歴史の流れ④
それから幾日か、皇后や妃嬪たちと若汐は過ごしていた。
本当は一人の時間も欲しかったのだが妃嬪達との円滑な関係は重要だ。
お誘いを断ることもせず、自身の時間というものを削っている日々が続いていた。
そんな中、皇后からこんな話を聞かされる。
「陛下から聞いたのだけど、ピアノも運んだそうよ。」
嫌な予感がする。若汐は自分の直感を否定したくなった。だがこの手の直感が外れた試しがない。
もしや、と考えていると皇后が若汐に向けて笑顔を振りまいた。
「令貴人、是非演奏聴かせてちょうだい。」
「ご命令とあらば。」
(知ってた…。)
自分の直感の鋭さとこのお決まりの展開にいい加減嫌気がさし始めていた。
ピアノは若汐が考えていた以上に丁寧に運ばれていた。
乾隆帝が指示を出していたのだろう。
あの円明園から運ぶのは大変だっただろうに。そんな感想を持つ。
若汐はピアノがある船に乗船すると、念のために持ってきていたヒールに履き替える。
そしていつも通りに確認作業をしてから、皇后や妃嬪たちに向けてピアノの演奏を何曲か披露した。文句ない演奏だった。
いや、正しくは『文句など言わせぬ』演奏ぶりだった。いつも通り、美しい音色が河に響き渡っていた。
盛大な拍手が若汐に贈られる。その美しい音色が悲しみの音色に変わるまでもうすぐだった。
──東巡から紫禁城へ帰還した後、皇后の体調が悪化した。
無理もない。あの長距離を何日もかけて移動していたのだ。
悪化するのは当然の帰結と言えた。皇帝や妃嬪たちは皇后の体調を心配する。
それは若汐も同じであったが、回復の見込みはないのだろう、と他の妃嬪たちとは違って落ち着いて状況を把握していた。
この歴史の流れは変えられない。自分が変えたいと思っていても変えることは無理だ。
現代の医師のような医療知識も医療道具さえない。自分は医者ではない。ただのピアニストだ。
だから、何もできない。そう島野葵と思われる部分の自分が若汐に向かって囁く。本当に?何もできないの?そんな若汐の想いを潰すかのような現実という名の残酷を見せて。
──本当に、何もできないのだろうか。
本来の自分の意見は無視して若汐は思考する。
いつも何か弾く時はすぐに曲が思いつくというのにこういう思考回路は向いていないらしい。思いつくことは出来なかった。そんな中、若汐は皇后に呼ばれる。
「郎世寧からね、聞いたの。貴女、歌もとても上手だって。」
何を言ってくれてるのかしら、といつもの若汐なら思ったが皇后の病に臥せっている姿を見ては何も思えなかった。
布団の中から気丈に言ってくるのだ。過分なお言葉です、と短く返事をしていつものように笑顔を見せる。若汐にはそれしかできない。
「私のために、歌ってくれるかしら。同じ曲でいいから…。」
「はい。ご命令とあらば。」
郎世寧にかつて聞かせた曲、リナルド作曲『私を泣かせてください』。
それを腹式呼吸を存分に使って立ったまま歌う。
歌の基本姿勢。肩の力は抜いて自分の中心には棒があるかのようなイメージ。そして前に響かせるだけではなく、頭の後ろにも響かせるようなイメージで。
散々、この姿勢についてレッスンで言われていた。簡単そうに見えていざやると難しい姿勢。懐かしい気持ちに想いを馳せながら音楽家は歌う。
短い曲なのですぐに歌い終わった。
この場に郎世寧にいれば盛大な拍手が贈られていたことだろう。皇后は弱弱しいながらも気丈に礼を述べてきた。
「ありがとう…本当に上手なのね…」
「ありがとうございます。」
皇后の声はとても小さかった。
もう大きな声も出すことが出来ないのだろうか。
それでも気丈に振舞うのは国母故だからなのだろう。弱みというものを例え若汐であろうと見せようとはしなかった。
皇帝に似ているところがある、と若汐は皇后の姿を見てそう感じた。
その数日後。
1748年、皇后・富察氏は死去。孝賢純皇后と追贈された。
皇后が亡くなった日は青空が透き通るようなそんな晴れた日だった。
若汐と出会った日と同じ天気だった。皇后を一番愛していた乾隆帝は大層悲しんだ。
若汐は静かに涙を流し、皇后の死を悼んだ。高貴妃の時は泣くことはなかったのに、皇后の時は静かに涙を流していた。
その姿に春海は驚いていた。若汐はどんな時でも人前では笑顔を崩したことがなかったからだ。
それほどまで皇后を大切に思っていたのか、と春海は主人の泣く姿を見てそう思った。
若汐は、もっとあの時に会話すべきだったと後悔していた。
葬儀の中、思うのはそのことばかり。歌を披露した最後にもっと会話をすべきだった。
もっと無理やりにでも話をしておくべきだった。遠慮なんかせずに会話をすべきだった。何でもいい、話せば良かった。
