第18話 偶然の尾行、必然の抱擁
連休2日目の朝、9時30分頃。
天気は良く、出掛けるには持って来い。
雪夜は待ち合わせ場所である、駅前のモニュメント前に来ていた。
待ち合わせ時間は10時だが、Aliceとの経験を踏まえて、早めに来た方が良いと思ったからだ。
ちなみに服装も、Aliceのときと似たようなもの。
無難だが、素材の良い雪夜が着ると、しっかり決まっている。
彼としては早く来過ぎだと思っていたが、宗隆とその友人も、それほど待つことなく現れた。
2人は雪夜が先にいたことに驚いていたが、まずは挨拶を交わす。
「よう、雪夜! 随分と早いな?」
「おはよう、宗隆。 いや、昨日……友人と待ち合わせをしたときに、ギリギリ過ぎると言われてな。 今日は早めに来た」
Aliceのことをどう説明するべきか、雪夜は一瞬悩んだが、すぐに友人と言う言葉が出て来た。
そのことに若干気恥ずかしくなりつつ、平静を装っていると、もう1人の少年が穏やかに口を開く。
「初めまして、如月くん。 僕は榊透流。 よろしくね」
「初めまして、榊。 よろしく頼む。 俺のことは雪夜で良い」
「そうかい? だったら、僕のことも透流って呼んでくれ」
「わかった、透流。 改めてよろしく」
「こちらこそ、よろしくね」
そう言って微笑を浮かべた透流。
身長は宗隆と同じくらいだが痩せていて、少し頼りない雰囲気かもしれない。
だが雪夜は、彼が決して弱い人物ではないと察していた。
それは肉体面ではなく、精神的な意味で。
容姿も宗隆と同レベルながら、透流にも存在感がある。
雪夜が透流に興味を引かれていた一方、彼も雪夜を観察していた。
どうしたのかと思った雪夜が黙っていると、ハッとした透流が恥ずかしそうに声を発する。
「ごめん、ちょっと意外で」
「意外?」
「うん。 如月くん……じゃなくて、雪夜ってもっと近寄り難いイメージだったから。 実際話してみたらそんなことなくて、正直驚いたよ」
「その考えは間違ってねぇぜ、透流。 実際、雪夜は最近雰囲気が変わったからな。 なぁ?」
「自分ではあまり良くわからないが……心当たりが全くない訳じゃない」
「そうなんだ? でも、安心したよ。 緊張してたけど、これなら上手く付き合って行けそうだ」
「気を遣う必要はないぞ、透流。 それにどちらかと言うと、こう言う場に慣れていない俺の方が、緊張している」
「はは! 緊張した雪夜ってのも、珍しいな! 安心しろよ、俺がちゃんとリードしてやるからよ!」
「本当かな……。 宗隆、頼むから暴走しないでくれよ?」
「どう言う意味だよ、透流!?」
「いや、だって、キミは女の子に目がないし」
「そ、そんなことねぇよ!? お、俺は純粋に、皆で楽しみたいだけだ! そうだよな、雪夜!?」
「俺に聞かれても困る」
「薄情者~!」
などと言うやり取りがありつつ、少年たちは打ち解けることに成功した。
透流がそうだったように、雪夜もスムーズに話が出来て安心している。
それもEGOISTSのお陰だと思った彼は、密かに微笑んでいた。
その後も彼らは、学校での出来事を話題に雑談を続け、やがて10時が近付く。
すると、残りのメンバーが手を振りながら歩み寄って来た。
「おはよう~! 待った?」
「いやいや! 俺たちも、今来たところだって! な!?」
女子3人の1人から挨拶された宗隆は、大慌てで声を上げた。
雪夜は「30分前に来ていた」と言おうとしていたが、話を合わせた方が良さそうだと判断する。
透流を横目で見ると苦笑しており、揃って首を縦に振った。
そのことに気を良くしたのか、少女たちは笑顔を浮かべている。
同学年だと聞いていたが、雪夜に見覚えはない。
とは言え、今まで彼は他人に無頓着過ぎたので、それも致し方ないだろう。
今後はもう少し周りも見ようと考えた雪夜は、自分から挨拶しようとしたが――
「わぁ! 本物の如月くんだ!」
