第17話 渋い1杯、甘い誓い
喫茶店に着いた2人は、1番奥の席で向かい合って座った。
ウィンドウを開いてメニューを眺め、雪夜がアイスコーヒーを注文すると、テーブルの上にタイムラグなく現れる。
戦闘自体はなかったとは言え、長時間警戒を続けていたからか、それなりに喉は乾いていた。
グラスを手に取った雪夜は口に運び、アイスコーヒーで喉を潤す。
VRではあるが、体に染み渡る気がした。
そうして彼は一息ついたのだが、そこで正面に座る少女に目を向けると、何やらジッと見つめて来ている。
熱っぽい眼差しと言うよりは、何かを言いたいが言い出せない様子だ。
そのことを察した雪夜は、グラスをテーブルに戻しながら声を発する。
「ケーキ、言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってくれ」
「え……適度に、ではありませんでしたか?」
「……良く覚えているな」
「雪夜さんの言葉は、全て覚えています」
「……そうか」
微笑を浮かべて紡がれたケーキの言葉に、どう反応すれば良いかわからない雪夜。
それゆえに彼は、誤魔化すようにグラスを持ち上げ、またしてもアイスコーヒーを口に含んだ。
すると、彼に許しを得たケーキは、尚も躊躇いながら問を投げる。
「あの……どうして、残ってくれたのですか?」
「何のことだ?」
「その……以前の雪夜さんなら、経験値稼ぎに行かないとなった時点で、現実に帰っていた気がしまして……」
「……言われてみれば、そうかもしれない」
「はい。 なので、どうして今日は付き合ってくれたのかな、と……。 あ! 勿論、凄く嬉しいです! ただ単純に、不思議に思ったと言うだけで……」
「落ち着け。 ケーキが疑問に思うのも、仕方ないと思う。 ただ、さっきも言ったように、心境の変化があっただけだ」
「……どう言う変化があったのか、聞いても良いですか?」
恐る恐ると言った様子で、更に踏み込むケーキ。
彼女にとっては、それほどまでに気になることだった。
そんなケーキを前にして雪夜は、小さく溜息をこぼしてから、ポツリポツリと語り始める。
「俺も昔は、多くの仲間たちと遊んでいたんだ」
「……そう言う時期があったとは、お聞きしました。 ですが、その先は知りません」
「そうだな。 どう説明するべきか難しいが……簡単に言えば、仲間に裏切られたような気がしたんだ」
「裏切り、ですか……」
「あぁ。 当然、俺にも良くないところはあったんだろう。 それでも、当時の俺にとっては辛いことだった。 だから、2度と傷付かないように、最初から仲間を作らない道を選んだんだが……ケーキたちと関わっているうちに、もう1度やり直してみようと思った。 ……そんなところだな」
どこか遠くを眺めながら、雪夜は過去を思い返した。
しかし、自分でも意外なほど心穏やかで、本当に割り切れたのだと感じている。
ところが――
「ケーキ……?」
彼女がポロポロと涙をこぼしているのを見て、雪夜は戸惑いの声を落とした。
膝の上で両手をギュッと握り、口を固く引き結んで、嗚咽を堪えている。
雪夜が何と声を掛ければ良いか迷っていると、ケーキは涙を流しながら口を開いた。
「すみません……」
「どうして謝るんだ?」
「雪夜さんの事情も知らずに、身勝手に付き纏っていたからです……」
「……気にしなくて良い。 確かに最初は困ったが、キミの……キミたちのお陰で、今の俺がいる。 だから……感謝しているんだ」
「雪夜さん……」
ハンカチを取り出してケーキの涙を拭いながら、感謝を伝える雪夜。
それを聞いたケーキは感動していたが、次いで決然とした面持ちになった。
どうしたのかと驚いた雪夜に構わず、彼女は彼の手を両手で握って、力強く宣言する。
「わたしは、何があっても雪夜さんを裏切りません。 最後の最後まで、貴方とともにあり続けると誓います」
「ケーキ……」
「迷惑、でしょうか……?」
不安そうに眉を落とし、瞳を潤ませるケーキ。
手は小さく震えており、拒絶されるのを恐れているのがわかる。
