第13話 変化する心
休日だろうが、雪夜は朝の鍛錬を欠かさない。
起きてすぐに身支度を整え、両親に挨拶してから、竹刀を片手に庭に向かう。
そしてまずは、体を解すべく準備運動しようとしたのだが、今日はいつもと違う展開が待っていた。
「おはよー、セツ兄!」
学校指定のジャージを身に纏った朱里が、竹刀を振っている。
この際、勝手に庭に入り込んだことは不問にするとしても、いささか以上に驚くべき状況だ。
思わず目を見開いた雪夜は言葉に詰まりつつ、ひとまずは返事を返す。
「おはよう。 それより、どうしてここで素振りしているんだ?」
「うーん。 うちより集中出来るから?」
「何故疑問形なんだ」
「あはは! まぁ、良いじゃない。 ほら、セツ兄も始めて!」
「仕方ないな……」
全く納得は出来なかったが、雪夜は大人しく自身の稽古に取り組んだ。
流石にその間は雑談することはなく、互いに真剣に竹刀を振り続ける。
暫くして素振りを終えた2人は、どちらからともなく縁側に座った。
飲み物を持って来ていなかった朱里は、しまったと思いつつ家に帰ろうとしたが、その前に雪夜がペットボトルを差し出す。
瞠目した朱里が遠慮しようとしたのを察して、雪夜は即座に言葉を付け足した。
「俺は家で飲んで来る」
「……ありがと」
問答無用でスポーツドリンクを押し付けられた朱里は、苦笑しながら受け取って口を付ける。
それを確認した雪夜は、宣言通り家に入ろうとしたが、その直前で朱里が袖を引っ張った。
立ち上がるタイミングを逸した彼が怪訝そうにしていると、朱里は満面の笑みでペットボトルを手渡して告げる。
「はい! 半分こ!」
「……気にしないのか?」
「え? 何が?」
「……いや、何でもない」
朱里からペットボトルを受け取った雪夜は、複雑そうな顔になった。
間接キスを意識している自分が恥ずかしいように感じて、無理やりその思いを抑え付ける。
口が空いたままのペットボトルを握り、一瞬だけ躊躇してから、スポーツドリンクを飲んだ。
そのとき――
「間接キスだね」
「……ッ!」
「あはは、大成功! セツ兄のそんな顔、すっごく珍しい!」
「あのな……。 冗談にしても限度があるぞ。 まさか、他の男子にもしているんじゃないだろうな?」
「する訳ないでしょ!? こんなこと、セツ兄以外には出来ないよ!」
「いや、俺にもするな」
「まぁまぁ、そんなに怒らないでよ。 実は、役得だったとか思ってるんじゃないー?」
「思っていない」
「えー? ホントにー?」
ニヤニヤと笑って来る朱里に、ジト目を向ける雪夜。
しかし、次の瞬間には真面目な顔になり、静かな声で問い掛けた。
「何かあったのか?」
「え? どうして?」
「昔からお前は、何かを抱えているときに限って、良くわからない悪戯を仕掛けて来た。 だから、今回もそうだと思ったんだ」
「……別に何もないよ」
そう言いながら、暗い顔で顔を背ける朱里を見て、雪夜の疑念は確信に変わった。
だが、敢えて彼は踏み込まずに見守る。
「言いたくないなら、言わなくて良い。 ただし、忘れるな。 俺はお前の味方だ」
「セツ兄……」
「生存戦争で争うことになろうと、本質は変わらない。 一緒に背負うことは出来なくても、傍で支えることは出来る。 だから、いつでも頼って来い」
「うん、わかった……」
雪夜に励まされた朱里は、微笑を浮かべた。
実のところ彼女は、ガルフォードと対峙することに、恐れを抱いている。
いや、覚悟は固まっていた。
それでも心が騒めくのを止められず、無性に雪夜の顔を見たくなったのだ。
彼女が何に悩んでいるか、彼にはわからなかったが、多少は立ち直ったのを感じている。
ひとまずはそれで良いと考えた雪夜は、腰を上げて言い放った。
「シャワーを浴びて、朝食の準備をして来る。 お前も一旦、家に帰れ」
「一旦ってことは……こっちでご飯食べて良いの?」
「いつもは呼ばなくても来るくせに、今更何を遠慮しているんだ。 言っておくが、大したメニューじゃないぞ」
