第7話 邂逅と開戦の序章
このとき雪夜は、こう考えていた。
自分はいったい、何をしているのだろう――と。
学校から道場を経由して帰宅し、夕食や課題、入浴を終わらせ、万全の態勢を作ってからCBOにログインした。
そこまでは良い。
問題は、目の前で繰り広げられていた厄介事に、何故自ら飛び込むような真似をしたかだ。
常の彼ならば、華麗にスルーしたに違いない。
では、どうして今回はそうしなかったかと言うと、考えられる理由は次の通り。
まず、1人に対して3人で絡んでいたこと。
しかも、その1人は大した装備ではない一方で、3人は1つずつUR装備を持っている。
CBOにおいて1つでもUR装備を持っているのは、一流の証だ。
この時点で相当見苦しいが、それでも普段なら見て向ぬふりをしたに違いない。
ところが、ここで効いたのが修司の一言。
他人と関わるように言われていた雪夜は、気付けば口を開いていた。
出来ればなかったことにしたかったが、吐いた唾は飲めない。
諦めた彼は、最早どうとでもなれと言う気持ちで、続きの言葉を連ねる。
「悪いが、今日は諦めてくれ。 どうしてもと言うなら、俺が話を聞こう」
「う、嘘をつくな! ベ、ベルセルクがパーティを組む訳ねぇだろ!?」
「どこにそんな確証があるんだ? 俺にだって、パーティを組む権利くらいある。 更に言うなら、パーティを組まなくても同行する可能性は否定し切れない」
「け、けどよ……」
「どちらにせよ、彼女が拒否している以上、しつこくするべきじゃない。 それくらいのマナーは、守ったらどうだ? 周りを見てみろ」
「何だって……?」
雪夜に促された3人がグルリと周囲を眺めると、多数のプレイヤーが非難するように見ていた。
それを自覚した男性プレイヤーたちは、頬を引きつらせて退散する。
「い、行くぞ!」
「お、おい、待てよ!」
「ちくしょうッ!」
雪夜を睨みながら走り去る、小悪党のような連中。
結局、名前すら知らないままだった。
完全に姿が見えなくなったのを確認した彼は、深く溜息をつく。
やってしまった。
心を占有しているのは、この一念のみ。
だが、それに反して気分は悪くなかった。
そんな自分に苦笑した雪夜は、チラリと少女――剣姫を見やる。
瞠目して固まっており、正気かどうか疑わしい。
とは言え、流石にここまでだと考えた彼は、何も言わずに背中を向けたが――
「ま……待って下さいッ!」
想像を超える大音声。
思わぬ事態に驚いた雪夜は、反射的に振り向いてしまった。
そしてこのとき、彼の運命は決まったのかもしれない。
両手を胸の前で組んで瞳をキラキラさせた剣姫が、凄まじい勢いで詰め寄って捲し立てる。
「助けてくれて有難うございました! お名前は何と言うのですか!?」
「……雪夜だ」
「せつや様! どのような字を書くのですか!?」
「雪の夜で雪夜だ。 それから、様は勘弁して欲しい」
「では、何とお呼びすれば!?」
「呼び捨てで構わない」
「そ、それは流石に……。 せめて、雪夜さんとお呼びしても良いですか……?」
「……好きにしてくれ」
「はい! 雪夜さん!」
満面の笑みを向けて来る剣姫から、顔を背ける雪夜。
アバターと実際の性別が、一致しているとは限らない。
だとしても、彼女は可憐過ぎた。
雪夜は見た目で人の価値を判断するタイプではないが、そのような次元を超越している。
もっとも、だからと言って流されるほど、彼は温くない。
「では、失礼する」
「え!? ど、どこに行くのですか?」
「どこと言われてもな。 適当にダンジョンに潜るか、クエストを受けるくらいだ」
「で、でしたら、ご一緒したいです! 付いて行っても良いですか!?」
瞬間、雪夜の目が鋭く研ぎ澄まされる。
それと同時に、極寒の冷気を思わせる声音で言い放った。