ここで彼女を突き放せは、雪夜は彼女の想いを断ち切れたかもしれない。
だが――
「迷惑なんてことはない。 キミは、仲間なんだからな」
軽く手を握り返して、微笑を見せた。
もしかしたら自分は、将来的に彼女を傷付けるかもしれない。
そう自覚しつつ、雪夜はケーキと仲間であり続けることに決めた。
彼の笑みを目の当たりにしたケーキは、目を丸くして顔を紅潮させている。
そして、今更になって手を握ったままだったことに気付いたらしく、慌てて膝の上に戻した。
恥ずかしそうに下を向いており、そんな彼女に苦笑した雪夜は、話を変えるべく提案する。
「何か頼んだらどうだ?」
「そ、そうですね……」
なんとか返事したケーキはウィンドウを開き、チラリと雪夜を見てから、同じアイスコーヒーを頼んだ。
紅茶を頼むと思っていた雪夜が意外に思っていると、ケーキは何故か逡巡してから、意を決したようにグラスに口を付け――
「う……」
思い切り、渋い顔をした。
それを見た雪夜は呆れたように嘆息し、シロップとミルクを差し出す。
「無理せず、入れたら良いだろう」
「い、いえ。 わたしも、雪夜さんと同じ味を楽しみたいので……」
「そんなことを、俺が望むと思うのか? 味覚なんて人それぞれなんだから、自分に合ったものを飲めば良い」
「……わかりました」
雪夜に諭されて白旗を挙げたケーキは、大量のシロップとミルクを投入する。
最早コーヒーではない気がするが、それほど彼女にとっては苦かったようだ。
背伸びする子どものように感じた雪夜は苦笑しつつ、念の為に釘を刺しておく。
「改めて言っておくが、何でも俺に合わせる必要はない。 ケーキはケーキがやりたいことをすれば良いんだ」
「わたしがやりたいこと……」
「そうだ。 常に一緒にいるのが仲間じゃない。 大事なときに支え合えるのが、仲間だと俺は思う」
「支え合う、ですか……」
「あぁ。 ケーキは、Aliceとゼロをどう思っている?」
「好ましくありません」
「はっきり言うな……」
「事実ですから。 ただ……頼りになるとは、思っています。 彼女たちと一緒なら、勝ち残れるのではないかとも」
「そうか……。 信頼しているんだな」
「信頼……。 そうなのでしょうか……?」
「少なくとも、俺にはそう聞こえた」
「そうですか……」
難しい顔で考え込むケーキ。
彼女がAliceやゼロに好感を持っていないのは、確かなのかもしれない。
しかし、その一方で認めているのも、否定出来ないだろう。
自身の複雑な気持ちを持て余して、思い悩んでいる少女に、雪夜はまたしても苦笑した。
とは言え、焦ることはない。
自分も含めてEGOISTSは、始動したばかりなのだから。
そう考えた雪夜は、椅子の背もたれにゆったりと体を預け、言い聞かせるように言葉を連ねる。
「今すぐ結論を出さなくて良い。 その代わり、最初から2人を突き放そうとせず、フラットな視線で見てくれると助かる」
「……やってみます」
「そうか、有難う」
その言葉を最後に、沈黙が落ちる。
ケーキは激甘になったアイスコーヒーを、おっかなびっくり飲んでおり、雪夜はのんびりと過ごしていた。
するとほどなくして、2人が立ち上げていたチャットアプリに通知が入る。
どうやら、Aliceの準備が整ったらしい。
続いてゼロからも連絡があり、それを確認した雪夜たちは顔を見合わせ、チャットを開始した。
『忙しいのに、すまないな。 なるべく早く切り上げる』
『大丈夫だよ、雪夜くん! もうお布団に入ってるから、いつでも寝られるし!』
『Aliceちゃん、それって寝落ちフラグじゃねぇか?』
『だ、大丈夫だよ、ゼロさん! ……たぶん』
『自信なさそうですね』
『そ、そんなことないよ! ケーキちゃんこそ、ホントは眠いんじゃないの?』
『いいえ、全く』
『うぅ……。 実は、結構眠かったりして。 昨日、あんまり寝れなかったから……』
『そうなのか? だったら、後日にしても構わないが』
まだ日数はあるので、雪夜は本気でそう思っていた。
しかし、Aliceは頑として譲らない。