「大丈夫だよ! セツ兄が作ったご飯なら、何でも美味しいから!」
「プレッシャーが掛かることを言うな」
「ホントのことなんだから、照れなくても良いのにー。 そうだ! ついでだから、一緒にシャワー浴びる?」
「馬鹿なことを言っていないで、早く帰れ。 汗をかいたままだと、風邪をひくぞ?」
「むー。 もうちょっと、慌ててくれても良いのにー」
「……やはり、自分の家で食べろ」
「じ、冗談だって! すぐに入って来まーす!」
朝食を盾に取られた朱里は、ダッシュで自宅に帰った。
そんな彼女を溜息交じりに見送った雪夜は苦笑を漏らし、自身もシャワーを浴びて朝食の準備をする。
その後、朱里と一緒に食卓を囲んだ彼は、敢えていつも通りの態度を貫き、彼女に安らぎを与えるのだった。
午前10時前。
朱里を送り出した雪夜は、ゲームデバイスを装着してCBOにログインした。
今は快晴の空が広がっており、出掛けるには持って来いだと言える。
もっとも、ゲーム内では雨でも問題なく行動出来るが、気分的な問題だ。
休日だからか昼前にもかかわらず、人の数は多い。
ほとんど全員から、敵対的な眼差しを注がれているものの、雪夜が揺らぐことはなかった。
元々気にするタイプではなかったが、今の彼は真の意味で強くなりつつある。
その理由に会うべく、待ち合わせ場所である例の喫茶店に向かった。
相変わらず寂れており、近くにプレイヤーの姿はない。
そのことを確認した雪夜が中に入ると、待ち合わせ相手の姿があったのだが――
「遅い!」
開口一番、Aliceに怒声を叩き付けられた。
驚いた雪夜は唖然としつつ、正論をぶつけてみる。
「まだ5分前だぞ?」
「まだ、じゃなくて! もう、なの! あたしなんて、1時間前に来てたんだからね!?」
「それはキミの勝手だろう。 遅れてもいないのに、怒られる筋合いはないと思うが」
「む~! もう良いもん! どうせ雪夜くんは、ホントはあたしと出掛けたくなんかなかったんでしょ!?」
涙目になって喚き立てるAliceに、雪夜はほとほと困り果てた。
しかし、少しばかり心境の変化があった彼は、微妙に目を泳がせながら言葉を連ねる。
「そんなことはない。 俺も……今日は楽しみだった」
「へ……?」
「こうして、誰かとどこかに行くのは珍しい。 だから、折角なら楽しみたいと思っている」
「……雪夜くん、何か変な物でも食べた? それとも、頭を強く打ったり?」
「失礼だな。 まぁ……どちらかと言えば、俺に責任があるか。 とにかく、時間が勿体ない。 早速何かしないか?」
「う、うん……!」
思いのほか前向きな雪夜を前にして、Aliceは戸惑いを隠せない。
だが、徐々に喜びが上回り、頬を綻ばせている。
そんな彼女に雪夜も苦笑しながら、話を先に進ませた。
「それで、どこに行きたいんだ?」
「あ、それなんだけど、アミューズランドに行こうよ!」
「アミューズランド? ほとんど行ったことがないな……。 一応、クエストがないか調べはしたが」
「え!? 嘘!? CBOをやってて、アミューズランドに行かないなんてことがあるの!?」
「そう言われてもな。 クエストもないのに、行く理由が見当たらない」
「ホントに、この戦闘狂は……」
堂々と言い切った雪夜に対して、Aliceは頭痛を堪えるように額に手を当てた。
ちなみにアミューズランドとは、CBO内に存在する複合娯楽エリアのことである。
全体的にはテーマパークのような施設で、他にも映画館やカラオケ、ボウリング、ゲームセンター、飲食街など、まさしく娯楽に特化した場所だ。
CBOのメインコンテンツは戦闘なものの、このアミューズランドは相当クオリティが高い。
生存戦争が始まる前は、ここで遊ぶ為だけにプレイしている者も珍しくなかった。
今は強さを求めているプレイヤーが多い為、以前ほどではないが、それでも人の数は多く見られる。
だがそれは、賑やかさを演出する為であり、アトラクションなどの待ち時間はない。
クオリティもさることながら、その点でも高く評価されている。
