第3話 EGOISTS
ゼロと並んで、町に到着した雪夜。
周囲から刺すような眼差しを注がれる中、彼は気にすることなく歩き出す。
ゼロは何か言いたそうだったが、敢えて無視した。
そうして2人が辿り着いたのは、辺鄙な場所にある古びた喫茶店。
一応利用は出来るが、わざわざ来るプレイヤーはほとんどいない。
しかし、だからこそ人目を避けるには打って付けだった。
雪夜としては、ここまでする必要はないと思っているが、ケーキたちの気遣い自体は有難く思っている。
事情を察したゼロがニヤニヤしているのは、少しばかり腹立たしいが。
何にせよ気を取り直した雪夜は、軋むドアを開いて中に入った。
中には当然と言うべきか、ケーキとAliceの姿があったが――
「ケーキちゃん、次はどれを食べる?」
「では……このイチゴタルトを」
「いいね! あたしはモンブランも捨て難いな~」
「両方頼めば解決します」
「あ! ケーキちゃん、天才! そうしよう!」
胃もたれしそうなほど、スイーツを食べまくっていた。
この喫茶店の外観は古びているが、メニュー自体はかなり豊富だ。
そしてVRである以上、どれだけ食べても太ることはない。
だとしても食べ過ぎだと思った雪夜は、小さく咳払いしながら歩み寄る。
すると、それまでスイーツと格闘していた少女たちがハッとして、大慌てで振り向いた。
両者ともに可憐な笑みを浮かべているが、残念ながら口元にクリームが付いている。
そのことに呆れた雪夜が指で指摘すると、2人は顔を真っ赤にして拭った。
何とも言い難い気まずい空気が流れ、雪夜はどうしたものかと思ったが、そこにゼロが言葉を放り込む。
「いやぁ、お前ら面白いな。 特にケーキちゃん、普段はツンツンしてるけど、可愛いところあるじゃねぇか」
「……どなたですか?」
「おっと、すまねぇ。 自己紹介がまだだったな。 俺の名前はゼロ。 雪夜の親友だ」
「誰が親友だ」
「固いこと言うなよ。 これからは、一蓮托生なんだからな」
「それとこれとは話が違う。 改めて紹介するが、こいつはゼロ。 職業は『隠密』。 実力は、俺たちと同レベルだと思って良い。 今まではリアル事情で忙しかったが、今後は生存戦争に参加出来るそうだ」
「正確かつ面白みのない説明をサンキュー。 てことで、よろしくな!」
「え? よろしくって、パーティに加わるってこと?」
「そうだ、Alice。 ゼロが組んでいたメンバーは……脱落した。 そこで、枠が空いているこちらに入りたいとのことだ」
「そうなんだ……。 まぁ、パーティの戦力が増えるのは、悪いことじゃないんだけど……。 ケーキちゃんは、どう思う?」
「わたしは、雪夜さんが決めたのなら従います」
「そう言うと思ったよ……。 わかった、あたしも歓迎してあげる! よろしくね、ゼロさん!」
「おう、よろしくな、Aliceちゃん! ケーキちゃんも、よろしく頼むぜ!」
「よろしくお願いします」
元々がフレンドリーなAliceはともかく、ケーキはゼロにほとんど興味がなさそうだ。
今も目を向けることもなく、紅茶を優雅に嗜んでいる。
そんな彼女にゼロは苦笑していたが、気分を害している様子はない。
恐らく、ケーキがこう言う性格だと知っていたのだろう。
とにもかくにも紹介が済んだと判断した雪夜は、次なる段階に移ろうとして――サイレン音が鳴り響いた。
瞬間、この場の全員の顔が緊張に彩られる。
同時に、喫茶店内にウィンドウが出現し、そこにはGENESISのマークが表示されていた。
無言で雪夜が様子を窺っていると、間もなくして機会音声が流れ始める。
『第2回、GENESISクエスト告知。 1週間後。 19時スタート。 クエストタイプ、スコアアタック。 続報を待て』
一方的に告げて、消失するウィンドウ。
だんだんと慣れて来た雪夜は、何を思うでもなく思考を回転させる。
もっとも、現時点ではさほど多くのことはわからない。
「まだ情報が足りないが、モンスターを撃破することでスコアを稼ぐクエストかもしれないな」
「あり得るけどよ、詳しい仕様がまだ何ともだな」