「どうしよ! テンション爆上がりなんだけど!」
「取り敢えず、握手してくれる!?」
怒涛の勢いで詰め寄られて、面食らった。
友人たちに視線で助けを求めても、宗隆は羨ましそうにしているだけで、透流は肩をすくめている。
諦めた雪夜は大人しく、順番に握手するのだった。
それによって少女たちは喜んでいたが、彼にとっては訳がわからない。
種明かししておくと、今日の集まりは宗隆が雪夜をエサに、女子と出掛ける口実を作ったのだ。
透流は、完全に巻き添えである。
自分がまさかそんな目に遭っているとは、夢にも思わない雪夜。
そうして戸惑う少年の一方、少し離れた場所に2つの影があった。
「ねぇ、朱里……何してんの? 竹刀まで背負って」
「し! 小枝、ちょっと静かにしてて! 気付かれちゃうじゃない!」
「いや、あんたの方がうるさいでしょ。 て言うか、街に行こうって言うから何かと思えば、如月先輩のストーキングとはね」
「ス、ストーキングなんて、変なこと言わないでよ! あたしはただ、セツ兄を守る為に……」
「あ~、はいはい、わかったから。 それで? 要は尾行するってこと?」
「び、尾行じゃないよ? ただ、同じ場所に遊びに行く可能性は、あり得るよね?」
「竹刀を持って?」
「持って!」
「あんたホント、メンドクサイわね……。 でも、向こうの先輩たちもレベル高いし、別に放っておけば良くない?」
朱里に引っ張って来られた小枝の言う通り、雪夜が相手にしている女子3人は、全員可愛らしい外見をしていた。
ところが、幼馴染の少女の評価は厳しい。
「確かに見た目は悪くないけど……いきなり握手を求めるとか、品がないよね。 あたしだって、そんなにセツ兄と手を繋ぐことないのに……減点だよ」
「……確認しておくけど、朱里って如月先輩に恋愛感情はないんだよね?」
「ないよ?」
「まぁ、そこまではっきり言い切れるんだから、もう疑ってないんだけど……。 なんだかなぁ……」
盛大に嘆息する小枝。
対する朱里は真剣な様子で、物陰から雪夜を凝視し続けている。
もっとも、彼女たちに尾行のスキルなどない。
結果として、美少女が珍妙な行動を取っているように見え、周囲の男性たちから注目を集めていた。
そしてそれは、彼も同じである。
(何をしているんだ、朱里……)
しっかり彼女を認識していた雪夜は、胸中で呆れ果てていた。
だが、敢えて声を掛けることはせず、ひとまず放置することに決める。
その後、ひとしきり騒いで満足したのか、宗隆たちはようやく移動を始めた。
最初は街を適当にぶらつき、目に入ったものを見て回る。
主に女子メンバーの希望を優先しており、宗隆はなんとか話題を作ろうとしていた。
彼女たちもそれには応えていたのだが、やはり本命は別にある。
ことあるごとに雪夜に話し掛け、あれこれ質問していた。
彼としては、もっと宗隆や透流とも話したかったのだが、そんな暇もないほど。
それでも雪夜は、元来の真面目さもあって、少女たちの問に可能な限り返答している。
袖にされた宗隆は項垂れ、透流は溜息をつきながら慰めていた。
その様子を見ていた朱里は嫉妬の炎を燃やし、小枝は最早好きにしろとでも言わんばかりに、普通にショッピングを楽しんでいる。
そうしてしばしの時が経ち、昼頃に6人と2人は時間差で同じ店に入った。
雪夜でも知っている有名な店で、パスタが美味しいと評判。
予約を取っていたので入れたが、そうでなければ6人同時は難しかっただろう。
朱里たちが入れたのはラッキーだ。
それぞれが好きなメニューを注文し、雑談しながら食事を楽しむ。
こう言うときは宗隆が強く、女子組も楽しそうにしている。
透流のフォローも効いているが。
とは言え、この期に及んでも雪夜が解放されることはない。
「ねぇねぇ、雪夜くんって彼女とかいるの?」
いつの間にか名前呼びになっていた少女Aが、遂にデリケートな部分に手を出した。