『平気だよ! 本当に危なくなったら言うから! ほら、始めよう!』
『……わかった。 じゃあ、まずは現時点の情報を纏めよう』
『はい、雪夜さん』
『作戦会議って、ちょっとワクワクすんな!』
『だね、ゼロさん! えっと、取り敢えずクエスト名は、アンリミテッドクエスト!』
『制限時間は5分で、前回と違って何度でも受注可能だと記憶しています』
『ケーキちゃんが言った仕様に加えて、今日判明したのが、倒したモンスターによってスコアが変動する……だな!』
異様に乗り気なAliceとゼロに比して、目の前のケーキはどこまでも冷静に言葉を綴っている。
そのことに雪夜はこっそりと苦笑しつつ、話し合いを続行させた。
『その通りだ。 ただこれだと、何がアンリミテッド……つまり、無制限なのかわからない』
『確かにね~。 最初は時間かと思ったけど、はっきり5分って言われちゃったし』
『てことは、敵が無限に湧き出て来るって意味か? 制限時間になるまで、倒せば倒すだけスコアが伸びる……みたいな』
『あり得ますが、それだけだと単純過ぎる気がします。 GENESISなら、もう少し何かを仕掛けて来るかと』
『俺もケーキと同意見だ。 ゼロの言った意味もあるだろうが、他にも何かが隠されている気がする。 受注回数に制限がないのも、その意味ではあるが……いまいちしっくり来ない』
『う~ん、何だろうね~。 何度も受注出来るってことは、そうしなきゃいけない理由があるんだろうけど……』
『ジェネシス・タイタンのように倒して終わりではなく、試行錯誤を繰り返すクエストなんでしょうね』
『そう言うことだな、ケーキちゃん。 どうすれば最も効率良くスコアを稼げるか、それを考えるタイプなんじゃねぇか?』
『だろうな。 あと、ほぼ確実に言えるのは、対多数の戦闘だと言うことだ。 ボスモンスターとの連戦と言う可能性もなくはないが、それだとスコアアタックとして微妙な気がする』
『そうですね、雪夜さん。 となると、集団戦の練習が必要かもしれません』
『俺とケーキちゃんは、バッチリだけどな!』
『調子に乗らないで下さい』
『すみません……』
『あはは! ホント、2人は仲良しだね~。 ちょっと妬けちゃうかも!』
『でしたら代わって下さい、Aliceさん』
『え? やめとく』
『雪夜……慰めてくれ……』
『取り敢えず、今日はこんなところだな。 集団戦の練習に関しては、改めて相談しよう』
『おい!?』
ケーキとAliceに冷たくされたゼロは、雪夜に助けを求めたが、彼はバッサリと切り捨てた。
いくら仲間でも、助けるときと助けないときはある。
内心で苦笑した雪夜は、纏めの言葉をチャット欄に打ち込んだ。
『皆、今日もお疲れ様。 絶対に防衛に参加しろとは言わないが、出来れば明日もよろしく頼む』
『こちらこそ、よろしくお願いします。 わたしは必ず、参加しますので』
『あたしも! 今は、なるべく時間通りに帰れるようにしてるからね~』
『俺は抜けても良いか……?』
『拗ねるな、ゼロ。 お前がいなければ、CBOは生き残れない』
『そうか、そうか! 雪夜がそこまで言うなら、しょうがねぇな!』
『単純ですね』
『単純だね~』
『うるせぇぞ、女子2人! ホントに女子か知らねぇけど!』
『失礼なこと言わないでよ! あたしたちは、本物なんだから! ね、ケーキちゃん!』
そこで、チャットが止まる。
訝しく思った雪夜が視線を正面に向けると、ケーキが何やら懊悩していた。
しかし、何かを振り切るように手を動かし、スムーズに文字を入力する。
『そうですね』
『ほら! こんなに可愛い男の子が、いる訳ないじゃない!』
『いや、アバターはそうでも、中身がそうとは限らねぇだろ!』
『そこは、言動で判断して欲しかったな~。 ゼロさんには、ガッカリだよ~』
『ぐぬぬ!』
言い合ってはいるが、どことなく楽しそうなAliceとゼロ。
それ自体は良いのだが、雪夜はケーキの様子が気になっていた。
とは言え、問い質すのはマナー違反。
頭を切り替えた雪夜は、今度こそ終わらせに掛かる。
