第4話 雪夜の日常~学校編~
朝食を終えた雪夜は、着替えや準備をして朱里とともに家を出る。
新年度を迎えたばかりで、段々と春らしくなって来た。
通学路でもある並木道を歩みながら、花が散りつつある桜を眺める。
雪夜は花が好きと言う訳ではないが、不思議と桜だけは特別だ。
理由を聞いても、「なんとなく」としか答えは返って来ないだろう。
大勢での花見を好まない反面で、毎年1人で観賞するほど。
極めて短い期間しか見られないが、だからこそ綺麗だと思うのかもしれない。
雪夜が、ぼんやりとそんなことを考えていると、隣を歩く朱里から声が飛んで来た。
「ねぇ、セツ兄。 やっぱり剣道部には……」
「入らない」
「だよねー」
「わかっていて、聞いたんだろう?」
「まぁねー。 先輩たちに頼まれた手前、仕方なくって感じ」
「朱里も大変だな」
「他人事みたいに言わないでよー。 セツ兄が入ってくれたら、万事解決なんだからー」
「俺だけ損をするから、万事解決とは言えないな」
「もう、またそう言うこと言うー。 まぁ、あたしも無駄だと思ってたから、別に良いんだけど。 一応聞いたから、義理は果たしたし」
微妙に不貞腐れながらも、さほど気にしていない朱里。
彼女も雪夜が入部する気がないのは、充分に心得ていた。
ちなみに、彼らの剣道の腕は相当優れている。
朱里も全国レベルと言って過言ではないが、雪夜の実力はその上を行くはずだ。
それでも入部しないことには、彼なりの理由がある。
雪夜の意志が固いことを知っている朱里は、それ以上しつこくせずに雑談を始めた。
雪夜と違って社交的な朱里は、既に多くの友だちが出来ており、楽しい学校生活を送っているらしい。
嬉しそうに語る彼女を雪夜が微笑ましく眺めていると、背後から声を掛けられた。
「おはよー、朱里! あ……如月先輩も、おはようございます!」
「おはよー、小枝!」
「おはよう」
雪夜に見覚えはないが、状況的に朱里の友だちなのだろうと思った。
すると彼女は2人を見比べて、ニヤリと笑ってから立ち去る。
「ごめん、邪魔したね! ごゆっくり~!」
「ち、ちょっと小枝!?」
シュタタタタとコミカルな動きで走り行く友人を、呆然と見送る朱里。
対する雪夜が平然としていると、朱里は大きく溜息をついて口を開いた。
「あーあ、また誤解されちゃったじゃない」
「自業自得だろう。 嫌なら自分の家で朝食を食べて、1人か友だちと通学すれば良い」
「そんなことしたら、セツ兄が寂しがるでしょ?」
「気遣い有難う。 だが、平気だ」
「むー、可愛くない」
「知っている」
「そう言うとこだよ……」
ガックリと朱里は肩を落とす。
そんな彼女を気の毒に思いつつ、雪夜にはどうすることも出来ない。
要するに仲の良い2人は、恋人同士だと勘違いされがちなのだ。
しかし、当人たちにそのつもりは微塵もない。
雪夜は言うに及ばず、懐いている朱里も、あくまでも兄代わりとして接している。
それゆえに不本意な朱里は、歩みを再開させつつ、口を尖らせながら雪夜に問い掛けた。
「セツ兄は困らないの?」
「困る? なんでだ?」
「だって、彼女がいるだなんてなったら、告白されるチャンスが減っちゃうじゃない」
「別に構わない。 むしろ、都合が良いな」
「えー。 セツ兄、モテそうなのに。 勿体ないよー」
「評価してくれたことには感謝するが、今の俺に恋愛をするつもりはない」
「ホント、セツ兄って高校生らしくないよね……。 普通なら、「彼女欲しい!」ってなりそうなのに」
「朱里は彼氏が欲しいのか?」
「当たり前だよ!」
「そうか。 朱里なら大抵の男は断らないと思うから、自信を持てば良い」
「そ、そうかな? 有難う! でも、今のところ脈がなさそうなんだよねー……」
「なんだ、もう目当ての人がいるのか?」
「うん! セツ兄にも負けないくらい、すっごく素敵な人!」
「俺が素敵かどうかはともかく、応援している」
「えへへ、有難う! あたし、頑張るから!」
「あぁ、頑張れ」
そう言って、笑みを交換する雪夜と朱里。
尚、周囲には多くの生徒の姿があり、2人の様子を見て更に誤解が増えている。