瞬間、雪夜たちから少し離れた席でガタッと音が鳴ったが、彼は気付かぬふりをして平坦な声を返す。
「いない」
「え~? でも、1年の日高さんと噂になってるよ?」
「それは知っているが、あの子は幼馴染であって、そう言う関係じゃない」
「そうなんだ! それを聞いたら、喜ぶ子は多いと思うな~!」
「だよね! 雪夜くんを狙ってる子、たくさんいるし!」
「うんうん! それだけスペック高かったら、当たり前だよね~」
少女Bと少女Cも加わって、雪夜の恋愛事情で盛り上がっている。
このとき宗隆は、少し焦っていた。
彼から見て雪夜のボーダーを、超えそうだと感じたからだ。
その感覚は正しかったが、雪夜は宗隆に苦笑を見せて、冷静に言葉を連ねる。
「そう言ってもらえるのは嬉しいが、今の俺に恋愛をするつもりはない」
「えー、なんで?」
「知ってるかどうか知らないが、俺は両親が残してくれたもので生活している。 そんな状態で誰かと付き合うのは、どうかと思ってな。 最低でも、働き出してからだと考えている」
「あ、何か聞いたことあるかも……」
「あたしも。 でも、だからって恋愛を我慢する必要なくない?」
「そうだよ。 お父さんたちだって、ちょっと遊ぶくらい許してくれるって!」
「あたしもそう思うな!」
「同じく!」
少女たちの言葉を聞いて、雪夜は寂し気な笑みを浮かべた。
実際問題、彼女たちの言う通りかもしれない。
雪夜の両親は、彼が多少遊ぶことにお金を使ったからと言って、怒るような人物ではなかった。
しかし、それを何も知らない他者が指摘するのは、控えめに言って失礼に当たる。
流石に我慢出来なくなった宗隆と、不愉快そうに眉を顰めた透流が止めに入ろうとしたが、雪夜は目線で制した。
少女たちの発言は褒められたものではなかったが、悪気がないことをわかっているからだ。
それゆえに、ここは穏便に済ませようと雪夜は考え――ガタンッ――と。
先ほどよりも大きな音が鳴ったのを聞いて、彼は苦笑を浮かべて諦める。
その直後、ツカツカと歩み寄って来た人物に目を向けた雪夜は、白々しく声を掛けた。
「偶然だな、朱里」
「偶然だねー、セツ兄。 ちょっと用があるんだけど、今って時間ある? あるよね?」
「そんなに急用なのか?」
「うん。 今すぐ来て欲しいなー」
朱里の顔には笑顔が浮かんでいるが、目は全く笑っていない。
あまりの迫力に飲まれた少女たちは声を失っており、宗隆たちも呆気に取られている。
それを確認した雪夜は溜息を漏らし、申し訳なく思いながら口を開いた。
「皆、すまない。 俺はここで失礼する。 また機会があれば、誘って欲しい。 代金はここに置いておくから、ゆっくりして行ってくれ」
「ち、ちょっと、雪夜くん!?」
「先輩、ごめんなさーい。 セツ兄は、あたしがもらって行きますねー。 行こう、セツ兄!」
少女Aは止めようとしたが、朱里が笑顔で遮った。
そのまま彼女は雪夜の腕を取り、グイグイと店の外に引っ張って行く。
背中に戸惑った視線を感じつつ、雪夜は大人しく付いて行った。
外に出ると朱里は背を向けて立ち止まったが、再び苦笑した雪夜は彼女の頭をポンポンとしてから言い放つ。
「取り敢えず、歩こう。 店の前にいるのは、どうかと思うからな」
「……うん」
雪夜の言葉に朱里は小さな声で答え、トボトボと歩き出した。
そんな彼女に嘆息した雪夜は、敢えてふざけたように声を発する。
「それにしても偶然だな」
「そ、そうだね」
「モニュメント前から、全く同じルートで行動する偶然なんて、相当低い確率だと思うぞ」
「え……?」
「友だちは放っておいて良いのか?」
「き、気付いてたの!?」
「1つ確かなのは、朱里に尾行の才能はない」
「うー……」
「気にするな。 尾行なんてしなくて済む、人生を送れば良いだけのことだ」
「うん……」
多少は落ち着いた様子の朱里。
