第14話 放課後(not)デート
GENESISクエスト告知から一夜明けた翌日、雪夜はいつも通りの朝を迎えていた。
ゲーム内がいくら非常事態だろうが、彼が現実のリズムを崩すことはない。
その一方で、放置出来ない案件もある。
朝食の準備を進めていた雪夜が、そのときを待っていると、予想通りのタイミングでインターフォンが鳴った。
一瞬だけ苦笑を浮かべた彼は手を止めて、慣れた動作で応答する。
「はい」
『おはよー、セツ兄。 ご飯出来てる?』
「当たり前のように、うちで食べようとするな」
『今更じゃない? 取り敢えず開けてー』
「仕方ないな……」
口では煩わしそうにしつつ、すぐに玄関に向かう雪夜。
ドアを開けると朱里が笑顔で立っていたが、やはり以前のような溌溂さはない。
そのことに胸を痛めながら、雪夜は何でもないように口を開いた。
「おはよう、朱里」
「おはよー。 今日のご飯は?」
「鮭の塩焼き、味噌汁、ほうれん草のお浸し、白ご飯、以上だ」
「わ! 朝から、ちゃんとしてるねー。 何かあったの?」
「別に何もない。 良いから、食べるなら上がれ」
「はーい! お邪魔しまーす!」
僅かながら元気を取り戻した朱里が、雪夜を追い抜いて食卓に向かった。
その背中を見つめながら、雪夜は微笑をこぼす。
実のところ彼は、朱里を少しでも喜ばせようと思って、朝食を用意していた。
彼女にも漠然と気持ちが伝わっており、薄っすらと涙を浮かべている。
しかし、雪夜の想いを無駄にしたくないと考えた朱里は、涙を拭って笑みを浮かべた。
そうして席に着いた2人は、揃って朝食を食べ始める。
この時間は本当に平和で、雪夜も生存戦争を忘れて穏やかに過ごせていた。
食べ終わったあともお茶を飲みながら、朱里が楽しそうに話し、雪夜は静かに聞いている。
ところが――
「あ……」
2人のスマートフォンが同時に震え、朱里がポツリと声を落とした。
その途端に表情が陰り、雪夜も僅かに硬い面持ちになる。
一転して重くなった空気の中、雪夜が内容を確認すると――
『クエスト名、ジェネシス・タイタン討伐』
GENESISのSNSアカウントから、新情報がもたらされていた。
このアカウントからは他にも、様々な情報が逐一発信される。
生存戦争参加者は嫌でもフォローすることになり、フォロワー数がとんでもない数になっていた。
それはともかく、今回の情報はGENESISクエストの名称。
情報を受け取った雪夜だが、はっきり言って昨日と大差ないと感じている。
恐らく巨人型のボスだろうと言うことくらいはわかったが、逆に言えばそれ以外は不明。
対策を取ろうにも、あまり出来ることはなかった。
意識を切り替えた雪夜は、難しい顔でスマートフォンを眺めている朱里に向かって、淡々と声を掛ける。
「朱里、そろそろ行くぞ」
「あ……う、うん!」
無理やり作ったような笑顔で頷いた朱里を連れて、家を出る雪夜。
戸締りを確認してから、通学路へ。
すっかり桜も見納めだが、また来年も見られるはず。
だが、生存戦争が始まってから雪夜は、そうした当たり前がいつまでも当たり前なのか、疑問を抱くようになっていた。
話が飛躍し過ぎていると思いながら、彼は確かにそう感じている。
とは言え、そのような大規模な問題など、自分の管轄外。
すっぱりと割り切った雪夜は、自らの大事なものを守ろうと思った。
「朱里、今日も部活か?」
「え? ううん、今日は休みの日だけど、どうしたの?」
「帰りに買い物に付き合って欲しいんだが、頼めるか? コーヒーの1杯くらいなら、奢るぞ?」
「買い物? もしかして……それって、デートのお誘い?」
「好きな男がいる女の子を、デートに誘う勇気はない」
「あはは! 冗談だよ、冗談! 良いよ、付き合ってあげる! その代わり、コーヒーにケーキも付けてね!」
「強欲だな」
「こんな可愛い子とデート出来るんだよ? 安いもんじゃない?」
「自信過剰……とは言わないでおこう。 ただ、デートじゃない」
「もー、相変わらず細かいんだからー。 とにかく、お願いね!」
「はぁ……わかった。 じゃあ、放課後にな」
「うん! 楽しみにしてるから!」
久しぶりに、心からの笑みを浮かべる朱里。
それを見た雪夜は、何とも言い難い安心感を得ていた。
朱里が生存戦争のことで悩んでいるのは、間違いないと彼は確信している。
ただし、具体的にどう言う関わり方をしているかまでは、わからない。
だからこそ回りくどい方法でしか、力になれないと思っていた。
更に言えば、最終的には敵対する可能性が高い。
そのときを思うと気が重いが、今はまだ様子を見ようと考えている。
