればそれは、無理して数えたに他ならない――私ならそう考えますが」
桃子は巻物を筒にして縛り、袂に仕舞って縁側に立ち、ようやく父親に向き直る。目線の高さが水平である。
「お前は、親である私の目から見ても美しい。国中探し回っても、お前ほどの者はそうそう見つかるまい」
「左様でございましょうか――私に限らず、女子とはすなわち美しいものでございます」
ゆるりと頭を振り、桃子はどこか恍惚としたような異常な瞳の輝きを湛えつつ、うっすらと口元を微笑に歪ませる。
「女を他に喩えるなら何が相応しいでしょう。花? 蝶? 否、果実にございます――色とりどりで、時にはパッと晴れやかな、時には毒々しい、いつまでも触っていたくなるような柔肌、噎せ返るほど甘い香り――男だけに堪能させるなど、なんと勿体のないことにございます」
「よもや見えていないわけでもあるまいが、アレを見よ」
嘉宮大名は後方、畳の間を指差す。
縁側に面した一角以外、三方を襖で仕切られた部屋の中には、ハアハアと息を切らした全裸の女が、都合二十ほど横たわっている。老いも若いも一緒くたに、ないまぜである。その中には嘉宮大名の正妻や側室なども紛れ込んでいる。めいめいに「桃の君」と呟きつつ、切ない喘ぎ声を漏らしている。
「城中の女を片端からたぶらかし、お前のおかげで城内は荒れ放題の極みだ」
大名は溜め息交じりにぼやく。
「皆、甘い香りに誘われるように、それぞれの任務をほっぼり出してこの西和苑に集っておるのだ…………最近など、明らかに腐らせて茶色くなったネバネバの豆粒を、椀についで大名の御前に出す始末よ」
「良き匂いのする花に蝶が群がることは自然の摂理にございます」と桃子は開き直る。「それで何か各所に問題を来すのだとすれば、不自然がそこに所在するというだけの話」
「桃から生まれた人間に道理は通ぜぬ、か?」
「それもまた道理というものでございましょう」
大名は威厳にかけて、小娘相手に激高しそうになるのを抑える。
これが彼の長年の悩みであった。桃子は城内を混沌に陥れる張本人であり、ならばいっそと息の根を止めてしまおうと試みたこと数え切れぬが、先にもあったように殺しても死なない女なのだった――――しかし仮にも大名、簡単には引き下がらぬ。今日はとある『策』を用意して来ていた。
ゴホンと咳払いし、大名は緊張が表に出ぬよう十全に注意しつつ、神妙に語り始めた。
「お前だからこそ頼みたいことがある。聞いてくれるか」
「殺そうとした相手に頼み事とは面妖な。親父殿の話されることなのでしたら、耳だけは傾けて差し上げましょうが」
「昨夜、海の向こうから泳いでやって来た鬼を、兵士が十人がかりで捕え、何しにやってきたのだと尋問したのだ。――すると、どうにも連中は、近々ここいら一帯に大勢で攻め込み、女子を片端から連れ去る目論見でおるらしい――その下調べで単身、人里に乗り込んだとのことだった」
「女子を大規模的に誘拐する動機は?」
桃子の顔面から表情が消える。大名は内心ほくそ笑みつつ、引き続き神妙な面持ちと声色を保ちながら答える。
「ウム。というのも鬼は、人間の女とまぐわることでしか子孫を残せぬゆえ、数百年に一度そのようにして、孕み袋を調達しに大々的に遠征しに参るとのことだ――雌の鬼というものが存在せず、鬼は雄としてしか産まれてこないため、体構造の似通った人間の女をこそ孕み袋に欲するのであろう。なんとも傍迷惑なことよな」
「あい分かった。みなまで仰るな」
桃子は平手を前に張り出す。逆光で影の落ちた顔面が、両の眼のみ桃色に輝く。
「この嘉宮桃子、鬼畜外道の根城にしたる鬼ヶ島をば強襲し、必ずやこの手で殲滅してみせましょう」と拳を固く握り締める。
「……そうか。ならば船の用意を」
「ただし」