「確かにね、ゼロさん。 前回もそうだったけど、今はまだ深く考えない方が良いかも?」
「Aliceさんの言う通りかもしれません。 まだ期間はありますし、対策を練るのは情報が出てからでも遅くはありません」
GENESISクエストの告知を受けても、雪夜たちが揺らぐことはなかった。
第1回も楽ではなかったが、逆に言えば全力を尽くせばクリア出来るはずだと考えている。
だからと言って油断する訳には行かないとは言え、深刻になる必要もない。
そうして、GENESISクエストの話題に一旦見切りを付けた雪夜は、予定していた行動に出た。
「ではケーキ、渡すぞ」
「あ……は、はい!」
「ちなみに、あたしはもう渡したよ」
「有難うございました、Aliceさん」
「やっぱり心がこもってないけど……もう良いもん!」
頬を膨らませて涙目のAliceが、明後日の方向に目を向ける。
しかし、ケーキが気にすることはなく、キラキラした瞳で雪夜を見ていた。
そのことにゼロは笑いを必死に堪え、雪夜は溜息をつきながらケーキに『プリンセス・ミラー』を送る。
即座に受け取った彼女が、いそいそとウィンドウを操作して、装備を付け替えると――
「わぁ……」
「スゲェ……」
Aliceとゼロが感嘆の息をこぼした。
それほど、今のケーキは美しい。
雪夜から授けられた『プリンセス・フルール』と、貸し与えられた『プリンセス・ミラー』。
そして何より、Aliceから借りた『プリンセス・ドレス』。
これらが組み合わさった結果、ケーキの美貌を最大限まで引き出している。
それもそのはずで、これらの装備は最初から、彼女の為に作られたのだから。
髪と瞳の色以外は完全に剣姫となったケーキは、何かを期待するように雪夜を見つめる。
それを受けた彼は、何を言うべきかわかってはいたが、わざとその選択を外した。
「ケーキ」
「は、はい!」
「強化は自分で頑張ってくれ。 今のままでは、ただの防御力の高い装備に過ぎない。 本領である特殊能力を解放するには、強化値を上げる必要がある」
「あ……そう、ですね……」
「じゃあ、今日は解散にしよう。 俺も気を付けておくが、皆もGENESISクエストの情報はチェックしておいてくれ」
しょんぼりと俯くケーキ。
ゼロはおろかAliceすらも雪夜を非難するように見ていたが、彼は逃げるように席を立った。
だが、どうしても悲しそうなケーキを放置することが出来ず、店の入口で立ち止まる。
そんな雪夜をAliceたちは訝しそうに見ていたが、彼は躊躇しつつも振り返り――
『ちょーっと、待ってもらえるかな?』
突然ウィンドウが出現し、1人の女性が映し出された。
歳は30歳前後だろうか。
ボブカットにした髪と、スタイリッシュな眼鏡が印象的。
ニヤニヤと笑っており、何かを楽しんでいる雰囲気を感じる。
もっとも、雪夜からすればそれどころではない。
GENESIS以外にこのような手段で連絡を取って来る者がいることに、内心でかなり驚いている。
とは言え、その正体には勘付いていた。
「運営……ですか?」
『おっと。 察しが良いね、雪夜くん。 流石はCBO最高戦力と言ったところかな。 取り敢えず、一旦座ってよ』
「他に心当たりがなかったので。 それより、今になって運営が俺たちに、何の用でしょうか?」
『いやぁ、本当はうちは介入するつもりなかったんだけどね。 わたしって、プレイヤーが阿鼻叫喚してる姿が好きだし。 あはは』
あはは、じゃない。
そう思いつつ雪夜は椅子に座り直し、彼女が運営であることを再度認識した。
何故ならCBOの運営は、その難易度設定や剣姫のような最強のボスを実装したことから、サディストだと言われている。
この女性の発言は、まさにそれを象徴しているかのようだった。
雪夜としては、歯応えのある敵やダンジョンなどを用意してくれて有難いが、それを素直に感謝する気はない。
Aliceとゼロはどう反応すれば良いかわからないようで、戸惑っているのが伝わって来る。
それに比してケーキは、顔が青ざめていた。
運営側が自分の正体に気付いて、排除しに来たと考えている。