朱里の太陽のように眩しい笑顔は、雪夜に力を与えてくれた。
この笑顔を守る為に、自分に出来ることをしようと、彼は密かに誓っている。
ルンルン気分で鼻歌まで歌い出した朱里を、苦笑交じりに見つめる雪夜。
周囲の生徒たちが恥ずかしくなるほどの、幸福な空間が展開されている。
そんなことにお構いなく、幼馴染たちは学校への道を歩み続けた。
そして放課後。
話を聞き付けた宗隆から、散々質問攻めに遭ったものの、無事に雪夜と朱里は街に繰り出した。
ちなみに宗隆に関しては、もう心配ないと雪夜は思っている。
元来の性格なのかどうかは知らないが、「俺には野球しかねぇ!」などと言いながら、今日も元気に練習に向かっていた。
そんな彼の切り替えの良さが、雪夜は羨ましい。
彼は未だに、過去を引き摺っている。
それも、我ながら些細な問題だと思うようなことを。
自らの弱さを痛感した雪夜だが、ひとまずその想いは棚に上げた。
今は何よりも、朱里を元気付けるのが優先。
雪夜が内心でそう決意していると、朱里が顔を覗き込むようにして問い掛ける。
その顔には、非常に楽しそうな笑みを湛えていた。
「それでセツ兄、何を買いに行くの?」
「特別な物じゃない。 単なる夕飯の買い出しだ」
「えー? それじゃあ、あたしがいる意味なくない?」
「そうとは限らないぞ」
「え? どう言うこと?」
「おじさんとおばさんから聞いた。 今日は2人とも帰りが遅いから、1人で食べるんだろう? 何を食べるつもりだったんだ?」
「……カップ麺」
「……それで良いのか、女子校生?」
「あ! その言い方、良くないと思う! 世の中の女子校生が皆、料理出来ると思ってるの!? 言っておくけど、出来ない子だってたくさんいるんだからね!? て言うか、何でも出来るセツ兄の方がおかしいんだよ!」
「わかったから、落ち着け。 声が大きい」
「ふんだ! セツ兄なんか、そのまま1人で生きて行けば良いんだよ! どうせ何があっても、困らないんだから!」
腕を組んで顔を背け、いかにも怒っていますと言った様子の朱里。
対する雪夜は困り果てたが、取り敢えず訂正しておくことにした。
「それは違うぞ、朱里」
「何が!?」
「俺にだって、出来ないことは山ほどある。 父さんや母さんがいなくなってすぐは、それこそ何も出来なかった。 今でこそ普通に生活出来ているが、これでも必死だ」
「あ……ごめん……」
「謝らなくて良い。 俺の方こそ、無神経なことを言った。 すまない」
「う、ううん、大丈夫。 今のは絶対、あたしの方が悪いよ……。 セツ兄が大変だったのは、知ってたのに……」
「気にするな。 それに、ここまで来れたのは、俺だけの力じゃない。 おじさんやおばさんにも、随分と世話になった。 朱里にもな」
「あたし……? 何かしたっけ……?」
「こう言うことを面と向かって言うのは恥ずかしいが……元気な朱里を見ていると、こっちも元気になれるんだ。 辛くなったときも、朱里がいたから乗り切れた」
「……! セツ兄……」
「だから俺は、朱里には笑顔でいて欲しい。 その為に出来ることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「……うん、有難う」
雪夜の想いを聞いた朱里は、涙目で俯いた。
しかし、それは決して悪い意味の涙ではない。
何か大切なものを抱き締めるかのように、両手を胸に当てた朱里は、満面の笑みで言い放つ。
「じゃあ、今晩はご馳走してもらおうかな!」
「あぁ、任せろ」
「リクエストして良いの?」
「その為に付いて来てもらったんだ」
「わーい! やったー!」
「ただ、その前に少し寄り道しないか? 街に出るのは珍しいからな」
「うん、そうしよ! どこに行く?」
「この辺りには大抵のものが揃っているからな、適当に散策してみよう」
「散策って……まぁ、良いけどね! じゃあ、行こっか!」
雪夜の言い様に、苦笑を漏らした朱里。
このときにはすっかり調子を取り戻しており、雪夜は安堵の息をついている。
その後、2人は仲良く街を練り歩いた。
アパレルショップや雑貨屋、ペットショップなど、雪夜は朱里の興味を引きそうな場所を、積極的に選んでいる。
この辺りは、幼馴染として彼女の好みを把握している、彼ならではのエスコート。
雪夜のチョイスに満足した朱里は笑顔を咲かせ、大いにはしゃいでいた。
彼女の姿に雪夜も喜び、控えめながら笑みを漏らしている。
そうして一通り楽しんだ2人は、評判の良い喫茶店に入った。
運良く空いていたテラス席に通され、雪夜はアイスコーヒーを注文し、朱里はキャラメルラテとチーズケーキ。
