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狙われたピアノ③

──その演奏を聴いているのは実はもう1人居た。

密かにその人物は聴いていた。

 その人物は思わず聴き入っている宦官や宮女達とは違い、美しい顔が憎たらしいというような表情になっておりずっとそのままの表情だった。

自分は詩をうたえるがこのような事は出来ない。

 腹が立つ事にあの奴婢は、他の奴婢も聴き入るような演奏をしている。

あってはならない事だ、とその人物は勝手に思い進めていた。

 奴婢のくせに、奴婢のくせに、奴婢のくせに!!!!!

どうすればあの奴婢を陥れる事が出来るか、それだけを考えていた。


──簡単な事じゃない、とクスッとその人物は笑った。


その笑みは邪悪そのものだった。

もし円明園に居る宮女などが見れば思わず怯えてしまうような、そんな笑みだった。




「次、命じられるであろう曲の選曲をしておかないとね。」


 翠蘭の主人は円明園から寝殿に帰ってくるとそう言った。

無事、今日も命じられた演奏をこなして来たようだ。

 恐らく今日も素晴らしい演奏を披露して来たのだろう。

聞かずとも分かる。

 何度か付き添いで聴いた事があるが、1度あの音色を聴けば忘れる事は出来ない。

目を瞑ればすぐに思い出せるようなあの音色。

自分には出せなかったあの音色。

 翠蘭も春海と同じようにピアノの仕組みを簡単に教わっていた。

『鍵盤』も特別に触ってみたが、主人と同じような音色を出す事は出来なかった。

同じような音色が出せない事を不思議に思っていた。

 女官長である春海に聞けば、今日は陛下が笑っていたとの事。

同じように彼女も驚いてしまった。


「あら、笑っていらっしゃったの。私が立ち上がった時にはいつもの表情でいらしたら気が付かなかったわ。」

「とても素敵な演奏でした。」

「嬉しい事を言ってくれるわね。」


 品位のある笑顔で言う若汐。

翠蘭に向けられた笑顔ではないが、見惚れてしまうものだった。

 もう仕えて何ヶ月にもなるというのに。

主人の現代風で言うギャップに翠蘭も春海も慣れていない。

 そうは言いつつ2人は妃嬪の宮女だ。

仕事の手を止める事はない。

 今は主人である若汐の手を軽くマッサージしていた。

春海は肩を軽く叩いている。


「あの鍵盤をよく操れますね…毎度驚いてしまいます。」

「郎世寧殿の教え方が良かっただけよ。」


 数ヶ月前まで女官だったと言うのにもう妃嬪の言葉使いに慣れてしまっている主人。

 翠蘭は自分の主人は環境適応能力というものが高いのだろうかと考えていた。

たった1日で花盆底靴も履きこなしていた。

そして妃嬪になって初めて皇后に挨拶に向かった時の事。

 夜伽に向かった時の衣装は控えめだったというのに、その日の衣装はまるで何処ぞのお姫様かのような上品な装いに変わっていた。

 飾り爪もあんなに嫌っていたというのに、あの日だけはきちんと身につけていた。

 何故装いを変えたのか、寝殿に帰ってから翠蘭は聞いてみた。


「第一印象ってね、とても大事なものなのよ。」


 何が女にとって、いや。

妃嬪にとって大事なのか、この主人はよく分かっていたのだ。

明らかに奴婢だった者の考え方ではない。

 もしや没落してしまった元お嬢様なのでは?と翠蘭は妄想を膨らませていた。

残念な事に実際はただの現代人の知識というだけなのだが。


「若汐様。皇后娘娘の女官長が来ました。演奏後に一息ついてからで良いので皇后娘娘が一緒にお茶でもいかがかと仰っていましたがどうなされますか?」

「皇后娘娘が…。それはお待たせしてしまったわね。ええ、是非お呼ばれしましょう。」


 翠蘭は主人が留守にしていた時の伝言を伝えた。

 皇后の女官長から聞いた話であるが、主人の皇后への印象はとても良いものらしい。

ここ数ヶ月、よくお茶にお呼ばれしている事を彼女は思い出していた。

 多分、主人は好意に全く気がついていない。

翠蘭は主人の性格はここ数ヶ月で把握している。

 自分が好まれているということや、自身の魅力というものにかなり鈍感なのだ。

この主人はあまりにも宝の持ち腐れというものだ。

だが、本人に自覚がないのに指摘したところで無駄というのも。

 いつか、自分の魅力というものに気がついて欲しいと願うばかりの翠蘭であった。


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