第15話 プロのアイドル
ここは、某所にあるマンションの一室。
高級とまでは言わないが、それなりの収入がなければ暮らせないランク。
ところが、今は物が散乱しており、はっきり言って台無しになっていた。
幸いと言うべきか、生ゴミなどはないものの、主に服が脱ぎ散らかされている。
そのとき、玄関のドアがガチャリと音を立てて開いた。
入って来たのは、2人の人物。
1人は、スーツ姿で高身長の女性。
髪は肩口で切り揃えられ、シンプルな眼鏡を掛けている。
スレンダーな体形だが、女性らしさは充分に出ていた。
そして、もう1人は――
「あ~、疲れた~」
目深に被った帽子とマスクで変装していた、売り出し中のアイドル、アリス。
本名は、一色アリス。
言葉通り疲れ果てた様子の彼女は、トボトボと部屋を横切って、そのままベッドにダイブした。
そんな彼女に溜息をついた女性が、少し厳しめな声で窘める。
「アリスちゃん、行儀が悪いわよ。 あと、うがいと手洗いを先に済ませて頂戴。 最近、風邪が流行ってるんだから」
「う~。 無理~。 動けない~」
「駄目よ。 良い? 今のアリスちゃんの体は、アリスちゃんだけのものじゃないの。 社運が懸かってるんだから、きちんと管理してもらわないと困るわ」
「酷いよ馬場園さん~。 あたしはあたしなのに~」
女性こと馬場園に急かされても、アリスが起き上がる気配はなかった。
しかし彼女は、こう言うときの為の魔法の言葉を知っている。
「風邪をひいちゃったら、当然ゲームも出来なくなるわね。 そうしたら、例の彼にも会えなくなるけど良いの?」
「……行って来ます」
「よろしい。 ちゃんと服も着替えるのよ?」
「は~い」
ムクっと身を起こしたアリスが、ベッドから下りて洗面所に向かう。
その後ろ姿を苦笑混じりに見送りながら、馬場園は手際良く部屋の掃除に取り掛かった。
彼女はアリスのマネージャーで、海外赴任中の両親に代わって、私生活の面倒も見ている。
アリスの生活能力は朱里より輪を掛けて低く、馬場園がいなければまともに生きて行けないほど。
アイドル活動で忙しいのもあるが、本人にやる気が微塵もない。
そんな困った少女に馬場園は振り回されつつ、これで良いと思っていた。
16歳の高校生であるアリスが、芸能界の荒波に揉まれている以上、どこかでガス抜きをする必要がある。
家事類の一切を放棄することで、その手助けが出来るなら、それで構わないと言うのが馬場園の考え。
甘えたい盛りの少女が、両親と離れているのだから尚更だ。
更に彼女がアリスに与えたものが、ゲームデバイス。
元々は、ちょっとした気分転換になればと思っていたのだが――
「よっし! 今日も頑張りますか!」
部屋着になったアリスが、ウキウキとした様子でベッドに戻ろうとした。
それを見た馬場園は、慌てて止めに入る。
「待ちなさい。 先にご飯を食べるわよ」
「え~。 あとで良いよ~」
「そんなこと言って、ゲームを始めちゃったら全然戻って来ないじゃない。 さっきも言ったけど、アリスちゃんの体は……」
「あ~、はいはい! 食べますってば! ホント、馬場園さんは口うるさいんだから~」
「悪いけど、それが仕事なの。 すぐに用意するから、テーブルで待ってて」
「は~い」
不満いっぱいながら、大人しく食卓に着くアリス。
何だかんだ言いつつ、彼女は馬場園のことを信頼しており、言うことを聞くのだ。
テーブルに両肘を突いて、足をブラブラさせているアリスは、流石はアイドルと言うべきか、それだけでも絵になる。
そのことに苦笑を漏らした馬場園が調理を進めていると、暇を持て余したアリスが口を開いた。
「馬場園さん、今回の新曲どう思う?」
「良い出来だと思うわよ。 売れ行きも好調だし、注目度も上がってる。 文句なしじゃないかしら」
「そっか」
「……何か気になることがあるの?」
「う~ん、そう言う訳じゃないんだけど……」
そこで言葉を切ったアリスが、僅かに頬を朱に染めて、手をモジモジさせ始める。
