第26話 朝稽古と味噌汁、8時の凱歌
アンリミテッドクエストが終わりを迎え、侵攻が再び始める。
その日の早朝にも雪夜は日課の素振りを欠かさず、そこには朱里の姿もあった。
これは最早お約束の光景で、ここ最近はずっと続けている。
朱里曰く、「彼女だからなるべく一緒にいないと!」らしい。
雪夜としては、そこまで徹底する必要はないと考えていたが、一緒に稽古すること自体は構わないと思っていた。
そうして今日もノルマを達成し、一旦解散してシャワーを浴びてから、朝食をともにする。
いつものことではあるが、微妙な違いが生まれていた。
それは――
「ど、どうかな?」
緊張した様子の朱里が、雪夜の様子をジッと見つめる。
微妙に居心地が悪いと思いながら、彼は口に含んだ味噌汁をじっくり味わった。
そしてしばしすると、淡々と言葉を紡ぐ。
「まだ味付けが雑だな。 具材の切り方も、もう少し練習した方が良い」
「うぅ~……」
はっきりキッパリと言い切られた朱里は、涙目で呻いた。
もうわかっただろうが、この味噌汁を作ったのは朱里である。
今までは雪夜に任せっ放しだったにもかかわらず、仮とは言え彼女と言う立場を得た途端に、やる気を出したらしい。
雪夜は半ば呆れていながら、朱里の料理の腕が上がるのは良いことだと思い、快く教えることにした。
今日も今日とて駄目出しを受けた朱里は、しょんぼりと俯いていたが、彼は厳しいと同時に褒めるべきところは遠慮なく褒める。
「とは言え、料理を始めて間もないとは思えない出来だ。 このまま練習を続ければ、いずれ俺の指導なんか必要なくなるだろう」
「ホント!?」
「あぁ。 いつか、フレンに食べてもらうのが楽しみだな」
「え……」
「どうした?」
「う、うぅん、何でもない! ほら、こっちも食べてみて! 結構自信作なの!」
「言われなくても食べるから、朱里も自分の食事を進めろ。 あまりのんびりし過ぎたら、遅れるぞ?」
「はーい!」
一瞬だけ呆気に取られた朱里を不思議に思いつつ、雪夜は朝食を食べては逐一感想を述べる。
その度に朱里はダメージを受けていたが、彼は本当のことしか言わなかった。
しかし、朱里は悔しく思いつつも闘志を漲らせ、次こそはと決意を新たにしている。
彼女の、こう言う負けん気の強さが、雪夜は好きだ。
口に出しては言わないが。
食事を終えた2人は食後のお茶を楽しみながら、雑談タイムに入る。
基本的には学校生活に関する内容だが、当然と言うべきか、生存戦争も話題の1種だ。
「ところでセツ兄、アンリミテッドクエストはどうだったの? 暫定2位までは知ってるけど」
「どうだろうな。 ランキングが更新されるまでは、わからない」
「てことは、1位の可能性もあるんだ?」
「そうだな。 TETRAのスコア次第だが、可能性はある」
「やっぱり凄いなー。 あたしなんて、50位くらいだよー」
「それは、本気で1位を狙っていなかったからだろう? 50位で脱落するのは、まずあり得ない。 生き残るだけなら、充分過ぎる結果だ」
「まぁ、そうだねー。 あたしたちは1位を取るより、生き残りを優先したから。 フレン様とも別パーティだったし」
「それも1つの選択だ。 結果として大勢を救えたなら、それは朱里たちにとっての勝利だと言える」
「うんうん、あたしもそう思うよ。 だから、1位はセツ兄に取って欲しいんだよねー。 THOが強くなるのが嫌ってのもあるけど、やっぱりセツ兄は最強でいて欲しいもん!」
「それは、何とも言い難いな。 だが、俺たちはベストを尽くした。 あとは結果を待つだけだ。 さぁ、そろそろ出よう」
「はーい。 登校中に8時にはなるよね? うー、緊張するなー」
「お前が緊張してどうする」
胸に手を当てて硬い面持ちを作る朱里に、雪夜は苦笑を漏らした。
もっとも、彼とて全く意識していない訳ではない。
仲間たちと必死に戦った結果なのだから、駄目でも悔いはないが、可能なら1位を取りたいのが本音。
とは言え、自身が口にした通り、あとは結果を待つのみだ。
頭の片隅で結果を待ちつつ、戸締りをして朱里と通学路を歩む。
2人がカップルになったことは周知されており、他の生徒たちから様々な視線が送られた。
生暖かいものもあれば、嫉妬に塗れたものもあるが、彼らは気にしない。
実際に効果はあり、雪夜も朱里も異性から注目される頻度が減っている。
狙い通りではあるものの、雪夜は若干の罪悪感を抱いていた。
だからと言って真実を明かすつもりはなく、今の状況を利用する気満々。
そうして仲睦まじく歩く彼らの距離は、以前よりも近くなっている。
そのことに雪夜は気付きつつ、敢えて朱里の好きにさせていた。