「断る。 付いて来るな」
「え……ど、どうしてですか……?」
「俺は1人が好きなんだ。 それに、キミの装備じゃ足手纏いになる。 ちなみに、レベルは?」
「……45です」
「話にならないな。 とにかく、付き纏うのはやめてくれ」
これらの理由は、嘘ではないが本質とは離れている。
しかし、彼から絶対的な拒絶を感じた剣姫は、悲しそうに顔を歪ませた。
対する雪夜も胸が痛んだものの、翻意する気は微塵もない。
しばし無言の時間が続いたが、彼を説得出来る言葉が見付からなかった剣姫は、俯いたまま小さく声を落とす。
「……わかりました」
「そうか、有難う」
もう少し粘られる可能性を考えていた雪夜は、思ったよりあっさり引いてくれたことに安堵した。
今度こそ踵を返して、1人で歩き始める。
これで、いつも通り。
ところが――
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
一向に距離が開かない。
理由は簡単で、剣姫が追って来ているから。
無視しようと思った雪夜だが、遂に根負けして振り向く。
わかってはいたが、そこには彼女が立っており、何やら決然とした面持ちを作っていた。
違和感を抱きつつ、彼が言うべきことは決まっている。
「もう1度言う、付いて来るな」
雪夜は敢えて低い声で、威圧感を込めて告げた。
それを聞いた剣姫はビクリと肩を震わせたが、どこか必死な様子で言葉を紡ぐ。
「たまたまです」
「何……?」
「わたしが向かっている方向と、貴方が向かっている方向が、たまたま同じなだけです」
「……だったら、先に行ってくれ」
「お断りします」
「どうしてだ?」
「進むスピードもタイミングも、わたしの自由です。 貴方に指図される覚えはありません」
「……なるほど」
肩どころか全身を震わせて、涙目の剣姫。
彼女は、心底恐怖していた。
このような態度を取って、もっと嫌われたらどうしよう――と。
それでも、ここで別れるのは嫌だ。
一方の雪夜も、胸中で困り果てていた。
彼女は明らかに誤魔化しているが、言っていること自体は正論。
だからこそ無理強いすることが出来ず、このままでは埒が明かない。
そこで、彼が取った行動は――
「あ!」
逃亡。
剣姫に背を向けて走り出し、町を出て草原を駆け抜ける。
後ろを向くと追って来ているが、それもいつまでも続くとは思えない。
何故なら、雪夜の胴防具である『影桜』の特殊能力の1つは、『移動速度10%上昇』だからだ。
基本的な移動速度は、『隠密』を除いて全職業共通だが、この10%は意外と馬鹿に出来ない。
ちなみに残り3つは、『回避時にAP5%回復』と『カウンター威力30%上昇』、『被ダメージ10%上昇』。
念の為に言っておくが、最後の1つは間違いではなく仕様だ。
つまり『影桜』は、デメリットがある代わりに、強力な特殊能力を持つ装備だと言うこと。
腕防具の『滅龍』もそのタイプなのだが、今は置いておこう。
こう言った装備を愛用していることからも、雪夜はベルセルクと呼ばれていた。
それはともかく、彼は焦っている。
剣姫との差が、中々開かないからだ。
『影桜』のお陰でジワジワ離れてはいるものの、彼女の追跡能力は恐ろしいほど。
この調子では時間が掛かり過ぎると感じた雪夜は、左手の森に飛び込んだ。
スタート地点の森とはまるで違い、辺りに瘴気が満ちている。
ここに生息している主なモンスターは、大木型のエルダー・トレント。
フィールドモンスターの割には強力で、剣姫の装備とレベルでは厳しい相手――のはずだった。
「はぁッ!」
チャージを終えた彼女が、前方に跳躍しながら回転斬りを繰り出す。
『剣士』2つ目のアーツ、【ツイスト・リッパー】。
威力はそこまで高くないが、チャージすることで攻撃範囲の拡大が可能。
