音楽に愛された妃④
「陛下、私も一曲ご用意致しました。偶然にも先ほどと同じ曲なのですが、少し趣向を変えて演奏させて頂きます。是非お聴きくださいませ。」
「うむ。よかろう。」
若汐は、そのとある2人に目ぼしをつけていた。わざとその2人に視線を向けて彼女はそう言い切った。
普段の彼女ならそのような挑発的な行為はしない。しかし、若汐は許せなかった。
皇子や公主たちには純粋に音楽を披露することの楽しさを知って欲しかったのだ。
これから大変な道のりを歩んでいく彼らに、一瞬だけでも楽しい思い出を作って欲しいと思っていた。
楽しい思い出が、時に人を支えることがある。その場所を寵愛争いの場にして彼女らは汚そうとしていた。
それも許せなかったのだ。
皇子と公主が宴の席の中心に集まる。
若汐は小声でこう言った。
「私がこの楽器を弾きながら指揮をします。この楽器と動きに合わせて皆さん、練習通りに披露しましょう。」
「でもさっき…。」
「大丈夫。練習通り、やりましょうね。」
不安げな目をしている公主に笑顔を向ける若汐。
公主の目には若汐の笑顔の中に自信があることを幼いながらも感じ取ることができた。
若汐は公主に目を向けつつ、慣れた手つきでとある楽器の調弦をした。
その行動にとある2人は目を見開く。
「あ、音が綺麗になった!」
「さっきの演奏は合っていなかったよな。」
他の皇子と公主が静かな声でそう言った。
その言葉のおかげなのか、その公主と同じ楽器を若汐が持っているからかなのかはわからない。
だが、公主自身の中から不思議と不安がなくなっていくのが分かった。
この人に合わせて披露すれば大丈夫。
そんな自信を持てるようになったのだ。
「それではご清聴願います。」
皇子と公主が準備を整えたのを見届けた若汐は、いつもとは違ってピアノではなくヴァイオリンを構えて息を大きく吸った。
そして皇子と公主と共に一斉に奏で始めた。
披露している曲は先ほどと同じパッヘルベルのカノン。
だが、決定的な違いがあった。
──合奏としてきちんと成り立っているのだ。
ある皇子はハーモニカ、ある皇子は管楽器を、ある公主は弦楽器を、ある公主は歌。様々な楽器が一斉に響き渡らせていた。
ある皇子はハーモニカの息の吸い方を上手く調節して正しく音を響かせている。
ある公主は中国独特な歌い方ではなく、オペラ歌手が歌うかのような歌い方で皆と音程とタイミングをきちんと合わせて歌っている。
先ほどの演奏よりも上手いことは明白であった。
様々な楽器が引率するかのように弾いている若汐のヴァイオリンの音色に合わせて美しく奏でていた。
だが、ヴァイオリンはあまり目立っていない。小さく小さく弾いているのが聴いてとれた。
メインは皇子と公主だからだ。
若汐自身が目立つわけにはいかなかった。美しく調和されたメロディーが宴の会場に響き渡る。
若汐というピアニストはただのピアニストではなかった。
以前に述べた通り、音楽大学ではピアノだけを学ぶというわけにはいかない。
他の楽器も学ばなければならないのだ。
若汐は歌を選択しただけではなく、ヴァイオリンも選択していたのだ。
難しい曲は弾けないがある程度の難易度の曲なら今のように弾くことが可能だった。
ピアノしか能がない、というのはその2人の大きな間違いだったのだ。
ある2人──嘉嬪と高貴妃は唖然としてしまう。
てっきり、ピアノさえなければ何もできないと考えていたからだ。
わざわざ女官を買収し、皇后との会話を聞くようにしたのが無駄に終わった。
皇帝はもちろんの如く皇后や妃嬪達も自身の子供たちの演奏を喜んで見ているのがわかったからだ。
──この女を音楽で陥れようとしても無駄だ。
そう諭されてしまったのである。
しばらくすると演奏は終わり、皆が綺麗にお辞儀をした。
清朝独特のお辞儀ではない。
現代の演奏を終えた時と同じように挨拶していた。盛大な拍手が贈られる。
乾隆帝は先ほどよりも満足そうな表情をしていた。
──今度こそ、終わった。
高貴妃は弱々しく拍手を贈りながらそう思った。
皇子と公主による演奏は大成功。皇帝も続けて盛大な拍手を自身の子供達に向けて贈った。皇子と公主にとって何よりの褒美だろう。
自らの父親、しかもただの父親ではない。皇帝である父親に披露したのだから、緊張はとてもしたことだろう。だが、若汐の支えによって存分に練習の成果を皆発揮する事ができた。
万寿節は無事に終えた。
それと同時に嘉嬪が放火の犯人だったのだと勘がいい若汐は演奏しながら気がついていた。
理由は至極簡単だ。わざわざ万寿節で若汐を陥れようとしたからだ。大きな宴で陥れようとするということは、密かに彼女のことを妬んでいたと考えていいことである。それに、嘉嬪からの視線も高貴妃ほど目立ってはいないものの痛いものだったことを若汐は思い出していた。
もっと最初のうちから警戒をしておくべきだった。
この人とも距離を置くべきだな。
そう考えを改めさせられた日の出来事でもあった。




