第3話 幼馴染
剣姫は、途轍もなく忙しい。
同時にいくつものパーティがクエストを受注することもあるが、MMORPGである以上は当然だ。
言うまでもなく、それに対応出来るよう作られている訳だが、ある意味で無数の剣姫が存在すると言うこと。
そこで彼女は考えた。
無数に存在するのなら、その中の1人を切り離しても大丈夫なのでは?
このような思考は、剣姫が感情を持つからこそ生まれたのだろう。
試そうとしたところ、やろうと思えば可能なことが判明した。
しかし彼女は、今まで実行したことはない。
もしも開発者たちに知られたら、感情を修正されてしまうかもしれないからだ。
だが、遂に決断する。
自身が消えるリスクを負ってでも、少年――雪夜を探すことを。
何もない空間に、剣姫の意識だけが浮上した。
間違いなく自分が存在していることを感じた彼女は、続いてアカウントデータを作る。
細心の注意を払って、誰にも気付かれないよう、ゆっくり丁寧に。
そうしてなんとか成功したときは、ホッと息をつく思いだった。
次は、アバターの作成。
最初は剣姫そのままの姿にしようとしたが、それではあまりにも露骨。
悩んだ末に髪の色と瞳の色を、雪夜と同じ黒に設定した。
真っ暗な中に、剣姫のアバターが生まれる。
裸体のまま、手を握ったり開いたりを繰り返し、その場でジャンプをして、問題がないことを確認。
残るは、職業やレベル、装備など。
職業の選択肢は、『剣士』、『格闘家』、『侍』、『狩人』、『隠密』、『魔導士』、『回復士』の7種類。
『剣士』は大剣と盾を装備可能で、攻守のバランスが良い。
『格闘家』はリーチが短いが、耐久力が高めに設定されている。
雪夜も使っている『侍』は、単独戦闘能力の高さが魅力だ。
『狩人』は弓による遠距離攻撃と、ナイフによる近距離攻撃を使い分ける。
『隠密』は耐久力が低い代わりに、素早くトリッキーな動きが可能。
『魔導士』と『回復士』は両方とも魔法職で、攻撃魔法が得意か回復魔法が得意かの違い。
職業性能をおさらいした剣姫は、ここでも僅かな迷いを見せたが、本来の彼女に最も近い性能を持つ、『剣士』を選んだ。
レベルは1で、初期装備。
『鉄の大剣』に『革の鎧』、『革の盾』
設定と同時に、外見が一変する。
あまりにも貧相な出で立ちに、剣姫は不満そうな顔を見せた。
出来ることなら、すぐに雪夜に追い付く為に、強力な状態にしたい。
しかし、それをすると目立つ可能性が高まる。
だからこそ彼女は、初心者プレイヤーを装うことに決めた。
こうして準備を整えた剣姫は、いよいよ外の世界に進出する。
大事なことを忘れたまま。
現実世界の、まだ日も昇り切らない時間帯。
目を覚ました雪夜は、ややボンヤリした様子でベッドから起き上がった。
それでも足取りはしっかりしており、洗面所で顔を洗うことで覚醒する。
小さく息を吐いた彼はタオルで顔を拭き、真っ先に向かったのは仏壇。
そこには、仲良さげに寄り添っている男女が映った写真が置かれており、それを見た雪夜は微かに寂し気な笑みで口を開いた。
「おはよう、父さん、母さん」
挨拶を終えた彼はしばしその場に留まってから、踵を返して日課に取り掛かる。
スポーツウェアに着替えて竹刀を片手に、家の庭に出た。
入念に準備運動して体を解し、呼吸を整えてから竹刀を振り始める。
幼い頃から続けている習慣で、無心になれるこの時間が雪夜は好きだ。
先ほどから、現実でもプレイヤー名の雪夜で呼んでいるが、これは間違いではない。
彼の本名は、如月雪夜。
要するに、本名とプレイヤー名が同じなのだ。
外見も瓜二つで、ほとんど本人がゲーム世界に飛び込んでいるようなもの。
両親は不慮の事故で他界しており、1人暮らしが長くなっている。
幸いと言うには複雑だが、蓄えが多くあったので、生活に苦労はしていない。
だからと言って悲しみが薄まる訳ではないものの、彼にはそれを乗り越えられる強さがあった。
その助けとなっているのがゲームであり、剣道の稽古でもある。
ルーチンワークとなっている素振りを済ませた雪夜は、クールダウンもしっかり行ってから家に入り、熱めのシャワーを浴びた。
汗とともに疲労も流れる気がして、気持ち良さそうに吐息を漏らす。
シャワーから上がると、本格的に朝の準備に取り掛かり始めた。
テレビを点けてニュースを流し、軽く情報収集しながら朝食を作る。
朝は大して凝ったものを作らないが、雪夜の料理の腕はかなり高い。
本人としては、必要に駆られて身に付けたスキルに過ぎないが。
食パンをトースターに放り込み、ベーコンエッグを作る傍ら、サラダを盛り付ける。