瞬間、馬場園の中にあることが閃いたが、それを許可することは出来ない。
「彼に聴いて欲しいのかもしれないけど、正体を明かすのは駄目よ?」
「べ、別に、そんなこと言ってないでしょ!? 雪夜くんは、アイドルとか好きじゃなさそうだし……」
「あら、そうなの? 年頃の男の子なら、少なからず興味あると思うけど」
「そうかな……?」
「絶対そうとは言わないけど、実際にアリスちゃんはたくさんの男の子から応援してもらってるでしょ? どうして、その子だけ違うって思うの?」
「何て言うか……雰囲気? あと、雪夜くんはケーキちゃんみたいな、大人しい子が好きなのかなって……」
「あぁ、そう言えば、ライバルが出来たんだっけ。 若い子は大変ね」
「馬場園さんだって、まだまだ若いでしょ? それに、あたしはアイドルなんだから、雪夜くんに恋愛感情なんて……持ってないし」
次第に声が小さくなって、湯気が出そうなほど顔を紅潮させるアリス。
今更だが、彼女は雪夜が睨んだ通り、CBOのトッププレイヤーAliceと同一人物。
馬場園からデバイスを与えられた当初は乗り気ではなかったが、次第にのめり込むようになり、いつしか今の位置にまで上り詰めた。
ただし、たまたまCBOを選んだ彼女は他のゲームを知らず、自分がいかに常識外に強いかわかっていない。
それゆえに、生存戦争で生き残ることを半分以上諦めているのだが、雪夜が諦め切っていない理由は彼女にもある。
自分とケーキだけでは無理でも、Aliceも一緒なら可能性はあるかもしれない。
彼はそう考えている訳だが、無自覚強者なAliceは気付いていなかった。
当然と言うべきか、馬場園にもその辺りの詳しい事情はわからないが、1つだけAlice――ではなく、アリスに伝えたいことがある。
調理の手を止めた彼女はアリスの傍に歩み寄り、身を屈めて視線を合わせた。
何事かと思ったアリスは目を丸くしていたが、馬場園は構わず告げる。
「アリスちゃん、アイドルがどうして恋愛しちゃ駄目かわかる?」
「……ファンの皆を裏切っちゃうから?」
「そうね。 ファンってね、凄いのよ。 だって、握手会にだってサイン会にだって、イベントを開くって言ったらどこにでも駆け付けてくれるのよ? そんな人、家族でも恋人でも夫でも、普通はいないわ。 だからアイドルは、そんな人たちの気持ちに応えなきゃいけないの」
「……うん」
「けどね、ファンの人たちだって、馬鹿じゃないわ。 アイドルだって恋愛くらいするって、ほとんどの人はわかってくれてると思う。 だからアリスちゃん、無理に恋愛感情を押し付けることはないのよ」
「馬場園さん……」
「その代わり、隠し通しなさい。 それがプロのアイドルとして、ファンの皆に報いると言うことよ」
「わかった……って! あ、あたしが雪夜くんを……す……好きって前提で話さないでくれる!?」
「いや、好きでしょ」
「決め付けないでッ!」
「わかったから、大声を出さないで。 アリスちゃんの喉も――」
「あたしだけのものじゃないんでしょ!? もう聞き飽きたから! 良いから、早くご飯作って! なんかお腹空いちゃったし!」
「はいはい、わかったわよ」
地団太を踏んで喚き立てるアリスから退散した馬場園は、再び調理を再開した。
そんな彼女をアリスはジト目で見ていたが、先ほどの言葉は心に染みている。
胸に手を当てたアリスは俯いて、ポツリと声を落とした。
「恋愛感情を、押し付けなくて良い……」
その言葉を口にした途端、アリスの頭は雪夜でいっぱいになった。
しかし、ハッとした彼女はブンブンと頭を振って、その想いを振り払う。
残念ながら、完全に払拭することは出来なかったが。
食事をしている間も常に、雪夜の顔が脳裏を過ぎっている。
それでもアリスが自身の想いを認めることはなかったが、馬場園からすれば明らか。
そうして、成すべきことを終えたアリスは、高鳴る鼓動を無視してCBOにログインする。
意地っ張りな少女を馬場園は優しく見守り、彼女が返って来るまでに仕事を片付けるべく、ノートパソコンを開くのだった。