第27話 トラブル
ロランとイヴが脱落した、翌日の日曜日。
この日は、修司の道場の子どもたちが出場する、大会の日だった。
特に予定のなかった雪夜は、電車に揺られて地方の会場に向かっている。
パンフレットで確認したところ、それなりに規模が大きく、会場である体育館も広い場所。
かつては、彼自身が出場する側だった。
なんとなく物思いに耽っていた雪夜だが、続いて考えたのは生存戦争のこと。
七剣星の第二星と第三星が脱落したニュースは、今も界隈に衝撃を与えている。
雪夜自身もまだ、完全に過去のことに出来た訳ではないが、彼はどちらかと言うと好ましい事態だと考えていた。
現状、最警戒対象であるSCOの戦力が大きく落ちたのは、CBOにとって追い風。
それは他のタイトルも同じで、SNS上などでは喜ぶ声が多い。
ところが――
「裏切り、か……」
雪夜は、胸に鈍い痛みを感じていた。
実際には、ロランたちが裏切られたかどうか、彼が知る術はない。
だが、その可能性が高いとは思っている。
そして裏切り行為は、雪夜にとって重い意味を持っていた。
脳裏に過去の記憶が浮かび上がる。
刃のように鋭い言葉を残して去って行く、仲間だと思っていた者たち。
受け入れてくれたと思っていたのが、幻想だと知ったときの悲しみ。
胸の痛みが激しくなって来たのを自覚した彼は、頭を振って深呼吸する。
それでも気分が晴れることはなかったが、多少は落ち着くことが出来た。
再び息をついた雪夜が顔を上げると、いつの間にか、もうすぐ目的地。
自分がいかに長時間思い悩んでいたかを知って、自嘲気味に笑う。
そうして電車を降りた彼は、地図アプリと過去の記憶を頼りに、会場を目指す。
10分ほど歩くと、大きな体育館が見えて来た。
中からは子どもたちの元気な声が聞こえて来ており、思わず雪夜は微笑を浮かべる。
どの辺りに集まっているかは大体聞いていた為、迷うことなく歩みを進めた。
会場の外でも、道着姿の子どもたちや指導者が、試合前のウォーミングアップを行っている。
自分が出る訳でもないのに、なんとなく気分が高揚して来た雪夜。
暗澹たる気持ちも薄れており、内心で修司や子どもたち、剣道そのものに感謝している。
中に入ると、より一層騒がしくなったが、決して嫌な感じはしない。
1度、会場全体を見渡してから、足を再稼働させた。
すると間もなくして、修司と子どもたちの姿を視界に収める。
真剣な様子で準備しており、緊張しているのが伝わって来た。
声を掛けるべきか迷った雪夜だが、今はそっとしておくべきだと判断する。
それゆえにこっそりと離れて、観戦席に向かおうとしたところ、その前に修司に気付かれた。
雪夜が丁寧に一礼すると、子どもたちに何事かを告げた修司が彼に振り向き、手で空いているスペースを示す。
そこに来いと言う意味だと悟った雪夜は、すぐに足を踏み出し、修司と合流した。
「おはようございます、師範。 すみません、気を遣わせてしまいました」
「おはよう。 いや、それはこちらのセリフだ。 子どもたちの邪魔をしないよう、気を遣ったんだろう?」
「えぇ、まぁ。 どうするべきか迷いましたが、試合前に集中を乱さない方が良いかと思いまして」
「それで正解だ。 お前が来てると知ったら、良い格好を見せようとするだろうからな」
「子どもはそう言うものですよね」
「俺から見れば、お前もまだまだ子どもだぞ?」
「それは……ごもっともです」
「ははは。 それより、休みの日に来てもらって悪かったな。 今更だが、予定はなかったのか?」
「問題ありません。 俺も、子どもたちの晴れ姿は見たかったですし」
これは雪夜の本心だが、全くの真実とも言い難い。
と言うのも、本当に何の予定もなければ、今頃CBOにログインしていたからだ。
とは言え、日中は生存戦争関係で出来ることは、かなり限られている。
だからこそ彼は、こちらに来ることを選択し、19時までに帰れば良いと考えていた。
そんな雪夜の都合を修司は知らないが、何かしらを黙っていることには勘付いている。
しかし、敢えてそのことには触れず、素直に感謝することにした。
「そうか、有難う。 大会中はほとんど話す時間はないだろうが、終わってから子どもたちに会ってやってくれるか? きっと喜ぶ」
「はい、そのつもりです」
「良し。 じゃあ、俺はそろそろ……」
そこで言葉を切った修司が、不意に視線を横に移した。
どうしたのかと思った雪夜がそれを追うと、そこには1人の青年が立っている。
歳は雪夜より少し上で、20歳前後に見えた。
身長も彼より若干高く、180cmに達しようかと言うほど。
真面目な印象の短髪に、服の上からでもわかる引き締まった肉体。
初対面だと思った雪夜が、ひとまず様子を見ていると、修司が嬉しそうに声を発した。
「おぉ、達磨じゃないか。 久しぶりだな。 元気にしていたか?」
「お久しぶりです、先生。 お陰様で、なんとかやって行けています。 先生も、お元気そうで何よりです」
「はは、俺は元気だけが取り柄だからな」
「そんな、ご謙遜を」
「いやいや。 顔も性格も良くて、運動も出来る上にT大生のお前を前にしたら、謙遜したくもなると言うもんだ」
「先生……。 そう言うからかい方、まだ直っていないんですね……」