それによって多数のエルダー・トレントを巻き込んでいるものの、本来なら一撃で倒すことなど出来なかったはず。
ところが剣姫は、精確に弱点部位であるコアを狙うことと、カウンターで仕掛けることによって、無理やり突破している。
ここでも注意しておくと、カウンターはそう易々と決められる技術ではない。
雪夜や剣姫が多用している為、麻痺してしまいそうになるが、並のプレイヤーでは偶発的に起こるのを祈るくらいだ。
そんなことを考えていた雪夜だが、それはある種の現実逃避。
想像を遥かに超える実力を誇る剣姫を前にして、途轍もない衝撃を受けている。
だからと言って、同行を認めるつもりはなかった。
この森は、奥に行けば行くほどモンスターのレベルが上がる。
そしてCBOでは、レベル差が10を超えると、一切のダメージを与えられなくなるのだ。
要するに、レベル45の剣姫が倒せるのは、どれだけの実力があってもレベル55まで。
それゆえに、レベル56以上のモンスターが出て来るエリアまで行けば、彼女は自ずと撤退するしかない。
合理的な考えが染み付いている雪夜は、疑うことなくそう思ったが、彼はまだ剣姫がどう言う存在かわかっていなかった。
「何を考えているんだ……?」
困惑した声を漏らす雪夜。
この場に出現する敵は、既にレベル56にまで達している。
はっきり言って、彼であっても多少は本気を出さなければならない。
そんな強敵に対して剣姫に出来ることなどなく、先ほどから攻撃を捨てて、ひたすら回避とガードに専念していた。
とは言え、HPはもう半分も残っていないだろう。
しかし、雪夜を追うことは断固として諦めていない。
先ほどレベル差の話をしたが、これは経験値やドロップアイテムにも影響する。
もし仮に雪夜と組んで、ここのモンスターを倒したところで、彼女はほとんど何も得られないのだ。
それでも追って来る剣姫がどう言うつもりか、彼には全く理解出来ない。
ただ、1つだけはっきりしたことがある。
「あ……!」
ここまで完璧な動きを続けて来た剣姫だが、遂に回避不能パターンに捕まった。
多数のエルダー・トレントが振り回した蔓の鞭が、あらゆる方向から彼女を襲う。
そして、ダメージを蓄積させた今の彼女が攻撃を受ければ、戦闘不能を免れない。
そうなると、多大なデスペナルティを受けて、強制的に拠点に戻される。
この結果は、雪夜が望んだもの。
だからこそ彼は、絶望する剣姫を見捨て――
「え……?」
られなかった。
反射的に彼女の元に馳せ参じた雪夜は、溜息をつきながら全ての蔓を斬り飛ばす。
更にヤケクソ気味に【天衝】を連打して、周囲のモンスターを一掃した。
辺りが静かになったのを確認した雪夜は、ポカンとしている剣姫を真っ直ぐに見据える。
それを受けた彼女は赤面し、モジモジしていたが、構わず問い掛けた。
「聞きたいことがある」
「き、聞きたいこと、ですか?」
「キミが俺を利用しようとしていたんじゃないことは、充分にわかった。 だがそうなると、追って来る理由がわからない。 ここで戦っても、キミに得られるものなどないだろう?」
雪夜が剣姫を拒んだ、最大の理由。
それは、彼女のレベリングやアイテム収集に、力を利用されると思ったからだ。
そしてこれは、彼がソロプレイを続ける理由でもある。
嘘偽りを許さない強い眼差しを注ぐ雪夜に対して、剣姫は目をパチクリさせていたかと思えば、クスリと笑って答えを返した。
「得られるものはあります」
「何……?」
「貴方と……雪夜さんと、一緒にいられるではないですか」
「……それだけか?」
「それ以外に、何が必要だと言うのですか?」
「……俺とキミは、初対面だ。 どうして、そんな風に思える?」
