第28話 『逃げても良い』の先へ――城前に立つ刃
時を18時頃まで巻き戻す。
この日も大学で講義を受けて、レポートを片付けた達磨は、庭で素振りをしていた。
彼も雪夜と同じで習慣付けており、毎日欠かさず行っている。
しかし、今日はいつもと少しばかり様子が違っていた。
真剣に打ち込んではいるものの、何かを振り払うように必死で、集中力が欠けている。
そのことを達磨も自覚しているが、どうしても雑念を捨て切れなかった。
もしかしたら今日、ガルフォードと決着を付けるかもしれない。
手立ては用意しているが、果たして通用するのだろうか――そう考えている。
だからと言って退く訳には行かず、突き進むしかない。
これが自分1人の問題なら、どれだけ良かっただろうと達磨は思った。
アリエッタと、他の仲間たち。
下手をすれば、その全員が脱落するかもしれない恐怖に、押し潰されそうになっている。
知らずうちに素振りのペースが上がっており、無理な領域に達しようとした、そのとき――
「形が崩れているぞ」
背後から声を掛けられた達磨は、ハッとした表情で振り向く。
そこには、仕事から帰宅して来た達久が立っていた。
息も絶え絶えな達磨は返事も出来ず、暗い顔で俯く。
そんな息子を見た達久は無言で歩み寄り、肩に手を置いて告げた。
「逃げても良いんだぞ?」
「え……?」
「たかが、ゲームだろう。 義務でも何でもない。 そこまで苦しむくらいなら、やめてしまえ」
「で、でも、それじゃあ皆が……」
「本名も顔も知らないような連中だろう? お前が背負う必要はない。 突然ゲームをやめたって、誰にも咎める権利はないんだ」
「父さん……」
達久の言葉を聞いた達磨は、非常に魅力的な案だと思った。
確かに趣味や娯楽であるゲームを、いつやめようが本人の自由。
強要される覚えなどない。
アリエッタたちには申し訳ないが、達久の言う通り、所詮はゲームでの関りしかない相手だ。
仮に非難されようが、無視すれば済む。
だが、それでも――
「……やっぱり、僕は行くよ」
「どうしてだ? 逃げた方が楽だぞ?」
「そうかもしれない。 父さんの言う通り、たかがゲームだしね。 でも、本気なんだ。 顔も名前も知らなくても、仲間だと思える人たちもいる。 相手は強くて、正直に言うと怖いけど……皆を裏切る方が、よほど怖い。 ここで逃げたら、僕はこの先もずっと逃げ続ける気がするんだ。 父さんの息子として、そうはなりたくない」
決然とした表情で達久を真っ直ぐに見つめ、己の想いをぶつける達磨。
そんな彼を達久は黙って見つめ返し、ゆっくりと頷いた。
「やっと良い顔になったな。 それでこそ、俺の息子だ。 今のお前なら、誰が相手でも大丈夫だろう」
「……! 父さん……有難う、行って来る」
「行って来い。 帰って来たら、少し晩酌に付き合え」
「……うん、わかった」
達久が突き出した拳に、達磨も苦笑しながら合わせる。
そうして立ち直った彼は身支度を整え、SCOにログインした。
拠点である城下町にフレンとして降り立ち、真っ直ぐにクリスタルへと向かう。
すると、そこにはアリエッタを含めた仲間たちの姿があり、全員が闘志を燃やしていた。
自分でも驚くほど、心穏やかに彼女たちの視線を受け止めたフレンは、静かながら力強い声で言い放つ。
「行こう」
これは、計画実行の合図だ。
勿論、侵攻された場合は中止になるが、そうでなければ行動に移る。
それを聞いた仲間たちは更に戦意を高め、そのときに備え始めた。
その様を頼もしく見守っていたフレンの元に、アリエッタが近付いて声を掛ける。
「フレン様、何かあったんですか?」
「え? どうしてだい?」
「何と言いますか……凄く落ち着いてるなと思いまして。 ここ最近、かなりピリピリしてたので」
「……そんなにわかり易かったんだ」
「はい。 でも今は自然体で、いつものフレン様って感じがします。 なんだか安心しました」
「そうか……。 心配掛けてごめん。 でも、もう大丈夫だから」
「わかりました! あたしも覚悟は出来てるので、あとは全力でぶつかるだけです!」
「うん。 僕も、全てを出し切るよ」
フレンとアリエッタが、勝気な笑みを交換する。
恐怖がない訳ではない。
しかし2人は、その気持ちを抱えたまま進む心積もりが出来ていた。
そうして19時が訪れ、侵攻がないまま1時間が経過する。
その段階で決断を下したフレンとアリエッタは、仲間たちに告げた。
「では、ここは任せます」
「よろしくお願いしますね!」
「はい! もし侵攻があっても、我々が必ず食い止めてみせます! ですからお2人は、ご自身の戦いに集中して下さい!」