ニヤニヤと笑う修司に、半眼を寄越す達磨と呼ばれた青年。
一方の雪夜は他人事として話を聞いていたが、T大と言うワードに反応した。
それは、T大が全国でもトップクラスの難関大学と言うこともあるが、何より――
「あぁ、そうだ。 紹介しておこう。 俺の弟子で、たまに子どもたちの面倒も見てもらってる、如月雪夜だ。 今、高校2年生で、お前と同じT大を受験予定にしている」
と言うことである。
雪夜としては、何が何でもT大に入りたいと言う訳ではないが、どうせなら出来るだけ高い目標を設定しようと考えた。
自宅から通える範囲だと言うのも、理由の1つ。
ちなみに、CBOに多くの時間を充てている彼がT大を志望するのは、普通ならかなりの高望み。
だが、彼にはそれを可能にする能力が備わっていた。
勿論、楽ではないが、だからこそやりがいを見出している。
そんな雪夜を朱里は呆れる反面で、尊敬していた。
少し話が逸れたが、要するに順調に行けば、2人は先輩後輩の関係になる。
向かい合った両者は僅かな沈黙を挟んでから、不自然にならないように挨拶した。
「如月雪夜です。 T大に入れるかはわかりませんが、そのときは改めて挨拶させてもらいます」
「中条達磨だ。 先生には、一時期お世話になっていた。 よろしく、如月くん」
「よろしくお願いします」
そう言って、握手を交わす2人。
互いに好印象を抱いており、良い関係が築けそうだと考えている――が――
(強い)
本能的に、達磨の強さを察した雪夜。
それは達磨も同様で、雪夜に対して言い知れぬ何かを感じている。
手を離しても目線は逸らさず、観察し合っていた。
そんな少年と青年を、修司は面白そうに眺めていたが、ある事実を明かす。
「覚えてないか、2人とも?」
「え? 何をですか、先生?」
「昔、お前たち対戦したことがあるんだよ。 野良試合だったがな。 小学校低学年くらいだったと思うぞ」
「……思い出しました。 確か、俺の判定負けでしたね」
「……あぁ、あのときの。 いや、確かに試合の勝敗はそうだったが、2つも年下に判定勝ちでは、実質僕の負けだ。 あれ以来、見掛けなくなったが……剣道はやめたのか?」
「いえ、剣道自体は続けています。 ただ、剣道部には入っていません」
「そうなのか。 少し勿体ない気はするが……キミにも事情があるんだろう。 僕も大学では、剣道部に入っていないし」
「部活に入らなくても、剣道を続けることは出来ますから。 もしまた対戦する機会があれば、今度こそ勝たせてもらいます」
「そうは行かないな。 僕にとってもそれは、雪辱を晴らすチャンスだ」
先ほどまでは穏やかな空気が流れていたが、今の雪夜たちからは刺すようなプレッシャーが放たれている。
両者ともに譲る気はなさそうで、勝気な笑みを浮かべていた。
そのとき――
「コホン」
わざとらしく、咳払いする修司。
それを聞いた雪夜たちはハッとして、同時に振り返った。
すると、心底呆れ果てた様子の修司が、溜息交じりに言い放つ。
「あのな、今日は子どもたちの大会なんだぞ? お前らがやる気になってどうする」
『すみません……』
「はは、息ピッタリだな。 とにかく、その闘志は実際にやり合うときまで取っておけ。 達磨、お前もそろそろ戻った方が良い。 雪夜は、ゆっくり観戦して行け」
「はい、失礼します。 如月くん、また会おう」
「はい、中条さん。 師範、俺も失礼します」
挨拶を済ませた雪夜は観戦席に移動し、大会が始まるのを待った。
その後はのんびりと過ごしつつ、子どもたちの勇姿を見守る。
結果として優勝したのは、達磨が所属する道場の子どもだったが、修司の教え子たちの多くも上位に食い込んだ。
決勝で敗北した子どもは悔しさから泣いていたが、それが自分の財産になることを、雪夜は知っている。
大会終了後に彼が姿を見せると、子どもたちは大いに喜んでいた。
揉みくちゃにされた雪夜は、目線で修司に助けを求めていたが、彼は楽しそうに笑っているのみ。
恨めしく思いつつ子どもたちの相手をし、やっとのことで解放された雪夜は、一足お先に帰路に就く。
子どもたちは修司の奢りで食事して行くようだが、彼には生存戦争が待っているからだ。
寂しそうにしていた子どもたちを宥めて別れ、最寄り駅から電車に乗る。
あとは地元に帰るのを待つのみ――のはずだったが――
「……! 何だ……?」
突然、電車が大きく揺れて停まった。
周りの乗客も騒めいており、雪夜は嫌な予感がしている。
すると――
『車両トラブルの為、ただいま運転を見合わせております。 大変ご迷惑をお掛けしますが――』
アナウンスが流れ、予感が的中してしまった。
これが日中なら、雪夜は何とも思わなかっただろう。
しかし、19時が差し迫っている現状を考えると、どうしても焦ってしまった。
だからと言って出来ることはなく、ひたすら待つしかない。
昨日までCBOは平穏だったのだから、今日も大丈夫なはず――などと思えるほど、雪夜は楽観的ではなかった。
むしろ、いつ侵攻があってもおかしくないと考えている。
いつの間にか固く握っていた拳を解き、大きく息をついて呟いた。
「頼む、間に合ってくれ……」
その声は極めて小さかったが、強い想いが込められている。
だが、雪夜の願いも空しく、そのときが訪れようとしていた。