するとそこに、2人の男子生徒が近寄って来る。
良く知る顔を見た雪夜は、気安く声を掛けた。
「おはよう、宗隆、透流」
「おはようございます、東郷先輩! 榊先輩!」
「オッス、雪夜! 朱里ちゃんも、おはよう!」
「おはよう、雪夜、日高さん」
元気いっぱいな宗隆と、穏やかな透流。
ちなみに、東郷は宗隆の苗字だ。
4人は完全に打ち解けている訳ではないが、普通に話せる程度の間柄にはなっている。
また、大抵同じタイミングで合流するのが、お約束になっていた。
ところが、今日に限っては少しばかり早く、そのことを雪夜が疑問に思っていると、宗隆が少し興奮気味に口を開く。
「いよいよだな、雪夜!」
「何がだ?」
「決まってんだろ? アンリミテッドクエストだよ! 昨日の時点では2位だったけどよ、俺はお前が逆転するって信じてるんだよ!」
拳をグッと握り、熱く語る宗隆。
彼は最序盤でSCOによって脱落した訳だが、その後も生存戦争の行く末を追っている。
こう言った者は多く、どのような結末になるのか気になるらしい。
それにしても宗隆の熱の入りようは、尋常ではないと雪夜が感じていると、肩をすくめた透流があっさりと種明かしした。
「雪夜が逆転すれば、1人勝ちで大儲け出来るからだろ?」
「ば……!? 余計なこと言うなよ、透流!」
裏切られた(?)宗隆は大いに慌てたが、後の祭り。
視線を感じて目を転じると、雪夜がジト目を向けており、盛大に嘆息してから告げる。
「もし1位だったら、儲けの半分をもらおう」
「な!? それはあんまりだろ!?」
「冗談だ。 だが、あまり賭け事は感心しないぞ?」
「う……。 わかった、もうしねぇよ。 けどな、お前が勝つのを信じてるってのは、嘘じゃねぇんだぜ?」
「そこは疑っていない。 どちらにせよ、あとは結果を……」
そこまで言って、雪夜たちのスマートフォンに通知が入った。
生存者である雪夜と朱里は勿論、観戦者とでも言うべき宗隆も同様。
尚、透流は完全に関りがない。
それでも興味はあるらしく、焦って確認している宗隆のスマートフォンを覗き込み――
「うおっしゃぁぁぁッ!!!」
「いや、キミが1番に喜んでどうするんだよ」
宗隆の絶叫が辺りに響き渡り、透流は冷静にツッコミを入れている。
周囲の生徒たちは驚いている者もいれば、雪夜を見ている者もいた。
つまり、結果は――
「おめでとう、セツ兄! 良く頑張ったね!」
「俺だけの力じゃないが……有難う」
太陽のように輝かしい笑みを浮かべる朱里に、苦笑を返す雪夜。
僅差ではあるものの、最終結果でEGOISTSはTETRAを抜いて、トップに躍り出た。
意識しないようにしていたつもりだが、雪夜も知らず知らずのうちに緊張していたらしく、ホッと息をついている。
すると、次いでやって来たのは、チャットアプリへのメッセージ。
何ともなしに操作した雪夜が確認すると、そこには仲間たちの喜びの声が綴られていた。
『皆、やったね~!』
『おうよ、Aliceちゃん! 俺たち最強だな!』
『調子に乗らないで下さい、ゼロさん。 あくまでも、1つのGENESISクエストで勝利しただけです。 ……嬉しいですけど』
『ふふ、ケーキちゃん、こう言うときは素直に喜んだら良いのよ。 皆も、本当にお疲れ様。 今回もらったアップデート権は、わたしが責任を持って有効活用するから』
『頼んだぜ、貴音ちゃん! それはそうと、主役はまだかよ?』
『ホントだよね~。 雪夜くんが目玉の仕組みに気付かなかったら、1位は取れてなかったんだし』
『雪夜さん……見ていますか?』
喜び燥ぐ仲間たちを前に、雪夜はどうしたものか迷った。
しかし、結局は素直に思ったことを伝える。
『今、来たところだ。 皆のお陰でトップが取れた、有難う』
『お礼を言うのは、こっちの方だよ~! 雪夜くん、有難う! 次も頑張ろうね!』
『いやぁ、CBO内じゃなくて、全タイトルで1位ってホントスゲェよな! 雪夜、やっぱりお前をリーダーに選んで正解だぜ!』
『別にリーダーとして、何か特別なことはしていない。 これは全員の勝利だ。 今から学校だから、また夜に話そう』
『はい、雪夜さん。 行ってらっしゃい』
『行ってらっしゃい! またね~』
『ケーキちゃんとAliceちゃんもな! 夜に会おうぜ!』
ひとまず会話を終わらせた雪夜の顔には、優し気な微笑が浮かんでいた。
こうして仲間と喜びを分かち合える幸せを、噛み締めている。
近くでは宗隆がまだ騒いでおり、それを透流が窘めていた。
その一方で――
「随分と機嫌良さそうだね、セツ兄?」
微かに不満そうな朱里。