なんで、なんで私はこうもこうも──どうしようもなく無力で何もできないの。
後悔ばかりが募っていく。
音楽には人を動かす力はあるけど、死人を生き返らせる力はない。
音楽は今を生きる人が聴くものだ。
楽譜として、教えとして続いていくものはある。それに力はあるだろう。
だからこそ今も続いてくものがある。
しかし、あくまでも音楽の力が最大に発揮されるのは生きている人間にだけなのだ。
そのことを、身近な死を経験したことがなかった若汐は知らなかった。心に大きな隙間が出来て初めて知ったのだ。
葬儀は一月くらいかけて盛大に行われた。真っ白な喪服と布が紫禁城の中を覆った。
それから半月くらい経った頃。
まだ皇后の喪に服しているが、葬儀は無事に終了した。皇后という位の人物が居なくなったことで、皇貴妃が必要となり嫻貴妃が皇太后から選ばれた。
元々、嫻貴妃は皇太后から気に入られていた為この展開は驚くことではなかった。
若汐も儀式にも参加し、皇貴妃になったことを盛大に祝った。嫻貴妃も若汐にとっては恩人の一人である。
そして悲劇の皇后と後に言われることも知っている。だがその運命を曲げたりはしない。
歴史の流れに身を任せるまでだ。無力である自分はピアニストとして培ってきたメンタルでなんとか気を保っていた。
皇后が亡くなった日のような空が透き通るようないい天気の日、若汐は円明園に来ていた。きちんと皇后とお別れをしようと思っていたのだ。
自分が得意なピアノで。
あの人が──皇后が素敵だと言ってくれた演奏で。
フレデリック・ショパンが1832年に作曲した曲。
練習曲作品十第三番ホ長調。通称、『別れの曲』の名で多く知られている曲。
ピアノのための詩とも評論家からは言われている曲だ。
その曲を春海を遠くに待たせて一人でピアノの椅子に座って弾いていた。
誰も聴いてくれる人は居ない。聴いて欲しかった人はもう、居ない。
それはとても悲しいことだけど、お別れをしなければ。若汐は涙を浮かべたまま弾き続ける。
泣くことなどプロとして許されることではない。でも今は。今だけは、涙を流して良いだろうか。死んでしまったあの人に向けて涙を流しても良いだろうか。
そんな想いで弾いていると、若汐の瞳からたまらず涙が一滴零れ始めた。
もう、居ない。居ないのだ。この胸の空白はいつ埋まるのだろう。
埋まることなどあるのだろうか。そんな想いを胸に弾き続ける。
その曲を聴いている者が実は居るということも知らずに。
乾隆帝は虚ろな目のまま、気晴らしに円明園に来ていた。
すると、若汐の傍使えである春海がピアノがある遠くで待機していた。
事情を聞けば、1人にしてくれと言われてここに待機しているとのことだった。 乾隆帝が静かに円明園を歩いていると、やがて音が聞こえてきた。ピアノの音色だ。このような曲が弾けるのは令貴人だけだろう。
だが、いつもと違う音色だった。悲しみを含んだような、そんな音色だったのだ。初めて聴いたかもしれない音色だった。そのままピアノが保管されている東屋に似た建物の中に入っていく。
その娘は泣いていた。
いつも笑顔しか見たことがない娘が泣いていたのだ。
どんな時でも崩すことがなかった笑顔が完全に崩れていた。
悲しみに暮れて弾いているのが痛いほど乾隆帝に伝わってきた。
誰に向けて弾いているのだろうか。
もしや皇后だろうか。
自分と同じように令貴人も酷く悲しんだでいるということだろうか。
他の妃嬪たち、特に上位の妃嬪達はそこまで悲しんでいるようには見えなかった。
面向きには悲しんでいたが、魂胆などすぐに見えた。
自分が皇后の座に就きたいのだろう。そんな事はお見通しだった。
だがこの娘は違う。
きっと自分の得意なピアノを通して別れを告げているのだ。
本当に大切に思っていたのだろう。だからこそ泣いている。
乾隆帝は何も言わずにその演奏を聴いているだけだった。
「陛下に謁見致します。気づかず、申し訳ございません。」
やがてゆらりといつもの優雅さが消えたままお辞儀はしっかりと令貴人はしてきた。
涙の跡は残ったままだ。化粧が幾分か落ちてしまっている。
乾隆帝は楽に、と言った後にその娘をそっと抱きしめた。今にも壊れてしまいそうなその娘を抱きしめた。
「皇后の為に弾いていたのか。」
「お別れをしておりました。」
「そうか。存分に泣くが良い。ここには誰も来ぬ。」
乾隆帝がそう言うと、堰を切ったようように令貴人は泣き始めた。年相応の娘のようにわんわんと泣き始めた。
それが空が透き通ったような青空の下。
暖かな空気が二人を包み込むように。
2人はそっと皇后に別れを告げた。
そして令貴人は皇后への忠誠心を評価され、令嬪と位が昇格された。