そのことを察した雪夜は、改めて問い掛けた。
「それより、本当に友だちは良いのか? さっきの店でも一緒だっただろう?」
「だ、大丈夫。 ちゃんと埋め合わせするって言ってから、別れたから」
「そうか……。 無理をさせて、悪かったな」
「セツ兄が謝ることなんてないよ! 悪いのは、あの人たちなんだから!」
「こら。 先輩に向かって、あの人たちはないだろう」
「だって……」
悲しそうに俯く朱里を見て、雪夜は何度目かの溜息をついた。
そして、またしても彼女の頭を撫でながら、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「彼女たちも、悪気があった訳じゃないと思う。 俺も気にしていない。 だから、朱里がこれ以上悲しむ必要なんかない」
「セツ兄……」
「むしろ俺としては、お前がそんな顔をしている方が、よほど困るんだが」
「……わかったよ。 じゃあ、この話はこれでおしまい!」
「そうしてくれ」
ようやく笑顔になった朱里に、雪夜はホッとした。
それと同時に、ちょっとした悪戯心が湧いて生まれる。
「ところで、急用があるんじゃないのか?」
「え? あ、それは……」
「大事な外出を中断させたんだ、さぞかし大事な用なんだろう?」
「……セツ兄の意地悪」
頬を膨らませて、朱里が上目遣いで睨む。
小動物的な彼女がそんな仕草をしたところで、可愛いだけだ。
そのような感想を抱きながら、雪夜は澄まし顔で言い放つ。
「何もないなら、帰るか」
「ま、待ってよ! 折角なら、遊んで行かない?」
「この辺りでか? 鉢合わせするかもしれないぞ?」
「う、それは流石に気まずいかも……」
「だろう? だから、今日は帰ろう」
「うーん……。 でも、なんか勿体ないんだよねー。 セツ兄とのお出掛けって、レアだし」
「いつも顔を合わせているじゃないか」
「そう言うのとは違うの!」
「良くわからないが……。 じゃあ、少し場所を移動しよう。 この街ほどじゃなくても、遊べる場所は他にもあると思う」
「さんせー! 行こう、行こう!」
「わかったから、腕を引っ張るな。 と言うか、その竹刀はどうにかならないか?」
朱里に腕を抱えられた雪夜は、若干歩き難そうだったが、無理に振り解こうとはしない。
それから暫く歩くと、先ほどまでいた街よりは喧騒が小さくなったが、充分に栄えた場所に到着した。
雪夜たちが来るのは初めてで、物珍しそうしている。
その中でも彼らが注目したのは、レトロなゲームセンター。
現代では当たり前になったVRではなく、クレーンゲームなどが置いてある。
朱里が目を輝かせていることに気付いた雪夜は、自身の欲求も含めて提案した。
「行ってみるか」
「うん!」
すっかりいつもの調子を取り戻した朱里とともに、ゲームセンターに入る。
中は途轍もなく騒がしかったものの、2人は気にせず見て回った。
どれをするか朱里は迷っていたが、結局は最初のクレーンゲームを選ぶ。
中にはいくつかのぬいぐるみが入っており、欲しい物があるらしい。
気合の入った顔でクレーンゲームと向き合う朱里を、雪夜は1歩下がった場所から微笑ましく眺めていた。
ところが、何度挑戦しても取れる気配はなく、朱里の目に涙が溜まり始める。
狙っているのはイルカのぬいぐるみのようだが、確かにそれなりに難易度が高そうだ。
このままでは、どれだけのお金が無駄になるかわからないと考えた雪夜は、溜息をついて彼女の背後に立つ。
朱里は驚いていたが、構わず彼女に覆い被さるようにしてボタンの上から手を重ね、耳元で指示を出した。
「俺がサポートするから、言う通りに操作してみろ」
「う、うん……」
雪夜と密着していることに、朱里は恥ずかしがっていたが、彼は構わずクレーンゲームを続行する。
そして遂に――
「あ! 取れた!」
「良かったな」
「うん! 有難う、セツ兄!」
目当てのぬいぐるみが手に入り、大事そうに抱える朱里。