あとはコーヒーを用意するだけだ。
あっと言う間に工程を消化した雪夜が、何ともなしにテレビに目を向けると――
『本日の特集は、VRMMORPGです! 昨今は特に大盛況ですが、その中でも人気の4大タイトルに迫りたいと思います!』
思いのほか、興味をそそられる内容だった。
フルダイブ型のVRゲームが一般的になって、既に半世紀が経つ。
当初は最新技術ともてはやされることもあれば、様々な問題を指摘する声もあった。
だが、それも既に過去の話。
最早ゲームと言えばVRであり、その中でもMMORPGの人気は凄まじい。
数多のタイトルが氾濫し、ゲーマーはどれをプレイするか頭を悩ませる。
しかし、そんな中でも飛び抜けているタイトルがあった。
それこそが、4大タイトル。
西洋風の世界観で剣に特化している、【ソード・クロニクル・オンライン】、通称SCO。
精霊や妖精が当たり前に存在する、【マジック・ランド・オンライン】、通称MLO。
自然が多く全員が獣人の世界、【ビースト・キングダム・オンライン】、通称BKO。
近未来的な世界観で超兵器が魅力の、【テクノ・ヘヴン・オンライン】、通称THO。
膨大な数のタイトルがあるVRMMORPGだが、この4大タイトルだけは次元が違う。
それぞれ賞金が出る制度も充実しており、本気で取り組んでいるプレイヤーも少なくない。
はっきり言ってCBOとは格が違うが、雪夜はそう思っていなかった。
確かにプレイ人口や人気度では圧倒的に劣っているが、CBOのクオリティは4大タイトルに負けていないと考えている。
むしろ彼にとっては、4大タイトルよりも魅力的なゲームだ。
特集を眺めながらそんなことを考えていると、インターフォンが鳴った。
こんな朝早くから誰が――などと思うこともなく、雪夜は溜息をついてから応答する。
「はい」
『おはよー、セツ兄! ご飯食べさせて!』
「自分の家で食べれば良いだろう」
『やだ! セツ兄のご飯の方が、美味しいもん!』
「ただのトーストにベーコンエッグだぞ?」
『充分だよ! 早く開けてー!』
「わかったから、騒ぐな。 近所迷惑だ」
やむを得ず、来客を招き入れる雪夜。
玄関を開けると、そこにいたのは1人の少女。
飛び抜けてとは言わないまでも、充分に可愛らしい。
ウェーブが掛かった肩より少し長い栗色の髪に、小動物を思わせるクリクリした瞳。
身長は150㎝を少し超える程度で、胸元はそれなり。
名前を日高朱里と言い、雪夜の幼馴染だ。
歳は1つ違いで、今年から同じ高校に通う後輩でもある。
まだ着慣れていない印象の、制服姿の朱里を目にした雪夜は、意外そうに声を発した。
「もう着替えていたのか」
「うん! 早く着たくて!」
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ! この制服が着たくて、受験を頑張ったんだから!」
制服を見せ付けるかのように、玄関でターンを決める朱里。
紺色のブレザーにチェックのスカート、リボンタイ。
確かに可愛いと思った雪夜だが、今はそれより大事なことがあった。
「取り敢えず上がれ、朝食が冷める」
「もー! ちょっとくらい、褒めてくれても良くない!?」
「良く頑張った」
「雑ッ!?」
「良いから行くぞ。 冷めたご飯が食べたいなら、好きにすれば良いが」
「うー、食べる!」
尚も不満そうな朱里だが、食欲には勝てなかったらしい。
こっそりと苦笑を浮かべた雪夜は、率先して食卓に向かい、用意した朝食をテーブルに並べて行く。
その様を朱里は黙って見ていたが、何やらニヤニヤしていた。
不思議に思った雪夜が視線で問い掛けると、朱里は心底嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「セツ兄って、優しいよね」
「何だ、藪から棒に」
「だって、あたしが来ることを予想して、ご飯を作ってくれてたんでしょ? 1人で食べるにしては、多過ぎるもん」
「……たまたまだ」
「もー、照れちゃってー。 可愛いなー」
「そんなに、ご飯を取り上げられたいか? 男子高校生の胃袋を舐めるなよ?」
「じ、冗談だって! 頂きます!」
慌ててトーストをかじる朱里。
雪夜は憮然としていたが、続いて自分の朝食を食べ始めた。
食事中、朱里は終始楽しそうに話しており、雪夜は専ら聞き役である。
しかし、それがこの2人の関係性で、そうあるべきだと思わされた。
元気な朱里に力をもらった雪夜は、微かに笑みを浮かべている。
そのことに朱里は気付いていたが、言及はせずに会話を楽しんだ。
こうして幼馴染たちは、今日も平和なひとときを共有する。