第6話 旅立ち
いきなりだが、昨日の夜中まで時は遡る。
小鳥のさえずりが聞こえる、穏やかな森。
木々の背はさほど高くないので、太陽の光を存分に浴びることが出来る。
道も整備されており、頻繁に人が行き来しているのだろうと思わされた。
ここは、CBOのスタート地点。
チュートリアル的な戦闘をこなしながら、システムや動き方を覚える為のダンジョン――と言う名目だ。
ところが、そのような腑抜けた考えでここを訪れた者は、10分と経たずに脱落することになる。
ある意味で、CBOを始めるに値するプレイヤーかどうかの、ふるいに掛けられるのだ。
そんな、捉え方によっては試練とも言える場に、現れたのは1人の少女。
『剣士』の初期装備を身に付け、髪と瞳の色を黒にした剣姫。
無事にゲームを開始出来たことに、安堵の息をついている。
この森は一応チュートリアル扱いである為、他のプレイヤーはいない。
それを良いことに、ゆっくりと各種チェックを済ませた剣姫は、満足そうに微笑んだ。
「ダミーのAIは用意しましたし、外見は……問題ありませんね。 あとは彼を探すだけです」
雰囲気は変わっても、相変わらず可憐で美しい剣姫。
その反面で雪夜に会うべく闘志を滾らせており、最初の1歩を踏み出した。
草木を踏み締める感触や音もリアルで、本当に森の中にいるように錯覚する。
匂いも再現されている辺り、現実と何ら遜色ない。
もっとも、剣姫は現実世界を知らないのだが。
それゆえに何の感動もなく進んでいると、おもむろに背中に担いでいた大剣を構える。
まだモンスターの姿は見えないが、彼女はその場で力を溜め始めた。
【オーバー・スラッシュ】。
『剣士』の初期アーツで、大上段から大剣を振り下ろすだけのシンプルなもの。
また、『剣士』の全てのアーツに共通しているが、チャージすることで威力や効果が上昇する。
ただし、チャージ中は行動が著しく制限される為、使いどころは難しい。
それにもかかわらず、何もないところでチャージを開始した剣姫は、普通に考えれば奇妙だ。
しかし、彼女が最強の戦闘AIと呼ばれているのは、伊達ではない。
『ブォォォォォッ!!!』
進行方向左手。
森の奥から、猛烈な勢いで猪型モンスターが突進して来た。
フォレスト・ボア。
CBOにおける、いわゆるスライム枠で、最弱モンスターだ。
だが、その強さはチュートリアルと思えず、尚且つ奇襲を仕掛けて来るオマケ付き。
このモンスターを初見で倒せたプレイヤーは、ほとんどいない。
1種の通過儀礼のようなものだ。
ところが――
「はッ……!」
フォレスト・ボアが激突する直前に、チャージを終えた剣姫。
すぐさま振り下ろされた大剣が、カウンターで弱点部位の顔面に叩き付けられた。
それによって、あれだけ強いと持ち上げたフォレスト・ボアが、呆気なく撃破される。
光の塊となって消え行く、モンスターを冷めた目で見ていた剣姫は、何事もなかったかのように歩みを再開させた。
他のプレイヤーが今の戦いを見れば、度肝を抜かれたことだろう。
もっとも、本人は不満で仕方ないようだが。
「なんて貧弱な装備なのでしょう……。 威力は言うまでもなく、チャージ速度が遅過ぎます……。 こんなことで、本当に彼に追い付けるのでしょうか……?」
眉間に皺を寄せて、ブツブツ文句を漏らす剣姫。
レベルも装備も職業性能も、普段の彼女とは雲泥の差なのだから、致し方ないかもしれない。
だとしても、彼女に他の道は残されていなかった。
深呼吸して気を取り直した剣姫は、その後も襲い来るフォレスト・ボアたちを、あっさりと処理して行く。
そうして、チュートリアル最後の1体を撃破すると同時に――
「やっとですか……」
少し派手な音楽が流れ、『剣士』のレベルが2に上がる。
新たなアーツが解放されるのはまだ先だが、基本性能が1回り強化された。
ついでに説明しておくと、各職業にはスキルと呼ばれる能力が備わっている。