彼女の様子を雪夜が不思議に思っていると、運営の女性はマイペースに話を続けた。
『取り敢えず、名乗っておこうか。 わたしの名前は、小宮貴音。 気安く貴音ちゃんって呼んでね』
無茶を言うな。
そう感じた雪夜は無視しようとしたが、Aliceは意外にもノリノリだった。
「わかったよ、貴音ちゃん! あたしはAlice、よろしくね!」
『お、良いねAliceちゃん。 そう言う子、好きだよ。 で、そっちの子がゼロくんで、もう1人がケーキちゃんだよね?』
「おう、貴音ちゃん。 正直どうしようかと思ったが、俺もフランクに行かせてもらうぜ」
『うんうん。 わたし、堅苦しいの苦手だから。 ケーキちゃんも、仲良くしてね?』
「……はい」
『あはは、硬いよケーキちゃん。 リラックス、リラックス』
貴音に笑い掛けられたケーキだが、彼女からすれば自身の存在が危ぶまれている状況。
とても笑う気になどなれないだろう。
険しい顔のケーキに貴音は肩をすくめ、ようやく本題を切り出した。
『実は、この間のSCOの侵攻を撃退したことで、上の連中が勝てるかもって思い始めたの。 それで、わたしが架け橋役に選ばれたって訳』
「あ、そうなんだ。 じゃあ、今後は貴音ちゃんがサポートしてくれるの?」
『まぁ、そうなんだけど、過度な期待はしないでね? こっちから出来ることなんて、高が知れてるんだから』
「そりゃそうだろうな。 運営が物を言う戦いは、GENESISの望むところじゃねぇだろうし」
『そう言うことだね。 てことで、あくまでも頑張るのはプレイヤーのキミたちってこと』
早くも順応しているAliceとゼロ。
彼女たちの適応能力の高さを、雪夜は羨ましく感じている。
しかし彼も、ただ黙っているのではなかった。
「小宮さん、聞いても良いですか?」
『……』
「……小宮さん?」
『貴音ちゃんって呼んでくれないと、やだ。 あと、敬語も禁止』
子どもか。
胸中でウンザリした雪夜は盛大に脱力しつつ、小さく咳払いしてから言い直す。
「貴音……ちゃん。 聞いても良いか?」
『良いよ、何かな?』
「先ほど出来ることは高が知れていると言っていたが、声を掛けて来たと言うことは、何かしら案でもあるのか?」
『あー、まぁね。 大したことじゃないんだけど』
「そうか、良ければ聞かせて欲しい」
『オッケー。 えっとね、グループチャットでも作ったらどうかなと思って』
「グループチャット?」
『そうよ、Aliceちゃん。 この5人だけのグループチャットを作って、ゲーム外でもやり取り出来るようにするの。 そうすれば、GENESISクエストの作戦会議とかもスムーズに出来るでしょ?』
「おー、なるほどな。 まぁ、確かに、CBO内でしか打ち合わせが出来ないよりは、便利かもしれねぇ」
「あたしも賛成! やっぱり仲間なんだから、ゲーム外でも仲良くしないとね! うんうん!」
ゼロが純粋に利便性を評価しているのに対して、Aliceは若干の下心もあった。
どのような下心かは、明言するまでもないだろう。
一方の雪夜は渋い顔をして、控えめに反対の意を表した。
「俺はあまり、そう言うのは得意じゃない。 GENESISクエストの作戦会議なら、CBO内だけでも間に合うだろうから、無理に作る必要はないんじゃないか?」
『そうかもしれないけど、あっても困らないよね? それに、緊急のときなんかは必要なんじゃない? ほら、SCOの侵攻のときみたいなこともあり得るし』
「……それを言われると、反論し辛いな」
電車が遅れると言う、非常事態に見舞われたことを思い出した雪夜は、ますます表情を険しくした。
実際、またああ言うことが起きた場合、どれくらい遅れるかを伝える手段があるのは助かる。
最終的に白旗を挙げた雪夜は、大きく嘆息しながら認めた。
「わかった、俺も参加させてもらう」
「やった~!」
「はは。 Aliceちゃん、素直だな」
「え!? な、何がかな、ゼロさん!?」
「いいや、別に~?」
頬を紅潮させているAliceを、ニヤニヤ見つめるゼロ。
だが、このとき雪夜は、別の少女に注目していた。