彼女の笑顔が見れたことで、雪夜も満足している。
他にもいくつかのゲームを堪能した2人は、ゲームセンターをあとにして、次なる遊び場を探した。
そのとき雪夜の視界に映ったのは、カラオケ。
凄く行きたかった訳ではないが、今日行く予定にしていたので、僅かながら残念な気持ちがある。
すると、そんな幼馴染の気持ちを敏感に察知した朱里が、ニコリと笑って告げた。
「セツ兄、行こう!」
「良いのか?」
「勿論! あたしも、カラオケ好きだし!」
「俺は好きと言う訳じゃないが」
「良いから、良いから! 今15時だから、2時間くらいで良いよね?」
「充分だろう」
またしても腕を取られた雪夜は、朱里に連れられてカラオケに入る。
彼は初めてだが、朱里は何度も来たことがあるので、受付はスムーズに終わった。
そうして通された部屋はこじんまりとしていたが、2人なら問題はない。
テーブルを挟んで対面に座ると思っていた雪夜だが、朱里は彼の隣に腰掛けている。
窮屈じゃないかと雪夜が思う一方で、朱里に気にした様子はなかった。
それどころか、機嫌良さそうに笑っており、すぐに選曲して歌い始める。
特別上手いと言うほどじゃないが、声が可愛らしいこともあって、聞き心地は良い。
雪夜は彼女の声を聞き慣れてはいるものの、歌声となるとまた別だった。
歌い終わった朱里は満足そうにしており、そんな彼女に拍手を送る雪夜。
それを受けた彼女は少し照れ臭そうだったが、それを誤魔化すように言い放つ。
「じゃあ、次はセツ兄!」
「まぁ、順番的にはそうなんだろうな」
「あー、楽しみだなー! セツ兄の歌なんて、いつぶりだろう!」
「期待しているところ悪いが、大して上手くないぞ?」
「上手い、下手じゃないの! セツ兄の歌ってことに、意味があるんだから!」
「いまいち理解出来ないが……取り敢えず、これだな」
「お! 良い選曲するね~!」
雪夜が選んだのは、誰もが知ってる大ヒットソング。
今回カラオケに行くに当たって、準備していたレパートリーの1つだ。
このように、遊びでも手を抜かないところが、彼らしい。
雪夜の歌は、本人が語っていた通り、大して上手くはなかった。
音程は取れているが、抑揚などはほどんどない。
それでも朱里は大層満足しており、満面の笑みで拍手をしている。
そんな幼馴染に苦笑しつつ、1曲歌って硬さが取れた雪夜は、彼女と交代で歌い続けた。
しかし、ずっとと言う訳ではなく、時折雑談も混ざっている。
そうして残り時間が30分になった辺りで、突如として朱里が動きを止めた。
訝しく思った雪夜が無言で様子を窺っていると、隣に座った彼女が、言い難そうに言葉を紡ぐ。
「セツ兄……聞いておくんだけど、あの人たち……じゃなくて、あの先輩たちの誰かと付き合ったりしないよね……?」
「急にどうした? 今は恋愛するつもりはないと言っただろう」
「そうだけど、3人とも見た目は可愛かったし……」
「何を心配しているのか知らないが、付き合わないと断言する」
「本当? 信じるからね?」
「あぁ」
「そっか……」
あからさまに、ホッとした様子の朱里。
そのことに雪夜が違和感を覚えていると、突然態度を翻した朱里が、全く違う話題を取り出した。
「そう言えば、そろそろGENESISクエストだね。 準備は進んでる?」
「それなりに……と言ったところだな。 まだ不明瞭な点があるから、やってみないとわからないと思う。 朱里の方はどうなんだ?」
「こっちも似たようなものかなー。 蓋を開けてみないとわからないって言うか、考えても仕方ないって感じ?」
「GENESISも全ての情報を開示する訳じゃなさそうだから、あまり深読みするのも良くない。 とにかく、ある程度の可能性を考えつつ、どんなクエストでも対応出来るようにすることだ」
「……良いの? あたしに、そんなアドバイスしちゃって。 一応、敵同士なんだけど?」