レベル15、30、45、60のタイミングで1つずつ、スキルの習得枠を与えられるが、何でも選べる訳ではない。
モンスターを倒すことで貯められる、ポイントを使用することで、その職業に対応したスキルを得られるのだ。
ただし、有用スキルなほど要求されるポイントも多くなる為、どれを選ぶかは慎重にならなければならない。
ちなみに、アーツが解放されるタイミングも同じで、初期と合わせて5種類使えるようになる。
そう言う意味では、レベル60になってからが本当の始まりと言えるかもしれない。
剣姫としての彼女は、最強状態で作られていた為、こうして1から強くなる苦労は知らなかった。
その大変さを実感している訳だが、だからと言って彼女が諦めることはない。
「良いでしょう。 彼に会う為なら、この程度どうと言うこともありません。 必ず乗り越えてみせます」
誰にともなく宣言した剣姫は、力強く足を踏み出す。
森を出ると草原が広がっており、街道が続いていた。
ただし、3本。
これもCBOのいやらしいところで、どれを選ぶかはプレイヤー次第。
看板には難易度と、行き先だけが書かれている。
今回の場合だと、行き先は共通しているので、安全を取るなら低難易度を選ぶべきだ。
しかし、その場合はかなりの遠回りになる。
そのことを知っている剣姫は、迷うことなく高難易度の道を選んだ。
この道は、理論的には辛うじて通れると言うレベルで、ほとんどバッドエンド的なルート。
それでも――
「ふッ……!」
剣姫なら、こじ開けることが出来る。
襲い来る大量の蜂型モンスター、キラー・ビーに対して、大剣を振り回していた。
いくら剣姫でも、まともに相手をすれば装備とレベルの問題で、勝てなかったかもしれない。
だが彼女は、戦闘AIならではの思考を駆使している。
モンスターの動きを読み、なるべく1箇所に集めた上で、1度に何体も倒していた。
弱点部位やカウンターも利用し、低レベルかつ貧弱装備での攻略を進めている。
それによってショートカット出来ているのも大きいが、頻繁に繰り返される戦闘を経て、着実にレベルアップを重ねていた。
そうして、高難易度の道を踏破した彼女が最初の村に着いた頃には、レベルが5にまで達している。
まだまだ先は長いが、この段階にしてはかなり成長が速い。
とは言え、剣姫からすれば最高効率を選択した結果に過ぎないので、喜ぶことも驚くこともなかった。
そして、それはこれからも続く。
『やぁ、お嬢ちゃん。 すまんが、頼みを――』
村をスタスタと横切った剣姫が、真っ直ぐに1人の老人NPCに話し掛けたかと思えば、セリフをスキップして別の方向に向かった。
するとそこには農具が置いてあり、無言でそれを掴んだ彼女は老人に突き出す。
受け取った老人は笑顔で何事かを言おうとしていたが、そのセリフまでもスキップした剣姫は、既に次なる目標を目指していた。
端から見ていると何が何だかわからない一方で、システム的には確かな意味がある。
今のはいわゆるクエストで、老人の願いを聞くことで経験値とアイテムが得られるのだ。
本来なら最後まで話を聞かないと、何をすれば良いかわからないのだが、CBOを知り尽くしている剣姫は、最初から答えを把握している。
その結果、どうなるかと言うと――
『ゴホゴホ……。 薬を――』
『えーん! パパとママが――』
『ふん! 余所者がいったい――』
スキップに次ぐスキップ。
クエストの発生条件を満たし、即座に消化して行った。
情緒も何もないが、彼女にとってゲームをプレイするのは、手段であって目的ではない。
雪夜に会う為に必要だから、仕方なくこなしているだけだ。
ここには他のプレイヤーもいるので、村のあちこちを忙しなく行き来する姿は、異様に映ったことだろう。
その後、必要な経験値とアイテムを確保した剣姫は、実入りの少ないクエストは無視して旅立った。
どこまでも効率を追求したプレイを続け、順調にレベリングと装備更新を行う。