安堵しつつ踵を返す大名を、しかし桃子はただでは見送らない。動揺を気取られないようにと努めて無表情を貫きつつ、大名は「申せよ」と促す。
「もし私が鬼を討ち滅ぼし果せ、再びこの地に凱旋した暁には、金輪際、私の趣味嗜好に口出しせぬよう約束して頂きたい――他に褒美は要りませぬ。如何か」
「………………………………」
大名は改めて、部屋中に散乱する裸体の女を見回す。
なんとかしてこれをやめさせようと、大名は手を変え品を変え、言葉を変え刀を変え幾たびも試みてきたが、桃子には暖簾に腕押しだった。――しかし、今度ばかりはどうにもなるまい。大名はより一層、内心にてほくそ笑んだ。
土台、さしもの桃子だろうと、あの鬼ヶ島に乗り込み、生きて帰れるはずがないのだ。よしや何かの間違いで鬼の軍勢を打ち果せたとて、それでも帰還だけは絶対に叶わぬのだ――嘉宮の城に混沌を齎す忌子を退治するには、同じく化け物をぶつけてやるのが手っ取り早い。我ながら惚れ惚れする妙案よ——ひとしきり浸り尽くしてから、大名はうむと大きく頷く。
「良かろう。大任を果たした英雄の申すことには、私とて首を横に振るまい。信じて向かえ」
「では、そのように」
桃子は着崩した色とりどりの着物をひらりと翻しつつ、軽やかな足取りで屋敷を去る。ひとり山に入り、鳥獣の喚く獣道を扇子片手に進み行く。
「ガミガミとやかましい親父殿の口車にまんまと乗っかってやったものの、さてどうしたものか」
パタパタと首筋を扇ぎつつ、ひとりごつ。
「金輪際、私のやること為すことに文句を言わせぬ権利は魅力的だが、雄しか生息しない雄ヶ島など、誰が好んで行きたがるのだ――そもそもからして、親父殿は忘れておられるようだが、私はとかく流水が苦手なのだ。船に乗って行こうが泳いで行こうが、どれだけの反吐を海中に撒き散らすことになるやら分からぬ…………」
熊。
彼女を取り囲むようにして、四方より現れ出でる自然界の怪物。よだれを垂らしグルグルと喉を鳴らす。腹を空かせているのは想像に難くない。
「頃合いか」
桃子は呟く。
獰猛な熊の跋扈する領域すなわち、人の出入りは限りなく皆無であると考えてよい。何をするにも都合のよい領域であると――桃子は扇子をパンと閉じ、その音に反応して一斉に熊が襲い掛かってくるが、どこから現れたか三人のくノ一が、三匹の熊それぞれの前に立ち塞がった。
一人は大跳躍して熊の頭を掴み、いとも容易く頭蓋を握り潰した。
一人は巨岩のごとく分厚い熊の全身に糸を張り巡らせ、速やかに絶息せしめた。
一人はその場に佇み、ただそれだけで熊の方が絶叫しつつ退散した。
残りの一匹は桃子が仕留める。鞘から抜いた刀をそのままの流れで投擲し、頭蓋を真正面から一突き。紙細工のように崩れ落ちる熊の額から刀を引き抜き、剣先をクルリと回して血と脳漿とを払い、鞘に納めて後ろを振り向いた。
忍び装束の女が三人。地べたに横たわっている。
左から順に、まん丸とした双眸のうら若き乙女。犬が服従を示す時のように、仰向けになって四肢を折り曲げ、全身血みどろで頬を紅潮させつつ、ハッハッと息を切らしている。
真ん中は体型から顔つきから細くしなやかな淑女。自ずから全身を糸で縛っているくせに、見当違いにも桃子の顔を恨めしそうに睨みつつ、こちらも頬を薄く染めている。
一番右が、猿の面を被った女である。仰向けでこそあるものの、ただそこに横たわっているだけという塩梅で、右手を腹の上に置き、左腕は肩から先がなかった。
西和苑三衆。嘉宮桃子にのみ忠義を誓う懐刀にして、同時に鞘でもあった。
「褒美といこうか。犬、雉、猿」
桃子はふわりと微笑みつつ、殊更じらすように自らの帯を解いた。
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