糖分過多のように彼は感じたが、それが禁句なことくらいはわかっている。
素知らぬ顔でアイスコーヒーに口を付けながら、幸せそうにチーズケーキを頬張っている朱里を、雪夜は微笑ましく眺めた。
それと同時に思い浮かべたのは、別の少女。
物凄い速さでレベリングを続けている、ケーキ。
数字上はまだ50を超えたばかりだが、彼女のペースが尋常ではないことを、雪夜は正確に認識している。
それこそ、寝ずに続けているのではないかと疑うほど。
実際その通りな訳だが。
ケーキが戦闘AIだと知らない彼は、彼女が体調を崩さないか心配している。
だが、自分が口出しして良いものか、悩んでいた。
未だにケーキがCBOに執着する理由は不明だが、その気持ちが本物だと言うことだけは疑いようもない。
今はまだCBOに攻め込んで来たタイトルはないとは言え、生存戦争が進めば進むほど、その危険性は高くなる。
そして、そのときは近いと、雪夜の直感は告げていた。
彼なりに出来ることはしているが、それがどこまで通用するかは未知数。
だとしても、全力を尽くそうと雪夜が覚悟していると――
「セツ兄、怖い顔してるよ?」
苦笑を浮かべた朱里に呼び掛けられ、ハッとした。
そのときになって、彼女を放ったらかしにしていたことに気付いた雪夜は、申し訳なさそうに声を発する。
「すまない、考え事をしていた」
「あたしは良いけど、彼女と一緒のときにそれをしたらアウトだからね?」
「……覚えておく」
「あはは! うんうん、素直でよろしい。 ……ねぇ、セツ兄」
「どうした?」
「さっき、出来ることがあれば遠慮なく言ってくれって、言ってくれたよね? あれ、凄く嬉しかった」
「……限度はあるぞ?」
「ふふ、わかってるよ。 でも、あたしだってそうだからね?」
「朱里も?」
「うん。 セツ兄の為に出来ることがあれば、遠慮なく言って欲しいな。 あたしだって、セツ兄には幸せでいて欲しいもん」
「朱里……」
「勿論、限度はあるけどね!」
そう言って、茶目っ気たっぷりにウインクする朱里。
そんな彼女に苦笑した雪夜は、軽く息を吐いてから告げた。
「あぁ、何かあれば頼らせてもらう」
「うん! 任せて!」
「じゃあ、明日の朝食を任せよう」
「え!? そ、それはちょっと……」
「冗談だ」
「むー!」
「悪かった。 さぁ、そろそろ行こう。 好きなものを作ってやるぞ」
「なんか、誤魔化されてる気がするけど……。 仕方ないなー」
文句を言いつつも席を立った朱里は、雪夜と並んでスーパーへと向かう。
2人の距離感は絶妙で、恋人にしては離れており、友だちにしては近い。
端から見ていると、どのような関係か興味をそそられるほどだが、彼らにとってはこれが自然体だ。
そのまま、通りを歩いていた雪夜たちだが、不意に朱里が立ち止まる。
「あ、アリスちゃんだ!」
「Alice?」
声を上げた朱里の視線を雪夜が追うと、デパートに取り付けられた大型ビジョンがあった。
映っていたのはアイドルらしき少女で、新曲のPVらしい。
肩より少し長いプラチナブロンドの髪に、愛嬌のある蒼い瞳。
身長は160㎝程度で、胸元はそれなりに育っている。
歌もダンスもハイレベルで、アイドルに詳しくない雪夜も魅力的に見えた。
しかし、彼の視線が釘付けになっているのは、それが理由ではない。
だが、そのようなことを知らない朱里は、ニヤニヤした顔で尋ね掛ける。
「あれー? もしかして、セツ兄ってアリスちゃんが好きなのー?」
「……あの子は、アリスと言う名前なのか?」
「え!? 知らないの!?」
「有名なのか?」
「うん! 最近デビューしたばかりだけど、すっごく人気だよ! あたしも好きだし!」
「……そうなのか」
朱里の説明を受けた雪夜は、複雑そうな眼差しを大型ビジョンに注ぐ。
彼の目には、アリスがAliceにしか見えなかった。
髪型は違うが、他はほぼそのまま。
ファンが似せている可能性も考えられるので、確証などない。
どちらにせよ雪夜に問い質すつもりはないが、正直なところ気にはなった。
それでも頭を切り替えた彼は、大型ビジョンに背を向けて朱里を促す。
「行こう。 買い物が遅かったら、食べるのも遅くなるぞ」
「あ! そうだね! 行こう、行こう!」
元気いっぱいな朱里を引き連れて、足を再稼働させる雪夜。
その直前に、振り向いて見た大型ビジョンの中では、華やかな衣装を身に纏ったアリスが躍動していた。
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