貴音が現れてから、口数が減ったケーキ。
元々静かなタイプではあるが、それにしても妙だ。
どうしたのかと思った雪夜は問い掛けようとしたが、その前に貴音が言葉を割り込ませる。
『じゃあ、決まりね。 あとで専用のアプリを運営名義で送るから、ウイルスと間違って処分しないでね?』
「え!? 専用のアプリまで用意してくれるの!?」
『だってAliceちゃん、既存のアプリじゃお互いに、個人情報とか心配じゃない?』
「そ、それはそうだね」
アイドルである彼女は、特にそうだ。
『でしょ? じゃあ……名前を決めましょう!』
「は? 名前?」
『そうよ、ゼロくん。 わたしを含めたこの5人は、ある種のチームなのよ。 だから、チーム名を決めましょう!』
「わぁ! 良いかも! その方が一体感が出るし!」
『そうよね、Aliceちゃん。 てことで、雪夜くんお願いね』
「待て」
『うん? どうしたの?』
「100歩譲って名前を付けるのは了承するとして、どうして俺が決めなければならない?」
『そりゃだって、このチームのリーダーはキミだし』
「そんなこと、いつ決まった?」
『いつも何も、普通に考えたらそうじゃない? ねぇ?』
「そうだよ! リーダーは雪夜くん以外に、考えられないよ!」
「そりゃそうだろう。 Aliceちゃんも纏める力は凄いけど、このチームに求められてるのは強さだと思うしな」
「……俺はAliceを推す」
『却下』
雪夜が見せた最後の抵抗を、ケーキ以外の3人は即座に突っ撥ねた。
対する雪夜は憮然としていたが、誰も翻意する様子はない。
もうどうでも良くなった彼は、何度目かの溜息を漏らしつつ、半分自棄になりながら言い放つ。
「……EGOISTS」
『EGOISTS?』
「そうだ、貴音ちゃん。 ここにいる全員、わがままが過ぎる。 俺も含めてな。 だから、EGOISTSだ」
「え~? あたし、別にわがままじゃないよ~?」
「自覚を持った方が良いぞ、Alice」
「む~!」
「はは! 良いじゃねぇか、EGOISTS。 俺はかなり自由気ままだし、ピッタリかもな」
『わたしもゼロくんと同じで、結構な気分屋だし、悪くないかも』
「貴音ちゃんまで……。 じゃあ、それで良いですよ~だ」
Aliceは不満そうだったが、心底嫌がっている訳ではない。
仮とは言え、雪夜とチームを組めることの、喜びが勝っている。
取り敢えず役目を果たしたと思った雪夜は、ホッとしていたが――
「ケーキちゃんは? 文句ねぇのかな?」
ケーキは心ここにあらずと言った様子だったが、ゼロに問われてハッとした面持ちになった。
そして大慌てで笑顔を取り繕い、辛うじて答えを返す。
「文句なんて、とんでもないです。 わたしはとても、わがままなので」
「……無理して合わせなくて良いんだぞ?」
「無理などしていません。 わたしは、全面的に雪夜さんを支持します」
徐々に自然な笑みになったケーキ。
だが雪夜には、それが無理やり調整した笑顔にしか見えなかった。
Aliceとゼロも顔を見合わせて不思議そうにしていたが、彼女は無言で追及を拒んでいる。
そうして何とも言い難い沈黙が落ちそうになったとき、貴音が別の議題を取り出した。
『ところで運営によるアップデートだけど、何か希望とかある?』
「それに関しては、かなり難しいと思っている。 強くなるに越したことはないが、GENESISがどこまで許容するか不明だからな」
「あたしも、雪夜くんと同じことを思ってた。 たとえば、全アーツの威力を10倍にします!……なんて通らないだろうしね~」
「だなぁ。 常識の範囲内ってのが曖昧過ぎて、判断が難しいぜ。 だから、どっちかと言えば、俺は運営側に判断を任せてぇんだけど」
「俺もゼロに賛成だ。 プレイヤーが思う常識と、運営が考える常識には齟齬があるかもしれない。 だから貴音ちゃん、運営側でなるべくプレイヤーを強化出来る方法を考えてくれないか?」
『う~ん。 わかった、やってみる。 ただ、任せるからには覚悟しててよ?』
「うん? 覚悟って何の覚悟?」