逆に言うと、ドロップアイテムや報酬などは一切ないので、雪夜は興味がなかった。
以上のことから、2人の間には温度差があった訳だが、ここでも彼の変化が現れる。
「行ってみるか」
「え? 良いの?」
「良いも何も、今日はそう言う約束だろう?」
「で、でも、雪夜くんが乗り気じゃないなら……」
「気にするな。 たまには、戦闘と関係ないことをするのも良いだろう」
「……本当に、どうしたの? 今日の雪夜くん、なんか変だよ?」
雪夜の発言を受けて、Aliceは喜びを通り越して心配になった。
彼女の反応に雪夜は憮然としつつ、溜息をついて言い放つ。
「大したことじゃない。 俺もそろそろ、逃げるのをやめようと思っただけだ」
「逃げる……? 雪夜くんが……?」
「良いから、行こう。 早くしないと、時間がなくなるぞ?」
「あ! そ、そうだね! 行こう、行こう!」
Aliceには結局、彼の気持ちはわからなかったが、細かいことは忘れることにした。
大事なのは、雪夜が積極的にアミューズランドに行こうとしていること。
それだけで充分だと思い直したAliceは、満面の笑みでウィンドウを開こうとした――が――
「……」
「どうした?」
「聞くだけ無駄な気がするけど……雪夜くんって、別の服は持ってる?」
「いや、ない」
「だよね~。 じゃあ、まずは服を買おう!」
「服を? 別に、このままで良くないか?」
「だ~め! それじゃあ、気分が出ないでしょ?」
「良くわからないが……まぁ、1着くらいなら良いだろう」
「そう来なくっちゃ! じゃあ、ショップでいろいろ見てみようよ!」
上機嫌に笑ったAliceは、店の奥に設置してあった端末にアクセスした。
この端末では、自分の不要なアイテムを出品したり、他のプレイヤーが出品しているアイテムを、購入することが出来る。
雪夜は装備や素材関係で利用することが多いが、それと同等以上に衣装関係の需要も大きい。
と言うのも、これまで触れて来なかったが、CBOにも課金要素があり、その大半がガチャで手に入る衣装関係なのだ。
強さには直接影響がない一方、ショップで売り払うことで多額のゲーム内通貨を得られる為、装備強化などが有利になる。
そのような理由から、ファッション勢も戦闘民族も、資金力のある者はガチャを回しがちだ。
だが、自分の収入がない雪夜は手を出しておらず、ゲーム内通貨は戦闘関係に費やしているので、今まで服を買ったことがない。
それゆえ、多少の興味を持ちながら、Aliceの背後からウィンドウを眺めている。
ところが、そこには彼にとって、理解し難いものが表示されていた。
「Alice……」
「ん? 何? 気になる服でもあった?」
「いや、何と言うか……高過ぎないか?」
「そうかな? この辺りは100万くらいだし、安い方だと思うけど」
「……ちなみに、高いといくらくらいなんだ?」
「え~と、数千万から数億くらいかな~」
「……そうなのか」
これぞ、カルチャーショック。
あまりにも――雪夜にとって――馬鹿げた額に、意識を手放しそうになっていた。
しかし、渾身の力で踏ん張った彼は、緊張した声で言葉を紡ぐ。
「すまないが、予算は200万くらいでお願い出来ないか……?」
本当は、100万と言いたかった雪夜。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、Aliceは難しい顔で指を頬に沿えて、悩まし気な声を発する。
「う~ん……。 それだと、あまり良い服は買えないけど……」
「構わない。 時間もないから、手早く済ませよう」
「そうだね! 本番はアミューズランドなんだし! じゃあ、ザっと見て行こうか!」
図らずもAliceを後押し出来た雪夜は、内心でホッとしていた。
それからしばしの間、彼女はブツブツ言いながら服を吟味していたが、ようやくして彼に笑顔を向ける。
「じゃあ、これとこれとかどう?」
「良いと思う。 それにしよう」
ろくに確認もせずに、雪夜は了承した。