そのようなことを知る由もなく、雪夜たちは学校に辿り着いた。
ちなみに、この学校は全国的にも偏差値が高く、入学するのは至難。
朱里は制服の為に頑張ったと言っていたが、その努力は並大抵ではなかっただろう。
とは言え、校舎の造り自体は特に変わったところはなく、2人は下駄箱で別れようとしたが、その前に雪夜が朱里に呼び掛けた。
「朱里、昼食はどうするんだ?」
「ん? 適当にパンでも買うつもりだけど?」
「だったら、これを持って行け」
「これは……?」
「見ればわかるだろう。 弁当だ。 ついでだから、用意しておいた」
「……やっぱり、セツ兄は彼女を作った方が良いと思う」
「どうしてそうなる?」
「幸せになる女の子が、1人増えるからだよ! 有難う、今度何かでお礼するから!」
「気にしなくて良い。 またな」
「うん、またね!」
満面の笑みを浮かべた朱里が、弁当を片手に歩み去る。
雪夜に手を振っており、こう言った行為が誤解を生んでいるとは気付いていない。
困ったような笑みを浮かべた雪夜は軽く手を挙げて応え、自身の教室へと足を向けた。
クラス替えをしたばかりだが、彼が迷うようなことはない。
そうして、問題なく目的地まで来たが――
「待っていたぞ、如月くん!」
仁王立ちした、眼鏡を掛けた生徒に止められた。
制服の袖には、生徒会と書かれた腕章を付けている。
思わず溜息をつきそうになった雪夜だが、辛うじて堪えながら挨拶した。
「おはようございます、石川先輩。 何か用事ですか?」
「言わなくてもわかっているだろう? キミに、次期生徒会長を任せた――」
「お断りします」
「早いぞ!?」
「答えは決まっているので。 用がそれだけでしたら、失礼します」
「ま、待て! キミにとっても、決して悪い話じゃないはずだ! 確かキミは、大学に進学予定だったな? この学校の生徒会長になれば、受験でかなり有利になるぞ!」
「それは確かに魅力的ですね」
「そ、そうだろう!?」
「ですが、今のところ自分の学力だけでもなんとかなりそうです。 それに、やる気のない者に生徒会長が務まるとは思えません」
「そ、そんなことはない! キミほど優秀なら、やる気など二の次だ!」
「そこまで評価してもらえるのは有難いですが、俺には決定的に足りていないものがあります」
「キミに足りていないものだと? それは何だ?」
「いろいろありますが、特に問題なのは人付き合いです。 生徒会長として学校を纏めるには、必要不可欠な能力でしょう」
「確かにそうだが、キミならたとえ1人でも……」
「それは、組織として破綻しています。 どちらにせよ、俺の答えは変わりません。 申し訳ありませんが、もう誘わないで下さい」
一方的に言い切った雪夜は、石川の返事も聞かずに教室に入った。
すると、クラスメイトから様々な視線が集まったが、彼は気にせず自分の席に座る。
窓際の最後列。
良く当たりの席のように言われるが、雪夜に拘りはない。
未だにクラスメイトは彼の様子を窺っており、中には何度か話し掛けようとしては躊躇っている生徒もいた。
CBOでソロプレイを続けている雪夜は、現実でも1人でいることがほとんど。
ゲーム内ほど他者を遠ざけている訳ではないが、そう言う癖が付いてしまっている。
学校行事や授業で協力が必須な場合は、その限りではないが。
逆に言えば、必要にならない限り、積極的に人と関わろうとしない。
朱里のような例外はいるものの、基本的なスタンスがそうなっている。
だからこそ、クラスメイトたちは雪夜と話したいと思いつつ、中々踏ん切りが付かないのだ。
ところが、ここにも例外が存在する。
「よう、雪夜!」
気さくに声を掛けて来たのは、1人の男子生徒。
中肉中背で容姿も普通だが、何故だか存在感があった。
授業の準備をしていた雪夜は顔を上げ、平坦な声で返事する。
「おはよう、宗隆」
「相変わらず落ち着いてんな。 人生何周目だよ?」
「お前こそ、相変わらず意味のわからないことを言うな」
「はは! そんなことより、聞いたぜ? 今朝も朱里ちゃんと、ラブラブだったらしいじゃねぇか」