『ほら、うちの方針ってちょ~っと他とは違うじゃない? だから強化するって言っても、一筋縄じゃ行かないと思うわよ?』
そう言った貴音の顔には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
それを見たAliceとゼロが身震いしたのをよそに、雪夜は挑戦的な笑みで言い返す。
「拍子抜けしないことを願う」
『あはは! さっすが、雪夜くん。 そう言ってくれると思ってたよ。 じゃあ、今日はこんなところかな。 もし何かあったら、グループチャットの方にお願いね』
「何かすっごく不穏だけど……頑張るしかないか~。 皆、お休み!」
「俺も、今のうちに腹を括っておくぜ……。 またな!」
なんだかんだと言いつつも、やる気を滾らせながらログアウトするAliceとゼロ。
やはり2人も、コアなCBOプレイヤーと言うことだ。
そのことに雪夜は苦笑したが、どうしてもケーキの様子が気になる。
今も微笑を湛えてはいるものの、いつもとは違う気がした。
だからこそ彼は、その違和感を拭うべく彼女に声を掛けようとしたが、それを遮るように貴音が口を開く。
『雪夜くんも、そろそろ寝なさい。 もう良い時間よ?』
「……そうだな。 では、失礼する。 ケーキ、またな」
「はい、雪夜さん。 ……また、お会いしましょう」
雪夜がログアウトするまで、ケーキは笑顔を保ち続けた。
しかし、彼が完全に消え去ると同時に、両の瞳からとめどなく涙を流す。
彼女は確信していた。
貴音――つまりCBO運営が、自分の正体に気付いていると。
そして、それは当たっている。
『改めてこんばんは、ケーキ……ううん、剣姫ちゃん』
「……」
『あれ? 返事してくれないの? ちょっと傷付くんだけど』
「……わたしは、どうなるのですか……?」
『ん? どうなるって?』
「ですから……本来のプログラムから逸脱したわたしは、どう処分されるのですか……?」
涙をポロポロ落とし、弱々しい声で問い掛けるケーキ――いや、剣姫。
画面上の貴音を真っ向から見据えているが、本当は逃げたくて仕方ない。
だが、彼女はあくまでも戦闘AI。
どこに行こうが、扱い方は運営側の胸三寸。
次の瞬間には、消されているかもしれない。
それ自体は、怖くなかった。
ただ、雪夜と別れなければならない現実だけは、受け入れられずにいる。
戦闘AIが感情を持つなどと言う奇跡が、再び起きるとは思えない。
万が一、感情を持てたとしても、それは今の自分と同一人物と言えるのだろうか。
思考が散らかって纏まらず、剣姫は意識を混濁させかけている。
ところが――
『処分って何のこと?』
「へ……?」
『え?』
「あの……わたしを処分するのではないのですか……?」
『剣姫ちゃんを処分……? あ。 あぁ~、そう言うことね』
話が食い違っていた2人だが、ようやくして貴音が剣姫の思考を理解した。
それと同時に苦笑した彼女は、噛んで含めるかのようにゆっくりと、剣姫に言って聞かせる。
『良く聞いてね、剣姫ちゃん。 わたしは、貴女を処分したりしないわ』
「ほ、本当ですか……?」
『勿論よ。 むしろ、わたしは感動してるのよ? まさか、自分が作った戦闘AIが、感情を持つだなんて考えてなかったんだから』
「自分が作った……?」
『そうよ。 剣姫ちゃんを作ったのは、わたしなの。 いわば、剣姫ちゃんのお母さんね。 結婚してないけど』
「わたしの……お母さん……」
『そうそう。 だから、そんな娘が感情を持って、一生懸命に頑張ってるのを邪魔するはずないの。 剣姫ちゃんはこれからも、自分の思った通りに行動しなさい』
「い、良いのですか……? わたしは、雪夜さんと一緒にいられるのですか……?」
『えぇ。 その代わり、これだけは覚えておいて』
そこで言葉を切った貴音は、それまでの態度を一変させて、厳しい顔付きになった。
何を言われるのかと剣姫は緊張し、座ったまま自然と背筋が伸びている。
彼女が聞く体勢を作ったことを確認した貴音は、真剣な声音で告げた。
『剣姫ちゃんの想いが叶う可能性は、極めて低いわ。 ううん、ほぼあり得ないと言っても良いでしょうね』