「有難うございます。 アリエッタちゃん、行くよ」
「はい、フレン様!」
時間差で侵攻があった際の守りを、仲間たちに託したフレンとアリエッタが、ガルフォードの居城近くまで転移する。
そこには荒れ果てた大地が広がっており、ますます魔王城のように見えた。
雷雲が空を覆っており、不安感を誘いそうだが、時間帯は朝なのでジュワユーズの力は発揮される。
短く視線を交わした2人は頷き合い、全速力で居城に駆け寄った。
だが、もう少しで辿り着くと言うところで――
「これは……」
「読まれてたみたいですね……」
大勢のSCOプレイヤーが転移して来て、2人を取り囲んだ。
待ち伏せに遭ったフレンたちは動揺する――ことなく、即座に戦闘態勢を取る。
そのことが意外だったのか、周囲のSCOプレイヤーたちは騒めいていたが、彼らは意に返さず声を発した。
「僕らが用があるのは、ガルフォードだけだ。 邪魔をしないなら、危害は加えない」
「でも、どうしてもやるって言うなら、容赦しませんよ! あたしたち、本気なので!」
クラウソラスを両手で握るフレンと、ジュワユーズを右手で構えるアリエッタ。
2人の気迫に押されたSCOプレイヤーたちは、無意識に1歩後退っていたが、そこに声が響き渡る。
『くく……自分のタイトルの最高戦力を脱落させようなんざ、完全に狂ってやがるな』
「……! ガルフォード、出て来い! お前に決闘を申し込む!」
『嫌に決まってんだろ、フレン。 なんで俺がわざわざ、テメェの暴走に付き合わなきゃならねぇんだよ』
「暴走はどっちよ! 現実でセツに……相手プレイヤーを襲わせるなんて、やり過ぎにもほどがあるじゃない!」
『……はん、何のことだか。 とにかく、俺に出て行くつもりはねぇ。 それでも戦いたいってんなら、そこの連中を蹴落として来いよ。 出来るもんならな。 おいテメェら、ビビってんじゃねぇぞ。 もし逃げるようなら、あとで俺がぶっ殺してやるからな』
それっきり、ガルフォードの声が途絶えた。
彼の脅しを受けたSCOプレイヤーたちは、青ざめた顔でフレンたちと相対する。
どうせガルフォードに始末されるなら、ここで2人を止めるしかないと思い直したらしい。
出来ることなら無傷で突破したかったフレンとアリエッタだが、こうなったからには腹を括るしかなかった。
関係のない者たちを脱落させることに胸を痛めつつ、決死の思いで包囲を突破しようとして――
「ぎゃ!?」
「な、なん……ぐわ!?」
遠くから、悲鳴が轟く。
思わぬ事態に、この場にいた全員が困惑していた。
すると、徐々に騒ぎが近くなり、2人の前に現れたのは黒染めの少年。
その姿を視界に収めたアリエッタは、あらんばかりに目を見開いて叫ぶ。
「セ、セツ兄!?」
「今は、その名で呼ぶな」
「あ、ごめん……じゃなくて! なんでここに!?」
「良いから、早く行け。 長くはもたないかもしれない」
「……! ……わかった。 有難う、絶対勝つからね!」
「あぁ、任せたぞ」
そう言って走り出したアリエッタを、SCOプレイヤーは慌てて止めようとしたが、雪夜に牽制されて二の足を踏んだ。
次いで彼はフレンに視線を向けて、短く告げる。
「アリエッタを頼む」
「……感謝する」
フレンには他にも言いたいことがあったが、今はガルフォードとの戦いを優先させた。
アリエッタに続いて包囲網を抜け、雪夜とSCOプレイヤーだけが残される。
未だに混乱から立ち直れていないのか、SCOプレイヤーたちは、雪夜にどう対処すれば良いか迷っていた。
一方の雪夜は、視界を埋め尽くす敵の軍勢を前に、鋭い声を発する。
「これ以上、俺に敵対する意思はない。 フレンとアリエッタを追わないなら、手を出さないと約束する。 お前たちが命じられたのは、逃げないことだろう? だったら、決着が付くまでここに留まれば良い」
いつでも刀を抜き放てる体勢を作りながら、全周囲を威圧する雪夜。
どのタイトルよりも、SCOは雪夜の恐ろしさを知っており、立ち向かおうと言う者はいない。
彼に言われた通り戦う姿勢を見せつつ、現状維持に留めている。
元々、ここにいるSCOプレイヤーはガルフォードに金で雇われただけで、そこに信念のようなものはなかった。
金の力は確かに強力だが、繋がりが薄くなると言う欠点を持つのかもしれない。
状況が落ち着いたのを確認した雪夜は、無言で場の制圧を続けながら、誰にも聞こえないように呟く。
「頑張れ、朱里」
本音を言えば、助けに行きたかった。
しかし、ここを抑えるのは絶対条件。
そう考えた雪夜は自身の心を押し殺し、幼馴染の無事を祈り続けた。