「またそれか……。 何度も言っているが、朱里とはそう言う関係じゃない。 俺はともかく、あの子に迷惑だからやめてやれ」
「わかってるって。 でもよ、お前を狙ってる女子からすれば、気が気じゃねぇと思うぜ?」
そこで教室をぐるりと見渡す宗隆。
何人かの女子生徒が視線を逸らしたが、わかり易い反応過ぎて雪夜は逆に困った。
対する宗隆は楽しそうにしており、そんな彼にジト目を向けた雪夜が小声で苦言を呈す。
「そう言う悪戯は感心しないと、前から言っているだろう?」
「悪い悪い。 でもよ、お前にだって責任はあるんだぜ?」
「俺に?」
「おうよ。 お前がいつまで経っても誰とも付き合わねぇから、女子たちが諦め切れねぇんじゃねぇか。 より取り見取りなんだから、とっとと選んじまえよ」
「無茶を言うな、そんな適当に選べる訳がないだろう」
「そう難しく考えるなって。 付き合ってから好きになるパターンだってあるんだぜ?」
「だとしても、俺にその気はない。 とにかく、この話はここまでだ」
「へいへい、わかったよ」
ずけずけとデリケートな部分に踏み込んで来たかと思えば、あっさりと引き下がる宗隆。
これは彼が、雪夜のボーダーを見極めている証拠だ。
どこまでなら許されるのか、程度を弁えている。
そんな宗隆を雪夜は憎く思えず、なんだかんだで付き合いを持っていた。
そうして宣言通り話題を終えた宗隆だが、まだ雪夜を解放する気はないらしい。
「そう言えば、聞いてくれよ! 昨日、ずっと欲しかった武器が手に入ったんだ!」
「そうか、良かったな。 ロンギヌスとか言っていたか?」
「そうそう! 最強の槍で、メチャクチャ格好良いんだぜ! まだ強化は終わってねぇけどよ、それでも充分強ぇんだ!」
熱く語る宗隆を、雪夜は苦笑交じりに見つめる。
彼がプレイしているゲームは4大タイトルではないが、かなり人気だ。
少なくとも、CBOよりは。
カジュアル層向けで、最高レアの装備も比較的簡単に手に入る。
少なくとも、CBOよりは。
モンスターの強さも適度に調整されており、進行不能に陥ることはほぼない。
少なくとも、CBOよりは。
何でもCBOと比べていることに、内心で苦笑する雪夜。
宗隆は暫くロンギヌスの話を続けていたが、ふと何かを思い付いた顔になった。
どうしたのかと雪夜が思っていると、楽しそうに笑った宗隆が言い放つ。
「そうだ! 雪夜もやろうぜ!」
「何?」
「ゲームだよ! 最初は俺が教えてやるから! 他にもやってる奴がいるし、一緒に遊ぼうぜ!」
このとき雪夜は、表情を取り繕うことに苦労した。
何でもない風に装っているが、動揺している。
正直に言うと、かなり魅力的な提案だった。
CBOでソロを貫いている彼も、仲間と遊ぶ楽しさは知っている。
だが――
「……悪いがやめておく」
「え? なんでだよ?」
「ゲームデバイスは高いだろう? 大学の進学費用とかを考えれば、あまり余裕はないんだ」
「あ……すまん……」
雪夜が両親と死別していることを知っている宗隆は、痛恨のミスをしたような顔で項垂れた。
明るく、友だち思いの彼に嘘をついたことに、雪夜は胸を痛めている。
それでも、彼は申し出を断るしかなかった。
尚も暗い顔をしている宗隆に苦笑した雪夜は、敢えて軽い口調で告げる。
「気にするな。 もう気持ちの整理は出来ているし、普通に生活する分には困っていない。 こちらこそ、折角誘ってくれたのに悪いな」
「そ、それこそ気にすんなよ。 ゲームは無理でも、また遊びに行こうぜ!」
「……あぁ、機会があればな。 そろそろ授業が始まるから、席に戻った方が良い」
「げ、もうそんな時間かよ。 じゃあな、雪夜! また誘うぜ!」
快活な笑みを湛えながら、自分の席に帰る宗隆。
彼が立ち直ったことを察した雪夜は、密かにホッとしていた。
それと同時にやって来るのは、寂しさ。
雪夜がソロでいるのは、自分の意思。
しかし、本当に望んでいるかと言えば、そうとは言い切れなかった。
教室に担当教師が入って来て、いつも通り授業が始まる。
それに反して、雪夜は平常心に戻るまで、しばし時間が掛かった。