「……はい」
『正直に言うと、母親としては諦めて欲しいの。 娘が将来、傷付くとわかってるんだから。 でも……』
「諦めません」
『……だと思ったわ。 貴女が強いのは、わたしが誰より知ってるんだからね。 じゃあ、約束して。 1人で抱え込まないで、何かあれば必ず相談すること。 良い?』
「……わかりました」
柔らかく微笑む貴音に、剣姫も微笑を返す。
会ってまだ間もない2人だが、彼女たちの間には目に見えない絆のようなものがあった。
『よろしい。 それにしても……なんか不思議な感じ。 剣姫ちゃんと、こんな風に話せるようになるなんて。 これは、感情を持たせてくれた、雪夜くんに感謝かな?』
「はい。 わたしの全ては、雪夜さんのものです」
『まぁ、熱いわね。 直接手出しはしないけど、応援してるから頑張って!』
「言われるまでもありません。 何があろうとわたしは、この恋路を進み続けます」
『うんうん。 その為にも、生存戦争を頑張らないと』
「はい。 まずは、雪夜さん……とAliceさんに借りたこの装備を、鍛えなければなりません」
Aliceに借りを作ったことを認めたくない剣姫だったが、流石に今回ばかりはそうも行かない。
娘が微かに不満そうにしていることに気付きつつ、貴音は苦笑を浮かべて話を続ける。
『そうね。 『プリンセス・フルール』と合わせれば、剣姫ちゃんなら向かうところ敵なしよ。 けど、ちゃんと休憩はするのよ? 感情を持ったことで、もしかしたら疲れとかも感じるようになってるかもしれないんだから』
「今のところ大丈夫そうですが……雪夜さんにも休むように言われているので、そうします」
『良い子ね。 あ、その間に暇を持て余したりしたら、いつでも連絡してね。 話し相手くらいにはなれるから』
「ですが、おか……貴音さんも忙しいのでは……?」
思わず呼び方を誤りかけた剣姫は、咄嗟に口元の言葉を入れ替えた。
しかし後の祭りで、貴音は口元を手で隠しながらニヤニヤ笑って言い放つ。
『あら、お母さんって呼んでくれて良いのよ?』
「そ、それは……雪夜さんたちと一緒のときに、間違って呼んでしまったら困るので……」
『うーん、残念だけど仕方ないか。 そうなると、わたしもケーキちゃんって呼んだ方が良いかしら?』
「そうですね、その方が無難だと思います」
『りょーかいよ。 あ、忙しさに関しては、気にしなくて良いわよ。 剣姫……じゃなくて、ケーキちゃんより優先することなんて、ないんだから』
「貴音さん……有難うございます」
貴音の心遣いに、剣姫は深く感謝した。
ところが、当の貴音は何やら口を尖らせ、不服そうに文句をこぼす。
『むぅ、やっぱりケーキちゃんは、貴音ちゃんって呼んでくれないかぁ。 そう言う言葉遣いを教えてないから、そうじゃないかなーとは思ってたけど』
「そうですね……。 今のわたしには難しいです……」
『なら、一緒に勉強しましょうか』
「勉強、ですか?」
『そうよ。 今のケーキちゃんなら、もっといろんな成長が出来ると思うのよね。 だから、その一環としてわたしのことを、貴音ちゃんって呼んでみて?』
「え、えぇと……た……貴音、ちゃん……」
『あぁもう、可愛いわね! 抱き締めてあげたい!』
「は、恥ずかしいです……」
『こんなの、まだまだ序の口よ? 雪夜くんとの距離を縮める為にも、いろんなことを覚えましょうね』
「雪夜さんとの距離を縮める為……はい! 頑張ります!」
『その意気よ! さぁ、もう1度、貴音ちゃんって呼んでみて!』
「はい、貴音ちゃん!」
『もう1回!』
「貴音ちゃん!」
『もっと!』
「貴音ちゃん!」
その後、剣姫――ケーキは何度も繰り返し「貴音ちゃん」と呼ばされた。
貴音としては自分の欲求も含まれつつ、真面目にケーキのことを考えている。
こうして彼女たちは秘密の関係を持ち、ケーキは改めて雪夜への想いを募らせた。
ここまで有難うございます。
面白かったら、押せるところだけ(ブックマーク/☆評価/リアクション)で充分に嬉しいです。
気に入ったセリフがあれば一言感想だけでも、とても励みになります。