『楽しそうなところ悪いが、俺も明日は用事がある。 そろそろ、お開きにしよう』
『あ、は~い。 雪夜くん、ケーキちゃん、お休み!』
『Aliceちゃん、俺には!?』
『はいはい、お休み』
『冷たくねぇ!?』
『落ち着け、ゼロ。 じゃあ、またな。 お休み』
『わたしも、失礼します。 お休みなさい』
『なーんか、納得出来ねぇが……お休み!』
ゼロの挨拶を最後に、チャットが完全に停止する。
それを確認した雪夜とケーキは顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべた。
賑やかで無駄話もあったが、話し合った手応えを雪夜は感じている。
そしてそれは、ケーキも同じだった。
「こうして集まるのは、良いかもしれませんね」
「そうだな。 提案してくれた貴音ちゃんには、感謝しなければならない」
「はい。 ……雪夜さんも、そろそろ帰るのですか?」
「あぁ。 さっきも言ったが、明日は用事があるからな」
「そうですか……」
雪夜の言葉を聞いたケーキは、見るからに落ち込んだ。
彼は知らないが、仲間が去ったあとのケーキは、孤独。
貴音が話し相手になってくれることはあるものの、ずっとと言う訳には行かない。
それゆえに寂しさを覚えたケーキの心情を、雪夜は正確に把握出来た訳ではなかったが、感じるものはある。
微妙に視線を泳がせた雪夜は、彼にしては珍しく、やや恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
「ケーキは、写真を撮ることをどう思う?」
「え? どうと言われましても……特に、何とも思いません」
「そうか。 嫌と言うこともないか?」
「はい」
「だったら、撮ろう」
「……え?」
「だから、撮ろう」
「あの、確認ですが……わたしと雪夜さんとで、ですか……?」
「そうだ」
「そ、それは、どう言った意図で……?」
「深い意味はない、ただの思い付きだ」
「……わかりました、撮りましょう」
僅かばかり照れている雪夜に、柔らかな微笑を見せるケーキ。
それを受けた彼は腰を上げ、無言で壁際に立つ。
ケーキはその隣に佇み、満面の笑みを咲かせた。
今更になって雪夜は恥ずかしさがこみ上げて来ていたが、もうあとには退けない。
覚悟を決めて画角を定め、手早く撮影を終えた。
出来栄えを確認したところ、どこにでもある普通の1枚ではあるが、なんとなく雪夜は胸が熱くなるのを感じている。
ケーキたちには秘密にしているが、過去の雪夜は仲間と写真を撮るのが趣味だった。
その願望が再び出て来た雪夜だが、恥ずかしくて打ち明けることに抵抗がある。
この辺りは、彼の少年らしい一面と言えるかもしれない。
何はともあれ雪夜が満足していると、ケーキが何か言いたそうにジッと見つめていた。
対する雪夜は胸中で苦笑し、表向きは平然と問い掛ける。
「いるか?」
「はい!」
ノータイムで返事したケーキに、今度こそ苦笑をこぼす雪夜。
アプリを起動して彼女との個別チャットに、写真を添付する。
それを見たケーキは心底嬉しそうにしており、雪夜はまたしても恥ずかしさが込み上げて来た。
しかし、それを誤魔化すように咳払いし、敢えて淡々と言い放つ。
「では、またな。 お休み」
「はい! お休みなさい!」
元気良く返事したケーキに、雪夜は軽く手を挙げた。
対するケーキも上品に手を振っており、間もなくして2人は別れる。
そのことにケーキは寂しくなったが、ウィンドウに映った写真を見て微笑んだ。
これがあれば、いつでも彼を感じられる。
『プリンセス・フルール』に続いて、雪夜からプレゼントをもらった気分のケーキは、上機嫌に喫茶店を出て行った。
そして、彼の言い付け通り休憩を挟みつつ、ダンジョンへと足を向ける。
その頃、現実に戻った雪夜は、Aliceから受け取った写真とケーキとの写真を、フォルダに保存していた。
今度はゼロとも撮ろうと考えつつ、どう切り出すかを悩んでいる。
こうして連休初日が幕を閉じ、運命の2日目が始まろうとしていた。