ファッションに疎いからと言うのもあるが、何より長引かせて余計な出費が増えるのを避けたい。
そうして、Aliceが指定した服を購入した彼は、安堵の息をつきながら着用しようとしたが、その前にウィンドウが開いた。
何事かと思った雪夜が、画面を見ると――
「これは、あたしからのプレゼント!」
言葉通り、Aliceからのプレゼントが送られて来ていた。
どうすれば良いか雪夜は迷ったが、厚意を無碍には出来ない。
期待するようにニコニコ笑っているAliceに、苦笑してから受け取る。
「有難う。 このお礼は、何かしらの形でさせてもらう」
「良いから、良いから! 早く着てみて!」
「あぁ、わかった」
今度こそ準備を終えた雪夜は、普段は使用しないファッション欄に、手に入れた服を設定した。
すると、一瞬にして彼の姿が様変わりする。
白のカットソーに、黒のスラックス。
極めてシンプルなこの2着は、雪夜が自分で買った物。
そして、Aliceが付け加えたのは、黒のジャケット。
仕上がりは結局シンプルながら、雪夜の雰囲気にとても合っていた。
彼自身も、普段着ている服と大差ないことに、密かに安心している。
対するAliceは、目を輝かせてはしゃいでいた。
「わぁ! 良い! 凄く良い! バッチリ!」
「そうか? 有難う」
「やっぱり、その方がデ……お、お出掛けっぽいよ!」
「それはそうかもしれない。 ところで、Aliceはどうするんだ?」
「あたし? 勿論、着替えるよ~!」
楽しそうに宣言したAliceが、ウィンドウに指を走らせる。
ところが、何故かピタリと止まった。
その様子を雪夜が不思議そうに見ていると、彼女は恐る恐る顔を上げて、彼に問を投げる。
「えっと……雪夜くんって、どんな服が好みなの……?」
「どんなと言われてもな……。 俺は、ファッションに詳しくないから、何とも言えない」
「ほ、ほら、可愛い系が良いとか、綺麗系が良いとか、クール系が良いとか……セ、セクシー系が良いとか……」
顔を真っ赤にして、モジモジするAlice。
雪夜としては「わからない」一択だったが、それではいけないことくらいは理解していた。
また、ファッションのことには詳しくなくても、確かなことがある。
「難しく考えなくても、Aliceの好きな服を選べば良い。 キミなら、何を着ても似合うと思う」
「ホ、ホントにそう思う……?」
「本当だ」
「わ、わかった。 じゃあ……これ!」
意を決したように、服を選択したAlice。
そこに現れたのは――
「ど、どうかな……?」
春らしいコーディネートに身を包んだ、可愛らしい少女。
上は薄いグレーのスウェットで、下はピンクのティアードスカート。
白のスニーカーを履き、黒いハンドバッグを持っている。
髪を飾るのは、いつものリボンと桜のバレッタ。
どうと尋ねられた雪夜だが、ファッションに疎くても答えは簡単。
「正直に言って良いのか?」
「ど……どうぞ……」
「凄く可愛い」
「へ!?」
「驚くことじゃないだろう。 誰に聞いても、同じ答えだと思うぞ」
「そ、そっか……。 良かった~……」
「本音を言うと、隣を歩くのを躊躇うほどなんだが」
「そ、そんなことないよ! 雪夜くんも、その……か、格好良いから!」
「そう言ってもらえると、少しは気が楽になる。 じゃあ、そろそろ行くか」
「う、うん……」
勢いに任せて「格好良い」と言ってしまったAliceは、顔から湯気が出そうなほど、頬を紅潮させている。
そんな彼女に苦笑しながら、雪夜はパーティ申請を送った。
彼と自然にパーティを組めることに、Aliceは喜んで微笑を浮かべる。
あまりにも可憐な彼女を目にして、今度は雪夜が反射的に目を逸らした。
そうして、こそばゆい雰囲気を醸し出す2人は、外のポータル端末からアミューズランドに飛んだ。
ここまで有難うございます。
面白かったら、押せるところだけ(ブックマーク/☆評価/リアクション)で充分に嬉しいです。
気に入ったセリフがあれば一言感想だけでも、とても励みになります。