そうして、休むことなく半日以上続けた彼女は――
「ようやくですね」
雪夜と同じ、最前線の町にまでやって来た。
ゲーム内時間は深夜で、満天の星が非常に美しい。
剣姫の目には入ってもいないが。
誤解がないように言っておくと、普通はこんなに早く来られる場所ではない。
それどころか、途中でゲームを投げるプレイヤーの方が多いだろう。
剣姫の実力と膨大な知識に加え、延々とプレイし続けられる無尽蔵の体力――と言えるか怪しいが――が揃って初めて成し得る、戦闘AIならではの荒業。
もっとも、それでもまだ充分とは言い難い。
そのことを理解している剣姫は、ウィンドウを開いて難しい顔で呟いた。
「今のところ悪くないペースですが……ここからが問題ですね。 彼に追い付くには、何もかもが足りません」
悩ましい声の剣姫。
彼女が見る先には、現時点での簡易ステータスが表示されている。
プレイヤー名:剣姫
職業:剣士
レベル:45
武器:グレートソード
胴防具:プラチナアーマー
腕防具:プラチナシールド
レベルからしてわかると思うが、雪夜に比べれば圧倒的に劣る。
レベル45は最高難易度に挑戦出来る最低レベルであり、クリア出来るかは全くの別問題だ。
付け加えるなら、レベル45までとそれ以上では、必要経験値が別次元に跳ね上がる。
装備に関してはオールSRで、強化もしていない。
はっきり言って、他のプレイヤーに見られたら、「舐めているのか?」と言われても仕方ないほど。
しかし、剣姫は大真面目。
まずはこの町まで来なければ、話にならないと考えていたので、それを優先したに過ぎない。
それゆえ、このあとの展開は彼女にとって、不本意極まるものだった。
「ねぇねぇ、そこのキミ!」
「……何か?」
「初めて見たけど、凄く可愛いね! 俺たちと一緒に遊ばない!?」
「結構です」
「そんなこと言わずに! 装備を見る限り、この町に来たばかりでしょ? いろいろ案内してやるからさ!」
「必要ありません」
それだけ言い捨てた剣姫は、男性プレイヤー3人を放置して歩き出した。
彼女は知らないが、先日Aliceとパーティを組んでいた者たちである。
節操がないと呆れてしまう反面で、彼らの気持ちもわからなくはない。
剣姫の外見は、それほどまでに優れていた。
彼女にもその自覚はあるが、だからと言って構っている時間はない。
そうでなくとも、剣姫は雪夜以外のプレイヤーに興味がないので、どちらにせよ相手にされないだろう。
あまりにも冷たい態度に、男性プレイヤーたちはポカンとしていたが、次の瞬間には本性を現した。
「テメェ! 下手に出てりゃ付け上がりやがって!」
「ちょっと可愛いからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ!?」
「こいつは、お仕置きが必要だなぁ?」
悪役のテンプレートのようなセリフを吐くプレイヤーたちに、剣姫は嘆息した。
どうして同じ人間で同じ男性なのに、彼とはこれほどまでに違うのだろう?
そんなことを思った剣姫だが、どう対応するかは決め兼ねていた。
向こうはやる気満々なものの、ここは安全圏。
いくら攻撃されようが、PVP――プレイヤー対プレイヤー――を受けない限り、ダメージを受けることはない。
つまり、無視したところで実害は皆無。
ただし、今後も付き纏われるとなれば、正直なところ厄介だ。
雪夜と会う為に最短距離を走り抜きたい剣姫にとって、邪魔な存在はなるべく排除したい。
叶うならば、この場で斬り刻みたいくらいである。
だが、それが不可能な以上、適当に相手をして満足させてやった方が早いかもしれない。
1秒にも満たない時間で答えを出した剣姫は、止む無く男性プレイヤーたちの要求を飲もうとして――
「すまないが、彼女は俺と約束しているんだ」
背後から聞こえた声を人工知能が察知した瞬間、あらんばかりに目を見開く。
そして、弾かれるように振り向いた先に立っていたのは――愛しい少年だった。