上目遣いで雪夜を軽く睨んでおり、頬を膨らませている。
彼女の反応が理解出来ない雪夜は、内心で小首を傾げながら言い放った。
「あぁ、そうだな。 何だかんだと言っても、やはり嬉しいものだ」
「だよねー。 ところで、パーティに女の子っているの?」
「自称なら、2人いるぞ」
「ふーん。 自称ねー。 可愛い?」
「アバターはな。 実物は知らない」
「そうなんだー。 それはさぞ、良い気分でしょーねー」
「……何が言いたいんだ?」
「別にー? ただ、彼女がいるのに、他の女の子と仲良くするのはどうかなーって」
「それは俺もどうかと思うが、ふりなら問題ないだろう。 付け加えるなら、仲間として親睦を深めるだけなら悪いことじゃない」
「そうだけど! なんか嫌なの!」
「子どもか。 いくら朱里の頼みでも、わがままが過ぎるぞ」
「むー!」
ますます頬を膨らませて、朱里は涙すら浮かべている。
対する雪夜は冷たい眼差しを返していたが、唐突に頭を撫で始めた。
思わぬ行動に朱里はキョトンとしていたが、彼は構わず問い掛ける。
「俺のことは、ひとまず置いておけ。 それより、ガルフォードの件はどうなっているんだ?」
「……場合によっては、今夜にでも仕掛けるよ。 フレン様と相談して、GENESISクエストが落ち着いてからにしようって話してたの」
それまでの雰囲気を一変させ、途端に真剣な表情になった朱里。
彼女から決死の覚悟を感じた雪夜は、頭を撫で続けながら告げた。
「そうか。 俺に出来ることはないかもしれないが……上手く行くことを祈っている」
「有難う! セツ兄の代わりに、懲らしめて来るから!」
「あぁ、頼んだ。 さぁ、そろそろ学校に行こう。 今日の弁当は期待して良いぞ」
「え! 凄く気になるんだけど!?」
「楽しみに取っておけ」
「うー、わかったよー」
「良し。 じゃあ、行くか」
「はーい!」
いつの間にか調子を取り戻した朱里に、苦笑せざるを得ない雪夜。
しかし、胸の内では彼女を心配している。
フレンと協力するとは言え、ガルフォードが強敵なことに変わりはない。
どう転んでも、苦戦は必至だ。
そう考えた雪夜は、かくなる上は――と、人知れず決意している。
幼馴染の思いに気付くことなく、朱里は元気良く足を踏み出した。
興奮した宗隆と、困り果てた透流を放置して。
学生でもなければ就職もしていない、ガルフォードこと光一郎の朝は遅い。
より正確に言うなら、生活のリズムが一定ではなかった。
起きたいだけ起きて、寝たいだけ寝る。
そんな自堕落な生活だった。
ただし、ゲームで強くなることにはひたむきで、その為に徹夜することも珍しくない。
装備などが整った今となっては落ち着いているが、それでもトップであり続ける努力は続けている。
それだけならばプロゲーマーとして、尊敬出来る人物だったかもしれない。
しかし彼の場合は、盤外戦術も駆使するので、決して許されるプレイングとは言えないだろう。
黒い噂も絶えず、界隈では嫌っている者は多いが、光一郎は微塵も意に返さなかった。
彼にとっては結果が全てであり、極端に言えば金さえもらえたら何でも良い。
金は光一郎にとって願望を叶えてくれる道具であり、武器でもあるからだ。
そしてそれは、現実でもゲームでも変わらない。
「こんなところか」
窓際で煙草を吸いながら、スマートフォンを操作していた光一郎。
その画面には、SCOプレイヤーのSNSアカウントが表示されている。
フレンとアリエッタが何かしらを企んでいることを察知した彼は、返り討ちにする為に手駒を集めていた。
その為に使ったのが、ゲーム内通貨。
莫大な資金力を誇る光一郎が、報酬を与えることで大勢のプレイヤーを雇った形。
中には断る者もいたが、やはり金の魔力と言うものは存在する。
フレンやアリエッタを憎く思っていなくても、光一郎に付くプレイヤーは多かった。
そうして充分な戦力を集めた光一郎は、新しい煙草を取り出しながら地上を見下ろし、ひとりごちる。
「フレンとアリエッタを始末して、クラウソラスとジュワユーズを手に入れる。 それをくれてやった奴を七剣星にして、俺がSCOを牛耳る。 他の奴らがどれだけ脱落しようが、関係ねぇ。 『レジェンドソード』さえあれば、何度だってやり直せる。 それが、SCO最大の強みだ」
嗜虐的な笑みを浮かべた光一郎の頭の中では、既に征服したSCOに君臨する自分の姿が思い描かれていた。
邪魔なロランとイヴを葬り、次はフレンとアリエッタ。
これまでも、似たようなことを繰り返して来た彼にとっては、特別でも何でもないこと。
だが、光一郎は知らない。
そこに、介入しようとしている者がいることを。