「確かにそうだが、朱里にはなるべく生き残って欲しい。 最終的に敵対するとしてもな」
「……そうだね。 あたしも、セツ兄には生き残って欲しいよ」
若干、朱里は寂しそうな笑みをこぼした。
雪夜は生き残って欲しいと言ったが、自分が第五星アリエッタだと知っても、同じことを言うだろうか――そう考えている。
敵の主力だとわかれば、落とそうと考えるのではないか。
それは仕方ないことだとしても、雪夜にそう思われるのは、朱里にとって辛いこと。
彼女の様子がおかしくなったことに雪夜は気付きつつ、敢えて言葉を掛けることはしない。
生存戦争に関しては、互いに踏み込んだことを聞くべきではないと思っているからだ。
しばし沈黙が室内に落ちたまま、退室の時間がやって来る。
無言で立ち上がった朱里に続いて、雪夜も外に出ると、夕焼け空が見えた。
今日も防衛時間が近付いている。
尚も思い悩んでいる朱里をの意識を変えるべく、雪夜は彼女を促そうとして――
「朱里、悪いが先に帰ってくれるか?」
「え……? どうしたの?」
「少し用を思い出した」
「だったら、あたしも……」
「いや、個人的な用だからな。 出来れば1人で済ませたい」
「……わかった」
「有難う。 じゃあ、またな」
そう言って、朱里に背を向けた雪夜。
不安そうな眼差しが背中に突き刺さるのを感じつつ、彼は喧騒から離れて行った。
タイミングを見計らい、路地に飛び込む。
そのまま駆け出すと、背後から2つの足音が聞こえた。
振り向くと、獰猛な笑みを浮かべた同い年くらいの少年が2人。
目的はわからないが、なんとなく状況を雪夜は察している。
人の声が遠くに聞こえる場所まで来た彼は、立ち止まって振り向いた。
少年たちは運動不足なのか、肩で息をしていたが、殺伐とした雰囲気は健在。
顔をじっくり見ても誰かわからなかった雪夜は、ひとまずは端的に問を投げる。
「誰だ、お前たちは? 俺に何か用か?」
なるべく敵意を出さず、平坦な声を心掛けた。
もっとも、彼らには無意味だったが。
「はん! こっちでは初めましてだな、雪夜!」
「テメェのせいで俺たちは脱落したんだ。 たっぷり礼をさせてもらうぜ」
「その声……まさか、アルドとカインか?」
「覚えてくれてたとは、光栄だぜ。 まぁ、だからって手加減はしてやらねぇぞ? なぁ、正文?」
「当然だろ、高史。 俺らが受けた屈辱、何倍にもして返してやるぜ」
「……その前に、質問がある」
「あ? 何だ? ちょっとくらいなら、答えてやっても良いぜ?」
「助かる、アルド。 聞きたいのは、1つ。 俺以外のCBOプレイヤーには、手を出していないか?」
「あぁ、出してねぇ。 ホントはケーキとAliceもぶちのめしたかったんだが、残念ながら情報が手に入らなくてな。 仕方なく、テメェにターゲットを絞ったって訳だ」
「なるほど。 それを聞いて安心した」
「は? 安心だと?」
「そうだ、カイン。 要するに、ここでお前たちを止めれば、これ以上の被害は出ないと言うことだろう?」
「けッ! 相変わらず、いけ好かねぇ野郎だ! ここはゲームじゃねぇんだぜ? いくらテメェでも、2対1で勝てると思ってんのか?」
「高史の言う通りだ。 今すぐCBOのアカウントを削除するなら、ちょっと痛い目を見るだけで済むぜ? 逆らうってんなら、それなりの覚悟をしてもらうけどなぁ」
邪悪な笑みを湛えた、高史と正文。
彼らの言葉を聞いた雪夜は、思い切り嘆息した。
そして、真っ向から言い返す。
「ここはゲームじゃない……その通りだ。 だが、どうしてそれが、お前たちの有利になると思ったんだ?」
「あぁ? 何を言ってやがる?」
「わからないか、アルド? だったら、はっきり言ってやろう」
足を前後に軽く開き、半身になり、腰を落とし、左手を前に出し、右拳は腰の辺りに置く雪夜。
明らかに何らかの武術を嗜んでおり、高史と正文はたじろいだ。