「雪夜さんは知らないと思いますけど、わたしは貴方をとても良く知っています。 だから、一緒にいたいのです」
花のような笑みを咲かせる剣姫を、雪夜は直視出来ずに目を逸らした。
この人は、いったい何を言っているのだろう。
100歩譲って知り合いだったとしても、ここまで執着する理由にはならない。
彼の冷静な部分は、そう訴え掛けていた。
だが、それでも――
「……名前は?」
「え?」
「キミの名前だ。 まだ聞いていない」
「あ……そ、そうでしたね、すみません。 わたしの名前は、け……」
「け?」
「け……ケーキです。 わたしはケーキと言います」
虚空に高速で指を走らせながら、どことなく慌てた様子で名乗る剣姫ことケーキ。
このとき彼女は、自身のデータ上も名前をケーキに変更していた。
すっかり忘れていたが、剣姫の名を使うのは問題だと気付いたらしい。
可能性は低いものの、他者に正体がばれる可能性を捨て切れないからだ。
しかし、咄嗟に思い付いた名前がケーキだったことには、強く後悔している。
これではまるで、酷く食い意地が張っているようではないか――そう考えた。
恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしているケーキを不審に思いつつ、雪夜は咳払いしてから自身の想いを伝える。
「では、ケーキ。 俺はキミと、パーティを組むつもりはない」
「……! はい……」
「ただ……」
「ただ……?」
「……付いて来るだけなら、構わない」
「ほ、本当ですか!?」
「その代わり、俺は行きたいところに行く。 今のキミでは、行けないようなところにもな」
「……わかりました、すぐに追いついてみせます」
「別に……ゆっくりで良い」
「いいえ、全力を尽くします」
「……勝手にしてくれ」
「はい!」
控えめながらも同行を許されたケーキは、薄っすらと涙を浮かべながら破顔した。
一方の雪夜は憮然としていたものの、照れ隠しなのは明らかである。
こうして少々歪な関係を結んだ2人は、微妙な距離感で町へと帰って行った。
尚このとき、雪夜が歩調を合わせてくれていたことを、ケーキは密かに喜んでいる。
微笑ましい限りで、このまま行けば良かったのだが――VRMMORPGの世界に、大きな転機が訪れようとしていた。
最低限の照明だけが灯った、薄暗い部屋。
さほど広くはないが、狭くもない。
中央には大きな円形のテーブルが置かれ、縁に沿うように等間隔で、4台のモニターが置かれている。
画面には、『Sound Only』の文字。
そして、それらと相対するかのように、席に着いている人物が1人。
部屋が暗いせいで顔は見えないが、男性なのは間違いない。
微動だにしておらず、本当に生きているのか疑わしいほど。
無音の時間が続き、空間が凍結しているかのように錯覚しそうだが、ようやくして声が発せられた。
「遂に、このときが来た」
口火を切ったのは、この場にいる男性。
どこまでも真っ直ぐで、冷たい声。
『準備は出来ている。 あとは、突き進むのみだ』
力強く宣言したのは、少し年老いた印象の声。
『こちらの根回しも済んでいるわ。 外部から妨害される心配はないでしょう』
優しさと厳しさを感じさせる、艶やかな女性の声。
『プレイヤーどもは相変わらずって感じだね。 これから何が起きるか知らないから、無理もないけどさ』
爽やかな好青年を思わせながら、嘲りを隠せない声。
『こちらも変わりありません。 計画通り進めて問題ないかと』
感情を窺わせない、クールな女性の声。
それぞれタイプは違うが、彼らの思いは同じ方向を向いている。
改めてそのことを確認した男性は、最後の言葉を述べた。
「始めよう。 VRMMORPG生存戦争を」
返事はなかったが、モニター越しに強烈な気迫が漂って来る。
開戦は、もう目の前。