そんな2人に雪夜は、敢えて挑発的に言葉を叩き付ける。
「現実のお前たちなど、ゲーム以上に取るに足らない」
「テメェッ!」
「ぶっ殺してやるッ!」
挑発をまともに受けた高史と正文が、同時に襲い掛かった。
彼らも喧嘩慣れしているだけはあり、中々の度胸だと言える。
もっとも――
「ふッ……!」
「がッ!?」
雪夜には遠く及ばない。
殴り掛かって来た高史の拳を、雪夜は沈み込むように掻い潜り、カウンターでボディストレートを炸裂させた。
鍛錬など積んでいない彼の腹筋で耐えられる威力ではなく、地面をのたうち回っている。
驚愕に目を見開いた正文は動きを止めてしまい、そのような隙を見逃す雪夜ではない。
「はッ……!」
「ぐはッ!?」
綺麗に振り抜かれた上段回し蹴りが、正文の側頭部に吸い込まれた。
完全に意識を断ち切られており、泡を吹いて地面に倒れ伏している。
2人が戦闘不能になったことを見届けた雪夜は、額の汗を拭ってホッと息をついた。
いくら彼が強いと言っても、徒手空拳は本領ではない。
更に、こうした荒事に慣れているとは言えない為、どうしても緊張はしていた。
それでも無事に切り抜けられて、安堵していたが――
「ぐッ……! もう、どうなっても知らねぇ……! 絶対、ぶっ殺してやるッ……!」
フラフラながら立ち上がった高史が、ナイフを雪夜に突き付ける。
それを見た彼は、流石に表情を硬くした。
実力差で言えば、問題なく対処出来るだろう。
だが、相手が刃物を持っていると言うだけで、尋常ではないプレッシャーを感じていた。
雪夜にとっても未知の恐怖を前に、背中がびっしょりと汗をかいている。
しかし――
「来るなら、来い。 ただし、相応の報いは受けてもらう」
彼は退かなかった。
身の安全を考えるなら、逃げるべき。
今の高史からなら、余裕で逃げ切れるだろう。
だが、ここで逃げれば、彼らがまた狙って来る可能性が残る。
そして、次も相手が自分だと言う保証はない。
万が一にも、ケーキやAliceが標的になると考えれば――ここで仕留めるしかなかった。
歯を食い縛って恐怖を抑え込んだ雪夜に、高史は正気を失った目を向ける。
そうして遂に、そのときが訪れようとしたが――
「セツ兄ッ!」
ここにいるはずがない声が聞こえて、雪夜は瞠目した。
だが、驚くのはあとで良い。
「朱里! 来るなッ!」
「何だ、テメェはッ!?」
朱里に振り向いた高史が、ナイフを構える。
自分に向けられているとき以上の恐れを抱いた雪夜は、叫びそうになり――
「小手ッ!」
「痛ッ!?」
「突きッ!」
「ごッ!?」
竹刀を握った朱里が小手でナイフを叩き落とし、高史の喉元に突きを放った。
今度こそ失神した高史は崩れ落ち、その場に静寂が落ちる。
荒い呼吸を繰り返していた朱里だが、重い音が耳朶を打って我に返った。
視線の先では雪夜が両膝を地面に突いており、呆然とした顔で朱里を見ている。
彼のこのような姿は初めてで、朱里は大慌てで駆け寄った。
「セツ兄!? 大丈夫!? どこか怪我したの!?」
大声を上げる朱里を、ボンヤリと眺める雪夜。
いよいよもって、彼女の不安はピークに達しようとしていたが――
「良かった……」
「ふぇ!?」
いきなり雪夜に抱き締められて、素っ頓狂な声を漏らす朱里。
耳まで顔を赤くしており、思わず竹刀を取り落としている。
しかし、雪夜は構うことなく抱擁を続け、顔を隠したままポツリと呟いた。
「もう、大切な人を失くすのは……たくさんだ……」
「……ッ! セツ兄……」
「無事で良かった……」
「……大丈夫だよ。 あたしは、セツ兄を置いて行ったりしない。 ずっと傍にいるから」
優しく雪夜の背中を撫でながら、朱里は噛んで含めるように言い聞かせた。
彼は返事をしなかったが、幾分か落ち着いているように感じる。
こうして、ガルフォードの策略を、2人は打ち破るのだった。